第7話

文字数 8,509文字

 柄にもなく、慌てていたんだなと、あの時一緒だった鬼塚直が言った。
 暫く意識を飛ばしてしまった少年は、分かる限りの事情を話した後、従兄の恵から渡された乗車券の入った封筒を差し出した。
 信頼していた人に、完全に見限られたと思っていた少年の前で、その封筒の中身を見たセイは、少しだけ眉を寄せた。
「……空だ」
「ええー。恵、ここまで準備しておいて、それは……」
 何の事かと顔を上げた少年の前で、古谷氏も呆れ顔だ。
 セイが手にしている封筒の中身の乗車券は、二枚あった。
 一枚は指定席の物だったが、もう一枚、テレフォンカード大の、固めのカードだった。
「?」
「こちらに訪ねて来た時の、乗車カードだな、全国共通の。無銭乗車させないようにと、前もって忍ばせてたんだろうけど……」
「あいつらしくないな。よほど、切羽詰まってたんだな」
 言いながらも、楽しそうな直は、ベンチに座った少年を見下ろす。
 訳も分からず見上げる少年に微笑み、古谷氏が言った。
「これなら、乗り越し金額を払えば、どうにでもなる」
 それからが怒涛で、実は今日まで恵と再会できていなかった。
 だから、古谷志門はぎこちなく見返しながら、同じようにぎこちなく見つめ、緊張気味に笑顔を浮かべる男に、挨拶した。
「ご無沙汰しておりました。本日は、よろしくお願いいたします」
「あ、ああ。久し振りだな。……志門、と呼んでも、もういいんだな?」
「はい」
 その再会を見守る少年たちは、初めて会う男を探る目を向けている。
 警戒していないのが不思議なくらい、危険な人物なのだが、男と会うことを許した古谷家や、石川家の太鼓判は、絶大だ。
 堤家は、既に廃れてしまって、原形が残っていないと言われているが、その前は厄介な術師として知られていた。
「いやいや、確かに初代の堤家当主は、厄介だったらしいんだが、今じゃあその足元にも及ばない力量の人間しか、育ってない」
 一歩引いたところで、自分達を見ている少年たちに、恵と名乗った男は気楽に笑った。
「余りにその道を極めすぎて、口に出す言葉全てが呪いになったと言われている程、厄介な人物だったらしい。まあ、大袈裟だろうとは思うが、語り継がれている話ではある」
 それでは日常生活にも支障があると、色々と規約を作り出したのも、初代だったと言われている。
 ひとことじゅ、と名付けられたらしいその呪法は、一つの単語にのみ呪いを込めて発するものだそうだ。
「普段使わない、単語の別読みの音に力を込めて、呪いにする手法、だな。これも、最近では出来る血筋がいなくなったから、衰退したと言っても、過言ではないんだ」
 気楽に説明する男を、従弟に当たる志門が不思議そうに見上げているのだが、その説明の何処までを不思議がっているのかまでは、少年たちには分からなかった。
「恵さん、これを渡すようにと、言い使っています」
 不思議そうに見上げていた志門が、話が途切れたのを見計らって、手荷物の中から白い封筒を取り出して、恵に手渡した。
 受け取った男は、中肉中背で晴彦と同じくらいの身長の、二十代男性だ。
 人の好さそうなその顔立ちは、堤家の家系だろうか。
 志門やその姉と、面影が似ている。
 封筒の中を取り出し、折りたたまれた便箋を開いた男は、そこに書かれた文章に苦笑した。
「……そうだった。うん、そんなつもりで今回連絡とったわけでもないんだが、これで返せるというのなら、有難い」
 一人頷いて、心配そうにしている志門に顔を向けた。
「他には?」
 含む問いに、少年は躊躇いがちに、ズボンのポケットを探った。
「……関係あるのかは分かりませんが、これを、若から手渡されました」
 家の鍵を付けたホルダーについた折り鶴を見せると、恵は目を細めてそれを指に乗せた。
「……少し、借りるぞ」
「はい」
 僅かに固くなった声に不審を覚えたが、少年たちが尋ねる前に男は気楽に笑いかけた。
「君たちが、志門と同級生の、市原さんと高野さんと篠原さんの、息子さん方か?」
「は、はい」
 慌てて三人が名乗るのを頷いて受け、改めて名乗る。
