第1話

文字数 12,569文字

ハートオブソウル       石枝隆美

それは"ハーフオブソウル"という言葉の意味を知る不思議な出来事だった。 

 一

私は新卒で大学の事務で働く臨時社員だ。この仕事について特に情熱も興味もあったわけではない。ここしか受からなかったから。ただそれだけの理由で就職先を決めた。
仕事は至って簡単なものだった。外部講師の授業の資料の印刷や講師室の整理整頓、学生対応。臨時社員の私に求められるのはそれなりのものしか求められない。誰でもできる作業だ。 
 今日も仕事を淡々と終え、帰路に着く。そんな毎日の繰り返しだった。あの人に出会うまでは…。
  
 私は昔から何をやっても、人より劣るし、忘れ物やうっかりが多いダメダメ人間だった。そんな私でも母は私のことを可愛がってくれ、この子にはきっと何か才能がある、そんなふうに信じてくれた。
 私もそんな母の影響を受け、自分は人と違うからこそ、何か隠れた才能が眠ってるはず、そう思い、人にどう思われようとどこ吹く風で、あまり気にも止めずに生きてきた。 
  
 掲示板に休講の知らせを画鋲で貼っている時だった。
「あの、明日の哲学の授業、急遽休講にしたいんですけど。」
三十代前半くらいの無精髭を生やした節目がちな若者に背後から話しかけられた。
「あっ休講するんですね、少々お待ちください。」
私は外部講師の先生だとすぐに気づき、上司に相談しに行った。確認ができて戻ると、その若者は携帯で何やらペコペコお辞儀をしながら連絡を取っている様子だった。私に気づくと、携帯をしまい、こっちに向かってきた。
「どうでした?急にでほんとに申し訳ないんですけど。」
「大丈夫です。今日の必須科目の授業で学生に伝えるとのことでしたので。」
「ほんとですか。助かります。実は地方に八十六歳の祖母がいるんですけど、具合が悪くなってしまって、母も仕事してて都合がつかなくて、車を持ってる僕が病院の付き添いをすることになったんです。」
「そうでしたか、それは大変ですね。また何かありましけたら、いつでも事務の方にお電話ください。」
「ありがとうございます。ではまた。」
私は、彼を見送ると、仕事に戻り、いつものように定時で退社した。
 帰りにバスの中で彼のことを思い出した。なにか違和感のようなものを感じ、彼に出会った時に自分と同じような仕草をしていたことに気づいた。私はよく急いでいる時に鼻の頭を触る癖がある、それを彼もしていた。不思議な縁だと思ったが、明日も仕事で早いので、カレンダーでスケジュールを確認し、バスを降りて家まで早足で歩いた。
  
 ニ

「牡牛座のラッキーアイテムは帽子です。今日も一日頑張りましょう。」
 テレビの情報番組の占いコーナーは必ずチェックしている。毎日の日課だ。仕事のモチベーションにも関わる。私は占いが好きだ。自分に自信がないせいか、占いに頼っている節がある。インターネットで占いを見るのも好きで、いつか白馬の王子様が現れると本気で信じている。
 仕事終わりにネットカフェに立ち寄り、個室で占いを見ていると、おすすめのコーナーに目が止まった。
"ハーフ オブ ソウルをあなたは信じますか?"
 恋愛の究極の形であり、相手の特徴は仕草が同じ、価値観が似てる、オーラが同じであるなどがある。ひと目見た時から気になってしょうがなくなり、相手の全てを知りたくなる。
 と書いてあった。私は真っ先にあの彼のことを思い出した、と同時に胸の辺りがどくんと脈を打った。
 次の日、たまたま哲学の授業がある日だった。私は外部講師の部屋を覗き、彼がいないかどうか確かめた。まだ彼は来ていないようだった。哲学の授業まであと二十分ある。私は挙動不審に周りを見回しながら、資料の印刷をしていた。 
 三分後、彼がやってきた。リュックを背負い、両手に紙袋を持ちながら、息を切らせていた。私を見つけるなり、駆け寄ってきて、
「この間の事務の人ですよね?今日は印刷依頼があって、頼んでも良いですか?」
と言い、資料を二枚差し出してきた。
「もちろんです。印刷したものは講師室までお持ちしますので。」
 
