第1話

文字数 1,849文字

私、水際(みぎわ)久子は25歳。
中学生の頃から小説家を目指し、大学は文芸創作科に入って研鑽を積んだ。
文章がうまいと褒められ、ちょっとした雑誌の投稿欄に作品が掲載されたことはあるが、小説家の登竜門である文学新人賞に複数応募したものの、あえなく落選。
大学を卒業してからは出版社ではなく一般の会社に就職し、まだまだ捨てきれない小説家への夢を実現させるべく、暇さえあれば創作している。
インターネットの小説投稿サイトにも登録しているが、何しろ実績に乏しい無名の作家、いくら会心の作と自負してもなかなか読んでもらえない。
だから小説家として堂々と世の中を生きているのではなく、会社員という仮の姿に身をやつしているといったところだ。

そんな私が最近、羨望と憧れのまなざしを注いでいる女性がいる。
それは最寄り駅の改札を出て少し行ったところにある、ショッピングモール内のコーヒー店の常連客だった。
街の都市化のバロメーターのようにあちこちに見かけるコーヒーチェーン店は、ガラス張りでたいてい通りに面した場所にあるため、通行人から店内が丸見えだった。
特に窓際の席は外に向いていて、全身余すところなく人目にさらされていた。
コーヒーショップの客は女性が多いが、私が通りすがりに店に目をやると、窓際の席にはスタイリッシュな女性が並んで座っていることが多く、私はショーウインドウのマネキンを連想した。
彼女たちは一人用の丸テーブルに向かって座り、本を読んだり書きものをしたりしていた。店の前を通る人々を当然意識しているはずだったが、彼女たちは今していることに集中しているのか、人目を気にするそぶりを見せない。

そんなマネキンに似た彼女たちの中でも私が注目したのは、私より5歳ほど年上と思しき30歳くらいの女性だった。
彼女が店に来るのは休日に限られているらしかったが、私が電車に乗って出かけるとき、行きに覗くと彼女がいて、2時間ほどで用を済ませて帰りに通るとまだ彼女がいるという具合で、しかもいつも同じ席にいるので否応なく印象に残った。
そしてそれと同時に、彼女に対する興味と疑問がふつふつと湧いてきた。
休日の結構混んだ店で、まるで指定席であるかのように窓際の同じ席をキープできるのはなぜ?
彼女はマネキン席(と勝手に私が名付けた)にふさわしく、休日なのに仕事着のような服装をしていてスタイリッシュだった。
いつもテーブルにノートを開いてボールペンで書き込んでいて、私は霊感に打たれたように彼女が書いているのは小説だと確信した。
ノートにペンで草稿を書く、そのアナログな作業は私と同じで、想像を通り越して共感を抱いた。
そしてこれも想像に過ぎないが、私は彼女は小説家だと思いこんだ。
それも投稿するようなアマチュアではなく、すでに本を出版しているプロの小説家。
そんな小説家としての風格が、自身の指定席に収まって周囲の目もはばからず創作している彼女の姿から漂い出ていた。

私は柱の陰から彼女を観察した。
彼女は短めの髪をさらりと横分けしていて、うつむくと前髪が少し額に掛った。ごくたまに顔を上げて外に視線をやったが、それは束の間の休息といった感じで、またすぐに創作に集中するのだった。
私は一つ気になることがあった。
それは、周りの客のほとんどが店内用の蓋つき紙コップでコーヒーを飲んでいるのに、彼女はオーソドックスな陶器のカップだった。
マグカップとも違う、正統派のコーヒーカップといった趣の、金の縁取りのあるものだった。
マイカップという感じで持ち込んでいるのだろうか。
そのカップに注がれた琥珀色の液体は、エチオピアで生まれてアラビアに渡り、さらにヨーロッパに広がって、江戸時代に長崎の出島に伝来したコーヒーの来歴とスピリットを溶かし込んでいるように思えた。
そのコーヒーを飲むと、泉のごとく創作のインスピレーションが涌くようだった。

私は、コーヒーショップの窓際のマネキン小説家としてしか知らない彼女を、「先輩」として崇めた。一方的に視線を注ぐ憧れの先輩として。

5年後
私は駅前のコーヒーチェーン店の窓際の「指定席」で、丸いテーブルに置いたノートにペンを走らせている。
テーブルに置かれた金の縁取りの白いコーヒーカップからコクのあるコーヒーの香りが立ち昇り、小説のイメージを膨らませる。
私の作品は何冊か書籍化され、私は小説家として堂々とこの席に座ることができた。
小説家としての自信を糧に私は創作に集中したが、時折窓の外の柱の陰から私を見つめる熱い視線を感じる。

(了)
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