第1話
文字数 2,554文字
『向田邦子没後四十年』の特集記事をネットで見つけたのは、今年の一月だった。そうか、もうそんなに経つのか……。しみじみと感慨深く読み進めていたところ、ある箇所で目が点に。
「――台湾での飛行機事故で逝去。享年五十一歳」
えっ、ごじゅういち⁉ 五十二じゃなかったっけ?
たかが年齢のことだが、ひどく動揺してしまった私。なぜなら自身が、ドンピシャ五十一歳だからである。
向田作品と出会ったのは三十年ほど前、広島の大学へ通っていた頃だ。アパートへ帰る途中に立ち寄った書店。料理本コーナーでたまたま手に取ったのが、向田邦子さんのレシピ本だった。
一人暮らしで料理に目覚めた私。簡単でおいしそうなレシピに惹かれて購入したのだが、ところどころに挿入されたエッセイに興味を持ち、古本屋で文庫本をゲット。一冊読んで見事にハマり、著作を買い漁った。
当時大学三年生。バブル崩壊の少し前で社会に翳りが見えつつも、学生にはのどかな時代だった。教育学部に在籍し、気の合う友人・先輩たちにも恵まれ、勉強よりバイトやサークル活動に明け暮れた青春。現代(いま)の学生さんからすればのんきでお気楽だったはずだが、私は心にモヤモヤを抱えていた。
将来、どんな仕事につきたいのか?
教師じゃなく、もっと広い世界を見てみたい。
でも、ほんとにやりたいことって何?
遊びながらもしっかり進路を決め、行動に移している友人たち。彼らが羨ましく、自分だけ取り残されているようで焦り、かといって何をすればよいのかわからず、自己嫌悪に陥る日々だった。
そんなとき、エッセイ集『夜中の薔薇』でこの文章と出会う。
あの頃、私なりに本も読みましたし、人に物も習いました。しかし実ったのはその部分ではなく、焦り、絶望し、自分に腹を立て、やり場のないなにかを、さてどこへぶつけていいか判らず爪をかんでいた、あのわけのわからないエネルギーではないかと思うのです。
(『時計なんか恐くない』より)
ああ、まさにこれ! いまの私のモヤモヤだ!!
全身が震えるような感動。先が見えずにジタバタあがいても大丈夫。悪いことじゃないよ、と人生の大先輩から励まされた気がして、肩から力が抜けた。
そして、この本の『手袋をさがす』というエッセイにも刺激を受けた。脚本家・小説家として成功してからもいまだに「手袋をさがしている」という邦子さん。
そうか、本当にやりたいことって、色々挑戦しながら探していけばいいんだ……。
モヤモヤで灰色だった心に、すっと風が通った瞬間。赤線を引き、何度も読み返したこの本。黄ばんで擦り切れたページには、若くて青臭かった頃のしょっぱい思い出が詰まっている。
こうして私の〝心の支え〟となった向田作品。小説、エッセイ、脚本……etc。四十手前で故郷の九州へ戻るまで何度も引っ越したが、いつも傍らにあり、折に触れ手に取ってきた。
ただ作品と出会ったとき、邦子さんはすでに〈故人〉。ゆえに関連本は出版されても、トーゼン本人による新作は出ない。
つまり作者も作品も齢をとらず、私の方が近づいていくだけ。若い頃にはピンとこなかった老眼や病気、親しい人の死のエピソードにも次第に共感し始め……ついに齢まで並んだわけである。
ここで冒頭に戻ると、彼女の享年にショックを受けた理由は二つある。
一つは自分が五十一歳になってみて、「死ぬには若すぎる!」と実感したこと。老化が始まり、身体のあちこちにガタが出てくる年齢だが、気力・体力ともまだまだイケる(はず)。邦子さんが存命ならやりたいことをたくさんできただろうし、素晴らしい作品群が世に出たことだろう。
ああ、惜しい。
心底、悔しい。
わが身に重ねて、痛いほどの無念さを噛みしめている。
そしてもう一つは……同じ五十一歳だというのに、いまだに成果を出していない自分への歯がゆさ。
向田作品に励まされ、〈手袋=自分のやりたいこと〉を探し続けた二十代から三十代前半。広島の番組制作会社へ就職してテレビやラジオの番組づくりに関わり、辞めてからは関西でラジオドラマや舞台の脚本を書く仕事をした。(モチロン向田脚本をお手本にして)
決して順風満帆ではなく、立ち止まり、転んでは頭にたんこぶを作り、うろうろさまよい続けたほろ苦い年月。
その結果、自分にとっての〈手袋〉が「文章を書くこと」だと気づいたのが、番組制作会社を辞めた二十七歳。
さらに「大勢の人間が関わるものづくりより、ひとりでコツコツ書く方が性に合っている」と悟ったのが、九州へ戻った三十七歳。そこからは児童文学とエッセイに絞り、そこそこ入選を重ねるようになった。
が……それだけ。いくつか賞を獲ったが、個人名での出版には結びついていない。よって――笑ってしまうのだが、三十年後の私も心にモヤモヤを抱えているのである。ああ、進歩してねぇ!
