第1話

文字数 64,096文字

旅人からの
メッセージ「長崎の教会を訪れて」
主な記号の意味
●主な日程と旅の題名 ○日付 ▽コース   ★主な宿泊場所 △訪れた教会名   ☆感想など  ②教会を訪れた回数が二回以上になると回数を丸で囲む
▲世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」

も   く   じ
 「はじめに」
●その一  日南海岸へ(一九七七年三月九日~二十日、十九歳の時)         ▲大浦(おおうら)天主堂
●その二  西日本カヌーの旅(一九九八年七月二十九日~八月九日、四十一歳の時)       △ザビエル記念教会
●その三  奄美大島の林道へ(二〇〇〇年十二月二十三日~二〇〇一年一月一日)
△崎津(さきつ)教会、大江(おおえ)教会、浦上(うらかみ)天主堂                                  (四十三歳の時)
▲天草の崎津集落
●その四  五島列島へ(二〇〇五年八月二十三日~三十一日、四十八歳の時)
 △青砂ヶ浦(あおさがうら)教会、江袋(えぶくろ)教会、頭ヶ島(かしら       がしま)教会、真手ノ浦(まてのうら)教会、福見(ふくみ)教会、         希望の聖母、堂崎(どうざき)教会、水ノ浦(みずのうら)教会、立谷(た       ちや)教会跡地、井持浦(いもちうら)教会、②ザビエル記念教会、宝亀       (ほうき)教会、紐差(ひもさし)教会、田平(たびら)教会
▲頭ヶ島の集落
●その五  山口から五島列島へ(二〇一〇年八月十七日~二十四日、五十三歳の時)
 △②頭ヶ島教会、丸尾(まるお)教会、②青砂ヶ浦教会、冷水(ひやみず)       教会、大曽(おおそ)教会、中ノ浦(なかのうら)教会、土井ノ浦(どい       のうら)教会、桐(きり)教会、高井旅(たかいたび)教会、②井持浦教       会、三井楽(みいらく)教会、②立谷教会跡地、②水ノ浦教会、楠原(く       すはら)教会、②堂崎教会、
▲頭ヶ島の集落、
●その六  ハウステンボスのある長崎へ(二〇一四年三月二十日~二十九日、五十六歳)
 ▲②大浦天主堂、②浦上天主堂
●その七  五島列島、残りの教会を求めて(二〇一四年五月十六日~二十六日、五七歳)
 △②丸尾教会、③青砂ヶ浦教会、大水(おおみず)教会、小瀬良(こぜら)       教会、②江袋教会
 赤波江(あかばえ)教会、米山(こめやま)教会、仲知(ちゅうち)教会、      ②冷水教会、青方(あおかた)教会、②大曽教会、跡次(あとつぎ)教会、       焼崎(やきざき)教会、猪ノ浦(いのうら)教会、②真手ノ浦教会、②中       ノ浦教会、大浦(おおうら)教会、②土井ノ浦教会、②有福教会、大平(お       おひら)教会、②桐教会、②高井旅教会、②福見教会、浜串(はまくし)       教会、②希望の聖母、船隠(ふなかくし)教会、旧鯉浦(こいのうら)教       会、③頭ヶ島教会、江上(えがみ)教会、奈留(なる)教会、旧五輪教会、       五輪(ごりん)教会、浜脇(はまわき)教会
▲頭ヶ島の集落、奈留島の江上集落、久賀島の集落
●その八  五島列島及び近辺の島々の自転車旅(二〇一四年九月三十日~十月十四日)
 △馬渡島(まだらじま)教会、松島(まつしま)教会、黒島(くろしま)教       会、カトリック三浦町教会、野首(のくび)教会
▲黒島の集落、野崎島の集落跡
●その九  長崎のその他の教会を訪ねて(二〇一六年五月五日~二十六日、五十九歳)
 △③ザビエル記念教会、古江(ふるえ)教会、山野(やまの)カトリック教       会、壱部(いちべ)カトリック教会、山田(やまだ)教会、中野(なかの)       教会、②紐差教会、大佐志(おおさし)教会、木ヶ津(きがつ)教会、       ②宝亀教会
 上神崎(かみこうざき)教会、平戸口教会、②田平教会、島原カトリック       教会、馬込(まごめ)教会、大野(おおの)教会、出津(しつ)教会、黒       崎(くろさき)教会
 ▲外海の大野集落、外海の出津集落
●その十  天草諸島の教会(二〇一六年九月二十七日~十月二十日、五十九歳の時)
 △②崎津教会、②大江教会
▲天草諸島の崎津集落
●その十一 桜と教会(二〇一七年四月四日~四月二十一日、五十九歳の時)
 △④ザビエル記念教会、③紐差教会、②木ヶ津教会、③田平教会、          ③崎津教会、③大江教会、
▲天草諸島の崎津集落
●その十二 桜と教会(二〇一八年三月二十五日~四月十七日、六十歳の時)
 △④田平教会
●その十三 世界文化遺産、長崎の教会群(二〇一九年四月二十一日~五月十日)
 △④紐差教会、②大野教会、②出津教会、②黒崎教会、④崎津教会、         ④大江教会 (六十二歳の時)
▲外海の大野集落、外海の出津集落、天草諸島の崎津集落
 「おわりに」