授業終了後、彼がまた私のもとにやってきてクレームを言ってきた。
「あの、資料の印刷、両面印刷と希望してたはずなんですけど。」
やってしまった。私のうっかり病が出てしまった。彼のことを気にしてミスをした。
「申し訳ありません。以後気をつけます。」
「僕はエコを気にする人間でね、たとえ紙切れ一枚でも環境に優しくないことはしたくないんだ。よろしくお願いしますね。」
 私は彼に怒られたが、でも妙になぜだか嫌な感じはしなかった。私はその夜、湯船に浸かりながら、今日のことを反省した。思い出すと恥ずかしくなって湯船に頭から浸かり、なんとか正気に戻ろうとした。
  
 三 

 休みの日、私は友達の綾子ととMix flowのライブに出かけた。
「さくら、あの最近熱愛報道あったテツヤ好きなんでしょ?あの人どこが好きなの?」
「なんか性格明るいし、一緒にいて楽しそうだから好きなんだよね、音楽番組出ても言うこと面白いし」 
「熱愛の相手って歌手の人?」
「一般の人みたいだよ、どこで知り合ったんだろうね。」
 グッズ売り場は大混雑でTシャツやタオル、キーホルダーなどが並んでた。私は家族とバスタオルが兼用だったので、グッズのバスタオルを買って自分専用にしたいと思い、バスタオルを買った。
 客席は満員御礼で賑わっていた。ライブが始まると男性二人組のアーティストは光と音を使い、素晴らしいステージを演出し、ツアーの初日らしく気合いが入っていた。

君がくれた最後の手紙
今も読めずにいるよ
君との時間は
僕の奇跡だった
君がまだ僕の横にいたらな
なんて未練がましいことを考えたりして
嫌になってしまうよ
自分がこんなちっぽけだって思い知ったよ
忘れないよ
君がくれた笑顔
変わらないでよ
そのままでいて
僕もきっと次の恋を見つけるから

君の全部を知りたかったんだ
僕の目に映る君はいつも笑顔で
どうして僕に何も言わずに去っていくの
あぁ僕たちは終わってしまったんだね

 わたしは新曲に心が躍った。息を切らしながら歌う歌手の一生懸命さとひたむきさに毎回心打たれる。テツヤはライブの盛り上げ役に徹し、持ち前の明るさで場を和ませてた。
 性格がイケメンだ、これはモテるな、と思った。憧れは感じたが、あの彼に感じるものとは全く違っていた。

 仕事終わりにバス停で待っていると、見たことある人影があった。
「篠山先生、お疲れ様です。あっこのあいだは…」
「あっ気にしないで下さい。僕ももっと柔軟にならないとダメですね。」
「そんなことないです。私の方こそ、いつもミスばっかりで自分が嫌になります。」
「あっそのキーホルダーって。」
「ああこれはこの前ライブに行って買ったんです。」
「そうなんですか。僕もライブ行きましたよ。それと色違いの同じの買いました。」
「ほんとですかそんな偶然あるんですね。」
こんな偶然あるだろうか。
 私はどんどん占いにのめり込んでいった。占いには今年出会った男性と恋に落ち、結婚するでしょうと出ていた。胸が高鳴った。もしかしたら結婚できるのかもしれない。そう思い、口笛を吹きながらお弁当に入れる卵焼きを焼いた。気合いが入りすぎて少し焦げてしまった。
 
