第9話 第一階層(3)

文字数 2,278文字

 一直線に迫る大爪。
 咄嗟に体が動いていた。
「ぐっ……!」
 右腕に感じたのは焼けるような熱さ。ついで痛み。鮮血がこっちまで飛んでくる。
 突き飛ばした銀髪は無事だ。
 左手で刀を握る。
 だが、抜き終える前にゴブリンは壁に張り付き天井へ逃れていった。四匹も天井に張り付いてやがる。忌々しい!
 ひとまず片膝をついた。態勢を整えないと……。
「あなた、どうして……」
 銀髪は飛び起きると駆け寄ってくる。右腕にしがみついてきた。傷口を止血しようとしているのか? しかし、まずは上の対処が先だ。
 俺が天井の敵に対処する方法を思案していると目の前にはボロボロのローブが踊った。
「傷口が開く、無理に動くな。貴殿、ケイタを頼む」
 アニモが呪文の詠唱を始めると体を中心として地面に六芒星の魔法陣が現れた。
 青白い光があふれる。今までにない理力の集結。
 こちらから距離を取って様子を伺っていたゴブリン共もそれを感じ取ったようだ。猛烈な勢いで向かってくる。
「もう遅い」
 剣呑さを孕んだ響きと共にアニモが両手を上に向けた。
 掌の先から紅蓮の炎が立ち上り天井を舐めるように広がっていく。
 すげえ力だ。魔法は上に向けられてるのに下にいるこっちまで熱風がくる。
 炎に埋め尽くされてあっという間にゴブリン共の姿は見えなくなった。時間を置いて火だるまになった魔物が次々と落ちてくる。奴らが地面と衝突するたびに不快な音が耳に届いた。
 辺りには生き物の肉が焼ける臭い。体から力が抜ける。
「……驚きだよ。あんた何者だ? 俺も冒険者になって短くないがあれほどの魔法を使う魔術師は初めて見た」
 世辞じゃない。本当の事だった。
 元々魔術師自体が貴重な存在だ。だが、能力はピンキリ。俺が前に仕事で組んだ魔術師なんか偉そうな口を利いたが松明に毛が生えたような種火しか出せなかったぞ。
「すこし、やすもう」
 こちらを振り向いたアニモは息も絶え絶えにその場に座り込んだ。あれほどの術だ。体力の消耗も大きいのか。
 駆け寄ろうとしたが、動けなかった。原因へ顔を向ければ銀髪が右手にしがみついている。
「なあ、もう大丈夫だ。荷物に消毒と止血用の薬草があるからそれを……」
 背嚢に手を伸ばそうとするが小さな手に叩かれた。
「動かないで」
 表情は真剣だ。鼓動と共に血が噴き出す俺の腕を強く握りしめている。やがてあいつの目がうっすらと光を帯びた。
 赤い光。暗闇を照らす灯のような。
 傷口からじくじくとした痛みが消え、燃えるような熱さが広がる。
 ヒュッと息をのむ音が聞こえる。アニモだろう。だが無理もない。俺も目の前の“奇跡”に口をあんぐりと開けることしかできなかった。
 傷口がゆっくりとふさがっていく。
 小さな手からは淡い光。これは、治癒魔法?
「おまえ……」
 言いかけて言葉を止めた。どう見ても声は届いていない。
 蝋燭が半分燃えるくらいの時間がたって傷口が完全にふさがると、大きく息をついた銀髪は糸の切れた人形のようにガックリとこちらへ倒れ込んできた。
「大丈夫か!?」
 倒れないよう腕を回す。心配になるほど軽い。話す力も残って無いのか俺の問いに答えは返ってこなかった。
 足音に首を回すとアニモが小さな小瓶を手に持ち難しい顔をしていた。ややふらついているが、多少体力は戻ったらしい。
「それは?」
「マナの回復薬だ。貴殿」
 銀髪が僅かに首を上げる。
「はたして死人に効くかどうか……一口飲んでみるといい」
 あいつは震える細い腕を伸ばした。危なっかしくて見てられん。代わりに手を伸ばして小瓶を掴む。
「ほら、口を開けろ」
 開いた口に青い液体を僅かに垂らす。
 腕に衝撃。
 電流が走ったように飛び起きた銀髪は俺の手から小瓶をひったくると声を掛ける間もなく全て飲み干してしまった。
「おいしかった」
 端正な顔に微笑みが花咲いていた。とても可憐に見えなくもない。
 最も顔に俺の血がべったりと付いていなければの話だが。顎先から赤い液体が滴っているため血を飲み干したかのように見える。
「……正式に謝罪せねばな。貴殿は悪しき死霊使いなどではない。すまなかった」
 アニモが恭しく首を垂れる。どこぞの貴族みたいに様になっていた。もしかして結構いい所の生まれなのか?
 一方銀髪の方はとっくに飲み干した魔法薬の空き瓶を口の上で逆さまにして振っている。
「もう気にしていない」
 口が開いているせいでなんとも表情が読みにくいが本当に気にしていないようだ。
 一度体勢を整えた俺たちは再び前進を始めた。どうもこの階層は広間と通路で一本道になっているらしい。あれから何度か広間を通ったが、必ず魔物共が出てきやがった。
 ただ、この階層は小型ばかりだ。不意を突かれなければほぼ苦戦することはない。
「おい、あれを見ろ」
 何度目かもわからない広間に到着すると先に道はなかった。変わりに大きな空洞が口を開けそこから下へ階段が続いている。もう半日は歩いたか? 太陽が無くイマイチ時間の感覚がつかめないが。
「幸先良いな。これで第一階層は突破ってことか」
「油断すべきじゃない。魔物が……」
 周囲に目を走らせる。当然、天井にも。だが、動く影はない。
「用心に越したことはない。だがいったんここで休息を取るべきだろう」
 アニモの提案には俺も銀髪もすぐに頷いた。正直いろいろあってクタクタだ。三人とも担いでいた荷物を下ろす。口にこそしないがワクワクしているのは手に取るようにわかった。
 露営の準備などやることは多いが初めにやることは決まっている。
 こういった探索での数少ない“娯楽”お楽しみの食事といこう。
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