第1話

文字数 4,046文字

イヤホンをしていても、バスはやっぱり静かとは言えないので接近がよくわかる。走ればバスよりも早くバス停につけるのに、また足が動かない。運転手さんの意地が悪かったり、それとも何か人に意地悪くしなければ発散できないようなことがその人にあったりしなければ、というか仕事なのだからおそらくバス停の数歩手前まででも行けばあのドアは開いたままなのだが、万が一目の前で扉を閉められるなんてされたひにはたまらない。だから次のバスを待つほうがいい。
バスがしばらく来なくても、学校に遅れたりしても、それらで僕が嫌な思いをすることなんてないから、となりを一生懸命に走ってバスに乗り込む人を見ても後悔などしない。


僕は小学校のころ中学受験をして、都内で御三家とか言われている学校の一つに通っている。ころ、とか言うとずいぶん昔のことを言っているようだが、公立の中学校はともかく学校の私立の中学校に入ると大体のルール、例えば校則が緩くなるだとか、給食が弁当になるだとかが変り、とくに僕の通っているところは校則はおろか制服すらもない、「自由」な学校であるから、バス停に向かうときなんかにすれ違う昔の同級生なんかを目にすると、今の自分とのあまりの差に、数年しかたってないなどはとても思えないものである。おまけに彼らは僕のことを無視しているのか、はたまた本当に記憶にないのかは知らないが、目も合わせないから、みんなで仲良く放課後に遊んでいた日々も遠い昔のように感じる。学校へは徒歩、バス、電車を一回乗り継いで行っている。できることなら道中の行程が少なくなるようなところに引っ越したいが、やはり今住んでいるところが都内中心部に比べて空気がずいぶん澄んでいるのと、父が、口に出すことはないのだがおそらく引っ越す気はないのとで、片道一時間半も登校にかけている。
僕自身も、おそらくもうほとんどかかわることのない友人、というか知り合い?と会う機会が0になるのはどこかさみしく思っている。

「おはようー 彰ー」
茶木は毎日僕が登校してくると挨拶をしてくる。それが何の意味を含んでいるのかよくわからないが、やはりあいさつされるのはされない時よりかはどことなく心があたかくなる。
始業時間までは友達とゲームをして過ごす。有原はゲーム内で僕がへまをしても攻めてくることもなく、楽しくやってられるから気楽でいい。何度か彼の目の奥に避難がましい色が宿ったことがあるのを覚えているが、彼は根に持つような性格ではないので、笑い話にこそならないがそれが僕たちの不仲につながることはない。
数分もすると、スマホを片手に多数の生徒が登校してくるが、徹夜でもしていたのだろうか、すぐ机に突っ伏して寝てしまう生徒もちらほらみられる。一時限目は幾何の授業だが、面白くもないので聞く必要もなかった。

葛城は二時限めと三時限目の間の休み時間に学校に来た。彼は服装にこだわりがなく、おんなじ洋服もなんども連続して着てくるようなのでいつも少々みすぼらしいともいえる服装である。
「おはよう」
僕も同じように返す。

彼はほかの生徒とは少し違う。彼は成績があまりよくない部類だったので、ふとしたことでクラスメイトにそのことを馬鹿にされることもよくあるし、容姿も端麗とはなかなか遠いものだから、彼が少々の口喧嘩を起こした時に、反撃の糸口が見つからない相手から心無い言葉を投げかけられることもしばしばある。少し違うといったのはこの後の様子で、僕を含め彼以外の人間は、今まで見た限りでは彼とおんなじ様な状況にあったとき、たいがいは顔をひきつらせて笑って見せたり、相手をさらに程度の低い言葉で罵倒したり、あるいは見下したような表情を精一杯にしてみせるのだが、彼はとにかく楽しそうだった。楽しそう、というのも、心の底から自分より相手が下だとか思ったときの優越感によるものではなく、そういったもろもろの状況を楽しんでいる、という感じのものだ。僕は彼にあこがれている。彼は本当に楽しいのであろう。後の講義もさほど面白いものはなく、しいて言えば地学の授業中に今まで疑問に思っていたマグマの生成過程が明かされたことだった。
またぼーっとしていたら最寄り駅についてしまった。僕とおんなじ方向に住んでいる人はほぼいない。話し相手もいないからスマートフォンでゲームをしているうちに着いてしまう。
そこからは書店に寄り、できるだけ遅くに家に帰るために、三十分かかる道のりを歩いて帰った。家に帰り、黙々とご飯を食べて、僕は机に向かう。勉強机は小さいころお母さんが僕に買ってくれたもので、今は窮屈で、一度椅子に座ると、もう出るのが困難になる。

