第4話

文字数 4,530文字

「そもそも私じゃなく、ほかの人に頼みなさいよ。」
 そう。他のキャンパー客だってたまには来るだろうし、少なくとも管理人なら接触可能なはずだ。
「誰にも見えないのよ。私を見ることが出来たのは、あなたが初めて」
「妙ね。私も幽霊なんて初めて見るのに」
「そうなの? てっきり頻繁に見るタイプで、だから反応が薄いのかと思ってた」
 それは単に興味がなかっただけだが、顧みるとちょっとそっけなくしすぎたかもしれない。いつもだったら平謝りするところだが、彼女とは今後関わり合いはまずないだろうから、問題ないか。旅先はこれが楽だ。
 話は終わったはずだが、彼女は焚火から離れようとしない。寒いと言っていたのは事実なのか。もしくは、人と話すのが久しぶりだろうから、もっと話していたいのかもしれない。いずれにしても私にはいい迷惑だった。しかし、追い返すのも気力がいりそうなので、食事がすむまでは話し相手になってあげることにした。一通りおしゃべりすれば満足して去ってくれるかもしれない。
「なんであなたにだけ見えるんだろう。趣味が共通だから、とか?」
「ちがうんじゃない? 私、カメラは持ってるけど、星空とか、景色とか、草花とかは興味ないし」
「じゃあ、何を撮るのよ」
「野生動物。ちゃんと撮れたことはほとんどないけど」
 私は、初めてのキャンプ場での鹿との出会いを大まかに説明した。彼女は「ふーん」といった感じでうなずきながら聞いていた。他人の話を聞くのは苦痛でしかないが、焚火越しに自分語りをするのは案外悪くなかった。
「じゃあ、聞いていい? 自分以外に興味のない現代人さん」
 鹿との感動の出会いを聞き終えた彼女は言った。
「もし、目の前でその鹿たちが猟師に打ち殺されたとしたら、どうする? それでも平気でいられる? 同情しない?」
「え? そうだなあ。とりあえず、お肉を分けてもらえないか交渉するかな。ジビエ料理にも興味あるんだよね」
「ああ、そういう感じなんだ……」
「なに?」
「だって、ずっとカメラを持ち歩いてまで、焦がれているんでしょ。その鹿が殺されてもいいんだ」
「だって、それが狩猟でしょ。むしろ、それがあるから、野生動物でしょ。人間の庇護下にいない自由で危険な存在。そこに魅力があるんじゃない」
 想像してみた。数年前のあの朝、牡鹿に出会った時にもしも私が狩人で、手にはスマホではなく銃が握られていたとしたら、私はあの美しい生き物を撃てるだろうか。あの瞳から命の光が失われていくのを見届けることに耐えられるだろうか。
 うん。撃てるな。迷いなく。
「私は狩猟には肯定的なの」
「どうして? 狩りは命を能動的に奪う行為でしょ」
「私は別に、動物愛護家ではないしね。かといって、鹿が害獣認定されているからだとかそういう社会問題的な意見でもないわ。純粋に、狩猟はフェアだと思うの」
「ふぇあ?」彼女は理解できないといった声色で言った。
「必死に自然界で生きている動物を一方的に追い詰めて、銃をつかって撃ち殺すのよ。それのどこがフェアなのよ」
「フェアよ。狩人は鹿を殺そうとし、鹿は生きようとする。実に単純な構図で、だからこそ正しい関係だと思う」
「だからー」彼女が若干怒気をはらんだ声で言い返そうとするのを、片手を上げて制して続ける。
「確かに、人間側が武器を用いている以上、公平とはいえないかもしれない。でも、公正ではあると思う。だってその武器は人間の英知によって鹿を殺すために生み出されたものだもの。人間が地球を支配している以上、多数であり、有利であり、強力であり、強大であることは必然。不利で理不尽な状況下で戦わなければいけないのは弱者の定め。強者の立ち位置で力を振るえるのは地球を支配した人間の勝ち得た権利よ。」
 彼女は返答に困ったようで、口をつぐんだ。構わず続ける。
