第1話

文字数 2,302文字

 私は沼にはまったおかげで、泥沼に落ちずに済んだ。
うまいこと言おうとしてんだろうけど、全然意味わからない、というツッコミが聞こえるが、本当にそうなのだ。
 2年前、私は静かに泥沼に飛び込もうとしていた。常に頭の隅をよぎる言葉、スマホのグー〇ル先生に聞く質問は、決まって「離婚」。離婚したい、子供3人連れて。旦那がもう無理。話が通じない。上から目線で正論かざすのが日課。そんなキャラなのに作った借金。ちなみに年収の3分の1。生活は常に苦しい。知ってるはずなのに、それでしれっとしてるから、一体なんなんだよ。 
 旦那のたっての希望で、10年前から旦那実家の家業を共に行うも、収入額は底辺。義父母の嫌味も輪をかけてひどくなるし、旦那は踏ん反り返って無視してる。帰って二人きりになれば仕事の上での私の失敗をぐちぐちとなじる。「父母が聞いたら、笑われるよ。」と締めの言葉。呪いの言葉。
 もちろんこれは、私の主観のみ。それぞれに聞いたらそれぞれの弁解があるのは百も承知。でもどうしても辛かった。この状況を脱したい。誰にも文句も指摘も受けたくなかった。これ以上、心を縛られなじられ、生傷を増やしたくなかった。
 来年は、子供たちだけとの生活が出来ているかな。引っ越し、超めんどいけど、心が軽くなるなら、頑張れるかな。仕事は見つかるかな。私がいなくなって、義父母や周りの人から説明求められたら、旦那はなんて説明するのかな。
 ぼーっといつも、そんな絵空事を考えながら過ごしていた。暗闇の中とは、まさにそれだった。
 そんな最中、ある時、息子が言った。「クラスで流行っているアニメが見たい」と。ちょうど加入したネット配信をテレビで観れたので、食卓を家族で囲んで、見た。
テレビアニメをじっくり視聴すること自体、とても久しぶりだった。
 そしてその時間は、それはそれは、鮮烈だった。物語上、とても残酷な描写はあるものの、主人公が健気にまっすぐ目標に向かう、という少年アニメでは王道の展開なのに、動きが、色が、表情が、全て目を離すことができなかった。見れば見るほど、楽しさと期待しか生まれなかった。物語が進むと新しい仲間も増えて、これによって一層面白さを増す。あっという間に全エピソード制覇。充実しすぎて、頭のしびれる数日間だった。
 これはもう原作の漫画を即購入しよう!と意気込む。だがしかし、なんと書店に一冊もない。ネット販売サイトにもない。30数年生きてきて、そんなことあります!??と、原作のセリフを引用してしまうほどに大混乱。そうです、爆発的ヒットした、あの漫画の話を私はしてるんです。(他誌で本当にすみません!)
 このアニメを、漫画を、もっと知りたい。もっと深く理解したい。でもネット検索したら、アニメの先の話をされてて、ネタバレしてるじゃーん、読みたくないじゃーん、泣いた。それでも何とか無いかと、探して探して、見つけたのです。アニメ出演声優によるネットラジオを。
 「ようこそ、沼へ!」と言われた気がした。鐘も聞こえた。
もうね、楽しい。楽しいしかない。声だけの俳優さん。演じてる声からの地声へのギャップ。声から伝わる相手へのいたわり、番組を面白くさせようとせんとする貪欲さ。そして、声優だからこそできる、キャラ変による必殺技で、空気が一変!!!
 そこから、私の生活は一変した。グー〇ル先生に聞くキーワードは「声優 アニメ」「あのキャラ 声優 誰」。「り」と入れても「離婚」は予測変換の上位にも上がらなくなった。最新のアニメから、青春時代のアニメ、時には往年の名作まで。ありとあらゆる検索をした。あの作品に出てたあの声優さんは、あの役をやってた人なんだ。あの声優さん、こんな気持ちであの声を出していたのか。ときめいた。これがときめきなんだと、嚙みしめる毎日。楽しい。
 そして変化も訪れた。悪意の権化の塊だと思えた旦那も、家の床くらいの存在に格上げされた。義父母の嫌味も、よく聞いたら嫌味じゃないなこの程度。そ・れ・よ・り・も!今日は何のアニメの誰を検索しようかなー!どのネットラジオを聴こうかな。ユー〇ューブで、ファンの人が作ったハイライト動画でもいいなぁ。仕事を終えて、食事を終えて、子供を寝かしつけ、台所で皿洗いをしながらスマホでながら視聴するのが、至福の時間。毎日が、充実した連続だった。
 あの時、泥沼に飛び込まなくて、良かった。同じ沼だとしても、この沼で大正解だった。この先、全く別の、黒い深い沼に引きずり込まれるかもしれないけれど、この沼の心地よさを忘れないで、乗り越えられる沼だったらいつでもどうぞ。私は大丈夫だろう。
 今日も元気にアニメ視聴。さあ、エンディングの曲が始まった。私はぐっと画面を注視し、流れる文字を一文字も取りこぼしはしまいと緊張する。来た、キャスト一覧。
 「やっぱり!主役はあの人だ。ライバル役の子は知らない人だったけどなんて素敵なハスキーボイス!後で検索して一通り確認だ。てか先生役のこの人!この人がいたら名作確定案件じゃないの。この上なく間違いない盤石のキャスティング、感動は筆舌に難しく!はー、もう最高。お母さん、この三ヶ月はときめきが過ぎて、心臓止まるかも!」。うっすら頬染上げなら捲したてる私を前に、苦笑いする夫、唖然とした表情の我が子たち。もう慣れたものだ。構やしない、私は今、人生初の勢いでときめいている毎日だ。しかも毒された長男は、私と一緒に声優知識を上げている始末。「この声、〇〇さんだよね?」と来たもんだ。情操教育上、果たして正解かわからない。でも、嬉しい。こんな毎日、最高だ。
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