第1話

文字数 2,000文字

 年を聞かれた彼女は確かに、こう答えた。
「今年の春で116歳」
 尋ねた僕は驚いた。
「え、ちょ、ちょま、ねえ、ちょっと待ってよ! 本当に116歳なの?」
「うん」
「16歳の間違いでしょ?」
 彼女は首を横に振った。だけど彼女は僕と同い年程度にしか見えない。
「間違われたのは嬉しいけど、でも、本当はおばあちゃんなの」
 そう言って笑う彼女を見て、僕は揶揄われていると思った。
「それじゃ干支を言ってみて」
「申年」
 即答だった。スマホで調べたら、その通りだった。だけど、だからといって彼女が116歳である証明にはならない。あらかじめ予想できる質問だからだ。
「じゃあさ、16歳の時に何が流行っていたか、教えてよ。音楽とか、映画とか」
「答えてもいいけど、あなた分かるの?」
「検索すれば分かるよ」
「調べたら誰でも分かるのなら、答えたって意味なくない?」
 その通りだ。彼女の年齢を確認できるものは他にないだろうか? と僕が考え込んでいる間に、自称116歳の少女は速足で進む。僕は慌てて追いかけた。
「ちょ、ちょま、ねえ、ちょっと待って!」
 彼女は立ち止まった。呆れ顔で振り返る。
「今の男って歩くの遅いね」
「はあはあ、き、君が速すぎなの」
 息を切らす僕の全身を上から下まで眺めて、彼女は口を開いた。
「あなた平日の昼間に街の真ん中で何やっているの? 特に怪我も病気もしてないようだけど、働いてないの?」
「働いているって! 僕は芸能事務所のスカウトなんだ。ねえ君、芸能界に興味ないかな? イメージビデオで水着になったら大金を稼げるよ。もっとお金が欲しいなら、相談に乗るよ」
「私に声を掛けた用事って、それ?」
「うん。これが僕の仕事」
「往来で女の子に声をかけるって、仕事に入るの?」
「もちろんだよ!」
 元気よく答えたけど内心、自信がもてない。高校を中退して、このバイトを始めたけど、馬鹿みたいな仕事だと感じている。他に充実した仕事があれば、それをやりたい。このままだと闇バイトに手を染めそうで、怖い気持ちもある。このまま現実に流されたくなかった。
 彼女は少し寂しそうに笑った。
「ちゃんとした仕事ならやってみたいけど、でも私は駄目。もうすぐ死ぬから」
 青春難病物のヒロインみたいなことを自称116歳の少女は言った。僕は強張った顔で笑った。
「まさか」
「そうなの」
「だって、元気そうじゃん」
「神様がね、死ぬ前に一日だけ魂を若返らせてやるって言ってくれたの。それで、気が付いたら、体が若返っていたの。せっかくだから、こうして街を歩いているけど、今の街は騒がしいね。私、疲れちゃった。だから、もう帰るの」
 何を言ってんだ、こいつ? と僕は正直、思った。でも、こんな変な彼女に心を惹かれているのは事実だった。
「じゃ、さよなら」
 僕に別れを告げ歩き去ろうとする彼女を呼び止める。
「ちょ、ちょま、ねえ、ちょっと待って!」
「なに?」
「名前と連絡先を教えて」
 彼女は自分の名と施設の所在地を教えてくれた。
「クラシックな響きの名前だね。今の住所も、老人ホームっぽいネーミングだ」
「だって私は年寄りだから」
「まーた、そんなこと言っちゃって」
 そう言って笑う僕に、彼女は微笑みを返してくれた。
「そんなこと言って……あなた、お幾つ?」
「今年の夏で16」
 彼女は白目を剝いた。
「16! 年の差がありすぎよ……もう、しょうがないわねえ。ねえ、こんなおばあちゃんで本当にいいの?」
「君はおばあちゃんなんかじゃないよ。とても素敵な女の子だよ」
 僕は真顔で言った。彼女も真顔になった。
「明日、その住所へ来て。具合が良かったら会えるから」
 そう言って彼女は雑踏の中に消えた。元気な彼女に会ったのは、それが最後だった。翌日、僕は教えてもらった場所へ行った。そこは本当に老人ホームだった。彼女は嘘の住所を僕に伝えたのか、とショックを受けた。引き返そうとしたら、僕の前を霊柩車が通り過ぎた。そのとき、不思議な感覚に襲われた。僕は後戻りして老人ホームへ入った。受付で自分の名前を名乗り、教えてもらった彼女の名前を告げた。
「こういう名前の人、ここにいますか?」
 受付窓口の担当者は隣の職員と小声で話し合った。それから僕に言った。
「本当は個人情報の漏洩になるんだろうけど、教えます。だって、国内最高齢の〇〇さんがここにいるのは新聞やテレビで報道されたから」
 理解し難い内容だった。
「えっと、〇〇さんがここにいるってことで、いいんですよね」
 そう尋ねた僕に、窓口担当者の横に座った職員が答える。
「今、出て行かれました。今朝方お亡くなりになって」
「……さっきの霊柩車ですか?」
 二人は頷いた。僕は礼を言って建物を出た。翌日の新聞に国内最高齢の女性〇〇さんが老衰で亡くなった記事が載っていた。記事の横に小さな白黒写真があった。そこには誕生日をお祝いされて喜ぶ愛らしいおばあちゃんの姿があった。
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