第2話 アイスコーヒーとプラムドリンク ~ショッピングモールのヒミツたち~
文字数 2,330文字
強欲な顔をした8月の太陽がようやく沈んできても外はまだうだるような暑さで、そのくせモールの中から見る夕空は、立派に一日の終わりを主張して真っ赤に染まっていく。
あゆみさんがモールのアパレル店でバイトしていることは、彼女が兄ちゃんとまだ付き合っていた時に立ち聞きして知った。それで俺は時々、いやしょっちゅう、あゆみさんにバレないように気を付けながらそのアパレル店に、あゆみさんを見に行った。見つかったらキモがられるだろうし兄ちゃんにも殺されるので、それはそれは細心の注意を払った。
やがて半年と少しで、兄ちゃんとあゆみさんは別れた。それでも俺はこっそりモールに通い続けた。ああ、これってストーカーみたい、いやそのものじゃん、と自己嫌悪に陥りながら、でも俺は通い続けた。犯罪者や変質者にまではなりたくないから、少し離れた別のアパレル店や雑貨店から、ただそっと彼女を見るだけ。長時間だと怪しまれるし、ほんの数分。
それは俺にとって、素の自分に還れるひと時だったんだけど……。
「上村あ、また来てんのかよ」
背中で、同じクラスの里奈の嬉しそうな声がする。
「んだよ」
ちらっと背後を見て、仕方なく歩き出す。里奈は俺についてくる。今日はまだ3分もあゆみさんを眺めてないのに!
あゆみさんのこと、里奈にバレてないと思うけど、でも何か感づいてる。里奈は、俺がしょっちゅうここに来ていることを掴み、冷やかしにくるのだ。
里奈のことは昔から知ってる。運動能力が半端なく、今は中学陸上部のエースで真っ黒に日焼けしている。俺も運動は昔から出来たけど、中学に入り、奴隷みたいな上下関係が嫌でバスケ部を半年で辞めた。それからは、まっすぐ帰宅しない帰宅部になった。それで、モールに寄り道したりしてチャラチャラしてたら、チャラチャラした女子と何となくつるむことが増え、そのうち、陰で「ウェイ村」などと呼ばれるようになった。そうだよ、どうせ俺は「ウェイ村」だよ、と開き直った。
でも、いつもつるむ女子たちのことは、特に好きってわけでもなくて、何だか毎日に疲れた。そんな時だ、あゆみさんが家に来るようになったのは。
一度だけ、あゆみさんと駅前で偶然会ったことがある。まだ兄ちゃんとつきあい始めの頃だ。兄ちゃんは俺より6つ上で当時大学1年で、あゆみさんも同い年で、完全に大人の女の人って感じだった。
「お茶でも飲む?」
と誘われ、セルフのカフェチェーンに入った。俺はいつものようにカフェオレに砂糖を入れ、ふと見たら、あゆみさんはブラックコーヒー、ミルクも砂糖も無しだった。俺はあゆみさんのことが聞きたかったのに、あゆみさんは兄ちゃんの普段の様子とか昔のことなんかばかり聞きたがる。あゆみさんが好きなのは兄ちゃんで、俺はその弟でしかないのだ。俺だって、こんなにあゆみさんのことが好きなのに。6つも下の中学生など対象外なのだった。
俺はエスカレータを降り、モールの出口へと向かう。里奈もついてくる。やがて、隣に並ぶ。
「上村。暑いから、何か冷たいものでも飲んでこうよ」
モールを出てすぐだ。全然減退しない熱気に圧倒されたのか、どこかつっかえるような感じで里奈が言った。
「いいけど」
俺たちは、そのままモール出口脇のセルフカフェに入る。二人、オーダーをしに並んだ。里奈が制服じゃないのは部活帰りじゃないってことだろうけれど、相変わらずスポーツバッグを担いでいる。
