ニヤニヤおじさん

文字数 4,069文字

 仕事を辞めて、久しぶりに地元へ帰ってきた。ここに住むのは6年ぶりのことになるか。
 ハローワークで失業給付の手続きを終わらせる。自己都合退職の場合は3か月分しか失業手当は給付されないらしい。条件によって給付期間は長くなることもあるようだが、担当者からその辺の細かい説明等はされない。真っ当な大人は忙しなく働いている。その日やるべきタスクを整理し、計画通り1日を進めていく日々を送っているのだろうか。そんなことを考えていると、「長い間失業手当を貰うにはどういう条件が必要なのか」という質問は肺へとんぼ返りをした。ぼくのような社会に何も還元できていない人間が、真っ当な人間の時間を奪っていいものか。
 ハローワークから家までの道は歩いて帰ろうと決めていた。距離にして約5㎞。行きは母の車に乗せてもらい、5分程でハローワークに到着した。恐らく他人の車に乗るより2~3分ほど早く到着している。5㎞の距離にしては到着時間にかなり差があると思う。なぜなら黄色信号で母は加速する。信号に引っ掛かりにくい。「猛スピードで母は」状態である。そもそも田舎なので大都市ほど信号は多くないのだが。
 そんな車で7~8分の距離も、徒歩となると1時間も掛かってしまう。それでも歩こうと思ったのは、地元の景色や昔との変化を肌で感じて、懐かしみたかったからかもしれない。それか、もしくは他に移動手段が無かったからか。
 ハローワークを出て、駅前の大通りを越え、大きな橋を越え、生まれ育った学区に入った。昔と比べると古い家屋は著しく減っていた。その代わりとでもいうべきか、アパートなどの集合住宅が増えていた。そういえば地元へ帰ってくる少し前に、母からの長電話中に聞いたっけ。大企業の工場が市内に建てられ、そこの労働者たちが多く居住するようになったらしい。県内外から多くの人が来ているとのこと。ぼくの6年前の地元に対するイメージだと、「よそ者」に対する排他的な考えが住民たちの心に染み付いているのだが、いま「よそ者」は町に馴染めているのだろうか。
 アパートの隣にはトタン屋根の古民家が佇んでいた。奥の物置小屋に軽トラが見えた。人が住んでいるのだな。小さな庭に咲いたオダマキの花が、西風に吹かれていた。
 国道を超え、西に進んでいく。西へ進むも天竺は見えてこない。が、母校の小学校が見えてきた。何やら賑やかだ。まだ午前11時ではあるが、昼休みのように多くの生徒が校庭ではしゃいでいる。少子化問題は杞憂に終わった世界線にタイムスリップしたかのように、ソーシャルディスタンスとは無縁の世界線にやって来てしまったかのように、児童たちで校庭は溢れかえっていた。児童たちの中には、よく見ると4色のハチマキをそれぞれ頭に巻いて先生の話を聞いていた子もいた。「そういえば運動会の時期がそろそろなのかな」誰にも聞こえない程度の声で呟いた。おさげ髪の健康的な黄褐色の肌をした子にチラッと見られた気がしたが無視した。
 それにしても目に映るもの全てが懐かしく思えた。小学校を卒業してもう12年が経つ。目の前にいる子供たちは、ぼくが卒業した後に産声を上げた子しかいない。そのため、知っている生徒も教師も今となっては存在していないだろうが、今、目に見えるものは何も変わっていない。ブランコなどの遊具、未だに安全柵もない築山、少年野球チーム用の用具倉庫、毛虫だらけの桜の木、先生の声を無視して遊びまわる児童たち。12年前と変わらないものばかり。こんなに経っても校舎の外観も変わっていない気がする。唯一変わったと思うのは、悪ガキ達に対する先生の対応くらいだろうか。一生懸命言うことを聞かせようと声を張っている。そこにビンタとゲンコツは存在していない。ようやく見つけた。非常に難しい間違い探しだった。
 不易と流行。変わらないものも変わったものも、何れも新鮮だった。ぼくが世の中を知らなすぎるだけかもしれない。ふと、「少子化社会とはいっても、昔と変わらず賑やかなもんだなぁ」と呟いてしまう。いつか、いま自由奔放・無邪気に遊ぶこの子たちも「仕事ができる人間」と「仕事ができない人間」に振り分けられるのだろうか。いや、もう既に何かしらの順位付けをされ、振り分けられているのかもしれない。ほら、ハチマキを付けた子たちは選ばれし子供達なのだから。君たちには「資本主義」という言葉を早めに知っておいてほしいなあ。思春期を経て社会に出るころには、ぼくのような社会不適合者になる子がこの中から出てくるのだろうか。生まれ持った性とは別に、思春期においても自我形成がされていく。環境による影響が大きい。子供は親を選べないけど、環境はある程度選ぶことができる。今、目の前にいる「先生に反発する子たち」にさえ、「いい環境でこれから育っていってほしいな」と心から思う。24歳にして老け込んできたのだろうか。間もなくぼくは死ぬのかもしれない。西風が吹く。ぼくは目を細めた。
 時間にして5分程だっただろうか。眺めていた校庭を後にし、自宅へと歩を進める。通学路は真新しい家屋が多く建てられていた。小学校周辺は築数年であろう小綺麗なアパートが乱立していた。「車が無ければ不便な立地なんだけどなあ。よく建てたよなあ」校庭に児童が溢れかえる理由もなんとなく分かった気がした。周辺には駅もない、バスも週に数本しか走らない、そんな町でも人は住まうようだ。「移動に関しては不便でも、治安は悪くなさそうだしな」「田舎特有の温かさがあるからな?どう思う?」「それと不審者の有無はあまり関係ないか」散歩をするときは独り言が止まらない。時々周囲を見回して、人がいないか警戒するくらいには冷静ではあるのだが。
 独り言を一通り吐き出した時だった。思わず足を止め、ぼくは鼻で笑ってしまった。「あの時の自分はもしや不審者だったのではないか?」あの時というのは、校庭を見て、懐かしんでいた5分間のことだ。健康肌の女の子を無視したのは悪手だったかな、先生も怪しんでいたかなと急に気になってくる。どんな顔して眺めていたっけ、多分優しい顔ではなかっただろうなと保険を掛ける。自分で言うのも恥ずかしいが、まだ24歳の青年で、髭も蓄えておらず、清潔感は一定量持ち合わせている人間だと思っているので、もし不審者と思われたとしたら心外である。一度だけ、それも5分間だけなら不審者として認定されないよな。あれ?そもそも不審者の基準って何なのだろう。