「長崎の教会を訪れて」
 はじめに
私は棚田の撮影で九州をたびたび訪れていましたが、二〇〇五年に五島列島を旅してからは五島列島の教会に興味を持ちはじめました。その後九州は何度か訪れていますが、五島列島に渡ることはありませんでした。再び五島列島を訪れたのは、五年後の二〇一〇年でした。本格的に五島列島の教会を撮影することを意識した旅は、二〇一四年の旅です。
この二〇一四年の旅では、一年間に三度九州を訪れました。特に、五島列島のほとんどの教会は訪れることが出来ました。私がこの年に五島列島全ての教会を訪れようとしたきっかけが、「世界遺産登録」です。世界遺産に登録されると観光客が増加して、ハードルが高くなるおそれがあったので私は五島列島全ての教会を訪れました。
二〇一四年に五島列島の教会をほぼ撮影してしまった私は、五島列島以外の教会にも興味を持ち、長崎の教会を全て訪れようと考えました。二〇一六年には長崎県内ほぼ全ての教会を訪れてしまった私は、過去の旅の記録と照らし合わせながら、「長崎の教会を訪れて」としてまとめてみました。特に世界遺産登録後の二〇一九年の旅は、私が改めて「潜伏キリシタン」に興味を持つきっかけになりました。