「堤、恵だ。志門とは従兄弟に当たる。うちの父親と、こいつの母親が姉弟なんだ。まさか、あの引っ込み思案が、こんなに早く学生として県外に出て来るとは、思わなかった。まあ、うちの事情が原因の引っ込み思案だったから、白々しいだろうが、本当に良かった」
「はあ」
 自嘲気味なその自己紹介に、どう返していいか分からず、三人が顔を見合わせている間に、恵は折り鶴を志門へと返した。
 そして、仕切り直すように明るい声を出す。
「さあ、まずどこから行きたい? 生憎と、運転免許証は持っていても、完全にペーパーだから、自動車は使えない。その代わり、交通機関の使いどころは頭に入っているから、心配するな。勿論、交通費はこちら持ちだから、遠慮なく希望を出してくれ」
 恐ろしく太っ腹な提案に、少年たちは歓喜した。
「い、いいんですかっ?」
「でも、オレたちまで……」
「これで、色々と借りが返せるんだ。気にするな」
 その位の予算は組んであると言われ、少年たちは遠慮しつつも希望を口にし始めた。
 社会人二年目で、自由な予算がある恵は、関西内の土地勘もあるらしく、少年たちの行きたいところを、近い順から案内し始めた。
 泊りがけと言う許可も貰っているので、一つの場所に止まる時間も長く取れ、活動的な同級生たちは、大満足の様だった。
「……」
 一人、何処と言う希望を言わなかった志門は、それぞれの場所にある土産屋を散策していた。
「篠原君は、女の子が好きそうな物が、分かりますか?」
「アクセサリーや、美容品関係かな? 岩切にと言うなら、手裏剣とか実用的なものの方がいいかもしれない」
「ふり幅が、大きいんですね。勉強になります」
 だが、ますます迷うと、志門は唸っている。
 こういう時は、大人の意見も欲しいと振り返ったが、恵の姿が見えない。
 先程までいたと知る和泉が、きょろきょろと辺りを見回し、トイレの陰にそれらしい姿を見つけた。
 声を掛けようとして、気づく。
 誰かと、一緒だ。
 身を隠すようにしているその誰かは、大柄に見えた。
「……」
 土産物を吟味して唸っている志門を一瞥し、和泉はそっと店から離れた。

 大男たちは、初めて会った若者に、無感情に切り出された。
「捨て駒になる覚悟は、あるのか?」
 自分達よりも見下ろす程に小さい若者が、見上げながら言った言葉に、大男たちは激高し、恵は宥めるのが大変だった。
 だが、若者の方はその苦労に頓着しない。
「その位の覚悟もない者が、何人揃っても足手まといなだけだ。こちらが話を進める前に、さっさと帰れ」
「ああっ? てめえっ、偉そうに……」
 殴りかかろうとする大男の一人の前で、若者は無感情のまま、一歩も引かない。
「敵を欺くなら、まずは味方から。そんな言葉があるんだろう?」
「……味方を欺く? それは、北森を裏切るという事か?」
「あんたたちが捨て駒になってくれるのなら、北森家の膿みだしも楽に済むし、林家への潜入の糸口も、見つかる」
 無感情に説明する若者を見つめ、大男の一人が小さく唸って考え込む。
 恵が職場を退職したと聞きつけ、誰かと会っている場所に乗り込んで来た大男たちは、まだ若者と名乗り合っていなかった。
 だが、若者の方には自分たちのことが伝わっていたらしい。
 北森家は、獣の中でも見つけるのが難しいとされるものを、式神としてきた家柄だ。
 妖怪になるのもまれで、その上狂暴なその獣を、それ以上に凶暴な力で御し、その上で従えて来た一族だった。
 その中でも比較的若い彼らは、三代前から北森家に仕えていた。
「無理強いはしない。捨て駒がいようがいまいが、やる事は変わらないから。私としても、信頼している者に話を持って行く方が、楽なんだ」
「……林家に、潜入と言ったな?」
 考え込んでいた大男が、慎重に尋ねた。
「何故、潜入するつもりなんだ? あの家は、人間にはさほど、害はない筈だろう?」
 全くないとは言えない。
 現に、継承の儀の前後の、公にされない犯罪が、行われている事を、この手の一族は把握していた。
「そのさほどない害が、数代前から行われているという事は、把握しているか?」
「ああ」
 言葉尻を拾った若者の問い返しに、大男は苦い顔で頷いた。
 問い返しの内容で、軽く返事がもらえたが、余りいい塩梅ではない。