 四

 テレビのコメンテーターが究極の恋愛とは相手の幸せだけを考えるため本当の恋愛関係にはならないと言っていた。篠山先生とはそんな関係にならない予感がした。でもそんなことは考えたくなかったので、違う違うとそんな予感を打ち消した。
 夕食を食べてると、結婚の話になった。
「さくら、あなた結婚したい人はいないの?」
「結婚結婚って結婚するのが人生の全てみたいな言い方しないでよ。結婚しなくても幸せな人は沢山いるよ。」
「そうだけど、母親としてはね、さくらに良い人がいればって思っちゃうのよ、私は先にいなくなるだろうし、さくらを一人残していくのが心配なのよ、わかるでしょ?」
確かに母の言うこともわかる。一人っ子の私は両親がいなくなってしまえば、親戚も遠方に住んでいるし、頼る人が一人もいない。私も良い人がいれば人生が楽しくなるだろうし、心強い味方が一人は増えることになるとは思う。でもそれで焦って結婚したところで失敗するのは目に見えてる。ゆっくりじっくり相手と向き合って段階を踏んでから結婚したいのだ。
 子供が欲しいならそんな時間は残されていないのは知っているが。
 
 篠山先生が外部講師の契約を終了することになった。講師室で資料の整理をしていると、篠山先生が入ってきて、
「今日でこの大学での授業が終わりになるんです。」
「そうですか、微力ですが、お役に立てたのならよかったです。また機会があればぜひご一緒に仕事がしたいです。」
 篠山先生は何か言いたげだったが、私は結局連絡先を聞けなかった。

 五

 私は今更ながら後悔した。食事も喉を通らずハートオブソウルなのに…と呟き 、目はうつろになり頭がぼーっとして、おかしくなってしまった。両親が心配し精神科に入院することになった。病院では塗り絵やオセロ、体操などをやって過ごした。同じ病室の年配の女性とは仲良くなったが、私の心は沈んでいた。
私は部屋の隅で泣いていた。
「どうしたの?」
「あ…ちょっと辛くて…」
「何があったのか話してくれる?」
私は今までのこと、運命の人についてを話した。すると、
「運命の人ね、あなたは運命の人っていうジンクスに囚われているのね。いい?初めから運命の人なんていないのよ。いるとしたら、それはね、あなたのそばにいてくれる人が運命の人になるのよ。私の旦那はね、私が元気がないと私の好物のお寿司のネタを買ってきて、何も言わずに握ってくれる人だったわ。それが私は嬉しくてね、幸せだった。旦那はもう亡くなったけど、ある時考えたのよ。他にも付き合った人はいるけど、運命の人は旦那だったんじゃないかって。でも私にもわからないわ。大丈夫よ。あなたまだ若いんだし、いくらでも恋はできる。きっとあなたのことを愛してくれる人が現れるわ。」
私はとても勇気づけられた。

 しかし、なぜ私が病院に入院しなければならないのか不思議だった。天気予報のニュースで今日はなんだかどんよりした暗い天気ですねというと私が暗い気分なのを知っていて、私に対して批判しているような気分になり、腹が立ったのでその場から離れた。篠山先生が病院に現れて助けてくれるのではないかと思い、ずっと待ち続けたがとうとう現れなかった。
精神科に入院して3ヶ月が経ち、私の頭もだいぶ落ち着き、正気に戻ってきたので、主治医の先生の許可を得て退院することになった。
私は占いにハマって現実がわからなくなり、妄想の世界に迷い込んでしまっていた。気づいた時には大切な家族を悲しませ、自分を見失っていたことがわかった。

