睡魔と白猫

文字数 6,293文字

「田中さん、睡魔を呼んで欲しい」
 何でも屋の田中は目を丸くした。こんな依頼は初めてだからだ。依頼者は髙橋と名乗った。
「睡魔、ですか?」
「もう、三日も眠れていないんです。もう、睡魔に頼むしか方法がない」
「睡魔ってあの、睡魔? 授業中や会議中に突如襲ってくる眠気のことですよね?」
「はい。全くその通りです」
 髙橋は現実と空想の区別が付かなくなっているのだろうか。目の下の黒々としたクマがそれを物語っている気がした。
「他の業者にはことごとく断られてしまって、もう田中さんしかいないんです」
 確かにこんな荒唐無稽な依頼は断られて当然だろう。
「良い精神科医を知ってるからと、メンタルクリニックの紹介状まで貰ってしまいました」
「通ってみたのですか?」
 頭をぶんぶん振って、絶対にそれはあり得ないと言う。
「それに、父も祖父も同じように眠れなくなった事があって、二人とも田中さんに睡魔を呼んで貰ったそうなんです」
「それは、どういう」
「見て下さい。ここに、そう書いてあるでしょう?」
 髙橋は二冊の大学ノートを並べて、その箇所を指さした。
「はあ」
 ミミズがのたくった様な文字に困惑していると、髙橋は自嘲気味に笑う。
「左が祖父、右が父の雑記帳です。二人とも、突如不眠に悩まされたようで、文字に乱れがあるんです。日付を見てください。どちらも数日間分の日記に文字の乱れがあるでしょう? ですが、ほら、不眠が解消されたらしき後の文字を見て下さい」
「あっ」
 どちらも流麗な文字が続いている。
「なるほど。確かにそうです。ですが、私に睡魔を呼ぶなんて……」
「祖父と父は、田中さんのお祖父様とお父様に助けられたと書いてあります」
 ミミズ文字のどこをどう読んだらそう読めるのか疑問だった。
「田中さんのお祖父様とお父様は、商店を営まわれてましたね。町内の困り事を解決なさっていたと伺いました。それでうちの者も頼ったと聞いています」
 髙橋は話しているうちに顔色にほんの少し赤みが差してきた。
「その日記には睡魔の捕まえ方が書いてあるんですか?」
「ええ。勿論です」
「どんな方法です?」
「お教えしたら、捕まえて貰えますか?」
 薄暗い目に思わずぞっとして、思わず「善処します」と答えてしまった。
「有難うごさいます。その方法はーー」
 ごくりと唾を飲み込む。
「夜中に枕元でタモ網で捕まえるんです」
「タモ網?」
「そうです。二度ともそれで成功したとあります」
「それだけですか?」
「そうです」
 胡散臭い事この上ない話だが、祖父と父が受けた仕事が始まりなら、追い返すわけにはいかない。それに、几帳面な祖父と父のことだ。何かメモを残しているかもしれない。
「分かりました。準備を致しますので、一日お待ち下さいませんか」
「……有難うございます。それまでに寝られたら良いのですが」
 ほっとした表情で事務所を出て行った。髙橋が他の業者に断られたと言ったのは、自分に断られなくするようにする為の方便かもしれない。急いで二人が残してあるかどうかも分からないメモを、倉庫から探し出さねばならない。一日で見つかれば良いが。
 庭の倉庫に積まれた段ボールの中身を手当たり次第探すつもりでいたが、意外にもあっさり最初の段ボールで発見した。しかも、段ボールの側面に重要と書いてあった。もしかしたら、こうなることを想定していたのかもしれないとさえ思った。祖父と父のノートが入っていた。
「これか」
 田中何某からの荒唐無稽な依頼に困り果てたが、何とか知恵を振り絞った旨が、達筆な文字で書かれている。何と、祖父もまた祖父の父から睡魔を呼ぶ方法を伝授されたとある。
「なになに……」
一、タモ網と猫を用意する。
二、餌を作る。匂いの強いものが好ましい。
三、田中何某を布団に寝かせ、枕元に餌を置く。猫じゃらしを使って、猫を走らせる。
四、睡魔が現れたら、タモ網で睡魔を捕まえる。
