挟まった男 -本文-

文字数 1,961文字

 殺風景な自室に彩りを与えようと思い立ち、俺は花屋に足を運んだ。だが、艶やかな花の並んだ店先において、俺の意識が向いたのは、隣接する店舗との間に生まれた狭い隙間に挟まっている一人の男だった。
「すみません、煙草を一本いただけませんか?」
 挟まっている男は俺と目が合うなりそう言った。挟まった身の上にも関わらず、落ち着いた口調をしていて、この境遇への慣れや、ある種の達観が感じられた。
「どうして……」
「いやあ、ちょっと切らしちゃいまして。持ってません?」
 俺が聞きたかったのはそういうことじゃなかったのだが、俺は挟まった男の哀れな姿に同情し、なけなしの煙草を一本咥えさせてやった。
「あ、火もいいですか?」
 少し迷ったが、俺が百円ライターで火を点けてやると、挟まった男は実に美味そうに煙草を吸った。
 よほどニコチンが不足していたのだろう。男があまりにも美味そうに吸うものだから俺は当初の目的も忘れてその姿に見入ってしまった。
「あのぅ、そんなとこに突っ立ってられると邪魔なんですけど? 買うか帰るかしてくれません?」
 俺がいつまでも店先で佇んでいると、怪訝な顔をした店員から当然の注意を受けてしまった。
「あ、すみません」
 俺は平謝りすると、そのまま帰宅するのも花屋に申し訳ないと思い、適当に目に留まった観葉植物を一つ買って帰った。

 翌日。あの挟まった男がどうなっているか気になった俺は、予定を放り出して昨日の花屋に向かった。
 さすがにもういないかもしれない。そうは思いつつも確認せずにはいられなかった。
 そうして俺はまた花屋の店先に佇む。
「いやはや、これはこれは」
 挟まった男は俺の顔を見るや、どこか気恥ずかしそうに言った。
 俺は何も言わずに煙草を一本差し出す。
 男は少し驚いた様子を見せると、嬉しそうにはにかんだ。
「では、遠慮なくいただきます」
 煙草が灰を落としながら徐々に短くなっていく。
 挟まった男が吸い終わるまでの間、俺は黙ってその光景を眺めた。
「あのぅ、そんなとこに突っ立ってられると邪魔なんですけど? 買うか帰るかしてくれません?」
 俺がいつまでも店先で佇んでいると怪訝な顔をした店員から注意を受けた。
「あ、すみません」
 俺は平謝りすると、そのまま帰宅するのも花屋に申し訳ないと思い、また適当に目に留まった観葉植物を一つ買って帰った。

 翌日の朝。本当であれば開店時間に合わせて花屋を訪れたいところだったが、昨日放り出してしまった仕事の後始末をしなければならないため、俺は仕方なく職場に向かった。
 しかし、仕事中も頭の中は挟まった男のことで一杯だった。
 まだ男が挟まっているのかどうか早く確認したい。そんなはやる気持ちが抑えきれず、普段であればしないような仕事のミスを何度も繰り返してしまったほどだ。
「帰ります」
 定時になると同時に席を立った俺は、同僚たちから向けられる視線を無視して足早に職場をあとにすると、その足で花屋へと向かった。挟まった男のこと以外、他にはもう何も考えられなくなっていた。
 だが、結果として俺は落胆することとなる。
「……そりゃそうだよな」
 俺が花屋の店先に辿り着いたとき、男が挟まっていた場所にはもう誰もいなかった。
「あのぅ」
「いりません」
 俺は花屋の店員の言葉を遮り帰宅の途に就いた。挟まった男が見られないのであれば買い物をしてやる義理はない。
 俺は落胆したまま自宅まで辿り着き、玄関のドアを開ける。
 しかし、そこで待っていたのは思いがけない光景だった。
「おかえり」
 と見覚えのある男が言った。
 なんと、かつてあの場所で挟まっていた男が、観葉植物の置かれた窓辺に腰掛け、俺の帰りを待っていたのである。
「何かお礼がしたくて、勝手ながら上がらせてもらったよ」
「いりません」
 俺は即座に応じた。怒りを孕んだ声色をしていて、それは相手にも伝わったことと思う。
「え?」
 想定外の返答だったのか、男は呆気にとられた表情を見せる。
「もう挟まってないなら帰って下さい。挟まってないなら、それはもう俺の興味からも外れたってことなんですから」
 男は俺の物言いに驚くも、やがて、全てを受け入れたように口元を緩めた。
 そして俺の横を通り過ぎる際、別れの一言を残していく。
「煙草、ありがとう」
 そうして、かつて挟まっていたことのある男は俺の前から姿を消した。

 数ヶ月後。俺はある異変に気付く。
 なんと、窓辺に並べた観葉植物たちが、その身体に幾重もの紙巻煙草を実らせたのである。
 どうやらあの男は、すでにお礼の土産を置いて行ったあとであったらしい。
「……ハハハ」
 俺は煙草を一本千切り取り、あの男にしてやったように火を点けた。
 こんなことなら、もう少し親切にしてやれば良かったと思った。
 挟まっていなくとも。
 いなくとも。
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