向田作品との出会いから三十年。おこがましいが、いまの私と『邦子さんといっしょ』の項目を並べてみると、
① 年齢
② 文章を書くことに携わっている
③ 独身
④ 料理を作ることが好き
⑤ 旅行好き
くらいかしらん? ただでさえ少ない共通項なのに、夏の終わりには①まで消滅するのだ。うう~悲しい。
と、嘆きつつ――こんな風に考える私もいる。
目標だった邦子さんより長生きするということは、彼女が体験できなかった人生の後半戦を味わうことでもある。〈老い〉という嬉しくない変化の中でも、六十代、七十代……と齢を重ねてゆけば新しい風景を目にし、新しい発見もあるはずだ。
それらを自分なりに記録し、彼女のように文章に綴ろう。
これまでどこかで意識していた〈邦子さんの眼〉から〈自分の眼〉にレンズを替え、世界を、人生をじっくり見つめてみよう。
偉大な作家・向田邦子。その生きた年月を超えるのはちょっぴり複雑。だけど私はこの先何歳(いくつ)になっても、彼女の作品からもらい続けるだろう。刺激と元気と人生へのエールを。
時間がかかるかもしれないが、これからもコツコツ文章を書き続け、いつか『邦子さんといっしょ』の項目を増やしたい――〈作家〉と。
五十一歳からの私のさらなる手袋さがし、まだまだ続くのである。
「――台湾での飛行機事故で逝去。享年五十一歳」
えっ、ごじゅういち⁉ 五十二じゃなかったっけ?
たかが年齢のことだが、ひどく動揺してしまった私。なぜなら自身が、ドンピシャ五十一歳だからである。
向田作品と出会ったのは三十年ほど前、広島の大学へ通っていた頃だ。アパートへ帰る途中に立ち寄った書店。料理本コーナーでたまたま手に取ったのが、向田邦子さんのレシピ本だった。
一人暮らしで料理に目覚めた私。簡単でおいしそうなレシピに惹かれて購入したのだが、ところどころに挿入されたエッセイに興味を持ち、古本屋で文庫本をゲット。一冊読んで見事にハマり、著作を買い漁った。
当時大学三年生。バブル崩壊の少し前で社会に翳りが見えつつも、学生にはのどかな時代だった。教育学部に在籍し、気の合う友人・先輩たちにも恵まれ、勉強よりバイトやサークル活動に明け暮れた青春。現代(いま)の学生さんからすればのんきでお気楽だったはずだが、私は心にモヤモヤを抱えていた。
将来、どんな仕事につきたいのか?
教師じゃなく、もっと広い世界を見てみたい。
でも、ほんとにやりたいことって何?
遊びながらもしっかり進路を決め、行動に移している友人たち。彼らが羨ましく、自分だけ取り残されているようで焦り、かといって何をすればよいのかわからず、自己嫌悪に陥る日々だった。
そんなとき、エッセイ集『夜中の薔薇』でこの文章と出会う。
あの頃、私なりに本も読みましたし、人に物も習いました。しかし実ったのはその部分ではなく、焦り、絶望し、自分に腹を立て、やり場のないなにかを、さてどこへぶつけていいか判らず爪をかんでいた、あのわけのわからないエネルギーではないかと思うのです。
(『時計なんか恐くない』より)
ああ、まさにこれ! いまの私のモヤモヤだ!!