「そこに疑念や遠慮を差し込む必要はないと思う。強者の人間が『食べたい』と思ったなら、武器も道具も知識もすべてつぎ込んで獲物を狙えばいい。鹿は『生きたい』と思うなら、角を使おうが、蹄を使おうが、その場で可能なあらゆる手段を尽くして、文字通り死力を尽くして抗えばいい。そこに力関係の傾きはあっても、嘘はないはずよ」
「……それが狩られる側にとって、どんなに絶望的状況でも?」 
「ええ。嘘のない、フェアな関係だと思う。狩る側も、自分の意思で命を奪い、食べて血肉にする。この行為に嘘なんてあるわけない。」
 所謂極論だ。それはわかっている。こういう意見は確実に非難されるだろう。普段ならどんなに言いたくても、絶対口には出さない。
「私からすれば、スーパーで生前の姿も想像できない肉片状態のステーキ肉を、半額セールでうれしそうにカゴに入れる人の姿の方がよっぽど非人道的だと思う」
「あなたもさっきステーキ焼いてたべてたくせに」
「見てたんだ。ちなみにあれは近所のお肉屋さんで30パーセントOFFのお買い得だったの。つい買っちゃった」
 そこで彼女は肩を落としてふっと笑った。焚火を見ながら「狂ってるなあー」とつぶやく。
 しゃべりながらもちょくちょくつまんでいたので、アヒージョはすっかりなくなっていた。思いのほか、楽しんで話すことができたな。だが、そろそろ一人を満喫する時間を再開したい。
「悪いんだけど、そろそろ」
「うん。そうね」
 彼女はすっと立ち上がった。
「人と久しぶりにしゃべったわ。ありがとう」
「どういたしまして」
「頼み事は、また、見える人を見つけて頼むことにする。きっと、私たちは同じ境遇だから、あなたは私を見えたんだと思う。次のそういう人を待つわ」
 さよならを言うべきか迷ったが、口を開く前に彼女は消えていた。
 ふうっと自分でもよくわからない感情のため息をつく。ようやく一人に戻れた。そこまで長い時間ではなかったはずだが、焚火を挟む相手がいないことに少し違和感を覚えるのが不思議だった。
 気を取り直して焚火に薪を足し、食後のコーヒーの用意に移る。お湯がわくまでの間はまた読書を再開する。
 読み始めて数分で違和感を覚えた。いまいち内容が頭に入らない。なにかモヤモヤする。同じ行を3回読み返したところで、本を閉じた。できあがったコーヒーをコップに注ぎながら、考えてみる。
 結局、なぜ、私だけが彼女を見ることができたのだろう。「私たちは同じ境遇だから」と彼女は言った。改めて考えると、カメラを除いても、私と彼女は共通点が多い。同じ境遇とは、何を指した言葉なのだろうか。女性だから? 一人でキャンプをしているから? 友達や恋人がいないから? 家族と不仲だから? それはつまり・・・・・・ 
 いざというとき、誰も探してくれないから?
 考えが不穏な方向に流れ始めた。ちょっと待て。そもそもの話、なぜ、彼女は死んだんだ? 
 勝手に岩場での転落死と決めつけていたが、この山にそんな危険な岩場があるのか? それ以前に彼女は「星空がきれいなキャンプ場をいくつか巡って」と言っていたではないか。写真家であって星空が好きであっても、登山家ではない。普通にキャンプ場をソロで回っていたに過ぎないはずなのだ。そして、おそらく、このキャンプ場が彼女の最後の訪問地となったのだ。
 では、ますますおかしい。寂れた登山道で雪に埋もれたのならともかく、キャンプ場で死んだのなら、間違いなくすぐに発見される。そして遺体の身元調査が行われるはずだ。そうすれば、自動的に遺族に財産も送られるはず。私を頼る必要など無い。もしかして、崖にでも落ちて、まだ発見されていないのか? ここはチェックアウトの必要がないから、管理人も帰ったものと思って。いや、それならテントや荷物が残っているはずだし、そもそも彼女が乗ってきた車はどこに行った。私が気づかないのはあり得ても、管理人は必ず気づくはずだ。そして管理人が不審に思って通報を・・・・・・
 その管理人が、彼女の死を知っていて、通報しなかったとしたら?
