幸せラストレター

文字数 3,730文字

 シュポンッ カン カラカラ

 栓抜きで瓶の王冠を引き抜いた音だけが室内に響き渡る。私はテーブルの上に転がった王冠を拾うとそのまま部屋の隅にあるゴミ箱に放り投げる。
 弧を描いてゴミ箱に向かった王冠は少し勢いが余っていたのか、ゴミ箱の縁にぶつかって跳ね返ると畳の上をころころと転がっていく。
「こんな日くらいちゃんと入ってくれてもいいだろうになぁ……まぁそれもまた私らしい、か」
 誰も聞くものがいない愚痴を一人こぼしながら、手に持った瓶を傾けてコップに黄金色の液体を注いでいく。いつもであればいわゆる第三のビールと呼ばれるビール擬きを愛飲しているのだが、今日は特別な日であるからに本物のビールを購入してきた。
 コップの七分目まで静かに注いだらそこからコップを立てて泡をキープしつつ残りを注ぐ。泡3に対して液が7の割合が私にとってのビールの飲み方としてあるべき注ぎ方だと思っている。つまみはスーパーの惣菜コーナーの出来合いで十分。重要なのはビールを旨く飲む事であって、調理をした満足感や出来映えの良さではない。

 スーパーの惣菜をつまみつつ、それをビールで胃袋に流し込む幸福感。何物にも変えがたいその幸福感に包まれながら、私はちゃぶ台の向こう側にある仏壇の、そこでにこやかに微笑む妻の遺影を眺めながら独り言を呟く。

「幸枝……君はビールなんて何処が美味しいのかと言っていたが、やっぱりビールは最高だよ」

 その独り言に返事をするものは、庭先で鳴き声をあげる鈴虫の声ぐらいのものだろう。夜の帳に虫の声と星の光しか無いこの東宗像島に私が来たのはもうかれこれ40年以上前の話だ。離島であるこの島の小さな郵便局に赴任を言い渡されたときは絶望に辞めてやろうかとも思ったこともあったが、気がついてみれば愛する妻が隣にいる生活があり、愛しの娘の白無垢を見送るくらいの年月が経っていた。そして、今日。長年勤めた郵便局員の仕事を定年退職することになった。
 新しく赴任してきた若い職員は少しばかり頼りの無い青年であるが、この人々が温かく、美しい自然に囲まれた東宗像島であれば大丈夫だろう。

 そんな退職を記念してのささやかな晩酌会であったが、酒の肴は自分の退職だけでは無い。最後に私が配達することが出来たその手紙。それが何よりの酒のあてになっていた。

 それはかれこれ5年程前になる。本土の方から定期船に載って運ばれてくる手紙の中に、これまた定期的に同じ宛先に送られてくる手紙があった。
 島にはあまり若い人がいない為、余計に印象に残っていたし、何よりその宛名主は私のこの島で出来た親友の娘の喜美ちゃんであった。喜美ちゃんは本土で一度結婚をしていたのだが、事故で旦那さんに先立たれた事もあり島に出戻ってきた。島の人間はそれを心配していたが、喜美ちゃんはそんなことは気にしないとばかりに親の漁を手伝って過ごしていた。
 そんな喜美ちゃんに度々届く本土からの手紙。しかもそれが男性の名であるからに私は気になって仕方がなかった。しかし、それを聞いてしまうのは郵便局員として失格の行為であり、どうしたものかと思っていた。だが、その悩みも時間が経つにつれ氷解していった。
 喜美ちゃんは手紙を心待にするように、定期船がくるとわざわざ郵便局に手紙の有無を確認しに来るようになったからだ。流石にその様子を見ていると私でもその意味は理解できていた。

「こんにちはー! おじさん、私宛の手紙、来てますか?」
「はい、これ。来ると思って出しといたよ」
「ありがとうございます! それじゃ」

 そんな事が何年も続いていた。このインターネット社会になった今の時代に手紙でのやり取りをする、そんな二人を私は心の中で応援していた。が、ある時を境にその手紙が来なくなった。
 最初は相手方も忙しい時があるのだろうとそれくらいに思っていた。しかし、それが一週間を過ぎ、一ヶ月を過ぎた頃。私は心配になって本土の局に連絡をいれることもあった。極稀に手紙などが宛名違いや紛失などで届かない時があるからだ。だが、結局そういったこともなく、手紙の投函が無いと言うことだけがわかった。
 確認に来る喜美ちゃんも始めこそ「忙しいんですかね」と苦笑いをしていたが、流石に二ヶ月を越えた辺りから目に見えて落ち込んでいるのがわかった。心配になって親友に聞いてもみたが、昔気質な親友は娘の色恋は娘が片をつけると無関心を貫いているし、あまり私が首を突っ込むのも不味いと思ってそれ以上聞くことはしなかった。