 六

 変な占いにハマることはもうやめて新しい恋を見つけたいと思った。でも職場には女性ばかりで男性も既婚なので、身近な人から探すのは諦め、手っ取り早く今流行りの婚活をすることにした。
 私はネットで婚活パーティーに予約し、今週の日曜に参加することに決めた。一人では不安だったので、綾子を誘い、出かけることにした。
 婚活パーティー当日、私はデパートで買った自分としては高めのスカートを身に纏い、化粧もいつもより、少し派手なピンクのアイシャドウを塗り、おしゃれに力を入れた。
 一対一の十分間のトークタイムで回転寿司のように男性が女性の前の席について話していく。
 私は一人の男性と気が合った。
「はじめまして、私は桃田さくらと言います。よろしくお願いします。」
私はとびきりの笑顔で好印象を狙った。その男性は見た目はキリッとした切れ長の目に
、一文字に結んだ口で髪は短髪の清潔感のある人だった。
「趣味はなんですか?」
「僕は料理と野球観戦ですね。休日は家か球場で野球を見て、家で観戦する場合は自分でステーキやオムライスなんかを作りますよ。」
「へぇ〜オムライス難しくないですか?私いつも卵を巻くの失敗しちゃって、ぐちゃっとなって見た目が悪いオムライスになっちゃうんですよ、味は美味しいと思うんですけどね。」
「あーそれは、僕はチキンライスは盛っておいて、卵を別に焼いて上から被せちゃうんですよ、それなら失敗ないですよ。」
「そっか、その方法もありますね。」
「なかなかトロトロにはならないですけどね。難しいです。」
 最後に気に入った人を紙に書いて選ぶコーナーがあって、私はその男性のことだけを書いた。が、結果は両思いに至らず、わたしは一人寂しく帰ることになった。友達は両思いになって、連絡先交換をし、そのまま飲みに行くことになっていた。
 私はこのまま帰るのも癪に触るので、本屋で立ち読みをした。占いの本棚を素通りし、資格の本棚を見た。やっぱり何か自分に自信をつけるものが欲しい。
 
 七

一人で生きていくための保険として簿記の資格を取ることにした。合格率は厳しく、なかなか簡単には取れない資格だが、それだからこそ価値があると思った。
 高層ビルの12階にある資格の専門学校は、パソコン系の資格から公務員試験の資格まで多くのパンフレットが棚に並べられていた。
 私は簿記二級を目指すと心に強く決めていたので、すぐさま受付まで行って簿記二級講座のコースを申し込んだ。
 講座一日目、教室にはおよそ二十人ほど座っており、小さめの教室には割りかし密度が高く見えた。私はおとなしそうな四十代くらいの人の隣に座り、話しかけてみた。
「あの、簿記の試験受けるの初めてですか?」
「いえ、三級も受けたので二回目です。」その女性は怪訝そうに答えた。
「そうなんですか、簿記の試験ってやっぱり難しいですか?」
「うーん、一問でも間違っちゃうと計算が合わなくなっちゃうから、ほぼ完璧に覚えないと合格は難しいかもしれないです。」
その女性はノートと蛍光ペンを用意してたので、あとでお気に入りの文房具を買いに行こうと思った。
 資格の勉強は好きな音楽を流しながらするのが私の決まりだ。普通は捗らないのかもしれないが、私は昔からこの方法でやってるので、一番捗る。
「さくら、ご飯よ〜。」
居間から母の声が聞こえる。私はまだ勉強に気分が乗ってきたところだったので、
「後で食べるから置いておいて〜」
と返事した。

朝の日差しを浴びて
空気が変わる音がする
未来のことなんて誰にもわからない
でも気づいたの
未来は変えられるって
自分で手に入れるの
輝くたくさんの光の粒を集めて
歩き出そう
手に入れたものはいずれ消えてしまう
ものだとしても
それでも探しつづけたい
大切なものを見つける旅に
出かけよう
自分を写す光のかけら
見つかるかな
きっと待ってるよ
もう一人の自分

