試験問題の消失

文字数 4,273文字

「生徒がカンニングした理由がわからないんです」
 私たちは高校教師に呼び出された。
 そこにいたのは二人の生徒。一人は突抜くん。彼はいつもテストで満点を取る優秀な生徒。しかし今回に限っては、九十八点。一問だけ間違えてしまったのだ。
 もう一人の生徒は、放出くん。素行があまり良くない生徒として、教員の間では、警戒されている。テストの成績はほとんどよくない。赤点を取ることもあり、今回のテストでも留年がかかっている。
 問題となったのは英語のテストだ。こちらの高校では、大学入試センター試験の英語リスニング問題に近い形を採用している。個別のリスニング機器と専用イヤホンを生徒達に配布する。生徒達は片耳にイヤホンをかけ、回答していく。
 教師によれば、リスニング試験の途中、ひとりの生徒がきょろきょろして、立ち上がったという。明らかにあやしい行動なので、彼女はカンニングではないかと疑った。試験後に、その生徒と前の席に着く生徒の答案を確認する。
 すると二人ともに同じ間違いがある。
"They were dancing in the dessert, blowing up the sunshine."
 聞き間違いではなく、あきらかな書き写しによるミスだ。
 カンニングをしたのは、優秀とされる突抜くんであった。
「耳ではなく、目にたよる理由ができたのだろう」

 そういうと万次郎さんは立ち去ろうとした。
「あとは君に任せるよ。私たち探偵の報酬は歩合制。"事件"を解決するのが私の仕事だから」と私にいって。たかだかカンニングとはいえ、依頼された事件だからこそ、解決しなくてはいけないというのに、万次郎さんはいつもながらに勝手で意味不明だ。それになぜ、あんなにぷるぷると震えていたのだろう。まるでオシッコを我慢しているかのようなそぶりだった。そして去り際に「整理されて自然な話。君でも解ける」という言葉を放った。他に抱えている仕事がたくさんあるのはわかるが、めんどうな仕事を押しつけられた感じがしなくもない。

 ◆

 私が事件の詳細を確認しようとすると、しびれを切らしたのか、放出くんが口火を切った。
「要するに、突抜は俺の答案を見たんだろ」
 イラだっているようでいて、どこか得意げな口調だ。だが、彼の意見はおそらく正しい。まずは現場の状況を確認しよう。
「試験中の座席は放出くんが前、突抜くんがその後ろであることは間違いありませんか」
「はい、その通りです」
「リスニング試験の途中、突抜くんが立ち上がり前の席に座る放出くんの答案をのぞいているように見えた」
「そうです」
「では、カンニングをしたと確証した理由は何だったのですか」
「それはスペルミスです。放出くんの答案用紙には、"dessert"という記述がありました。つまりパイやゼリーなどのデザートという意味の"dessert"と書かれています。英文として意味が通るためには"s"を一つ削った"desert"つまり沙漠であるべきなんです」
「……なるほど。けれど、それは単なるスペルミスですよね。誰にでもあるのではありませんか?」
「だからこそカンニングだと思ったのです。普段の彼ならスペルミスなんて絶対にあり得ない。実際、これまでのテストはすべて満点。英単語の書き間違いなんてするはずがないのです。特別な理由でもないかぎり……」
「特別な理由、ですか」
「片耳が聞こえなくなったんでしょう」
 そう言うと教師は、突抜くんのほうを向いた。彼は目をそらした。おそらく教師のいうことは正しいのだろう。突発性難聴という病気がある。前触れもなく片耳の聴力が著しく低下する。中年に多いとされるが、高校生程度の年齢でも発症することがあり、実際に多くの症例が報告されている。
 だとすれば、すべての話につじつまが合う。リスニング試験の途中に、突然と音が聞こえなくなる。体験したことがない人からすれば、たかだか機械の故障だと思い違えて挙手するはずだと考えがちだ。しかし病気との向き合い方が人それぞれ異なるように、予期せぬ試験問題の消失への対応もまた千差万別。つまり突抜くんがとった行動は答案用紙の空白を埋めることだったということになる。
「頼れる人物がいたのでしょう」
 教師は突抜くんに問いかけた。
「突発性の難聴となったところで、試験が途中で止まるわけではない。試験時間の延長もない。自分の片耳から一切の音が消えるという想像すらしない出来事にとまどいを抑えきれず、立ち上がってはしまった。けれど君は優秀な生徒。空白を埋めないといけないという責任感にかられた。すると目の前に頼れる人物の答案が見える。横でもなく斜め前でもなく、目の前にいた放出くんという頼れる人物の答案が見える。優秀な生徒である突抜くんは、それだけ放出くんの能力を信頼していたということでしょう」
 カンニング被害にあった放出くんは状況を理解してはいないようだが、顔が得意げににやけている。その表情はまるで、優秀な生徒に自分の答案をのぞかれたことに気をよくしているようであった。おそらく彼にとっては理由やプロセスなんてどうでもいいのだ。不良という烙印を押されていた彼からすれば、棚からぼた餅のような状況なのかもしれない。