●その一「日南海岸へ」(一九七七年三月九日~二十日)
○三月九日▽川崎、熱海、浜松、京都
○三月十日▽京都、大阪、神戸、倉敷
○三月十一日▽倉敷、広島、岩国、徳山、宇部
○三月十二日▽宇部、下関、大分、延岡、日向
○三月十三日▽日向、宮崎、日南海岸、
○三月十四日▽日南海岸、都井岬、串間、鹿屋、佐多岬、桜島
○三月十五日▽桜島、鹿児島、串木野、牛深、天草、島原、長崎
省  略
 私は三月十五日に鬼池港に到着すると、早速切符売り場に向かい切符を買った。フェリーは、すぐに出航するようだった。
島原に到着したのは、午後六時だった。もう、あたりは真っ暗だ。果たしてユースに間に合うだろうかと、私は心配した。国道二五一号線を、全速力で走る。ただ走るだけだ。真っ暗で景色など見えなかったし、その余裕もなかった。冷たい夜風を受けながら走る。いったい何のために走るのか?そんなことは、分かるはずもない。走らなければならないのだ。此処で立ち止まっても仕方がない、とにかく長崎に行かなければならない。腹が減り、肩がこってくる。おまけにクラッチを握る手が、疲れてくる。それでも私は、休まなかった。                                     しばらく走行すると、目の前に長崎の町が見えてきた。どんどん坂を下って行く。道路は、かなり荒れている。ハンドルが、左右に振られる。いい加減に、飽きてきた。長崎のユースは、すぐには見つからなかった。やっとの事で見つけるが、時計の針は午後九時を示していた。中に入り頼んだが、あっさりと断られた。
私は寝るところを求めて、長崎市内をさまよった。結局、行き着くところは駅だった。駅の前にバイクを止め、中に入っていった。時間的には、まだ駅付近は混んでいた。駅構内を隅々まで見回し、寝られそうなところを探す。何とかなりそうなので、長崎市内をぶらりとする。
午後十時過ぎになったので、駅に戻る。さすがにこの時間になると、駅付近の人影はまばらだった。この駅で寝ようと考えている人は、結構いるようだった。ザックをベンチに置き、シュラフを両手で抱えている者もいる。私達は、いつの間にか会話をはじめるような友達になっていた。話に夢中になっていると、ヘルメットを手にした二人組が駅の中に入ってきた。私は、思わず
「よ!元気か、ひさしぶりだな。」
と、大声を出してしまった。その二人組は、日南ユースと桜島で知り合った、二人組の大学生だった。
駅の中には、私を含めて五人組の旅人が泊まることになった。それぞれ、出身も年齢も交通機関も違う。ある者はバイクで、ある者は自転車で、ある者はヒッチハイクで、ある者は電車で来たのだ。話が弾み会話を続けていると、時間がたち彼らだけになった。そろそろ寝る準備をしようかと、全員で寝る準備を始めた。
準備をしているところに、駅員が近寄ってきて
「この駅はシャターをおろすので、もう駅の中から出てください。」
と、私達に向かって言った。私達は、
「私達はこの駅から出されてしまうと、寝るところがなくなってしまうんですけれど、何とかなりませんかね。」
と、駅員に尋ねた。駅員は困った顔をしながら、私達に向かって
「ここは、旅館ではないんですよ。近くの民宿を紹介しますから・・・・。」
と、言った。
私達は、ひとまずこの駅の外に出ることにした。外に出ると、寒かった。それに、空はどんよりと曇っている。駅を出ても、寝るところはなかった。駅の前をうろうろしていると、
「君たちは、どこから来たんだい?ちょっと、身分を証明するようなものを見せてくれないかな?」
と、耳にイヤホーンを付けたおじさんに言われた。私達は、
「免許証でもいいですか?」
と、丁寧に尋ねた。その質問に対して、
「学生だったら、学生証の方がいいな。」
と、おじさん達は、私達に優しく言った。
免許証しか持っていなかった私は、免許証を差し出した。どうやら私服の刑事らしい。「これから君たちどうする気だね?何もこんな所をうろうろしなくてもいいじゃないか。ここら辺は、暴力団が居るから危険なんだよ、わかるね。」
と、言った。それを聞いて、誰かが
「金がないんだよな。俺たち、結構これで旅を楽しんでんだ。」
と、小さな声で言いだした。さらに、
「そうだよな、駅に泊まったからって迷惑かけたりしないよ。金だって、二百円ぐらいだったら出してもいいよ。」
と、また言いだした。私服の刑事達は、私達の中に家出した者が居るかどうかを調べていただけだったらしい、どこかに行ってしまった。
寝るところが見つからないでいると、
「そうだ!トイレに寝ればいいんだ。」
と、誰かが言い出した。私は、冗談かなと思っていた。しかし彼らは、本気らしい。どうせ今晩だけとあきらめ、つきあう。バイク二人組の学生の一人が
「俺、テント持っているから持ってくるよ。」
と、走ってバイクの所に行った。
トイレの中に入らず、入口のところで寝る。テントを下に敷き、その上で寝る。ちょっと恥ずかしかったが、大勢だと何ともない。そのまま、その夜はトイレで寝てしまった。