変な夢を見た。お母さんがいつもよりもきらびやかな洋服を着て、僕にたった一言、
「ねぇ、今幸せ?」
と問いかける夢だった。
「うん」
僕は即答した。

朝起きてカレンダーを見ると、今日から学年末試験の二週間前に入ったことが分かった。前回は寝る時間も惜しんで勉強したのでなかなかいい成績だったが、気に食わないないことがあった。
普段から遊んでばかりの、勉強などしてないも同然の奴らが思ったより低くなかったのだ。他人の成績などどうでもいいというかもしれないが、葛城なんかは全く勉強してないのに僕より数科目成績が高いのだ。全く気に食わない。つまらない講義を聞いてつまらない問題集に向き合い、両親のつまらない説教に耐えて勉強している自分が一教科でも負ける理由がわからなかった。
登校中は母から勧められた英単語アプリで単語の復習をし、それが終わったら一時限目に控えている日本史の授業の復習をした。
始業時間まではまたいつも通りにゲームをし、楽しいひと時を過ごす。
それが終わるとまたつまらない講義を聞き、弁当を食べ、ゲームをし、講義を聞き、帰路につく。毎日がおんなじ様な日々だったが、学校で友達といると幸せだ。
「前回は成績よかったから今回もテスト頑張ってね」
回りくどいことをせず、前回までよりも高い順位を取れと言えばいいのに、母は毎回こういう言い方をする。
父は単身赴任で家におらず、母はひとりで家事全般をやってくれている。父がいても家事はしないので効率という面では大して変わりないが、父がいるとやはり母は機嫌がよくなり、できる妻だとでも思ってもらいたいのか、いつも以上に精を出して労働をする。
母が夕飯の後に父に試験までの期間を伝えると、父は電話をかけてきて
「彰、繰り返しになるけど勉強は絶対将来役に立つからしっかりやりなさい。」
などという。
本当にそう思っていてるのか、それとも僕が悪い成績をとったときに、注意したじゃないか、というための言葉なのかは僕にはわからない。
風呂に入った後、物理のノートの見直しをし、布団に入る。12時を回っていた。なかなか遅くまで勉強していたようだ。両隣からは母の静かな寝息と父の豪快ないびきが耳に入ってくる。

今度は小学校のころ仲良くしていた友達たちだった。
「お前、幸せなの?」


「うん」


次の日の朝は普段通り母が起こしてくれたが、やけに布団の外が寒く、外に出る気にならなかった。



試験前日までの授業内容はやはり今学期で習ったことの復習に充てられた。授業の内容もちゃんと聞いていたし、休み時間も友人からの遊びの誘いも断って問題演習冊子を何日かかけて何周もした。何度か葛城がコンビニに行かないかと誘ってきたが断っておいた。また負ける科目があってはたまらない。彼は僕が断った後は一人で昼食をコンビニまで行って調達し、僕の横で食べていた。
「彰は何でそんなに勉強してるの?」
言われてみればよくわからない。僕がだんまりしていると彼は少し微笑んで見せ、また昼食を食べ始めた。
その日は終礼が終わった後はすぐに家に帰り勉強すると決めていたので、教室でもうとっくに提出期限の切れている問題集をしている人々を後にして、帰路についた。家の前の公園までつくと、地元中学校の生徒たちが、スマホを見たりサッカーをしていた。彼らはもう僕の顔に気づかない。僕は彼らの顔に気づくのに、どうしてなのか分からない。ボールがこちらに飛んできた。足で受け止め、肌が小麦色に焼けた女子にそのまま返す。目が合った。藤田だった。向こうも僕の顔に気づいたようで、会釈のようなものをして仲間のもとへ帰っていった。
彼女はその輪の中に入っても、あそこに彰がいたよ、などとは言わない。それは二年前までの、彼氏の存在を口に出すことが冷やかしの原因になることを恐れてのものではなく、無関心ゆえのものだった。
その日は午前2時くらいまで勉強していた。
今日はテストだ。しっかりいい点数を取らなければ・・・・・・・・・・・しまう。




僕が歩きながら勉強をしていると、向かい側の道路に木村と篠原が嗤いながら歩いていく。
バスの運転手は僕の目の前でドアをしめた。駅の階段を駆け下りると、電車がちょうど行ってしまった。反対側の電車が来ていた。それに乗って僕は遠い駅に着く。コーヒーのおいしそうなにおいがする喫茶店に入り、一杯コーヒーを飲むと、僕はさわやかな自然の香りで鼻孔が満たされる川沿いで日光浴をした。日が暮れた。でもまだそこに居たかった。太陽と月以外の星が見えるまで。



母が大きな声を出している。
父が電話で何か言っている。
お風呂のお湯はいつもより暖かく、寝間着はいつもよりいい匂いがした。家の音から耳をふさぐようにして布団をかぶり、問いかけを待った。
葛城はいつもと違う服を着ていて、あまりの新鮮さに視界が揺らいだ。

「幸せでしょう」


僕の答えは


「そうだね」


聞いてみよう。


「しあわせですか」


「とってもね」




















































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