歌は私のこれからを応援してくれてるようだった。私は新しい自分に生まれ変わるんだ。

 八
 
 資格の勉強も板についてきた頃、職場で寿退社する先輩の送迎会が行われた。先輩は友達の紹介で出会った人と結婚することになったらしく、羨ましく思った。
「先輩、結婚いいですね。私も早く結婚したいですよ〜。」
「桃田なら結婚できるよ〜。料理できるし、気がきくところもあるじゃん。大丈夫だって。私も結婚はもうこの年だし、無理かな〜って諦めてたんだけどね、急に決まっちゃって、自分でもびっくりよ。」
「写真とかないんですか、写真。」
「あ〜あるよ、見る?見てもつまんないけどね。」
先輩が見せてくれた写真には仲睦まじく手を繋ぎ、笑顔でこちらを向いている二人が映っていた。旦那さんはイケメンというわけではないが、真面目そうで、大切にしてくれそうな人柄が伺えた。
私はこんな人に巡り会えるのだろうか。
 送迎会は深夜まで続いた。先輩は酔っ払ってしまい、呂律が回ってない、いつもの笑い上戸も健在だ。私は、先輩の肩を持ち、介抱役に回った。先輩が千鳥足のまま次の飲み屋に行こうとしたので、タクシーを止め、私も乗り込み、送迎会はお開きとなった。
 先輩のマンションまでやってきて、チャイムを押すと、ガチャッとドアが開き、背の高いメガネをかけたインテリっぽい男の人が出た。
「あの原田先輩、酔っちゃってるので私がお連れして来ました。」
「本当に申し訳ありません、原田がご迷惑おかけしました。あの、お茶でも飲んで行かれませんか?」
「あ、いえ、大丈夫です。家近くなので歩いて帰れますので、先輩によろしくお伝えください。」言いながら頬が赤くなるのを感じた。
私はそそくさと先輩のマンションから出て、涙を滲ませながら三駅分ある自分の家まで歩いて帰った。

頭の中がぐちゃぐちゃ
何もかもが嫌になる
一体全体何が目的なの
自暴自棄に嫌気が差し
街に飛び出した
みんな楽しげに笑ってる
私のことなんかお構いなし
だって何も知らないんだもの
そんな毎日を蹴飛ばして
自分探しに行こうよ
言いたいこと言ってしまおうよ
過去の自分におさらば
changechange my life

changechange everyday

昨日の自分にさよなら
明日の自分を迎えに行こう
 
 九

 資格試験の日が来た。私は準備万端、自信満々で臨んだ。わからないところは一つもなかった。手ごたえ十分だ。
 結果はやはり合格だった。私は達成感に満ち溢れていた。やればできるのだ、色々あったが、悔しさをバネに頑張れた。簿記の資格も取れたし、次は転職かなと思った。いずれは一人暮らしがしたいと思っているので、臨時職員ではお金が足りない。私はその日のうちに本屋を訪れ、転職の本と一人暮らしの本を買い込んだ。
 
 転職は売り手市場のうちが勝負だ。私は好機を見計らって、転職活動を開始した。
「私は御社の仕事内容にとても興味を持ち、事務の経験が活かせるのではないかと思い、志望しました。」
何十社も落ちた。ありきたりな志望内容ではどこも受からないのだと思い知った。何か熱意を伝えられるような、熱中できることはないだろうか。スマホを見ていると、ふと今月の家計簿のアプリが目に入った。私は昔から数学が得意だった。数字を見るとワクワクする。簿記の勉強でも計算がぴたりと合うとアドレナリンがでる。そうだ、会計事務所だ。
 私は会計事務所に応募することにした。だが、正社員では書類選考で落ちてしまい、なかなかうまくいかなかった。私はそうこうしているうちに過食になってしまい、体重が五キロも増えてしまっていた。ストレスでニキビはできるし、心身共にボロボロだった。私はデブでは見た目で落とされてしまって話にならないと思い、市営のジムに通うことにした。
 ジムには男性が比較的多いが、お年寄りのおじいちゃん、おばあちゃん、学生さんもいて、入りやすかった。私はランニングマシーンで三十分ほど走って汗を流した。何回か通ってると、お馴染みの顔の人もわかってきて、人間観察するのも楽しかった。ボードにはどこの器具を何分使うか書き記す必要があり、毎日のように通っているおばあちゃんに
「お姉ちゃん、何分走るか書き忘れてるよ。」と言われ、焦ってしまったこともある。私のうっかり病はどこにいても治らない。

