私が失うまでの物語

文字数 1,056文字

 付き合って五年になる彼氏と大喧嘩してしまった。
 
 ちょっとした言い争いなら今までに何度もあったけど、今回はお互いにヒートアップしてしまい、容赦ない言葉が飛び交った。
 途中で「あ、これ以上はヤバいかも」と何度か思ったけれど、どうしても自制が効かなかった。

 しばらくは怒りがおさまらず、一週間が経過したあたりから今度は謝りの電話ひとつ寄こさない彼氏の薄情さに恨みがつのった。
 要するに、何らかの激しい感情にずっと支配されっぱなしの状態におちいっていた。

 とりあえず落ち着こう。落ち着かなきゃ。
 そうだ、こういうときは小説を書くにかぎる。
 
 私には昔から処理しきれない思いを文章に託して、そちらの世界で昇華させる癖があった。

 ついに飼ってもらえなかった子犬といっしょに冒険する女の子の話。
 現実では一言もしゃべれなかった野球部の先輩に告白される話。

 そういったものを完結させると同時に欲は消え、失恋の悲しみも消えた。今回も書いているうちにきっと頭が冷えていくだろう。

 主人公はそうね――私とおんなじ立場の、私よりももう少し素直な女性がいいな。彼氏の設定は変えずに、彼女からのアプローチを多めにしよう。

 つい最近の出来事をベースにしているものだから、キー入力が進む進む。

 自分よりもいくらか積極的な主人公の行動には自然と照れ笑いがこぼれてしまう。そういう場合は、画面向こうの彼女にもおおいに照れてもらった。

 現実ではとてもできそうにない行動を易々とこなす彼女にかすかな嫉妬さえ抱きながら、すれ違ったふたりの物語を良い方向へと導くのが私の日課となった――。

 毎日かなりのペースで進めていき、素直な主人公と少し頑固な彼氏がみごと仲直りをし、明日いよいよ山場のプロポーズというところまで書きあげたとき、友人から一本の電話が入った。

 ――あんたの彼氏が元カレと腕組んで歩いているのを見たんだけど? ずっと放置しているうちに焼けぼっくいに火がついちゃったんじゃないの?

 ハッとなり、あわててスマホを確認すると、彼氏からのメールと着信が山のようにきていた。何てこと。
 留守電のメッセージも、メールの中身も、あくまで想像にすぎない自作小説なんかより、ずっともっとリアルな誠実さであふれていた。

 私は理想に没頭するあまり、現実と一切向き合わないまま、あっさりと失ってしまったのだ。

 点きっぱなしのパソコン画面の向こうでは、私でありながら私とはまったくちがう主人公が幸せそうにほほ笑んでいた。プロポーズの瞬間を今か今かと待ちかねながら。
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