第1話

文字数 2,000文字

 もし、ひとつ願が叶うとしたら、ボクは青き大空を飛びたいと願うことだろう。
重力からの束縛を退けて、真実の自由をこの手に掴めるなら、たとえ命の終わりが明日となろうとも迷うことなく、その願いを告げることだろう。

今日も、仕事で遅くなり街は闇のベールを纏い始めていた。相変わらず、自分だけに余分な重力がかかっていると錯覚しそうな重い体で、地べたを這いずり回る虫のように湿った吐息を漏らしている。
 永遠に続くかのような夜を彷徨っていると、高速道路をくぐり抜ける小さなトンネルが見えてきた。歩行者しか通れないそのトンネルは、薄暗くて出口さえ見えない不気味な雰囲気を醸し出していた。昼間ならともかく、夜になると通る人もほぼいない場所だった。
 早く帰りたい気持ちが、ボクを躊躇無くトンネルに追い込んでゆく。夜の闇に紛れて入り口も出口も認識出来なくなったトンネルの中間辺りで、ボクの周りが突然に目映い光に包まれて視界と意識を奪った。

 太陽の香りで、意識を取り戻したボクは、ゆっくりと瞼を開ける。目の前に広がる青が瞳から溢れ出した。
「やっと、目を覚ましたのね」
 ボクの胸の上ですずめが声をかけた。
「なんで、すずめが喋ってるんだ」
 驚いて起き上がると、パタパタと翼を羽ばたかせて、ボクが寝転んでいた草原に舞い降りた。
「わたしたちは、鳥だけの世界に迷い込んじゃったみたいなの」
 目線を少しあげて、青い空を見上げると無数の大小の鳥たちが大空を舞っている。と言うことは、もしかしてボクも空を飛べるのじゃないかと思い、自分の姿を確かめる。
 腹は白く、足はひれがついて黒っぽい。腕を目の前に持ってきて、ボクは失望する。大空を飛べる翼ではなく、黒く平べったい腕だったからだ。
「ペンギンじゃん。なんでボクだけ鳥じゃないの」
「ペンギンも鳥類だからね」
「わかってるさ。そのくらい。キミはいいじゃん。飛べるんでしょ」
「そりゃあ、飛べるけどさ。体が小さいから、飛ぶのも大変だし。あの、トンビとかタカのように高い空は飛べないんだよ」
「もしかして、あの人達に襲われたりするの?」
「わたしも、ここに来て長くないけど、お腹は減らないから食べられちゃうことはないみたい。ちょっとした揉め事はあるみたいだけどさ。いろいろな鳥さんと話してみれば友達になれるし」
 ボクは、改めて自分のカラダを確かめてみる。足は短いけれど動かせる。手も物はつかめないけれど思い通りに動く。もしかしてと思い、うつ伏せになり手で体を支えて立ち上がってみる。
「なんだ、ちゃんと立てるんだ」
「ああ、自分の足で立ち上がったのは生まれて初めてかもしれないよ」
 ボクは、興奮気味の自分を落ち着かせて、足を一歩前に踏み出してみる。視界が変わって前進したことがわかると、交互に足を出してゆっくりと歩き回ってみた。
「歩いてるよ。ボク」
「もしかして、歩けてなかったの?」
「そう。ここに来る前は車椅子だったんだよ」
「実はわたしも、前の世界だとこんな美しい空も景色も見られなかったの。だから、キミの興奮もよくわかるわ。空が、こんなに眩しいなんて思わなかったから感動したわ」
 その言葉を聞いて、ボクは空を見上げてため息をついた。
「キミは、良かったね」
「ん?何か不満があるの」
「ボクは、ここに来るずっと前から、空を飛ぶことが夢だったんだよ。そりゃあ、こうやって自分の足で歩けることはいい事だとは思うけど」
 すずめの彼女は、木の枝に飛び上がり小首をかしげながら言った。
「そっかぁ。この世界に来る時、自分の希望とかのアンケートなんてなかったもんね」
「今のこの体だと、空を近くに感じるために、木にも登れやしないし」
「でも、わたしには出来なくて、あなたにだけ出来ることがあるじゃないの」
 ボクは、風に揺れる木漏れ日の下で考える。
「わかんないの。あなたはペンギンでしょ。海だったら、自由に泳げるんじゃないかしら」
「この世界に海なんてあるの?」
「わからないわ。でも、あの人に聞いてみれば知ってるんじゃないかしら」
 彼女は、木の天辺に止まっている大きな鳥のところに飛んで行った。
「ねぇ、あのワシさんが連れて行ってくれるって」
 ワシはボクを見て、大きな翼を羽ばたかせてやってきた。
「海は、あの小高い山の向こうにあるんだ。落ちないようにおとなしくしておいてくれよ」
 彼は、大きな両足でボクを掴むと、一気に大空に舞い上がった。
「また、会えたらいいな」
 彼女といた草原がどんどん小さくなってゆく。あっという間に山を越えて、空とは違う蒼い海が見えた。
「ここでいいかな。気をつけて」
「ありがとう」
 ボクは、自由落下を与えられてくちばしから海へと飛び込んだ。白い泡がキラキラ光る空へと登ってゆく。腕で水を掻き、スピードを上げてゆく。頭上に陽の光が大きく揺らぐ、重力の束縛から解放された世界にボクは存在していた。
「やっと飛べたよ」
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