「玄人の術師連ですら、防げなかった害だ。お前さんのような、力のなさそうなガキが、あの家に潜入したからと言ってどうこう出来るとは思えない」
 何故かそこで、恵が息を呑んだ。
 驚いたように目を剝き、若者を見る。
 その目を見返してから、若者は無感情に頷いた。
「勿論、潜入するのは私じゃない」
 答えてから、大男たちを見回す。
「でも、それを、あんたちに説明する義理は、感じない」
 言い捨て、恵を見た。
「場所を変えるぞ。今度は、もう少し見つけにくくする」
「は、はい」
 招いていない大男たちから、背を向けた若者に続こうとした恵を、鋭く呼び止める声があった。
「待てっ。お前、うちのお嬢を、裏切る気かっ?」
 声を上げたのは、一番若い男だ。
 血気盛んなその大男は、若者を睨みながら恵を咎める。
「婚姻まで考えてるお嬢を、そんなどこの骨とも分からん女のために、裏切るのかっ。どんな理由であれ、お嬢を傷つけるのは、許さ……」
「恵」
 無感情な声が、一言でその啖呵を遮った。
 立ち止まって振り返った若者が、男に微笑みかける。
「は、はい」
「黙らせても、いいか?」
「もう、黙ってますから、それ以上は、止めてやってください」
 微笑んでいるのに、声音も目も無感情な若者は、男の答えを聞いて失礼な事を言った大男に目を向けた。
「っ」
「わ、若。落ち着いて下さい。仮にも、他家の式神です。消したら不味いです」
「こんな、体力しかなさそうな奴、一匹いなくなった所で、分からないんじゃないのか?」
 喧嘩を売るような物言いなのに、それを聞いた大男たちは激高することなく、只硬直した。
 それに気づかずにする恵の慌てたとりなしも、歯にものを着せないものだ。
「こんな大きい男が、一人消えてしまったら、流石に気づきます。物量だけは、半端ないんですからっ」
「それを気づかせないようにするのも、私の力量次第だろうに」
「そう言われると出来そうで、反論できないので、本当にやめてくださいっ」
 焦った男の言い分を、硬直したまま聞いていた大男の一人が、ようやく声を出した。
「……あんた、まさか」
 この中で年かさの方の男は、その正体に心当たりがあった。
「術師泣かせか?」
 恵が、血走った目で振り返った。
 これ以上、余計な事を言ってくれるなと、その目が言っている。
 そこまでこの男に気遣わせる存在は、余りいない。
 その余りいない中の存在に、この若者は少なくとも入っているようだ。
 微笑んだまま自分に目を向ける若者に、身が縮む思いをしながらも、低い声で切り出す。
「……北森家のお嬢さまに、恵の護衛を任されている、時雨(しぐれ)と言うものだ。何を企んでいるのかは知らないが、我々に黙って、その子を連れていかれるのは、困る」
 絞り出した文句に、若者は小首を傾げた。
「北森家とは、破断したんじゃなかったのか?」
「……その、つもりだったんですが」
「はあっ? お前、いっちょ前に、お嬢の求婚を蹴ったのかっ?」
 声を上げる若造に見向きもせず、若者はまだ首を傾げていた。
「……そうか。本当に北森家から来たのか。ならなおさら、無関係にした方がいいな。てっきり、こちらの思惑に乗ってくれる奴が、偶々寄って来たと思ったから、捨て駒になってくれるか、訊いて見たんだけど、違ったんならこちらの早とちりだ」
 主の有無は、中々分かりにくいなと呟く若者に、時雨と名乗った男が躊躇いがちに問いかけた。
「あんたの思惑と言うのに、オレたちが乗るだろうと、そう思ったのか?」
「乗ってくれれば、楽だなと思っただけだ、気にするな」
「いや、気になる。何故、そう思ったんだ?」
 大男の中で、比較的小柄な男が、慎重に尋ねた。
 黙って見返す若者に、慌てて名乗る。
「そっちの時雨と同じく、恵の護衛の氷雨(ひさめ)だ。こっちは……」
 氷雨に目で促され、もう一人の若い式神も不服そうに名乗った。
「……春雨(はるさめ)
「年が離れた兄弟だな」
 無感情な声に頷きながら言われ、三人が身を竦ませた。
「それに、本当に北森家の者か? あの家の式神は、全員が一定の獣だ。あんたらは、どう見ても違う」
「三代前から、仕えていたのは事実だ」
 絞り出して答えた時雨を見、若者は再び頷く。
 そして、短い名を名乗った。
 その上で、先の質問に答える。
