第1話

文字数 1,955文字

 私は下戸だ。でも、焼き鳥も串揚げも乾き物も、お酒がなくても全然平気。飲み屋でもジュースで酔っ払い以上にテンションを上げられる特技もある。
対して、相方はザルだ。家でも外でも、際限なく飲んでいる。休前日ともなるとタガが外れるのか、泥酔して眠りこける寝室はアルコール臭ととてつもないイビキで満たされる。
結果、締め出された私はリビングで眠ることになり、睡眠不足と背中の痛みで不快な思いをするのだが。
 寝室から誰かがしゃべっている声が聞こえる。ヤツの目覚ましだ。ピピッ、という機械音でもスマホでもなく、子供のころから使っている、キャラクターがしゃべるやつ。
「これじゃないと起きれないんだよね。」
と言うが、これでも何でも起きたことないじゃないか。
もう大人なので放っておく。自分で判断して、起きるなり休むなりしてくれ。
朝の家事を済ませ、仕事に出かける。
ちょうど今担当しているクライアントは、少し嫌味なのであまり気乗りがしない。無難にこなして早く終わらせたいのだが、最近は進みが遅い。新事務所のインテリアのデザインを依頼されているのだが、壁のデザインでなかなかOKをもらえないのだ。。
案の定、出社してメールをチェックすると前回の提案にはあまり賛成できないとあった。
マタデスカ。
「苦戦してるね。」
上司に声をかけられた。
「もう何度目だかわからなくなってます。」
「モデル事務所だっけ?」
最近開業した新しい事務所で、所属しているモデルもそれほど知名度がある人はいなかった。
「洗練されているのは悪くないけど、無難すぎるんじゃない?あえて奇抜にしてみたら?」
上司に言われて思いついたのが、有名な芸術家の絵だった。圧倒的な存在感と理解しがたい構図。しかし、その絵が描かれた背景を知ったことで、ハッとしたことを覚えている。感情を動かされるとは、これほどまでにショックを受けるものなのかと驚いた。
当時受けた衝撃と印象を思い出しながら形にしていく。ささっとデザインしただけなので、出来上がりは「なんとなく・もややん」としたものだった。
ダメもとで上司に見せてみる。
「面白いんじゃない?」
「信じて送っちゃいますよ。」
「いいよ。あくまでイメージ案として。」
上司は軽やかに笑った。
 午後、ランチから戻ると、例のクライアントから返事が来ていた。
『今までと全く違ったデザインですが、とてもいいですね。』
意外な返事に、上司を見た。ちょうど同じメールを見ていたようだった。
「良かったじゃない。」
「拍子抜けって、こういうことを言うんですね。」
 金曜日、もう少し手を加えた案を持って、上司とクライアントを訪ねた。
「こういう、エネルギーに満ちている感じが良かったんですよ。でも今までと全く違う提案でしたけれど、何かあったの?」
上司のアドバイスだと素直に告げると、
「実際のデザインは本人ですから。」
と上司が続けた。
 仕事の話が終わって歓談していると、コーヒーとともに出されたお菓子に目が止まった。カラフルで小さい飴が、かわいらしい黒猫のイラストが描かれた小袋に入って、いくつか豆皿に盛ってある。
「ウイスキーボンボンですよ。」
「え?」
「日本はチョコレートの中にリキュールが入っている方が一般的だけど、薄いお砂糖でできた殻の中にお酒が入っているものを言うんです。どうぞ、お持ちになってください。」
へえ、初めて見た。って、仕事中にお酒ってどうなの?
どうしても気になったので、お言葉に甘えて、少し頂いた。
「中身はキツいお酒ですから、気を付けてくださいね。」
 帰宅すると、相方はいなかった。出勤したようだ。
ウイスキーボンボンを取り出す。パッケージも中身も本当にかわいい。
お酒だとわかってはいるが、好奇心に勝てず一つだけ口にしてみた。
「あまーい!ウッ…すごい。」
砂糖の殻が儚く割れると、お酒特有の香りと強烈なアルコールが鼻と舌を襲った。
ついつい口にしてしまったウイスキーボンボンのせいで、そのあとの記憶は全くなかった。
翌日、ガンガン響く頭痛に目を覚ますと、もうお昼を過ぎていた。
「大丈夫?水飲む?」
リビングに行くと、相方が声をかけてきた。渡された水を飲む。
水、おいしいー!
「二日酔いの原因は、あれ?」
テーブルには残りのウイスキーボンボンが置いてある。
「君があんなの食べたら、そうなるよ。」
笑う相方からおかわりをもらい、しっかりと水分を補給した。
「俺の目覚ましでも全く起きなかったね。」
水のおかげか、少し楽になった気がするけれど、体が重くてソファに沈み込んだ。
「食欲ないでしょう。」
さすが上級者、よくわかっている。
「歩けそうなら寝室戻って。今日は寝てなね。」
さすが上級者、本当によくわかっている。
ベッドに潜り込むと、今度ヤツが二日酔いの時には、美味しい水をあげようと決めたのだった。
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