第1話

文字数 1,996文字

 聖也は制服を着たまま家の庭に出た。父の趣味の観葉植物の鉢植えがそこに並んでいた。
 一番小さな鉢植えが塀の影に隠れていた。誰にも声を掛けられないとこのまま枯れて死んでしまうかもしれない。
 俺みたいだ。そう思いながら鉢を日の当たる場所に置き直した。
 聖也は微笑むと植物たちにホースの水を掛けてやった。薄い緑が濃い緑に変わって行く。まるで生まれ変わるかのようだ。
 聖也はこの瞬間が好きだった。神様にでもなった気分だ。胸の奥の夢を誰かに向かって話したくなる。
「よぉ木村。なんで応援、来なかったの? 野球部、決勝進出決めたわよ?」
 塀の向こうに野球部のマネージャー、水沢里奈が立っていた。お節介が好きな女だ。
「ち、うぜぇな」
 聖也はズボンのなかから煙草を取り出した。広くなった父の部屋にあったささやかな忘れ物だ。
 聖也は煙草に火をつけた。途端にその手が止まり足の裏で揉み消した。縁起でもない。寿命の尽きる線香に見えたのだ。
「なにやってるの?」
 里奈に言われ、聖也は口を尖らせた。
「うちの親父が死にかけているんだ。余命一年だって言われてる」
「……あぁ」
「………もし甲子園に出場ができたら、俺、そこで選手宣誓できないかな? 父さんがガキだった頃の夢、叶えてやりたいんだ!」
 父に勇気をあげたい。聖也は真剣だった。
「難しいと思うわよ。もし監督が許可を出したとしても、選手宣誓はくじ引きだから」
 聖也は現実を突きつけられた。里奈は可笑しそうに笑った。
「木村、決勝には必ず応援にきなよ。応援の数で名門に負けたくないから。そうしたら、あなたの願いを叶えてあげるわ」
 フォア・ザ・チーム! 里奈はそう言うと帰って行った。

 次の日曜、聖也は決勝戦の舞台、県営球場に足を運んだ。野球への未練はたっぷりとあった。だが学費稼ぎのバイトのため練習に行かなくなって二ヵ月が立っていた。
 今更、仲間づらできないという思いから、制服姿で現われた。一般学生に混じり、応援団の一番後ろに加わる。
 野球部員がグランドで試合前のノックを受けていた。仲間のユニフォーム姿が眩しく見えた。
 そんな聖也をグランドから里奈が見つけた。聖也はそっぽを向き気づかないふりをした。

 ―――試合が始まった。
 エースはいきなり捕まった。初回から強豪相手に連打を浴び二点を背負うことになった。
 それでも決勝までやってきたチームだ。エースは二回以降立ち直り、投手戦となった。
 むかえた七回裏、ワンナウト一、三塁。緊張の場面でスクイズが決まる。
「よぉ~しっ!」
 聖也は強く拳を握りしめた。直ぐに我に返るが自分自身が野球が好きなことを思い出すには十分なプレーだった。
 なおも押せ押せの展開。ワンナウト、一塁、二塁。バッターはエースで四番でキャプテン。
「決めろよ!」
 聖也は手を合わせ祈った。
 その時だ。ズボンのなかでスマホが鳴った。聖也は面倒くさそうに電話に出た。
「……え、あ、うん」
 電話を切ると聖也は球場を駆け出した。

 夕方。誰もいない家の庭で聖也が一人、観葉植物の鉢を眺めていた。
 塀の向こうに野球部の帽子を被った里奈が現われた。額の校章が誇らしい。
「勝ったよ。何で逃げたの?」
「父さんが死んだんだ。心不全だって」
 医者の言うことなんて当てにならない。愚痴も言わず、聖也は鉢植えに水を巻き始めた。
「全部、父さんの趣味なんだ。甲子園と同じ緑色が庭に欲しいってね」
「水やり楽しそうね。お父さんの影響?」
「……そうかもしれないな。水やりって神様の気分が味わえるんだ。陰に隠れても、顔を反らしても、お前らは俺の情熱からは逃げられないぜって。どこまでも追いかけていけるんだ」
 聖也がホースの先を指で絞ると、その隙間から負けじと勢いのある水が飛び出してきた。
 植物の成長を見つめるその眼差しは父の姿に重なるかのようだった。
「お父さんにメッセージ残そうか」
「もう死んだんだ」
「データだけなら今からでも渡すことはできるわ」
 里奈は自身のスマホを聖也に向けた。
「これ木村のアイデアだからね。今頃、球場であいつら、親にメッセージ贈ってるんだ」
 ―――感謝。そんな言葉が頭に浮かんだ。高校球児が好むその言葉を、今、父さんのために使う時なのかもしれない。

 聖也は微笑むと里奈の持つレンズに向かって右手を上げた。
 静寂の後、口を開く。
「父さん、俺には夢があります。それは、選手の太陽になり、水になり、大きな木を育てる、そんな野球部の監督になることです。簡単な道ではないですが全力で闘います。俺のことをずっと見ていて下さい」
 聖也は思いを胸に刻むと表情を引き締めた。
「宣誓! 私、木村聖也は、父、木村清二の息子として、自分に正直に生きるため、生涯、野球から逃げないことを誓います!」
 入道雲の夏空にその声は消えた。
「格好良いね」
 里奈の言葉に聖也ははにかんだ。途端にその肩は震え始めた。
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