五、網に入れたまま、田中何某の側へ持っていき、睡魔を抱かせ、撫でさせる。その間、暴れるのでしっかり掴んでおくこと。
六、数分で眠らせることに成功するはずである。
 その間、部屋を暗くさせ、相手に目隠しをした上で行う事。睡魔は耳が二つ、目が二つ、口が一つの四つん這いにすばしっこく走る小さき獣である。たまにニャアと鳴く。
 間違いなくこれは猫である。なるほど、猫を睡魔と思わせて、一緒に寝かせる作戦らしい。猫は隣の野村家から借りたと書いてある。今も代替わりしてはいるが猫がいたはずだ。
 野村家は代々農家を営んでおり、広大な敷地に主屋と離れがある。
「次男の久志といいます。父から話は聞いています。うちの中で一番賢く、俊敏な子をお貸ししますよ。請求書はこちらに」
 まだ二十歳そこそこに見える久志は、落ち着いた態度で淡々と話を進める。あまりの準備の良さに驚いてしまった。
「父から申し送りがありましてね。お手伝いするようにと」
「はあ」
 ネズミ対策に猫を数匹飼っているらしい。
「小白、ちゃんと勤め上げるのですよ」
 小白と呼ばれた真っ白の猫がニャンと鳴いた。
「小白さん、宜しくお願いします」
「ニャッ」
 頭を下げると、気を良くしたのか賢そうな声で返事をした。
「それからこれを」
「はい?」
 渡された段ボールの中に小白の餌と猫用トイレ等の世話グッズ、それと鈴のついた釣竿が入っていた。
「神のようなものを招くのですから、鈴は必要でしょうと」
 どうみてもこれは巨大な猫じゃらしだ。
「適当に走らせて、捕まえて下さい。小白がきっと上手くやります」
「分かりました」
 自分より余裕そうな久志に、精一杯の虚勢を張った。
「健闘を祈ります」
「有難うございます」
 ケージに入れた小白を抱え、事務所に戻る。
「上手く行くだろうか」
「ニャア」

上手くやらねばと思い直す。
「よし、まずは練習だ」
 事務所の二階にある自室に布団をひき、人が寝てる様に詰め物をする。
「こんなものか」
 用意したタモ網を枕元に置き、ケージから小白を出した。小白は伸びをして、部屋の様子を見ている。
「お腹すいたか?」
「ニャア」
 メモの通りに水と餌を用意すると、小白はカリカリと良い音を立てながら餌を食べ始めた。
「よし」
 タモ網を二、三振るってみると、ヒュンと空気を裂く様な音がした。虫取りをした子供の頃の記憶に浸っていると、膝に小さな痛みを感じた。小白が仕事をしろとばかりに、膝に両足を乗せていた。
「小白さん、じゃあいきますよ」
「ニャッ」
 小さめの釣竿の先に鈴とカラフルな布細工が垂れ下がっている。巨大な猫じゃらしに初めは苦戦したが、小白が上手く誘導してくれるおかげで、四方八方に操る事ができた。
しゃらんしゃらんと鈴が鳴り、猫が走る。暗闇で目隠しをされた中でなら神がかりだと勘違いさせられるかもしれない。充分、走らせた後で、シュッと布団の近くで猫じゃらしを動かした。小白がジャンプして、布団の真ん中で猫じゃらしを捕まえた。
「おっと。今の着地は見事だけど、本物の髙橋さんが寝ていたらみぞおち辺りだな。気をつけないと」
 小白は得意げな顔をしておやつを催促した。
「どうぞ。お納めください」
「ニャア」
 小白がおやつを食べている間に、もう一度祖父と父の書いたメモに目を通す。
「もう少し詳しく状況を書いておいて欲しいよなあ」
 何度見直しても簡素な箇条書きしかないようだ。ぶっつけ本番、何とかやってみるしかないと気合を入れた。
  
 夜の十一時、髙橋邸に車を止めた。
「小白、ちょっとだけ待っててな」
 ケージの中で丸くなる小白に声をかけて、玄関口へ向かう。インターフォンを鳴らすと、直ぐに髙橋が出迎えてくれた。目の下のクマの色がより一層深くなった気がした。
「先に話をした通り、睡魔を呼び込む為にドアを少しだけ開けても宜しいですか?」
 もちろん小白の出入りの為の方便だった。