順番が来ると里奈は、プラムと何かのアイスドリンクを頼んだ。俺はアイスコーヒーにした。席に座ると、さっそく里奈はドリンクをずるずると吸い込み始める。
「何、そのスポーツバッグ? 今日、部活じゃないんだろ?」
「ジム行って、筋トレして走ってきた」
「筋肉お化けかよ」
そう言われて里奈は、はははと、屈託なさそうに笑った。
「上村は?」
「ちょっと買い物」
「服とか? でも何も買ってないじゃん」
「るせえな、いろいろ選ぶんだよ」
「ふーん」
里奈はそれでまたドリンクをすすった。運動してきて喉が渇いているのか、やたらとハイペースだ。もう半分以上、ドリンクは無くなっていた。里奈は唇をストローから離し、
「あれ?」
俺のグラスを見て言った。
「コーヒーにシロップもミルクも入れないの?」
「入れない」
「そうなんだ。前は全部入れだったのに」
あゆみさんと一緒にお茶したあの日から、俺はコーヒーはブラックにしたのだ。
里奈は、何か胡散臭そうに俺をじっと見る。
「何だよ」
「別に」
「言いたいことがあんなら言えよ」
「ないよ、別に」
里奈はなぜかちょっと不貞腐れていた。訳わからん。里奈との間ではとても珍しいことに何か気まずい感じになり、二人黙った。それはもう気持ちの悪い体験で、でもどうすればいいのか分からなかった。しばらくして。
「上村」
里奈は思い詰めたように俺を見る。
「コーヒー、飲まして!」
言うが早いか俺のグラスを奪い取り、ストローで一気に3分の1近く、飲みやがった。
「ニガっ!」
「おまえ、そんなに飲んで、ニガっじゃねえよ」
「そしたら、これ飲んでいいよ」
里奈は俺の前に、プラム何とかドリンクをすっと突き出した。
「いらねえよ」
「飲んで」
「いらねえって」
「飲んで!」
何か、凄まれた。で、押されるようにして飲んだ。
ひどく甘くて酸っぱくて。
「甘じょっぺー」
思わず口に出したら、
「甘じょっぱいは、みたらし団子みたいな味でしょ。これは違うよ」
と叱られた。
「じゃ、これは何だよ」
「さあね」
里奈はそっぽを向いた。けれどもう、すっかり機嫌が直ったみたいだ。やれやれ。
しばらくどうでもいいことを喋り、店を出るともう外は暗い。思ったより日が落ちるのが早くなっている。夏が過ぎて行く。
あゆみさんがモールのアパレル店でバイトしていることは、彼女が兄ちゃんとまだ付き合っていた時に立ち聞きして知った。それで俺は時々、いやしょっちゅう、あゆみさんにバレないように気を付けながらそのアパレル店に、あゆみさんを見に行った。見つかったらキモがられるだろうし兄ちゃんにも殺されるので、それはそれは細心の注意を払った。
やがて半年と少しで、兄ちゃんとあゆみさんは別れた。それでも俺はこっそりモールに通い続けた。ああ、これってストーカーみたい、いやそのものじゃん、と自己嫌悪に陥りながら、でも俺は通い続けた。犯罪者や変質者にまではなりたくないから、少し離れた別のアパレル店や雑貨店から、ただそっと彼女を見るだけ。長時間だと怪しまれるし、ほんの数分。
それは俺にとって、素の自分に還れるひと時だったんだけど……。
「上村あ、また来てんのかよ」
背中で、同じクラスの里奈の嬉しそうな声がする。
「んだよ」
ちらっと背後を見て、仕方なく歩き出す。里奈は俺についてくる。今日はまだ3分もあゆみさんを眺めてないのに!