○一九七七年三月十六日 「博多へ」
足音がイヤにうるさい。シュラフの中から少し顔を出し、辺りを見回す。もう、朝だった。人々が忙しそうに、行き来している。時計を見ると、午前七時半だった。他の人は、まだ寝ていた。眠い目をこすりながら、シュラフから出てみる。外の空気は、冷たい。何となく、視線が気になる。考えてみれば、此処はトイレだ。
午前八時を過ぎる頃には、みんな起きてしまった。シュラフをたたみ、身の回りの荷物を片づける。外は、あいにくと雨模様だ。いつ降っても、おかしくない。バイクの所に荷物を持っていく。ちょっとバイクのことが心配だったので、起きたときから行きたいと思っていた。
バイクは、大丈夫だった。荷物をキャリアにくくりつけていると、大学生も荷物を持ってやってきた。私は、二人組の大学生に向かって
「これからどうしますか?」
と、尋ねた。大学生達は、
「そうだね。できたら長崎の町を見学したいね。」
と、私に向かって言った。私は、他の人たちに向かって
「他の人たちは、どうするんですか?」
と、さらに尋ねた。一人旅の学生が
「さあ・・・。」
と、荷物をバイクにくくりつけながら小さな声で答えた。そんな会話をしているところに、残りの人たちがやってきた。私は、
「これからどうします?」
と、同じように尋ねた。彼らはすぐに
「長崎の町を見学します。そちらは?」
と、答えながら私に質問をした。私は、
「私は決まってないんですけれど、こちらの人は長崎の町を見学するそうです。俺もそうしようかな?」
と、迷いながら答えた。
結局、私も一緒に見学することになった。時たま雨が降り出すが、困るほどは降ってはこなかった。自転車で来た学生が観光地図を持っていたので、それをたよりに回る。まず、グラバー亭から見る。中にはいると拝観料を取られるので、中に入らない。大浦天主堂も、同じようにはいらなかった。
写真だけを、ぱちりと撮っていくだけだけだった。雨の中で傘も差さず記念撮影、まあ「どうにかなるさ・・・。」という気持ちが、強かった。私達が
「オランダ坂は、どこですか?」
と、尋ねると、
「この辺にある坂は、全部オランダ坂ですよ。」
という返事が返ってきた。どうやら「オランダ坂」というのは、決まってないらしい。しかし、坂道が多いのにはうんざりした。
疲れてきたので、一休み。誰が言い出したのか、デパートにはいる。浮浪者のような男どもが、デパートの中をうろうろするのも良くないと考えながらも・・・。誰かが
「腹減ったなあ・・。」
と、言い出すと
「俺も腹減ったよ・・。」
と、次々に言い出し始めた。誰かが
「おい、見ろよ。カステラの試食をやっているぞ。」
と言い出すと、全員の視線がそちらに向けられる。試食会のほうを見ながら
「あれ食べようぜ。」
と言いながら、歩き出した。食べながら
「なかなかうまいね。」
「こりゃ、うまいよ。ただだもの・・・。」
と、会話を始めた。むさ苦しい男達は、周囲の視線も気にせずにモクモクと食べ始めた。私達が食べていると、
「お客さん、食べるだけですか?」
と、声がした。私達は恥ずかしくなり
「もう、そろそろ行くか?」
といいながら、食べるのをやめて歩き出した。歩きながら、誰かが
「少したったら、また行こうか?」
と言いだしたとたん、みんなで大笑いしてしまった。
「二十六聖人殉敷地」に行き、当時のキリスト教の迫害を改めて知った。それは、とても寂しい風景だ。海の見える丘に建てられた、寂しい歴史だ。
雨の中、今度は「諏訪神社」に足を向ける。歩きながら
「これからどうする?」
と、サイクリストが言い出した。それに答えるかのように
「午後は、長崎を出たいな・・。」
と、バイクの二人組が答えた。私は会話を聞くだけで、これからどうするというあてもなかった。ただ一人で走るよりは、グループで走った方がいいと考えていた。私は、
「俺も長崎を出ようかな・・・。まだ決めていないけど・・・。できたら、一緒に走りたいね・・。」
と小さな声で、二人組を見ながら答えた。ヒッチハイクの学生が
「僕はヒッチハイクだから、適当に行きます。」
と、答えた。
そんな会話をしながら、「諏訪神社」の石段を登り詰めた。みんなで辺りを見回し
「何にもないね、もう駅に戻ろうか?」
と、口をそろえて言いながら階段を下った。
駅に着くと降り止むかと思われていた雨が、再び降り始めてきた。私は、
「また雨かよ、ついてねえな。」
と、ぶっきらぼうに言った。ヒッチハイクの学生が
「僕は、今晩もこの駅に泊まりますから・・。」
と言い出すと、
「僕も一緒に泊まろうかな・・・。」
と、サイクリストが言い出した。さらに、二人組のライダーに向かって
「もっと長崎を見学していくよ。」
と、言った。私は、
「俺は、バイクで長崎を出るよ。」
と、雨の降る長崎市内を見ながら言った。
ヒッチハイクの大学生とサイクリストは、長崎駅に連泊していき、私とバイクの二人組は長崎を出ることになった。雨具を身につけると、バイクのキックペダルを踏みおろす。雨の中に、三台のバイクのエンジンの音が響いた。ライダー三人が口をそろえて
「じゃ、元気で。」
と、駅に残った二人に挨拶すると
「そちらも気を付けて・・。」
と、私達に挨拶してくれた。
三台のバイクは、雨の中を走り出した。国道三十四号線を、北上する。長い坂道を上り、長崎市内を下に見下ろしながら長崎市内を後にする。右手には海が見え、左手にはミカン畑が見える。国道のすぐ左手に手を伸ばせば、ミカンがとれそうな気がした。九十九島の夕日が見たかったのだが、雨では見られない。ただ、モクモクと走るだけだった。
佐世保市から、平戸市に向かう。平戸市に行くには橋を渡らなければならないが、その橋はまだできあがっていないかも知れないらしい。辺りが暗くなる頃、平戸大橋に着いた。橋はできあがっているのだが、通行止めになっていた。フェリーで渡ることができるが、橋のところで記念撮影をして、さらに北上する。
平戸から伊万里に向けて、国道二○四号線を走る。辺りは、もう暗くなってきている。海はどんよりとしていて、よく分からない。私は心の中で、(ずいぶん遠くまで来てしまったなあ、これで無事帰ることができるのだろうか?)と、不安に思っていた。
伊万里に着いたのは、午後六時半だ。腹が減ってきたので、夕食を取る。私は、大きな声で
「ひどい雨だな。疲れてきたから、ここらで夕食にしようか?」
と怒鳴った。雨でよく聞こえないのか、返事がない。信号機のところで、うまい具合に赤になった。私は、
「腹減ったから、飯にしよう?」
と再び言った。今度は聞こえたらしくて、うなづいてくれた。
食堂を探すのに一苦労、食堂にはいるのも一苦労、雨のツーリングは忍耐との戦いだ。バイクを止め、雨具を脱ぐのが又大変なのだ。びっしょりと濡れた雨具と衣類、もううんざりしてしまう。一度雨具を脱いでしまうと、もう着る気になれない。
食べ終えると、休む間もなく雨具を身につけてすぐに出発する。さっきより、さらに雨が強く降り出してきた。前など見えやしない。靴の中も、雨でぐっしょりと濡れている。濡れていると言うより、靴の中に水を入れて靴を履いているようなものだ。下着は、もう
 省  略
○三月十六日▽長崎、佐世保、平戸、唐津、福岡
○三月十七日▽福岡、北九州、下関、広島、姫路
○三月十八日▽姫路のアパート
○三月十九日▽姫路、神戸、京都、伊勢
○三月二十日▽鳥羽、伊勢、志摩、伊良湖、浜松、三島、小田原、川崎
△大浦天主堂、
☆ 十九歳の時、バイクで九州は日南海岸へと向かったことがあった。その時、長崎市内 を徒歩で見学した。教会にはいることはなかったが、写真だけは今も大切にアルバムの 中に保存してある。平戸大橋は何故か通行止めで、渡ることはできなかった?
今回過去の記録を確認していたら、平戸大橋が何故通行止めだったのか明らかになっ た。それは、平戸大橋の開通が四月四日だったからだ。私達が訪れたときには完成して いたが、まだ開通はしていなかったのだ。今思うと、とても残念だ?

