平和は心のうちに

文字数 1,270文字

 「平和」とは一体何だろうか。
 「戦争」の対極の言葉?
 しかし、戦争を行っていなくても、貧困や飢餓などで平和とは言えない国もある。
 本当の意味での「平和」を私は知らない。

 日本は戦後62年を経過した。
 戦争ほど悲しいものはないと多くの戦争体験者は語る。どちらか一方ではなく、争いあっている者全員が傷つき、無関係な人間をも巻き込んで、大勢の人々に傷跡を残す。
戦争体験者が高年齢化し、戦争を知らない世代が政治を担う時代になった。戦後レジームからの脱却ということで憲法改正などが議論されているが、今この島国で生活している人間の多くは、戦争による苦しみや痛みを正しく理解していないだろう。私もその一人だ。
 戦争のない日本は平和だと言うが、そもそも「平和」とは一体何なのだろうか。
 確かに、今の日本では食べ物にも困らないし、空襲に怯えながら防空壕で眠ることもない。秩序あり、発言も自由にできる。穏やかで平安な日々を過ごせているということは、平和であると言えるだろう。しかし、殺人やいじめなどの社会問題は依然多くある。これらの社会問題も、戦争と同じ「人間同士の争い」だと思う。
 戦争の多くは国と国、宗教と宗教の対立からだ。だが、国や宗教を構成するのは、人間である。人間同士の争いという点で戦争は、殺人やいじめと根本が同じなのではなかろうか。
 それでも人間は争うことをやめようとしない。自分の権利や主張を通すため、それに反する者を傷つける。逆に、自分自身や愛する人を守るために他人を傷つける。この連鎖で、人間は出口のない争いの迷路に入りこんでしまうのだ。
 争いは悲劇を生む。先に述べたように、全てを巻き込んで、大勢の人間に精神的にも肉体的にも傷を負わせる。もし、争いあう人間の誰かが「争うことは無駄で意味の無いこと」と気づけたなら、この争いの迷路から抜け出すきっかけができるかもしれない。
 人類の戦争の歴史は長い。戦争が本当に世界から無くなった日は三週間だけだという説もある。この説に準ずるとするならば、平和であることが異常であって、戦争状態が通常だということになる。そのように考えると、日本もいつ戦渦に巻き込まれるかわからない状態であると言える。
 今現在、日本は戦争をしていないが、「人間同士の争い」は多い。そういった意味では、
「平和」であると一概にはいえないのかもしれない。でも、大多数の人間が「日本は平和である」と思い込んでいる。実はこの思い込みこそが、平和の原動力なのではないだろうか。
単なる「平和ボケ」と言われてしまえばそれまでだが、つまらないことでも笑える日常こそが平和なのだ。平和とは、個人個人の心のうちにある幸福な思想の一種だと私は考える。
 平和な世の中に暮らしている人間は、実際には「平和」を願う意味すら理解していないのかもしれない。

 人間同士の争いは、我々が人間である以上なくなることはないだろう。
 それでもやっぱり「平和」であることを祈らずにいられないのは、
 少しでも人々が平穏に過ごせることを心のそこで願っているからなのだと思う。
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