ソシャゲと想い人

文字数 2,000文字

 通勤中にSNSを見ていたら、ソシャゲのガチャの情報が流れてきた。毎月数万課金したソシャゲを最近消去した僕は一瞬でスマホの電源ボタンを押し、カバンの中にしまった。

 皆が小さな画面を前に無情を漂わせる、揺らめく朝の箱庭の中、「何もしない人」になってしまった僕は必死に引きつる顔を直そうとする。現在僕はソシャゲをやめた理由の人の元へ向かっている最中。その道中にガチャの情報など出されては、頭にあのキャラへの総課金額がよぎり、一人心の奥で悶える羽目になる。結果、僕は社員になる前に心の痛みと戦う愚かな勇者となった。

 オフィスに着き、「おはようございます」と一声あげる。決まったレールの上をただ歩く様に自分のデスクに座ると、僕は昨日と同じ後悔をした。

先程のおはようございます、なんて暗い声で言ってしまったのだろう!

同時に慌てて姿勢を正す。猫背が抜けないのだ。僕はソシャゲをやめたと同時にそういう事に気をつけると決めたが、怠惰を謳歌してきた代償に決まって朝に決意をぼやかされる。自分のダメ人間さには手の施しようがないと諦めていたのを「自分勝手に限界を設けているだけ」とネット記事に論破されて以降自分なりに頑張っているが、どうも体に馴染まない。

「おはよう!」
「あっおはようございます!」

またやらかした。

「おっ何? 今日は元気じゃん。仕事頑張ろうね」
「…はい」

何いきなり元気に返事しているんだ僕は!
中々の大声を美波係長に上げてしまった!
あと最後は逆に元気無さすぎだ!

 どうしてこうも、係長に話しかけられる時は脳内一人反省会を催している時だとかそんなのばかりなんだ? いや係長は何も悪くないのだが、自分の応答がいつも奇妙になって苛立ちばかりが募っていってしまう。自分が鈍臭いだけなのだが。

  僕が新人だった頃の教育係・美波係長。笑顔が綺麗、立ち振る舞いが上品といった僕のような人間にとってはまさしく高嶺の花である女性。重度の課金厨であった僕に「ソシャゲをやめる」という史上最大の決意をさせた上司。前に他人と他人の会話から「係長は現在フリー」という情報を盗み聞きし、失礼極まり事を承知で喜び、お近付きになりたいと思った。しかし、既に会社の何人もの男から好かれているらしく、僕は困難に打ちひしがれている。

「係長、ちょっとよろしいでしょうか」
「ん、いいよ。どうしたの?」

男が係長に話しかける声がした。背筋がざわつき、パソコンに向かう振りをしてデスクの隙間から係長と男の様子を覗いた。
 「美波係長と○○はいい感じ」みたいな話がすれ違いざまに耳に入る事が時々ある。男の方も係長と釣り合っていると言わざるを得ない連中ばかりで、全てが未完成・平均未満な僕はその度に現実逃避したくなる。

 僕はずっと「何かしても笑われるだけ」と思って何も努力せず生きてきた。でも今度こそはと辛うじてまだ消えずにいた心の火種に息を吹きかけ、炎を大きくしようと努めてはいる。しかし自分の根暗が邪魔をして、未だ奮起しきれていない。

 待て。仕事中に何ネガティブな思考をしているんだ僕は。係長とお会いできるのは会社しかないから、もっと意気揚々と仕事する姿勢を見せようと決めたのに。
 僕はどうしようもない何かに挟まれた。一人、ゆっくり嫌になって、僕は椅子から立ってしまった。

 外に出てから、今日は炎天下であることを思い出した。太陽が心理的苦痛に味方して、光りながら僕に追加で物理攻撃を食らわす。それでも外にいた方が楽で、僕は自販機の前に突っ立った。財布を出そうとした途中、隣から声がした。

「お疲れ様」
「あっお疲れ様です」

 美波係長だった。先程まで係長の事しか考えていなかったのに、係長に話しかけられる瞬間に冷静な思考を巡らす事はやはり出来ない。係長が既に手に持っていた財布から小銭を出して、缶コーヒーのボタンを押した。白く、細くて、綺麗な手先をしていた。その手を下の取り出し口へと伸ばすのかと思いきや、お釣りの方に手を伸ばした。

「上司だし、奢ってあげるよ。何飲みたい?」
「えっ」

予想していなかった。係長の言うことを事前に想定できたことなどなかったが。

「僕も…コーヒーで」
「ん、分かった」

再びチャリンと小銭を入れる音が鳴った。少ないながらも、お金の音だった。

 僕はいつか、係長に上下関係を気にせずお金を出せる日を夢見て、課金をやめて別の事にお金を回すようにした。しかし今の状況をソシャゲに例えると、先輩は今何の気なしに僕に課金したと言える。一体、なんのつもりでだろうか? 「上司だし」と仰ったが、そんな軽い理由で僕に課金して良いのだろうか?

 ほとんどのソシャゲはガチャに天井があって、お金を注ぎ込めば欲しいキャラをお迎えできる。しかし、係長に天井など当然存在しない。何かを手にするための手段は「金を消費する」しか無かった僕に、係長にお金を出せる日は来るのだろうか?
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