第1話

文字数 1,834文字

 いや、何ね。私みたいな者が、人間様にとやかく言う筋合いもないんですがね。ましてや人間様からしたら、私ら蜘蛛の事など気にもかけないでしょうし、聞き流される事だとわかっておるんですがね。それでも、苦労も耐えず仲間も大変な思いしてたりもしますんで、ちょっとお願いと申しますか、言わせてもらえたらと思うのですよ。
 さて、私ら蜘蛛は色んなところに家を作ります。いや、人間様からは「クモの巣、クモの巣」と詰られ、顔に引っ掛けてみたり、いつの間にか頭にくっついていたりで煙たがられているのも存じております。しかし、私ら蜘蛛からしてもせっかく拵えた棲家を壊された上に、詰られてしまうのは悲しくもあり、やるせない気持ちにもなるのです。
 まあ、その人間様からしたら厄介な巣なのですが、建物の影や隅に、隠れるように作る者もおりますし、電線や支柱のような所からから建物まで、大胆に巣を張る者もおります。そして、私はというと、人間様の自動車に巣を作って暮らしておるのです。それと言うのも、元々は私も建物の隅にひっそりと巣を張っておったのですが、ある日その巣を伝いに伝って、自動車なるものまで遊びに出かけた時に、その時までピタと停まっていたその自動車がすごい速さで動きだすではありませんか。私は何せ初めての事で、必死に車体の隅に身を潜めて、どうなる事かと最初は怖さと驚きばかりで生きた心地がしませんでしたが、それが何という事でしょう。気づけば、私は今まで見たこともない街や景色に目を奪われてしまいました。いつも誰の目にも触れないように、隅の隅に巣を張り生きてきた私にとって、それはそれは生まれ変わるような素晴らしい体験でした。 
 その体験があってからというもの、私はその自動車に巣を張り暮らす事に決めたのでした。そうしてみると、その自動車には同じように暮らしている仲間が何匹かいる事にも気付きました。自動車の前の方の平野の隙間に暮らす者や、後ろの谷の隙間など、めいめいが暮らしておりました。私はというと、左右両脇にあるピカピカ光る丘の左の隙間に家を構える事にしました。
 暮らしてとみるとなるほど快適で、その丘と裾野の間に巣を張ってみたり、何か危険があればそのピカピカの隙間に身を潜められたりと、何不自由なく暮らしておりました。
 しかし、その時は突然やってきたのでした。いつもの急な雨などではなく、四方八方から途轍もない勢いの水が叩きつけて来るではありませんか。私は咄嗟に隙間に逃げ込み難を逃れましたが、後で仲間達に聞くには、あの大洪水で何匹かの仲間が流されてしまったとの事でありました。
 一番の古株の者が言うに人間はあれを「洗車」と言って、その自動車が汚れた時などに水を吹きかけてきれいに掃除するらしいのです。なので、それを知っている利口なヤツは、なるべくその「洗車」をしない自動車、つまり「洗車」していないと思われる汚い自動車に巣を作るというのが鉄則であるとの事でした。
 なので、私はなるべく汚い自動車を見つけてそちらに棲家を作るようになりました。そんな自動車でも時たま、普段自動車の汚れなど特に頓着しない人間様でも、人間様の言うところの、盆や正月、ゴールデンウィークになると、急に「洗車」を始めたりするもので、私らは、はて不思議なものだなと思ったりもしておるのです。そういった時期に人間様が「洗車」をするのは、何かしら理由がある事なのでしょうが、私ら蜘蛛は知る由もありません。
 きっと、その生き物毎で「やってしまいがち」な行動とか、「あるある」は違いますものね。因みに、私ら蜘蛛は考え事しながら巣を張っていると、広げ過ぎちゃうなんて事もあるんですよ。
 さて最後に、本題であるお願いに戻るのですが、できる事ならなるべく「洗車」をしないでいただきたい。私らが丹精込めて綺麗に張った巣を壊さないでいただきたいのです。ですので、どうか自動車は汚くしておいて下さい。
 汚い自動車というのは、もしかしたら人間様の世界ではあまりよろしくない事なのかもしれませんが、そんな時はどうか、ご自分の自動車は私ら蜘蛛にとって、優しい自動車なんだと考えていただき、「誇り」を持つというのはいかがでしょうか。はて、こういう時人間様は、洗車しないから「埃」だけに、などと言うのでしょうか。
 さてさて、それは置いておきまして、最後まで私の拙い話をご清聴ありがとうございました。しがない蜘蛛からのお願いでありました。〈完結〉
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