 十

ジムに通い始めて半年経ち、体重が元に戻り、階段を上がっても前より息が上がらなくなったりして、体力がついてきたのを実感した。私は前にも増して精力的に転職活動をしていた。希望も正社員から契約社員まで手広く応募するようになり、書類選考は通るようになった。最近、職場でも「なんかあった?ずいぶんやる気満々じゃん。彼氏でもできた?」と先輩に言われるようになり、自分でも嬉しくなった。
 そして、見事会計事務所の契約社員の仕事に就くことができた。人事部の社員にも大層気に入られ、これから事務所を引っ張っていってほしいとまで言われた。それはそれで嬉しかったが、教育係の沢村さんにはびっくりした。なぜかというと、全然教育しないばかりか、何を言ってもいいですよとだけ言い、テンションがいつも一定なのだ。何を考えているのかわからない人といった感じだ。でもなぜか、この人いいなと思った。
 そんなこんなで会計事務所での仕事が慣れてきた頃、事務所で私の歓迎会を兼ねて花見に行く会が企画された。
 花見当日、私は沢村さんと一緒にチェーン店のピザを買い、都内でも有名な花見スポットを訪れた。今日の天気予報ではくもりでまだ肌寒かったので、ホッカイロを持っていくことにした。沢村さんは相変わらず、目を合わせようとせず、淡々と花見の場所を陣取って、先に一杯やっていた。二十分ほどしてみんな集まると、ワイワイと賑やかになり、やっとお花見ムードになった。
「ホッカイロなんて気が効くね〜、桃田ちゃん」部長はすっかり出来上がってしまっていた。
「いえとんでもないです、沢村さんも何買おうかってなって、ピザがいいんじゃないって提案して下さって、お花見にピッタリですよね。」
「僕はピザが好きなだけですよ。」
「沢村さんって休日は何されてるんですか?」
私はなんとか話を繋げようとした。
「僕は映画鑑賞が好きで、休日は必ず何かしら観てますよ。映画館で二つ続けて観ることもあります。気に入ったものは何回も観ますし。」
「へぇ〜私は最近映画見てないなー、ドラマは見てるんですけどね。邦画と洋画どっちみるんですか?」
「断然邦画ですね、好きな俳優が出る映画はチェックしますね、家でピザを頼んで食べながら観るのが至福の時です。桃田さんはドラマは何系観るんですか?」
「私は何系って決めてるわけじゃないんですけど、一クールやるものは一通り全部見て、面白かったものを見てますね、だから一話は私にとって重要です。」
沢村さんとこんなに会話が弾むのは初めてだった。お酒が入ってるからだろうか。
 歓迎会がお開きになり、帰りの電車にそれぞれ乗って別れた。私は沢村さんと帰りの電車が同じ方向だったため、それまで一緒に歩いた。
「沢村さんがこんなに話す人だと思いませんでした。オフだと違うんですね。」
「あーこれ秘密なんですけど、僕…女性が苦手なんですよ。今日は桃田さんが話しかけてくれたんでお酒の力を借りてたくさん喋ったんですけど。」
「そうなんですか。だからいつもあんまり喋らないんですね。でももったいないですよ、沢村さん。社内でも喋ったら職場のみんなも喜びますよ。」
「そうですか?…じゃあ今度試してみようかな。」
「はい。」私は元気良く言った。

 その日を境に沢村さんは変わった。職場の女性社員とも笑顔で話すようになったし、飲み会も二つ返事で行くようになった。沢村さんは皆んなと仲良くなるきっかけが欲しかったのかもしれない。
 沢村さんは私の教育係なので、私達はあまり馴れ合うことはできないが、仕事の事を聞いたりする時に、たまにだが、プライベートの話をしてくれたりする。それが私の密かな楽しみでもあった。そんなやり取りをしているうちに、沢村さんに特別な気持ちを抱くようになっていった。

今日は記念日じゃない
誕生日でもない
なんでもない普通の日曜日
私は目が覚めて幸せ感じた
今日も生きてる
日々を生きてる
私の身の回りのものたち
全部宝物
私の周りの人たち
幸せになるといいな
こんな風に思えるようになったのは
何故だろう
あなたに出会えたからだね
きっと
私が生まれ変われたのは