●その二「西日本カヌーの旅」(一九九八年七月二十九日(水)~八月九日(日))
○七月二十九日(水)▽碓氷峠、野尻湖
○七月三〇日(木)▽野尻湖、青木湖、奈川
○七月三十一日(金)▽野麦峠、荘川、富山、小松
○八月一日(土)▽北陸、三方五湖、天橋立
○八月二日(日)▽天橋立、伊根、丹後半島、鳥取砂丘、大山、松山、三次、
○八月三(月)▽三次、関門海峡、日田IC、耶馬渓、湯布院、国東半島
○八月四日(火)▽別府、阿蘇、草千里、雲仙普賢岳、長崎、
省  略
国東半島の道の駅で夜を明かした私は、阿蘇を目指して走行した。国東半島は漁港が多いため、朝早くても人は多かった。所々で、朝市をやっていた。みんな、手にバケツを持って水揚げを待っているのだった。小さな漁港が多かったため、トラックなどで買い出しに来る人はいなかった。でなければ、トラックでほとんど運んでしまったあとだったのかもしれない?とにかく漁村の朝の風景は、ほのぼのとしていて心を和ませてくれた。
国道に出ると、「竹田市」を目指して走行した。竹田市からは、「やまなみハイウェイ」を走り、一宮へ・・・。一宮から阿蘇へと・・・。私が初めて阿蘇を訪れたのは、日本一周の時だから、十五年ぶりに訪れることなる。県道を上り詰めていくと、右側に「草千里」が見えた。快晴ではなかったが、草千里はとてもすてきだった。また、草千里には馬が似合っていた。駐車スペースを探すが、場所のよいところはすべて有料だった。草千里を少しすぎたところに車を止めて、草千里まで歩いた。駐車料金は三百円だったが、私はそれを払うことが出来なかった?
再び国道五七号線で熊本市内へ・・・。長洲フェリーターミナルから島原半島へと、渡る。国見町の多比良港に到着すると、私は「雲仙普賢岳」が見たくなり、国道三八九号線を走行して普賢岳に向かった。交通量は少なかったが、やはり工事中の看板が多かった。反対側の国道に向かって下ってみると、噴火の跡の様子がよく分かった。
再び国道五七号線に出ると、長崎の夜景を見るために長崎へと向かった。長い下りが終わると、長崎の町だった。この町も、十五年ぶりだった。何気なく来てしまった長崎だが、私は懐かしさのあまり、「長崎駅」へと向かった。車を止める場所がなかったため、駅前を通り過ぎただけだが、やはり十九歳の時に野宿したことが思い出された。
私は夜景を見るために、「稲佐山」に向かった。私の頭の中には、ロープウェイで登った記憶がなかったのだが、駐車場からロープウェイで展望台まで・・・。展望台に来てみると、アベックばかりだった。函館の夜景ほど綺麗ではないが、長崎の夜景も捨てた物ではない。特に、人家の明かりがとても綺麗だった。函館の明かりは、海に映る光や、ネオンの光が華やかに光り輝いていたが、長崎の夜景は、小さな人家の光が線香花火のように綺麗だった。
展望台で食事をとることを考えていたが、あまりにも値段が・・・、私は展望台を後に長崎を離れた。本当は長崎に一泊するつもりでいたのだが、車内泊できる場所が見つからず、長崎市内を抜けてしまったのだった。市内を抜けると、「時津町」国道沿いにPAがあったので、国道左側の琴海PAで車内泊をした。

