終幕

文字数 698文字

 夕焼けの光が夜のヴェールに呑み込まれる頃に、街中をぶらぶらと歩いていた。夏風が背中を押してくれるように、目的もなく、予定もなく、気ままに、散歩していた。
 辺りはどこか薄暗かった。でも、まだまだ看板の文字は見える。駅のロータリーにはバスが頻繁に訪れ、タクシーが次々と往来する。人々の声は夜風に吹かれ、少しだけ清々しかった。心の感傷は心地良い汗となる。
 小さなシアターが目に付いた。何度か寄ったことがある。重厚な石造りの階段が地下へと続いていた。
 いつもとは違う空気が感じられた。近づき、思わず目を瞠る。本日、閉館します、の文字。僕の心を少なからず、動揺させる。何かの終幕に心が揺さぶられるということが、本当にあり得るのだ、と僕は初めて知った。
 最後の上映が始まるようだ。
 気付けばシアターに入って、映画を見ていた。その名作に引き込まれるうちに、日頃の鬱屈した感情が消え失せていた。
 息を詰めて、拳を握り、瞼の下を湿らせ、過ごした。
 エンドロールが流れ終わるまで、席から動けなかった。観客が灯篭に集まった虫みたいに、心を流動させて寄り添っていた。
 シアターから人々が出て行き、その中に混じった。哀愁にも似た感情が心の中にくすぶっていた。
 廊下でスタッフが目に涙を溜め、送り出してくれる。彼らの感謝の言葉に僕も、感謝で返した。
 一つの幕が下りるということは、本当に清々しいことなのだ。歴史は歴史に育まれ、種を撒き、成長し、未来に連綿と続いていく。
 僕はこの映画館がくれた種を、きっと夜空の星に昇華してみせよう、と思う。
 映画の余韻を超えて、街中の混沌へと乗り出した。

 了
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