 十一

沢村さんの告白を受けたのはそれから数ヶ月のことだった。私が社内メールを開くと、沢村さんから今日予定ある?と書かれてあり、仕事帰りに待ち合わせ、唐突に、
「好きなんだけど、結婚前提に付き合ってくれない?」と言われた。私はびっくりして、はいとしか言えなかった。私たちが付き合いだしてからというもの、職場では皆んなにバレないように今まで通りを装っていた。沢村さんは気まずそうにしていたが、私は割と平気だった。
 私たちは初デートをすることになり、もうすぐ花火大会だったので、二人で行くことになった。
「沢村さん、なんか緊張してます?」
「いや、そりゃするよ。」沢村さんは額から汗が噴き出ているのをひたすら拭っていた。
 私達は人混みの中で他のカップルと同じように、はぐれないように手を繋いだ。
花火は次から次と上がり、その度に歓声が沸いた。
「綺麗ですね。花火って。高校生以来です。花火大会来たの。沢村さんはいつ以来ですか?」
「僕は初めてです。花火大会って人混みが苦手だから避けてたんですよね。でも桃田さんとなら行ってもいいかなって思って。」
私は顔が赤くなったのを花火を見上げるふりをして、必死に隠した。
 帰りに喉が渇いたので、コンビニに寄って缶ジュースを買い、公園のベンチに座って飲んだ。
「楽しかったね、花火大会。」
「うん、最後迫力あったね、何十個も上がってさ。」
 私は少年のように楽しそうに話す彼の横顔に見とれてしまった。こんな一面もあるんだな、とまた新たな発見をした。
 缶ジュースを飲み干すと、沢村さんが「はい。」と手を差し伸ばしてくれて、私の分の缶も彼の持ってるビニール袋に入れてくれた。
 
 十二

 沢村さんと付き合って一年が経った。お互い名前を下の名前で呼ぶようになり、私は彼のことをたくちゃんと呼んでいる。今日は水族館にデートに行くことになっていて、そして今日で丁度付き合って一年の記念日だ。たくちゃんは覚えてくれているだろうか。私はウキウキしながら支度を整え、化粧を念入りにした。準備万端といったところで、またうっかりプレゼントを買うのを忘れてしまった。私は、急いで地下鉄に乗り、駅前までつ着くと、前にタクちゃんが欲しいと言っていた、万年筆を買いに行った。
 待ち合わせに十五分遅れで着くと、たくちゃんは時計を気にしている様子だった。
「ごめん遅れちゃった。」
「うん。」
「あっじゃ行こっか。水族館ってこっちの方向で合ってる?」
「…合ってるよ。」
たくちゃんは明らかに不機嫌だった。私はちゃんと謝ったし、たくちゃんのためにプレゼントも買ったのに…と思った。
「ねぇ、ごめんって言ってるじゃん。十五分遅れるなんていつものことじゃない。」
私は言葉が過ぎてしまった。
「なんでこんな大事な日も遅れてくるの?」
「え?大事な日って…もしかして覚えてくれてたの?」
「覚えてるに決まってるよ。そのために今日の夕食はホテルのディナーまで予約してるんだから。」
「そうだったんだ、実は私もね、たくちゃんにプレゼントあるんだ、それ買ってたら遅れちゃったの、ほんとごめんね。」
「いいよ、俺も、雰囲気悪くしてごめん。」
たくちゃんと初めて喧嘩した。
 その後、仲直りして水族館を見に行き、たくちゃんが予約してくれたディナーを食べた。食べてる最中、なんだかたくちゃんの様子がおかしく、そわそわしていた。
「どうしたの?なんか変だよ。美味しくないものでもあった?」
「いや、そんなことないよ。」
「絶対おかしいよ。私になんか隠してることあるの?」
「…あの、あのさ俺、今日付き合って一年だから何ヶ月も前から言おうと思ってたんだけど…。」たくちゃんは真剣な眼差しを私に向けた。
「僕でよかったら、結婚して欲しいんだ。」
「え?」私は全然予想だにしなかった。
「ダメかな?」
「いや、えっと…こちらこそよろしくお願いします。」
「本当に?」
「うん。」
「よかったぁ〜。」たくちゃんは脱力し、笑顔になった。
私は突然の告白に意表をつかれ、喜んでいいのかわからずにいた。でもこれは現実なんだと後から気持ちが込み上げてきて、嬉しさで一杯になった。たくちゃんと結婚できるなんて夢みたいだった。