 ◆

「放出くんは被害者なんだ、そろそろ解放してあげなさい」
 スッキリした表情で万次郎さんが教室に入ってきた。
「それもそうですね。付き合ってくれてありがとう。これからも勉強がんばりましょうね」
 教師に見送られ、放出くんは得意げに教室をあとにした。それと同時に刺すような勢いで万次郎さんが、私に言葉を投げかけた。
「基本すぎたかな。君もさすがに気づいたのではないか」
「なんの話ですか」
「過剰な整理。自然であろうとするせいで不自然な話だ」
 万次郎さんに言われて教師との会話を思い返してみる。言われてみればなぜだろう、必死に説得されたような感じが残っている。突発性難聴でカンニングをしたんだとか、放出くんは頼れていたんだとか。まるでどこか、被害者の自尊心を持ち上げるかのように。
 私の考えがまとまらないうちに、万次郎さんは口を開く。

「この事件は最初から解決していた。不良生徒の更生をもくろむドキュメンタリーだったんだろうな」

 万次郎さんの唐突な発言に私は驚く。けれどなるほど、放出くんは素行の良くない生徒として知られていた。教員が警戒するほどに。大概のところ、不良の生徒なんて見放されて終わりだ。けれどこの学校では違ったということか。
 教師は万次郎さんにたずねる。
「どこにそんな証拠があるんです」
「片耳のイヤホン」
 教師はそのままだまりこんだ。その一点だけが唯一の落とし穴であることがバレてしまったかのようにうつむいた。
 この学校では、センター試験のリスニング問題に形式を似せているといっていた。たしかに個別の機器を生徒達にわたすところまではよく似せている。けれど、わざわざ片耳にする理由こそが不明確だ。イヤホンを片耳にしたところで、リスニング機器の費用が安くできるなんてメリットも当然ないだろう。だとしたらたしかに、片耳のイヤホンを採用している点はあまりにも不自然だ。まるで最初から片耳の難聴によるカンニング騒動が起こると決まっていたかのように。

 ちなみにウソを見抜く方法について、アリゾナ州立大学が企業の社長が行ったスピーチをもとにして研究している。その結果、人間がウソをついているときは「話が普段より長くなる」「話の細部まで語るようになる」といった傾向があることがわかった。表情や仕草などで、虚偽を見抜くことはほとんど不可能だとされているが、言葉をたよりにすることで真実をたぐることができる。

「それと、これは将来的な参考としての補足情報だけれど」といって、万次郎さんは私たちにウソをつく必要があるときに、バレない方法を教えてくれた。カリフォルニア州立大学が行った実験で判明したのだが、人間は尿意を抑えようとしているときほど、ウソをついてもバレづらいそうだ。ウソで人を欺くには、相手が信じこむ都合の良い話を作り上げる必要がある。そのためには自己制御機能が必要となる。尿を我慢する自己制御機能と聞き手を欺くための自己制御機能は同様に働くというのだ。つまりオシッコを我慢しているだけで、制御機能が勝手に高い状態で維持されてウソがバレづらくなるという。

「万次郎さん、さっき部屋を出て行くときプルプル震えてましたよね。もしかして仕事があるってウソだったのでは」

「これは個人的な推測ですが」といって、万次郎さんは教師に尋ねる。私のことは無視をしているようだ。本当にご都合主義な人物で困る。

「先生は、本を書くような仕事についていたのではありませんか」
 万次郎さんがいうにはこうだ。書籍を作る仕事というのは、一つテーマを決める。そして決めたテーマに合わせて最適な情報を集め、都合にそぐわない情報は最小限に切り落とすこともあるという。たとえば仮想通貨が儲かるという本を作る場合には、仮想通貨の利点や注意点を中心に情報を集め、もくじに合わせて配列していく。情報をそろえるにあたり、仮想通貨が儲からないとか将来性が危ないという情報に出くわしたとしても大々的に盛り込むことはない。なぜなら「仮想通貨は儲かる」というテーマにそぐわないからだ。その工程はまるで盛大なドキュメンタリー制作のように聞こえる。
 つまりこの"事件"とされていたカンニング騒動は、はじめから仕組まれたものであった。まるで一冊の書籍を作り上げるかのように、教師によって脚本が書かれたドキュメンタリー。そしてそのテーマ、つまり目的とは、不良生徒に自信を持たせること。優秀な生徒から信頼されて答案用紙をのぞき込まれるような体験をすれば、きっと勉強に励むようになり、悪いとされていた素行も良好になるだろうと。
 とはいえ、優秀とされる突抜くんのテストの点は98点とのことだった。不良の放出くんはカンニングされたことに気をよくしたかもしれないが、実際の回答は間違っていたということだ。ひょっとしたら今回の騒動、更生するどころか、不良を有頂天にしただけだったのではないか。
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