第1話

文字数 2,000文字

 あまりに暇だったので、その日は間借りしている駄菓子屋の二階で読書をしていた。畳のうえでは未読の蔵書がほこりを被っている。
 これが探偵小説なら、積んであるのも推理物(ミステリ)と相場が決まっているが、私の場合は古い幻想物(ファンタジー)なのだから、似合わないにも程がある。
 どんどん、と階下で足音がした。また婆やか。しかし働けといわれても依頼がなくては探偵のしようがない。いつものように寝転がっていると、
「ここ、探偵屋さんの事務所ですよね」
 耳慣れない声がした。ごろりと頭を転がすと、十歳くらいの少年が立っていた。
「依頼したいことがあって来ました」
 緊張しているのか、少年はズボンで手汗を拭いてからポケットに手を入れた。ちゃりんちゃりん、と小銭の音がした。
「これで妖精さんを探して下さい」
 依頼料三五二円を差し出しながら、少年は確かにそう言った。
「少年」
「守です」
「守くんや、下の階で駄菓子が売っているだろ。それだけあれば両手から溢れるくらいは買えるぞ」
「いりません。それより僕は妖精さんを探してほしいんです。ここに来れば、失せ物でもなんでも探してくれると聞きました」
 なんでもは買い被りすぎだ。しょっちゅう物が失くなるせいで、自然と失せ物のありそうな所に目がいくようになっているだけだ。しかし——。
 ——おや、(ぼく)の麦わら帽子、見つけてきてくれたのかい。ありがとう。ふむふむ、足跡から失くした場所を辿って。まるで探偵屋だね。
 昔、そんなふうに褒められたことがあった。もう十年も前になるのに、甘い声色が記憶の奥底から囁きかけてくる。瞼を閉じれば微笑みかけてきた瓜実顔が浮かんだ。あの女に会ったのはその一度だったのに。たちの悪い思い出だ。
 感傷に浸っている間も、少年はずっと立っていた。駄菓子屋の婆やしかり、この手の輩は追い返しても帰ってくれない。
「わかった。話を聞こう」
 読みかけの古本に指を挟み、私は身を起こす。枕にしていた座布団を出すと、少年は行儀よく正座した。
「では改めて訊くぞ。探してほしいのは誰か、最後にどこで見たか、それからどんな背格好だったか。順に話していってくれ」
「探してほしいのは、麦わら帽子を被った妖精のお姉さんです」
 ……ん?
「最後に見たのは橋の下にある川原でです。真っ白いワンピースを着ていて、背丈はちょうど――」
「このくらいか」
 いつの間にか私は立ち上がって肩の高さに手をやっていた。こくん、と少年は頷く。まさか、そんなことが——。
「どうして妖精だと思ったんだ。背中に羽でも生えていたのか」
 少年はぶんぶん、と首を振った。
「お姉さんが自分で言ったからです。(ぼく)はね――」
 少年の言葉を追いかけるように、耳に残った声が重なる。
 ——(ぼく)はね、夢の森から来た妖精なんだよ。
 川原であの女は当時十九歳だった私に微笑みかけた。手渡した麦わら帽子を、銀髪に乗せながら。そしてその時、私は心を奪われた。
「また明日もここにいるよ。妖精のお姉さんはそう言いました。だからぼく、昨日も一昨日も川原に行ったんです。でも」
 いなかったんです、と少年は肩を落とした。それでこの駄菓子屋の二階にかかった看板に目を付けたのか。
 若いな、と口の中で言葉を転がす。本来なら手を貸すべきなのだろうが。
「諦めるんだな。私には見つけられない」
「どうしてですか。おじさんは探偵屋さんなんでしょ」
「探偵屋であっても無理なものは無理だ。それに」
「それに?」
「私はもう大人だからな」
 自然と目が読みかけた本に向かう。剣と魔法の冒険譚で、妖精も出てくる。しかし子供たちがいくら訴えかけようと、大人たちにはその可憐な姿がひとつも見えない。それもそのはず。物語によれば、妖精は子供の目にしか見えないそうだ。古い文学にありがちな突飛で、詳しい説明もない設定だ。しかし私にはそれで十分だった。
 あの女と出会ったのが、十九歳で最後の日だったのだから。
 しっしっ、と手を振って私は少年を追い返す。そこに居座っていても無駄だという代わりに私は背を向けて横になる。階段を下りる足音が聞こえてきたのは、それから間もなくしてだった。
「もったいないね。せっかくの依頼人だったのに」
 いつの間にか、枕元に女が立っていた。白いワンピースを着た、麦わら帽子の女だ。十年経ってもその容貌は変わっていない。あの日のままだ。
「お前……」
 思わず瞬きする。だが次に瞼を開けた時には女はもういなくなっていた。遂に幻覚でも見始めたか、そう思ったが。
 畳のうえに麦わらが落ちていた。諦めかけた矢先にこれか。意地の悪い女だ。
 私は身を起こした。ガタついた窓を開けると、夏の日が駄菓子屋のある通りに照りつけている。その中を歩く少年の背中を見つけ、私は叫ぶ。
「おい少年、いや守くん。君の依頼を受けてやろう」
 帰ろうとしていた少年がくるりと振り返る。
 さあ、君と私の心を奪ったあの女を、とっ捕まえにいくぞ。
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