今日は記念日じゃない
誕生日でもない
なんでもない普通の日曜日
私は目が覚めて幸せ感じた
今日も生きてる
日々を生きてる
私の身の回りのものたち
全部宝物
私の周りの人たち
幸せになるといいな
こんな風に思えるようになったのは
何故だろう
あなたに出会えたからだね
きっと
私が生まれ変われたのは
 
 十三

 日曜日は二人とも休みだったので、私の家族に結婚の挨拶をすることになった。朝早くにたくちゃんの家を訪れると、たくちゃんは落ち着かなく、この服がいいかな、それともこっちの服の方がいいかなと私に聞いてきた。私はどっちでもいいよ、と言うと、そっかぁ〜と言いながらまだ悩んでいた。
 家まで着くと、
「さくら、俺、変なこと言ったらフォロー頼むよ。」とたくちゃんは心細そうに言った。
なんだかたくちゃんを見てると私も緊張してきて、自分の家族に緊張するのもおかしいなと思った。
 お母さんはたくちゃんを見るなり、
「あなたがさくらの彼氏さんなのね!さくらがいつもお世話になってます。」
と言ってたくちゃんの手を握った。
お父さんはお母さんの後ろからジーッとたくちゃんを見て、「こんにちは。」とだけ言った。
 たくちゃんは手土産に有名どころの菓子メーカーのチョコの詰め合わせを渡した。
「あら、お気遣いなく〜」とお母さんが嬉しそうにもらい、顔を綻ばせていた。
「あのさ、お父さん、お母さん今日はちょっと話があるんだけど。」
お母さんは待ってましたと言わんばかりに
「はいは〜い。」と言いながら、台所からこっちに来てお父さんの隣に座った。
「あの、単刀直入に言いますと、お嬢さんと結婚させてください。」 
とたくちゃんが口火を切った。すると、おとうさんが
「うちのさくらのどこがいいんですか?」と静かな眼差しで話し、
「さくらさんの明るさにはいつも助けられています。気遣いがあってとても優しい方だと思っています。」
「そうですか、さくらはしっかりしてるように見えて、ドジなところがあって、手を焼いてきました。相手のことをフォローして、お互い支え合って良い夫婦になって下さいね。」
「はい。」
その一週間後、婚姻届を出し、私達は晴れて夫婦になった。

十四 

十年後
「晴人〜早く着替えなさい。」
「お母さんまだ眠いよ。」
「幼稚園遅れるでしょう?お友達待ってるよ。」
「お父さんは?」
「お父さんもう会社行ったよ。」
私は母親になり、三人家族になった。今日は晴人を送り出したら、ママ友とランチの予定だ。気が進まないが付き合いだからしょうがない。その前にファンデーションが足りなくなったから、街で買い物をしなければならない。私は支度を整え、駅のホームまで早足で急いだ。
 駅のホームに着くと、視線を感じた。そちらを向くと、なんと篠山先生だった。私は突然のことに目を丸くした。
 その様子を見て、篠山先生が私の元まで来て、
「お久しぶりです。僕のこと覚えてますか?」と言った。私は平静を取り戻した。
「あっはい。覚えてます。お元気そうで良かったです。」
「あの…ずっと言いたかったことがあるんですけど…」
私はまさか告白⁉︎と思った。
「襟、変なってますよ。」
私は耳を疑った。一瞬思考停止し、そして襟を触ると、折れ曲がっていた。私は、プッと吹き出してしまった。
「すいません、やっぱり失礼でしたよね。」
「いえ、いいんです。私の方こそすいません。変に気遣わせちゃって。」
それにしてもろくに会話もしていないのに運命の人だなんてどうかしていた。やはり運命の人なんていないのだ。いるのは運命の人になる可能性のある人だけだ。


















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