○八月五日(水)▽ハウステンボス、平戸、別府、八幡浜 
いったん長崎に戻って長崎市内を見学することも考えたのだが、茨城まで戻ることを考えたらこのまま国道を北上するのが無難と思い、太陽が昇ると北上した。北上して、右側にすぐ「オランダ村」が見えた。九州まで来ることを考えていなかった私は、オランダ村の前で写真を何枚か撮った。開園まではまだだったので、そのまま北上・・・。     国道二〇六号線をひたすら北上していくと、T字路にぶつかった。私は、迷わずに右折した。右折すれば、「ハウステンボス」に行くことができるからだった。国道二〇二号線を走っていると、右側に奇妙な建物が多くなってきた。奇妙な建物と書くとへんだが?看板から、ハウステンボスとわかった。私は、標識に従って右折した。右折すると、地中海にあるような建物がたくさん並んでいた。私は車を止めて中に入らずに、写真だけを撮った。中に入りたくても、開園まで時間が・・・。                   駐車場が開くまでは、あと三〇分ほど時間があった。これがディズニーランドだったら、開園まで自動車の列ができるのだろうが・・・?私は写真を撮ると、平戸へと海岸に沿って北上した。十九歳のとき通行止めだった「平戸大橋」は、通行が可能だった。私は、平戸大橋を渡り、平戸へと渡った。
平戸で自転車を車から降ろし、市内を散策する。平戸大橋は、バイクで九州を訪れたときに記念撮影をしただけで渡ることはなかった。自転車で、お昼頃までうろうろしていたが・・・最後に、ザビエル記念教会の前で記念撮影をする。悩んだすえに、別府から四国に渡ることに決定・・・。時間的に余裕がないので、高速を使って一気に別府に戻る。高速料金のことを考えたら、九州に渡ってからのコースがちょっとまずかったかな?こんな事だったら、九州に入ったら長崎を回って阿蘇へ、それから別府へとルートを考えておけば、時間も金も無駄にしなかったのに・・・後悔だけが残った。            別府から、無事フェリーに乗ることができた。フェリーで八幡浜に渡ると、八幡浜のフェリーターミナルでポップアップし、そこで仮眠をとる。
○八月六日(木)▽四万十川、高知、安芸
○八月七日(金)▽室戸岬、明石海峡大橋、京都、名古屋
○八月八日(土)▽多治見、中津川、木曽福島
○八月九日(日)▽清里 自宅
△ザビエル記念教会
☆ 十五年ぶりの長崎の街並み、そして長崎駅・・・。十五年後に渡ることが出来た平戸 大橋、初めての平戸の街並みとザビエル記念教会。考えてみたら、「平戸」は島だった。 たまたま今回は、橋が開通していたから簡単に渡ることが出来ただけなのだ。島だった ら渡ることがなかったかな?