「林家に、遺恨があるだろう?」
「何で、そう思ったっ?」
 春雨が勢いよく問うが、若者と真っすぐ目があった途端、すくみ上った。
「質問ばかりだな」
「答えによって、あんたの頼みを聞いてもいい」
 慎重に、時雨が切り出すと、恵が溜息を吐く。
「そんな半端な条件で、こちらの事情は話せない」
「何だと?」
 人のいい人相の割に、冷酷と言われた堤の親族は、大男たちを見回して、きっぱりと言った。
「今までお世話になったが、ここまでだ。あんたたちは、ここで何も見なかった」
「恵っ?」
「お嬢には申し訳ないが、この機会を逃したくない」
 強い意志で睨みつけ、三人を順に見据えた男に、氷雨が呼びかけた。
「……捨て駒になると言えば、一枚かめるのか?」
 弾けるように自分を振り返った兄弟に構わず、真顔な大男が続ける。
「確かに、遺恨がある。私個人が、出来れば自分で晴らしたい遺恨だ」
 次男の言葉に勢いを萎ませた春雨は、救いを求めて長男を見る。
 時雨は、溜息を吐いて若者を見た。
「……我らは、種族の群れの中で生まれて育った、血の繋がった兄弟だ。本来ならば、生涯群れを離れる事はない筈だったが、少々、人間といざこざがあって、我ら三人は三代前の北森家に拾われた」
 あの家の式神とは、全く違う生き物だった為、信頼されるまでが長かった。
「ようやく、あの方のひ孫のお嬢の世話係にまで、上り詰めた所なんだが、林家に潜入することができるというのなら、一枚かみたい」
 真剣に言い切った大男を見て、何故か男と若者は妙な顔になった。
「……何で、こうなるんだろ」
「成程、これが、直が言っていた現象ですか」
 意味不明な事を呟いた二人に、三人の大男が加わったとある計画は、翌日の今日、確実に進められていた。

 時間になるまで高校生たちを引率していた恵は、目を盗んで時々こっそりと彼らと合流する。
 従弟の志門が土産を吟味しているのを確認しつつ、ここで最終確認が行われた。
「手筈通りに頼む」
 短く言い、これから行う、引き渡しの手順も確認する。
「……ガキどもは、まずあそこに連れて行くんだな?」
「ああ。あそこなら、簡単には見つからない」
「で、例の場所に行くのが、命がけって事か」
 春雨が緊張気味に呟き、不安を口にする。
「間違いなく、その化け物はここにいるんだよな?」
「ああ。先程確認した。例の側近のお二人は別行動で、そのうちのお一人と問題のお二方が、一緒にこちらに来ておられる」
 その二人が、彼らを害する前に、無事あの連中の元に行かなければ、膿みだしは成立しない。
 そんな不安は、先程解決した。
「……例の奴は、いつでも助け出せる場所にいると、そう言っていた」
 氷雨が、何とも言えない複雑な顔で、そう告げた。
 急遽、若者に連絡を入れて確認したところ、突然現れたその助けは、大いに役に立つとのことだった。
 恵も半信半疑なのだが、若者には完全に信頼を置いている。
 きっと大丈夫だろうと頷き、それでも念を押した。
「どうであれ、相手が相手だ。最期まで気を抜かずに、頼む」
「分かった」
 三人が去った後、気を取り直して少年たちに気を向けると、予想以上に近い場所に、一人の少年がいた。
 その後ろに、心配そうな志門がいる。
 不審感をあらわにした篠原和泉が、恵を睨んでいた。
「……あんた、何を企んでる?」
 男は眼鏡の少年に向き直り、悪びれなく笑って見せた。
「何を、企んでいるように見えた?」
 顔なじみの男と違い、意外に気が弱い恵は、内心緊張しながらも表面では余裕をかます。
 昔から、何故かそれがうまく行き、何事も大事にならずに済んでいるのだが、今回も少年がたじろいだ。
「そ、それは……」
 躊躇ったところに、すかさず言い切る。
「その企みを今更知ったからと言って、お前たちの今後が、変わるわけじゃない」
 目を見開いた和泉に、男は微笑みながら続けた。
「諦めも、時には大事だ」
 和泉の隣にならんだ志門が、息を呑む。
 その手に紙袋が下がっているのを見て、恵は頷いた。
「そろそろ、他の二人も戻って来るだろう。行こうか」
「恵さん」
 いつもの声音で切り出したのに、従弟の少年は何かを察したらしい。
 建物の陰から歩き出した男に呼び掛け、言った。