「勿論です。宜しくお願いします。寝室はこちらです」
 二階の寝室に案内される。玄関を入って階段を上ってすぐ左の部屋だ。先に貰っていた部屋の見取り図の通りだが、布団ではなくベッドに変わっていた。
「すみません。腰痛が悪化して、ベッドに変えたんです。あの、何か支障がありますか?」
 布団がベッドに変わったくらいでは小白は動じない気がした。
「いえ、大丈夫でしょう。では、こちらの目隠しをつけて、ベッドに入ってください」
「分かりました」
 髙橋は言われた通りに目隠しをつけ、ベッドに横になった。
「儀式を始めたいと思います。睡魔をお迎えに玄関まで行って参りますので、そのままお待ち下さい」
 逸る気持ちを抑え、階段を降りる。
「落ち着け、うまくいく」
 車のドアを静かに開け、小白をケージから出した。
「あっ」
 小白が突然、猛スピードで走り出し、庭の何処かに隠れて見えなくなった。
「お、おい!」
 大きな声で呼ぶ事も出来ず、祈る様な気持ちで猫じゃらしの鈴を鳴らした。
 チリンチリンチリン……。
『ヒャアオオオオ』
 鈴の音に呼応するように何かの鳴き声が聞こえた。
「え」 
 聞いた事のない声に手が震え、チリンチリンチリンと鈴が鳴る。
『ビョオオオオオオオオ』
「いや、ただの風だ」
 チリンチリンチリンチリン……。
 何かに突き動かされ、家のドアをくぐり、階段を上がって行く。
「……」
 口が固く閉ざされ、叫び声すら出せない状態になった。
『ヒャアオオオオ』
 恐怖から、やけくそに釣り竿を振り回す。チリリチリンチリン……。ざ、ざ、ざ、と何かが布細工に爪を立てている音がする。チリンチリンチリ……。鋭い爪に絡め取られた鈴が一つ床に落ちた。今しかない、そう思ってヒュッと釣竿をベッド脇に振ると、何がこちらに向かって走ってくる。思わず目をつむると、空気を裂くような音が側で聞こえた。大きな動物の影が、床で蠢いている。餌を食べているのだと気付き、慌ててタモ網を振るう。あっさりと、それはタモ網に収まった。思ったよりは、大きくないらしい。もごもごと、タモ網の中で蠢く動物を掴み上げるとずっしりと重い。軍手越しにも硬い毛並みと荒い呼吸を感じ、小白でない事は明らかだった。メモを思い出し、その動物を網に入れたまま髙橋の胸元へ持っていった。
「ーーかかりましたか」
「……はい。睡魔です」
「……」
 髙橋は網の中で荒く呼吸する何かを撫でている。よく、そんな得体の知れないものを触れるものだと緊迫した中で、どこか他人事に感じた。撫でていた高橋の手がパタリと布団に落ちた。
「……髙橋さん」
 髙橋は小さな寝息を立てて眠りについていた。信じられない気持ちで、網にかかった睡魔を見た。
「もう、行っていいぞ」
 網をおそるおそる外すと、網の中の暗い目と目が合った。いや、目だと思ったそれは、ただの深い穴で、目の玉は見当たらなかった。睡魔には目がないのだと知った。
 睡魔はのそりと起き上がり、また嫌な声を発しながら四つん這いで階段を降りて出て行った。
「は、はは」
 詳細を書かなかった、いや、書けなかった祖父たちの気持ちが分かった気がした。タモ網を強く握りすぎて痺れていた手を、閉じたり開いたりして感覚が戻るまで待っていると、猫の声が聞こえた。
「小白さん?」
 車の中を覗き込むと、小白がケージの中に戻って毛繕いをしていた。それを見てどっと疲れが襲ってくる。
「小白さん、有難うございました」
 小白の役割は睡魔を呼び込む事、つまりはーー。
「ニャッ」
 いや、そうではない。小白は神の使いなのだ。伸びをして出てきた小白を抱き抱え、厄払いの代わりにブラッシングをしてやると気持ちよさそうに目をつむった。
「さ、帰ろう」
「……」
 風の音がして、空の上で睡魔が飛んでいる気がして、急いで車を発進させた。