全身が震えるような感動。先が見えずにジタバタあがいても大丈夫。悪いことじゃないよ、と人生の大先輩から励まされた気がして、肩から力が抜けた。
そして、この本の『手袋をさがす』というエッセイにも刺激を受けた。脚本家・小説家として成功してからもいまだに「手袋をさがしている」という邦子さん。
そうか、本当にやりたいことって、色々挑戦しながら探していけばいいんだ……。
モヤモヤで灰色だった心に、すっと風が通った瞬間。赤線を引き、何度も読み返したこの本。黄ばんで擦り切れたページには、若くて青臭かった頃のしょっぱい思い出が詰まっている。
こうして私の〝心の支え〟となった向田作品。小説、エッセイ、脚本……etc。四十手前で故郷の九州へ戻るまで何度も引っ越したが、いつも傍らにあり、折に触れ手に取ってきた。
ただ作品と出会ったとき、邦子さんはすでに〈故人〉。ゆえに関連本は出版されても、トーゼン本人による新作は出ない。
つまり作者も作品も齢をとらず、私の方が近づいていくだけ。若い頃にはピンとこなかった老眼や病気、親しい人の死のエピソードにも次第に共感し始め……ついに齢まで並んだわけである。
ここで冒頭に戻ると、彼女の享年にショックを受けた理由は二つある。
一つは自分が五十一歳になってみて、「死ぬには若すぎる!」と実感したこと。老化が始まり、身体のあちこちにガタが出てくる年齢だが、気力・体力ともまだまだイケる(はず)。邦子さんが存命ならやりたいことをたくさんできただろうし、素晴らしい作品群が世に出たことだろう。
ああ、惜しい。
心底、悔しい。
わが身に重ねて、痛いほどの無念さを噛みしめている。
そしてもう一つは……同じ五十一歳だというのに、いまだに成果を出していない自分への歯がゆさ。
向田作品に励まされ、〈手袋=自分のやりたいこと〉を探し続けた二十代から三十代前半。広島の番組制作会社へ就職してテレビやラジオの番組づくりに関わり、辞めてからは関西でラジオドラマや舞台の脚本を書く仕事をした。(モチロン向田脚本をお手本にして)
決して順風満帆ではなく、立ち止まり、転んでは頭にたんこぶを作り、うろうろさまよい続けたほろ苦い年月。
その結果、自分にとっての〈手袋〉が「文章を書くこと」だと気づいたのが、番組制作会社を辞めた二十七歳。
さらに「大勢の人間が関わるものづくりより、ひとりでコツコツ書く方が性に合っている」と悟ったのが、九州へ戻った三十七歳。そこからは児童文学とエッセイに絞り、そこそこ入選を重ねるようになった。
が……それだけ。いくつか賞を獲ったが、個人名での出版には結びついていない。よって――笑ってしまうのだが、三十年後の私も心にモヤモヤを抱えているのである。ああ、進歩してねぇ!
向田作品との出会いから三十年。おこがましいが、いまの私と『邦子さんといっしょ』の項目を並べてみると、
① 年齢
② 文章を書くことに携わっている
③ 独身
④ 料理を作ることが好き
⑤ 旅行好き
くらいかしらん? ただでさえ少ない共通項なのに、夏の終わりには①まで消滅するのだ。うう~悲しい。
と、嘆きつつ――こんな風に考える私もいる。
目標だった邦子さんより長生きするということは、彼女が体験できなかった人生の後半戦を味わうことでもある。〈老い〉という嬉しくない変化の中でも、六十代、七十代……と齢を重ねてゆけば新しい風景を目にし、新しい発見もあるはずだ。
それらを自分なりに記録し、彼女のように文章に綴ろう。
これまでどこかで意識していた〈邦子さんの眼〉から〈自分の眼〉にレンズを替え、世界を、人生をじっくり見つめてみよう。
偉大な作家・向田邦子。その生きた年月を超えるのはちょっぴり複雑。だけど私はこの先何歳(いくつ)になっても、彼女の作品からもらい続けるだろう。刺激と元気と人生へのエールを。
時間がかかるかもしれないが、これからもコツコツ文章を書き続け、いつか『邦子さんといっしょ』の項目を増やしたい――〈作家〉と。
五十一歳からの私のさらなる手袋さがし、まだまだ続くのである。