第1話

文字数 1,996文字

(今夜もあいつがやってくる)


 きっかけは些細なことだった。雪など滅多に降らない地元で、観測史上最低気温を記録した極めて稀な夜だった。

『ミャァミャァ』

 執筆は深夜になることが多い。僕は台所で(ひと)り、キーを叩いていた。

『ミャァミャァ』

 ん? なんだ……気のせいか。

『ミャァミャァ』

 断続的に休んで耳を澄ますが違和感の正体がわからない。
 だんだんと集中力が散漫になってくる。
 仕方がないまずは原因の究明を……

 室内に異変はなく、はたと玄関を開けると即座に事件は解決した。
 一匹の猫がブルブル体を震わせ、ちょこんと座っている。
 野良猫ではない。隣の家の猫である。
 所謂、外飼(そとが)いの猫。飼い主は断じて家に猫を入れない。まあ、完全なフリー状態。

「ほう?」
 僕にはこの状況が珍しかった。その猫は僕の家族には懐いていたが僕の姿を見れば脱兎(だっと)の如く逃げるのが常だったからだ。

「なるほど」
 極寒、生命の危機、深夜に明かりが灯っているのはこの家だけ。

「背に腹はかえられぬ……か」
 僕は何だか可笑しくなって、猫の通り道を作る。

「どうぞ」『ミャァミャァ』「開けるのが遅いと非難してる?」

 猫はシンクの下のマットに辿り着きくるんと丸くなった。


 僕は放っておくことにした。暖房はないが外より遙かにましだろう。今回は想定外の寒さで緊急避難的な措置なのだ。
 それに元々、僕は犬派なので積極的に関わりたいとも思わなかった。

 椅子に座り直す。ギアを入れ替え執筆しちゃおう。

「ひゃぁ!」
 その時、何かが起こった。最初はなんだか分からなかった。
 いきなり僕の(ひざ)に猫が飛び乗ったのだ。
 驚いて固まっていると猫は股間辺りをふみふみ。やがてジグソーパズルのピースみたいにすっぽりと収まったのである。

 なるほど。今宵(こよい)はそれほどまでに寒いのか。
 僕は少々、お酒を飲んでいる。その火照りのせいで寒さを実感していなかった。

 暫くはそのまま執筆を続けた。が、ふと困った。お腹が減ってきたのだ。
 しかし動けない。猫に馴染みがないだけに、どかしてしまうのも(はばか)られ……

 テーブルには深型のステンレスボールが置いてある。
 覗き込むとそれは大量のキャベツだった。
 我が家では野菜をなんでも塩昆布で和える。即席の漬け物。
 一晩寝かせようと家族が仕込んでいたようだ。

 さて……
 酒のつまみには秀逸でも、こちらは腹が減っている。手の届く範囲には……

 竹ざるに食パンが1斤、無造作に放り込まれてある。

 閃いたっ!
 食パンを一枚抜き取り、塩昆布で和えたキャベツを挟み込む。

 バリッ。モグモグ。バリッ。モグモグ。
 冷たい夜に冷たいパンと冷たいキャベツ。
 程よい食感の後で昆布の旨味が後を引く。


 お腹は満たされ、猫は相変わらず僕の股ぐらでぐっずりと眠っている。
 僕達はそのまま朝を迎えた。

 



(今夜もあいつがやってくる)

 それはもう習慣になっていた。そう、あの夜から僕達は仲良くなったのだ。
 あれほど警戒していたのにどうして急に懐いたのかと家族が不思議がるほどに。
 けれど猫が再び僕の膝に飛び乗ることはない。やはりあれは特別だったようだ。

 『ミャァミャァ』その代わり一つ要求をされることとなる。

「はいはい。わかってますよ」
 削り器でシャカシャカと鰹節(かつおぶし)を削る。現金なもので、削り出せば猫は鳴くのをやめる。

 給仕すれば、さも当たり前のように、はふっはふっと食べている。
 一撮(ひとつま)み口に入れるとそれは雪のように融けた……さて。

 猫にばかり旨い物を食わせるのでは癪に障る。


 僕は湯呑み茶碗に日本酒を注ぎ、それを半分ほど、くぃっと飲む。

 残った日本酒に牡蠣油(オイスターソース)魚醤(ナンプラー)を垂らす。
 塩と胡椒も適量。つまりは合わせ調味料。



 フライパンを火にかける。

 暖まるまでに卵を二つ溶いておく。

 卵を注ぎ、火が入り過ぎない内に別皿に移す。

 フライパンを温め直し、ご飯を入れ合わせ調味料を加える。

 ここですかさず、先ほどの卵をフライパンに戻す! 

 半熟卵で蓋をして蒸し焼き状態。これがポイント。

 味が回りご飯がふっくらした頃合いで卵に穴を開ける。

 アルコールを飛ばして、最後は全体を軽く混ぜ合わせれば完成。



 
 ……さて。『ミャァミャァ』そうだよね。あの量では足りないよな。

 僕は改めて鰹節を削る。『ミャァミャァ』そっ、なんたって削り立てが最高さ。

 
 猫様に献上してからそれをこれでもかとチャーハンに振り掛ける。

 そう、これが犬派から猫派へと禁断の宗旨替(しゅうしが)えした、僕の特別な夜食。

 具は卵だけ。ネギさえもなし。だけど味はシンプルってわけじゃない。

 複雑な魚介(きょかい)の旨みが混じり合い、臭くなる寸前の、絶妙な頃合い。



 うん。美味いっ! 我ながら上出来。

 深夜の執筆で、小説は兎も角、料理の腕前だけは上がったようで、


『ミャァミャァ』 あ、ごめんごめん。わかってるよ。


 こんなに美味しいのはきっと、

 君と一緒に食べるから……なんだね。


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