第1話

文字数 1,245文字

最近散歩をしていると昨年より少し遅れてではあるが、いたるところでキンモクセイの甘い匂いがする。
我家の庭の片隅にも一本植えてあるけど、5年前くらいに病気にかかって以来、あまり多くの花をつけないようになってしまった。
その代わり、東隣の家の庭には見事なキンモクセイがあって、家の二階にある私の部屋にもその香りがほのかに漂って来る。

私が45年以上前に大学の4年間を過ごした阿佐ヶ谷の学生アパートの敷地内にも大きなキンモクセイがあって、毎年今頃になるとたくさんの橙黄色の花を咲かせていた。
この学生アパートは男子限定。8部屋あって、様々な大学に通う学生が住んでいた。
風呂はなく、トイレは共同という今では信じられないくらいの低スペックだけど、当時はごく一般的な仕様だった。
また、ここは当時でも既に稀有な存在になっていた「賄いつき」であったことから、全員が同じ釜の飯を食った仲になる。
だから通う大学はばらばらだったけど、普段から交流が密で互いに部屋を行き来してTVを一緒に観たり、飲み会でワイワイ盛り上がっていた。

大学2年生だった年の9月下旬の夕方、私がアルバイトを終えてアパートに戻ると、玄関わきに設置されていた郵便物をいれる共用棚に私宛の手紙が立て掛けて置いてあった。
そして、その封筒はいかにもラブレターという雰囲気のもので、しかもキンモクセイのような匂いの香水が振りかけてあった。

幸い周囲に人の気配が無かったので、素早くその手紙を手にとって自分の部屋で開封しようと思った矢先、アパートの住人たちがゾロゾロと玄関に出てきて、「お~、ついにやったね!」「苦節20年。めでたい、めでたい」「で、ご成婚はいつ?」等とイジリまくられた。

当時、このアパートの電話は共通・呼び出し制だったので、かかってくる電話にはアパートの全員が交代で出て、「〇〇 電話だよ~」と声をかけたり、不在時には「XXさんから電話があった。」と伝言メモを書いていた。
そのため、プライベート情報も自然と共有されていて、特に恋愛面については面白半分の相互監視状態にあった。
とりわけラブレターが届いたような非日常的なイベントが発生した場合には、その手紙を持ったまま記念写真を撮影させられるという神聖な「罰ゲーム」まであった。

しかし、その時私がもらった手紙の差出人はそもそもラブレターをくれるような相手ではなく、大学祭の実行委員会を手伝ってくれていた女子大の同学年生だった。
開封してみると、6月に開催された大学祭当日に撮ったスナップ写真が数枚同封されていて、手紙の文面も恋愛の「れ」の字も感じさせないごく事務的なものだった。

不思議に思った私は彼女に電話をして、「なんだよ、あのたちの悪い手紙は」と訊いたところ、
「ああ、あれ。以前飲み会でアパートの住人がみんなラブレターをもらっていて、引け目を感じているみたいな泣き言を言ってたでしょ。だから、今回はサービスしてあげたの。」「やっと面目が立ったんだから、かわりに今度おごって」と逆襲されてしまった。

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