 私は、口もつけていないコーヒーをゆっくりと地面に置いた。彼女の大きくえぐれた頭部を思い出す。今思うと確かに、あれは潰れたと言うより、吹き飛ばされた、という感じだ。例えば、猟銃の散弾とかで。
 そうか。彼女はここで殺されたのか。
 管理人が殺したのであれば、こんな山奥、誰も通報する人などいまい。荷物や車だって、管理人はゆっくり処理できる。そして、これは管理人には大きな幸運だったろうが、彼女には探してくれる身内も友人もいなかった。捜索願いすら出ていないのであれば、彼女の死はなかったも同然だ。管理人はなんの苦労もせず、完全犯罪を成し遂げたことになる。
 まさに殺人犯にとって、これほどの幸運はないだろう。だってそうだろう。今時そういない。誰にも行き先を告げずに一人で旅をして、いなくなっても誰も探さない、そんな他人と隔絶したような女性なんて。そう。それこそ、彼女と私ぐらい。
 同じ境遇。彼女の言葉がもう一度思い出される。その境遇って、どこまでが同じなんだ? ここまでの生い立ちまで? それとも、死に方も含めて?
 よくよく考えてみれば、今日一日で違和感はあった。なかなか水が出ない水道。長期間だれも来なかったと言うことだ。おそらく、客が少ないと言うより、申し込む客を皆断ってきたのだろう。なのに、ぽんと電話予約しただけの私は二つ返事で宿泊許可が出た。そしてもう一つ。一見問題はなさそうなのに、閉鎖された3つのサイト。まるで、泊まるサイトの場所を強制されているようだ。
 それはきっと、獲物の場所がはっきりしている方が、狩りがしやすいからだ。
 ちょっと待て。落ち着け。私は必死で冷静に思考を保とうとしたが、どんどんと最悪の方向に考えが及んでいく。それに必死に抗う自分がいた。
 確かに私は彼女と同じ境遇、つまり、殺人鬼にとって、「同じ条件」な訳だが、犯人はすでに彼女を殺したわけであって、そしてそれは成功したはずであって、もうこれ以上のターゲットを求めはしないのではないか? 
 そうだ。そもそもリスクが高すぎる。彼女の時は偶然うまくいっただけだ。殺人鬼にとって理想的な状況が奇跡的に舞い込んだだけで、そんな幸運が普通は何度も訪れるわけがない。一回の幸運で味を占めて2度目の幸運を待ち続けるなんて、それこそ、「株を守りて兎を待つ」ではないか。
 今日のロッジでの管理人との会話が、次々と頭に浮かんだ。
「女の子一人で、こんな山中のキャンプ場に?」
「キャンプ場内は電波もとどかないよ。」
「家族には? ちゃんと今日ここに来てること伝えてる?」
「あ、仲悪いの? だめだよ、家族は大切にしないとー」
「ぼく、猟師だから」
 あり得ない。だが、もしもだ。もしもの話。もし運命の手違いで、株の前で愚直に待ち続ける男の前にまたしても兎が現れたとしたら、その哀れな兎はどうなるんだ。
 ばちん。と前方でかすかな音がした。はじかれたように顔を上げ、木々の間から前をのぞき見る。暗くて何も見えない。目をこらして見ても、キャンプ場は真っ暗だ。いや、真っ暗過ぎる。
 トイレの電灯が消えている。
 固まる私の耳に、遠くから、山道を近づいてくる車の音が聞こえた。
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