あゆみさんのこと、里奈にバレてないと思うけど、でも何か感づいてる。里奈は、俺がしょっちゅうここに来ていることを掴み、冷やかしにくるのだ。
里奈のことは昔から知ってる。運動能力が半端なく、今は中学陸上部のエースで真っ黒に日焼けしている。俺も運動は昔から出来たけど、中学に入り、奴隷みたいな上下関係が嫌でバスケ部を半年で辞めた。それからは、まっすぐ帰宅しない帰宅部になった。それで、モールに寄り道したりしてチャラチャラしてたら、チャラチャラした女子と何となくつるむことが増え、そのうち、陰で「ウェイ村」などと呼ばれるようになった。そうだよ、どうせ俺は「ウェイ村」だよ、と開き直った。
でも、いつもつるむ女子たちのことは、特に好きってわけでもなくて、何だか毎日に疲れた。そんな時だ、あゆみさんが家に来るようになったのは。
一度だけ、あゆみさんと駅前で偶然会ったことがある。まだ兄ちゃんとつきあい始めの頃だ。兄ちゃんは俺より6つ上で当時大学1年で、あゆみさんも同い年で、完全に大人の女の人って感じだった。
「お茶でも飲む?」
と誘われ、セルフのカフェチェーンに入った。俺はいつものようにカフェオレに砂糖を入れ、ふと見たら、あゆみさんはブラックコーヒー、ミルクも砂糖も無しだった。俺はあゆみさんのことが聞きたかったのに、あゆみさんは兄ちゃんの普段の様子とか昔のことなんかばかり聞きたがる。あゆみさんが好きなのは兄ちゃんで、俺はその弟でしかないのだ。俺だって、こんなにあゆみさんのことが好きなのに。6つも下の中学生など対象外なのだった。
俺はエスカレータを降り、モールの出口へと向かう。里奈もついてくる。やがて、隣に並ぶ。
「上村。暑いから、何か冷たいものでも飲んでこうよ」
モールを出てすぐだ。全然減退しない熱気に圧倒されたのか、どこかつっかえるような感じで里奈が言った。
「いいけど」
俺たちは、そのままモール出口脇のセルフカフェに入る。二人、オーダーをしに並んだ。里奈が制服じゃないのは部活帰りじゃないってことだろうけれど、相変わらずスポーツバッグを担いでいる。
順番が来ると里奈は、プラムと何かのアイスドリンクを頼んだ。俺はアイスコーヒーにした。席に座ると、さっそく里奈はドリンクをずるずると吸い込み始める。
「何、そのスポーツバッグ? 今日、部活じゃないんだろ?」
「ジム行って、筋トレして走ってきた」
「筋肉お化けかよ」
そう言われて里奈は、はははと、屈託なさそうに笑った。
「上村は?」
「ちょっと買い物」
「服とか? でも何も買ってないじゃん」
「るせえな、いろいろ選ぶんだよ」
「ふーん」
里奈はそれでまたドリンクをすすった。運動してきて喉が渇いているのか、やたらとハイペースだ。もう半分以上、ドリンクは無くなっていた。里奈は唇をストローから離し、
「あれ?」
俺のグラスを見て言った。
「コーヒーにシロップもミルクも入れないの?」
「入れない」
「そうなんだ。前は全部入れだったのに」
あゆみさんと一緒にお茶したあの日から、俺はコーヒーはブラックにしたのだ。
里奈は、何か胡散臭そうに俺をじっと見る。
「何だよ」
「別に」
「言いたいことがあんなら言えよ」
「ないよ、別に」
里奈はなぜかちょっと不貞腐れていた。訳わからん。里奈との間ではとても珍しいことに何か気まずい感じになり、二人黙った。それはもう気持ちの悪い体験で、でもどうすればいいのか分からなかった。しばらくして。
「上村」
里奈は思い詰めたように俺を見る。
「コーヒー、飲まして!」
言うが早いか俺のグラスを奪い取り、ストローで一気に3分の1近く、飲みやがった。
「ニガっ!」
「おまえ、そんなに飲んで、ニガっじゃねえよ」
「そしたら、これ飲んでいいよ」
里奈は俺の前に、プラム何とかドリンクをすっと突き出した。
「いらねえよ」
「飲んで」
「いらねえって」
「飲んで!」
何か、凄まれた。で、押されるようにして飲んだ。
ひどく甘くて酸っぱくて。
「甘じょっぺー」
思わず口に出したら、
「甘じょっぱいは、みたらし団子みたいな味でしょ。これは違うよ」
と叱られた。
「じゃ、これは何だよ」
「さあね」
里奈はそっぽを向いた。けれどもう、すっかり機嫌が直ったみたいだ。やれやれ。
しばらくどうでもいいことを喋り、店を出るともう外は暗い。思ったより日が落ちるのが早くなっている。夏が過ぎて行く。