第1話

文字数 2,093文字

 ー板橋刑場にて、近藤勇斬首ー
 その知らせを受けた土方歳三は、誰よりも静かであった。怒るか泣くか、いっそ喚きでもしたほうが誰もが安心しただろう。近藤の投降後は自ら江戸に出向き、勝海舟らに直談判して彼の助命を嘆願した。文字通り、土方は駆けずり回ったのだ。
 しかし虚しくも、近藤は死んだ。それも武士として切腹することは叶わず、罪人として首を斬られて。もはや土方の元には、わずかばかりの新撰組隊士しか残されておらず、試衛館以来の盟友であった永倉新八も原田左之助も去った今、その背中は孤独に見えた。
「副長、何をしておいでですか?」
 市村鉄之助は、手元を忙しなく動かす孤独な背中に話し掛けた。
「・・・段袋を縫っている」
 振り返りはしなかったが、土方の男にしては白い頬がわずかに見えた。おそらく横目で視線を向けることはしたのだろう。その声が落ち着いていることに、鉄之助は安堵した。まだ幼さの残る顔を緊張させながら、そろそろと覗き込む。
「おっしゃって下されば私が」
「よせ、ガキの出る幕じゃない」
 器用に針を操りながら、土方は鉄之助を遮った。確かに、生まれながら器用な土方のように巧みには、鉄之助には無理だろう。
 鳥羽伏見の戦いで、薩長軍の近代化した装備の前に惨敗した土方は、これからは洋装の時代だ、とあっさり装備を改めた。動きにくい袴や甲冑よりも、軽装な洋服と近代兵器が有利であることは明らかだ。合理的な土方は時代が変わったことを敏感に感じ取ると、直ぐ様それを取り入れた。
「どうした?」
 戦いで古びた袴を捨てて、段袋を仕立てながら土方は鉄之助に問うた。緊張のあまり、握り込んだ鉄之助の拳は間接が白く浮いている。鋭い土方には只事ではないと伝わっているだろう、それでも震える手で手紙を差し出した。土方は黙って手紙を広げると、溜め息にも聞こえるほど小さく独り言を吐く。
「・・・総司も逝ったか」
 手紙は沖田総司の療養先からのもので、結核に侵された沖田の訃報であった。再び背を向けた土方を、鉄之助は直視できない。ただ、膝においた拳と畳を睨むようにしながら唇を噛んでいた。
「下がっていいぞ」
 存外に落ち着いた声が頭上から降ると、独りになりたい、そう言われたのだろうと感じ取り、鉄之助は一礼後に退室した。襖を閉めた後は耳をすませるが、嗚咽のひとつすら聞こえて来ない。そればかりか、室内からは人の気配すら消えてしまった。鉄之助の胸に込み上げてくるものが気道を塞ぎ、息もうまく吸えない。あの寂しそうな背中にかける言葉すら浮かばない自分の幼さが、情けなかった。
 だからだろう、土方に呼ばれた時は驚いた。数日は隠るように閉じこもっていた土方が呼んでいると知ると、まさかと思った。しかし意を決して襖を開けると、鉄之助は目玉が落ちるかと思うほど見開き、声も出せずにポカンと口を開けてしまった。
「すまんが後ろを切ってくれ、自分では見えない」
 そこには黒々とした豊かな髪を、耳の下辺りで無惨に切った土方がいた。畳の上には切り捨てられた総髪が無様な姿で散らされている。
「どう、されたんですか!?」
「軽くしたくてな」
 何でもないことのように言うが、鉄之助は驚きのあまり、喉に舌が張り付いたようにカラカラに乾いていた。慌てて傍寄ると、震えている手に鋏を渡される。
「首まで落とすなよ」
 などと言い、土方は鏡に向き直った。その顔に深刻さはなく、明るくさえ見えていた。そして鉄之助はガタガタと不細工な音を立てそうなほど震える鋏を、艶やかな黒髪に入れていった。それは艶とこしがあり、女も羨むようなもので、切られた後は鉄之助の手の中で、ハラハラと散っていく。そうして土方の白いうなじがさらされていくと、奇妙な感覚に陥った。
「洋装にはこちらの方が合うと思ってな」
「そうですか・・・」
 土方のように器用ではない鉄之助に切られた箇所は揃うことなく、不恰好なざんぎりであった。それでも土方は気にすることはなく、鏡の中の姿に満足したようである。一頻り眺めると立ち上がり、体に落ちた髪を払った。鉄之助は土方が段袋を履いていることに気付き、息を飲む。その気配を感じたであろうに、土方は気にすることはなく、小さな庭に面した障子を開けた。スパンと音を立てて開いたたそれを一瞥すらせずにそのまま庭におりると、愛刀の和泉守兼定をかまえる。その姿を不思議に思った鉄之助が、縁側まで這い出た時であった。
 シュッと空を切る音の後は藁の騒がしい音が続き、土方の目前にあった藁巻きが真っ二つに割れた。切られた藁がガサガサと言いながら地面に落ち、土方の足元に転がる。
「軽くなった、な?」
 笑っているかのように唇を歪ませて、土方は振り向いた。縁側では鉄之助が四つんばになり、驚いたように眺めていたかと思うと、
「副、長・・・!」
 そのまま額をつけて、泣き出してしまった。悲しいのか嬉しいのか、自分ですらわからない。ただ土方の妙にさっぱりとした姿に、何とも言えぬまま涙が溢れてきたのだ。
 全く意に介さず、土方は遠くを睨んだ。
「俺は宇都宮に行くぞ」
 春の日差しが眩しく、目を眩ませていた。
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