「……成功を、祈ります」
 短い言葉に、深い思いが込められている。
 ぐっと、何かがこみ上げそうになるのをこらえ、こちらも短く答えた。
「頼む」
 何故か落ち着いて後に続く志門に続き、和泉は戸惑いながらも歩き出した。
 今聞いた話は、自分達を拉致して、誰かの元に連れて行く計画だった。
 他の二人と合流し、駅へと歩き出すと、恵が説明した。
「今日、お前さんたちが泊まる場所は、ある家の社宅だ。温泉もご馳走もない宿だが、殺風景な所も見どころにはなるだろう?」
「物はいいようですね」
 高野晴彦が、明るく相槌を打つ。
「だろう? まあ、それだけではあんまりだから、親交を深めるために、カラオケにでも行くか」
 幼馴染二人が、目を輝かせて喜んでいる。
 注意を促そうにも、只の聞き違いかも知れず、証もないのに騒ぎ立てるのはどうかとも思っていた。
 黙ってしまった和泉を、心配そうに見やりながら、志門も何も言わない。
 そんな二人の様子を不思議に思いつつ、市原凪と晴彦は歩き出した恵の後を、軽い足取りでついて行く。
 道路の脇に、グレー色のワゴン車が止まっていた。
 その運転手席の窓から顔を出し、気楽に手を振る男がいる。
 恵も軽く手を振り、少年たちを促した。
「オレは運転できないが、運転できる知り合いはいるんだ」
 志門が意外そうに目を丸くしたのを見て、恵は楽しげに笑い、後ろのドアを開いた。
 そして、顔を強張らせた。
 先客がいた。
「え。誰?」
 素の声で思わず尋ねた恵に、少年たちを招きながら、運転席の男が言う。
「オレの、兄と姉だ」
 ほんわかと笑った男は、後部座席の窓際に座る二人を、気楽に紹介した。
「シィとミィだ。オレが仲良くしている人間を、観察するのが趣味なんだ」
 黙ったままの男女は、運転席の男より小柄で、色白の所以外はあまり似ているようには見えない。
 が、固まった恵に、丁寧に頭を下げ、そんな男の様子に戸惑う少年たちに、無言のまま手招きした。
 女の方は、引き攣りながらも笑顔らしいものも浮かべている。
「……単に、人付き合いを、余りしていないから慣れていないだけで、取って食うわけじゃないから、警戒はしないでやってくれ」
「はい。お邪魔します」
 そう返事して、女の隣に座ったのは、志門だった。
 興味深そうに、鼻をひくつかせる女に笑いかけるのを見て、凪も男の隣に乗り込む。
 後ろの凪の隣に晴彦が、自分の隣に和泉が乗って来るのを見てから、志門はこっそりと運転席の男に話しかけた。
「キィさん、お師匠様の所に、戻ったのではなかったのですか?」
「戻ってたぞ」
 助手席に恵が乗ったのを見て、男は自動車のエンジンをかけ、少年にほんわかと答えた。
「のんびりと、お師匠さんの世話をしてたら、風の噂で聞こえて来たんだよ。あの国が、再び荒れたってな」
 エンジンをかけ、座席を微調整しながら、男は続けた。
「……静が、世話になったと聞いた。だから、これは礼も兼ねた手伝いだ」
 意味ありげな言葉に、和泉の目が再び険しくなる。
 小さく唸って、恵は振り返った。
「……事情の説明は、人の耳を気にしなくてもいい場所でする。だから、そう睨まないでくれ」
 内心で慄いているのが分かる言葉を、運転席の男は吹き出しそうになりながらも聞き流し、自動車を発進させたが、志門は心配そうに従兄を見つつ、隣に座った同級生を宥めた。
「篠原君、恵さんは、とてもいい人なんです。そんなに嫌わないでください」
「何処が、いい人なんだ? お前、育児放棄された挙句、古谷に拾われたんじゃなかったのか?」
 目を丸くした志門の代わりに、後ろの座席に座った晴彦が、間抜けな声を上げた。
「そう言う話で、伝わったのか、篠原の方には?」
 運転席では、遂に噴き出した男が、それでも危なげなくハンドルを捌き、助手席では恵が頭を抱え込んだ。
「ああー、その認識は、殆ど正解だ。その原因は、大部分が志桜里の前の当主の、うっかりミスだ」
「?」
 とんでもない堤家の失態で、出来れば詳しい話は端折りたいが、まずはここから誤解を解かねばと、恵は重い口を開いた。


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