 次の日、髙橋からお礼の電話があった。どうやら、無事に朝までぐっすり寝られたらしく、声がやけに明るかった。また、眠れなくなったら宜しくと固く約束させられてしまったのは気になったが、とにかく仕事が終わった。小白は一日自宅で預かったのだが、風呂に入れたのが相当不服だった様で、ずっと壁に向かって文句を言っていた。そのお陰で寝不足だ。
「顔色が優れませんね。もう一度、睡魔を呼ばれますか?」
 久志がにこりともせずに言う。
「け、結構です」
「小白、お勤めご苦労様でした。奥にご褒美がありますよ」
 小白は振り向きもせずに奥の部屋に走って行った。
「すみません。まだ子供なので、勘弁して下さい下さい」
「いえ、とても助かりました」
「そうですか。無事に呼べたようですね」
 久志は田中の肩をサッと撫でた。
「えっ。何です?」
「小白の毛が付いたのしょう。こちらで捨てておきますよ」
 そう言って懐紙に毛を挟んだ。
「そ、それ」
 懐紙に挟んだ毛は黒く縮れていた。
「どうぞ、今日はゆっくりとお休みください」
 久志に微笑まれて、これ以上突っ込んで聞けない事なのだと感じた。仕事も成功し、充分すぎる報酬も貰えた。これ以上、この件に関わる必要なんて無い。

 夜の十一時、田中は車を近くの駐車場に止め、そこから髙橋邸に向かって歩いていた。近くであの妙な『ビョオオオオオ』という音が聞こえる。
「小白!」 
 久志の小白を呼ぶ声が髙橋邸の方から聞こえる。急いで走り寄ると、久志が猫じゃらしを宙で激しく動かしていた。
「小白、こっちだ!」
「ニャッ」
 チリンチリンと鈴がなり、小白が塀の上や植木を縦横無尽に走っていた。
『ヒャアオオオオ』
 大きな声が轟き、黒い影が頭上を飛び越えた。昨日と違うのは、その大きさだ。格段にでかい。
「田中さん、何故ここに?」
「久志さんこそ、何を?」
 二人は互いに牽制し合う視線を投げかけ合った。
「私の中途半端な態度のせいですね」
 久志は気持ちを切り替えたらしく、目から鋭さが消えた。
「話を聞いた限り、昨日捕まえた睡魔は子供だったようです。まだ近くに親がいると踏んだんですよ」
「何のために……」
 必要なのかと言う言葉を飲み込む。
「田中さんには感謝しているんですよ。私共には直接彼らを呼び寄せる事は出来ないので、便乗することにしました」
 塀の上で短く小白が鳴いた。
「来ますよ」 
 久志の目に青白い光が宿った。 
『ビョオオオオオオオオオ』
「久志さん!」
 気付かなかったが、数人の男達が庭に潜んでいた様で、巨大な網を張っていた。その網の中に小白が飛び込んで駆け回る。
『ヒャアオオオオ』
 黒々とした巨大な獣が、小白に向かって飛びかかって来た所を男達は一斉に網を閉じた。小白は間一髪の所で網をすり抜けて、田中の胸に飛び込んで来た。
「小白さん!」
「ニャッ」
「ははあ。随分と田中さんに心を許したようですね。飼い主としては胸が痛い」
「はあ」
「今日の事は他言無用ですよ。行きますよ、小白」
「ナア……」
「全く。早くしなさい」
 小白は久志の肩に飛び乗った。
「今後、何を見聞きしても公言なさいませんよう」
「それは、脅しですか?」
「そうです」
 けろりと悪びれなく言って、睡魔が運び込まれたワゴン車に乗り込んで帰って行った。
 二階の窓のカーテンが揺れ動いて、髙橋がこちらを暗い表情で見ていた気がした。彼もまた利用されたに過ぎないのだろう。いや、髙橋こそ睡魔の餌にされたのかもしれない。
 数日後、とある政治家が昏睡状態に陥った事を新聞の片隅で知った。これが、久志の仕業かどうかは知る術もないし、知る必要も無い。自分はただ人から依頼を受け、それを遂行することだけなのだから。でも一つだけ変わった事がある。
「小白さん、行きますよ」
「ニャッ」
 頼りがいのあり過ぎる相棒が、肩にトンと乗って得意げに尻尾を揺らした。



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