 そこで昔の話を思い出した。ぼくが小学生の頃も、中学生の頃も不審者の情報はよく出ていた。先生たちが「気をつけて帰るように」と口酸っぱく言っていた。下校前のホームルームでは、不審者の目撃情報がその都度配布された。
―細身でニット帽を被った30歳前後の男性で、下校中の生徒を見つめ続ける―
―60代の小太りで背の低い男性で、下半身を露出してくる―
―40代男性で、女子生徒に声をかける―
義務教育の9年間で、前述以外にも多種多様な不審者の目撃情報を知らされた。実際に会ったことがある不審者は2人だったかな。
 1人目は「家まで送っていくよ」という手口だった。40代男性だったろうか。黒のSUV車に乗っており、顔付きは優しそうな人であった。小学5年生だったぼくは「知らない人に付いて行ってはダメ」と充分刷り込まれており、断るのは容易かった。その時は友達と2人で下校していたためか、執拗にその男は付き纏ったりはしなかった。今思うと、小学生2人であれば簡単に誘拐されそうなものだけどなあ……。
 2人目は「ニヤニヤと児童たちを見つめるおじさん」だった。学校の不審者リストに入っていたのだろう。先生からも耳にタコができるほど注意するように言われた記憶がある。小学3年生くらいの時だった。通学路の途中に長い下り坂がある。そこを1人で歩いていた際に、その不審者に出会った。前を歩いていた女の子3人が、おじさんの前を猛ダッシュで走り抜けていく。「猛スピードで少女は」状態である。女の子だけにニヤニヤするのだろうか。はっきりとは覚えていないが、恐らくその疑問を晴らしたかったのだろう。ぼくは堂々とおじさんの前を歩いた。チラッとおじさんのほうに目をやる。女の子にも向けた(であろう)不敵な笑みを、同様にぼくにも向けてきた。「何をビビることがあろうか」そう思えていたのは束の間であった。その笑みが自分へ向けられたものだと分かった時、光の速さで恐怖が脊髄を伝う。ぼくは軽く会釈をして、すぐにその場を離れた。歩くのがぎこちなくなっていた。腰が浮いたような感覚になっていた。

 西風が木材の香りを運ぶ。小学校と自宅の中間点にある木材屋さんの前まで歩いていた。6年前は社屋も古かったのに、綺麗にリフォームされていた。
 どうしてあの時話し掛けられなかったのだろうか。好奇心よりも恐怖心が勝っていたからだ。小学生だったが故に、もしも力づくで抑えられてしまったりしたら為す術がない。
 でも成人したからこそ思う。今なら、凶器さえ持っていなさそうなら、不審者らしき人に話しかけられるはずだと。話を聞いてみたい。「この学校の卒業生?」「小さい女の子が好きなの?」「誰か探しているの?」「子供たちはあなたにとってどういう対象?」
 母校の校庭の風景を懐かしんだ自分としては、同じような感性を持っていた不審者が少なからずいたのではないか。そう思わずにはいられない。聞きたいことがいっぱいだ。2人目のニヤニヤおじさんももしかしたら、その類ではなかったか……。不審者認定は不服であったかもしれない。
 不審者にも普通の住民にも多くの共通項がある。それでも、ぼくは便利な言葉で勝手に線引きをしてしまう。「近づいてはいけない人だ」そう思って。本能的に感じるのだろうか。でも、近づいてみたら相手の不審者も変わるかもしれないのに。
 ああ、西風に飛ばされて、ニヤニヤおじさん降ってこないかな。
 ぼくは歩幅を心持ち狭くしてみた。
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