第1話 たまねぎスープ

文字数 1,236文字


 ジリリジリリという目覚まし時計の無機質でけたたましい音によって桜田美波はすぐに目を覚ました。普段は目覚ましが鳴ったとしてもその音の意味していることを理解していないかのようにベッドから動こうとしないが、今日は違う。美波はベッドから出ると照明をつけ、机の上に置いてあったスマホを手に取り彼女の部屋を出た。
 階段を降りると美波の母である桂子がすでに朝食の支度をしていた。
「あら、今日は早いのね。朝ごはん、もうちょっとまってね」
 しかし桂子の言葉は美波には届いておらず部屋から取ってきたスマホを睨んでいた。彼女はメールやSNSをしていたのではなく、何の面白みもないホーム画面を唯々みていた。その画面には二月十四日と大きく刻み込まれていた。美波は何度か電源ボタンを触りホーム画面を映し出していたが無論、二月十四日という文字が変わることはなかった。
 しばらくすると桂子は朝食を美波のところまで運んできた。
「今日は美波の好きなものにしたからね。今年も例のアレ、頑張って」
 運ばれてきたのはチーズがたっぷりかかったトーストと大きなイチゴ、そして玉ねぎスープだった。確かにこれらは美波の好物だ。
「お母さん、ありがとう。私の好きなものばっかりだ」
 美波は母親の愛情への感謝の意を告げた。しかしすぐには箸を付けず美波はさっきまで桂子がいた台所へと足を運んだ。
 台所へ着くと美波は奥にある冷蔵庫に手を伸ばした。
「美波、アレもう冷蔵庫から出してるわよ。カチカチのまま渡しても、彼食べにくいだろうから」
 得意げに話ながら桂子は洗濯機のある洗面所のほうへ大きなかごを持ちながら向かっていた。いらない親切だな、と美波は思った。美波は『アレ』について桂子にサポートされるのがあまり嬉しい気持ちになれなかった。桂子の助けを借りるとチャレンジせずに帰るわけにはいかなくなるからだ。そのため先週の日曜日には母親が買い物に出ている隙に一人で『アレ』を作った。小さいころから作ってきたのでそれ程難しいものでもなかった。
 炊飯器の横に置いてあったリボンのかかった赤い箱を手に取ると、美波はそれを自分のスマホの横において朝食を頬張り始めた。チーズトーストはもうトロトロとした感じはなくなっていたがそれでも美波はおいしいと感じた。チーズトーストを平らげると美波は玉ねぎスープを飲もうと顔を持っていった。するとたまねぎスープに反射して自分の顔が映っていた。不細工な顔だな、と美波は思った。そんなことを思いながら玉ねぎスープの中の自分を見ていると美波は水面が渦を巻き始めているのを見つけた。机の上に置いてあるのに妙だなと思ってそれをもう少し近くで見ようとすると、どんどん水面の渦は勢いを増していき、自分を取り込もうとしているのでないかと美波は感じた。美波は目をつぶり顔のつぶれているたまねぎスープの自分とキスをしようとした。すると美波は今までできるだけ思い出さないでおこうとしていた記憶が頭から溢れ出てくるような感じがした。
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