 そして先日。退職を控え最後の配達業務を行う日。数ヵ月振りに男性から手紙が送られてきたのを定期便の荷物の中から見つけた私は大慌てでそれの手続きを済ませ、他の業務も投げ出して配達に出掛けた。

「あら、門田のおじさん、こんにちは。どうしたの? そんなに急いで」
「き、喜美ちゃん……! と、届いた……手紙……!」

 息も絶え絶えな私が差し出したその手紙。それを受け取った喜美ちゃんはその差出人を見て目を丸くして、大急ぎでその手紙を開封した。そしてその手紙をよみ進める喜美ちゃん。その様子を私は固唾を飲み込んで見守った。
 読み進めながら、時に笑みを浮かべ、時に難しい顔をする喜美ちゃん。そして、手紙の最後に差し掛かったとき、その大きな瞳が更に見開き、そして大粒の涙を浮かべた。

(あぁ……ダメだったか……)

 私の頭の中はどう喜美ちゃんを慰めようかと、そんなことを考えていた。こんな時に妻や娘がいればアドバイスをもらうことが出来るのだが、妻に先立たれ、娘は結婚をして本土にいるためどうすることも出来ない。そんな中、喜美ちゃんは封筒に手紙と一緒に入っていたもう一枚の紙を取り出した。
 それは、普通の紙と比べれば薄く、桃色の縁取りがされた紙。その紙には手紙の差出人である男性の名前と捺印があり、記入欄の周りには我が県を象徴する大社をイメージされた縁結びのイラストとそれを祝福するようなウサギの可愛らしいイラスト。

「喜美ちゃん、それって……まさか」
「うん……うん……!」
「そっかぁ……よかったな、本当に良かった」
「ありがとう、おじさん。あと、これ」
「うん? 見ても、見てもいいのかい?」

 喜美ちゃんが差し出した手紙。本人が読んで良いと言ってはいるものの、他人の手紙を読むのはなかなか抵抗がある。が、それを読み進めていく内に私はその内容に驚いた。

「喜美ちゃん、これ本当かい?」
「うん、最後の方にほら、明日来るって」
「そうかそうか。いかん、そう言えば局をほったらかしだった。喜美ちゃん、またね」
「うん! おじさん、本当にありがとう!」

 私は大急ぎで局に戻った。普段は全然お客さん何て来ないのにこんな時に限って来ているもので、雑貨屋のトメさんがカンカンに怒りながら待っていた。


「おっと、ビールが無くなってしまった。冷蔵庫冷蔵庫、と」

 空き瓶を持って台所に行き、冷蔵庫から二本目を取り出そうとした時、玄関のチャイムが鳴った。

「はいはーい、こんな時間にどちら様ですかっと……おや? 溝渕君じゃないかい」

 玄関を開けるとそこにはこの度私の退職にあわせて新しく東宗像島に赴任してきた溝渕君と、喜美ちゃんであった。

「おじさん、退職おめでとうございます! あの、これ。あんまり美味しくないかも知れないけど」
「ほうーこれは嬉しいね。私はこいつの煮付けが大好物でね」
「それ、僕が釣ってきたんです。いやー、この島はいいですね! 空気も美味しいし、何より魚が美味しい! 喜美の作った煮付け、最高ですよ」

 そう、この溝渕君はあの喜美ちゃんの文通相手だったのだ。溝渕君は喜美ちゃんの元旦那さんの親友で、旦那さんが亡くなった際にも喜美ちゃんを色々とサポートしていたらしい。はじめこそ親友の奥さんだからと手助けしていたが、それが時間が経つにつれ気持ちがお互い惹かれていった。だが、喜美ちゃんと一緒になることが親友との裏切りになると考えた溝渕君は数ヵ月前の手紙を最後に関係を絶とうとした。
 そんな溝渕くんを説得したのは何を隠そう、喜美ちゃんの元旦那さんのご家族、そして驚くことに喜美ちゃんの父親だったのだ。悩みに悩んだ溝渕くんであったが、最後に親友の墓参りを済ませ、決心をしたという訳だ。
 そして、どうにか移住できないものかと考えていたところ私の退職がタイミング重なった為、本土の局から東宗像島へとやって来たのだ。

「そいつは楽しみだなぁ。ささ、二人とも上がってあがって。溝渕君はこれ、いける口かい?」
「お、良いですね~。お供します」
「あなた。明日も仕事なんだからほどほどにね」

 40年の配達人生でいくつもの手紙を送り届けてきた。しんどいことも沢山あったし、もう辞めようかと思ったこともあったが、この配達人生全てが私の歩んで来た道だ。そして、その道の終着点が、幸せに繋がる道であったことを、私は誇りに思う。
 その道を紡いでくれる若者に、島の未来を担っていく二人に乾杯!
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