第1話

文字数 1,998文字

僕の父さんは二人いる。一人は血の繋がった本物の父さん。もう一人はー。
ピピピピピ
朝日のさす角部屋に目覚まし時計の音が鳴り響く。僕はふあと一つ大きなあくびをしながら伸びをした。階下の洗面所に向かい顔を洗うといつものように食卓に着く。
「おはよう」
父さんが読んでいた新聞から顔を上げ朝の挨拶をする。
「おはよう」
「テスト週間なんだってな。どうだ調子は?」
「うん。まあまあだよ」
「そうか」
父さんは満足気にそう呟くと紙面に顔を戻した。
「徹、ごめんね。今日母さん寝坊しちゃってお弁当が作れなかったの。コンビニで済ませてちょうだい」
「分かったよ」
僕は母さんの謝罪を何ということもなく受け入れた。母さんは最近パートを変えて慣れるのに四苦八苦しているのだ。弁当の一つや二つ作りそびれたとしてそれが何の問題になるだろう。
そう。僕はいつだって母さんの味方であり続けてきた。父さんが若くして脳溢血で亡くなってしまってから、葬式で肩を震わせながら嗚咽をこらえていた母さんの背中を見たあの時からそれは何ものにも代えがたい僕の決め事となったのだ。この人を何としてでも守るのだ、と。
それが僕が中学一年の頃の話。そして今年の春で僕は高校三年生となった。

僕の現在の父、田辺哲夫は母さんの再婚相手である。高校一年生の春休み、その機会は突然に訪れた。
「徹にね、会って欲しい人がいるのだけど。今母さんがお付き合いしている人なんだけど」
そうおずおずと切り出された母さんの発言に僕は後頭部をハンマーで殴られたような衝撃を受けた。あの憔悴しきっていた葬式からわずか三年で好きな人が出来たのか。これは本当に思いもよらない青天の霹靂というやつだった。僕はただただ呆然とするより仕方がなかった。
それからわずか三か月で籍を入れ現在に至る。

せめて再婚が僕が成人してからであったなら良かったのにと何度思ったか知れない。一つ屋根の下に他人が暮らす。思春期の只中にいる男子にとってこれは何とも居心地の悪い思いを強いられる環境であった。男と女がこの世にいる限り、双方が好きあっていれば求め合うのは自然の摂理なのだと頭では分かっていてもどうにも心がそれに追いつけないでいることを僕は嫌というほど自覚させられた。

「徹君。数学どうだった?」
清美にふいにそう話しかけられ、
「予想より出来た方だったよ」
とだけ答えておく。放課後二人で一緒にいると話題は自然と今日のテストのことになった。清美とは高一からの付き合いだ。こんな僕のどこがいいのか分からなかったが、向こうから告白されて付き合うことになった。僕も僕で女の子に興味津々だったし、可愛い清美に対してまんざらでもなかったので素直に告白を受け入れることにした。
「お父さんとはどう?今朝はうまく話せた?」
「何とか」
「そっか。ならいいんだ」
家庭の事情をある程度清美には話してあるので、彼女はいつも心配そうに僕の家の様子をさりげなく訊いてくる。
「じゃあここでお別れだね」
通学路のかなり早い段階で僕らは別れることになる。清美は辺りを見回して人がいないことを確認するとそっと手を繋いできた。ぎゅっと手の平に力が加えられると、彼女の小さな手が「好き」という感情を雄弁に物語っているようで流石の僕も心臓がドキドキしてしまう。
「じゃあ、また明日」
清美はパッと手を離すと照れくさそうに別れの挨拶をして立ち去っていった。
僕には勿体ないぐらいのいい子である。火照った体を何とかサドルに預け僕は自転車を漕ぎ出す。

母さんの悲しみ、父さんの愛情、清美の情熱。そんなものが一斉に僕の中に嵐のように吹き込んで来るようで自然と身震いをした。
いつか今の父さんを受け入れられる日が来るだろうか。母さんの悲しみを癒し、僕のことを愛そうとしてくれている今の父さんのことを。

そんなことを考えながら家に着くと父さんの靴が玄関先に無造作に並べられていて「おや?」と思う。リビングに行くとパジャマ姿で水を飲んでいる父さんと目が合った。
「どうにも風邪気味で会社を早退してきたんだ」
父さんは情けなさそうにそう言うと体温計の在りかを僕に尋ねて来た。
「今日のテストはどうだったんだ?」
「まあまあだよ」
「そうか」
朝とまるで同じ会話を繰り返す。これでいいのだ。今はこれで。新たな父親の出現を手放しで喜べる方が年頃の男子としては不自然な心情だし、僕はそんなに器用な人間には生まれついていない。

僕の父さんは二人いる。一人は血の繋がった本物の父さん。もう一人は今の父さん。では今の父さんは偽物ということになるのだろうか。偽物は当人に対してあまりに失礼じゃないか。そんな風に考えると自然と口元が緩んでしまう。

「あっ、徹が笑ってる。珍しい。何かいいことでもあった?」
父さんが嬉しそうに尋ねてくる。
これからね、いいことを探しに行くんだよ。近いうちに両親に清美を紹介しよう。まずはそこからだと僕は思った。


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