●その三「奄美大島の林道へ」(二〇〇〇年十二月二十三日~二〇〇一年一月一日)
○十二月二十三日▽フェリーで川崎港~
○十二月二十四日▽宮崎港着
宮崎に着いたのは、午後六時だった。オイル交換をすると、駅前にいい場所があったので駅前にテントを張る。ラッキーなことに、近くに二十四時間営業のファミレスがあった。シュラフが夏用だったのか、とても寒かった。おまけに雨が途中で降ってきた。

○十二月二十五日▽日南海岸、桜島、鹿児島
朝、ファミレスで朝食をとり、日南海岸を走る。堀切峠のポインセチアが真っ赤に咲い
ていた。桜島から鹿児島に渡る。夕方のフェリーで、奄美大島へ渡る。

○二〇〇〇年十二月二十六日▽奄美大島中央林道
 奄美大島はあいにくの曇り空だったが、雲の切れ間から太陽が時たま顔を出していた。日の出の写真を数枚とり、「金作原(きんさくばる)原生林」の見られる奄美中央林道目指して再びバイクで走行・・・。
「金作原原生林」は、あの有名な「ゴジラ」の撮影地になったところだそうだ。わくわくしながら走行していると、熱帯原生林のような場所が見えてきた。戦時中の弾薬庫も何カ所か見ることが出来た。こうしてみると、奄美大島も沖縄と同じように、戦争遺産が見られる場所なのだと言うことも、理解できた。
奄美大島の林道は、走りごたえがあった。あまりの長さに不安を覚えることもあった。(もしパンクしたらどうしようかが一番かな?)人とすれ違うことはなかったから、もしゴジラのような動物が現れたら助けを求めることも出来なかった・・?最終的には、奄美大島を一周してしまった。
夕方のフェリーで鹿児島に渡る。混んでいた。

○十二月二十八日▽佐多岬、開聞岳
佐多岬に着いたのは、正午だった。佐多岬からフェリーで再び鹿児島へ・・。夕焼けの中の開聞岳を撮るつもりが、曇ってしった。夕陽の撮影は出来なかったが、「キンギョソウ」の撮影は出来た。国民宿舎に宿泊する。

○十二月二十九日▽開聞岳、池田湖、知覧、天草諸島
快晴の朝、池田湖と菜の花と開聞岳の撮影終了後、指宿スカイラインを走行し、知覧へと向かった。知覧には、多くの武家屋敷が残されていた。「知覧特攻平和開館」は、パスしてしまった。
 フェリーを乗り継いで、長崎に向かう。途中、「崎津教会」「大江教会」「サンセットライン」で撮影に時間を費やしてしまい、フェリーに乗り遅れて港にテントを張った。寒かったあー・・。

○十二月三十日▽長崎、天草諸島
朝一番のフェリーに乗り、長崎へ・・・。長崎の町は去年車で訪れたが、車のため自由がきかず、夜景を数枚撮影しただけで長崎を後にした。今回はバイクのため、「浦上天主堂」「平和祈念像」「日本二十六人聖人殉教地」「オランダ坂」「眼鏡橋」などを撮影することが出来た。再び天草諸島に渡ると、天草四郎メモリアルホールに立ち寄り、民宿を探す。どうにか宿に泊まることができた。ちょっと疲れ気味かな・・・。でも、なかなかよい民宿でよかった。
○二〇〇〇年十二月三十一日▽五木村、宮崎港
○二〇〇一年一月一日▽川崎港着
△崎津教会、大江教会、浦上天主堂
☆ 購入したばかりのアフリカツインで、旅に出た。たまたま購入したバイク雑誌に、「奄 美大島の林道特集」が載っていたので、奄美大島に向かってしまった。何気なく渡った 天草諸島で、「崎津教会」「大江教会」を訪れる。どちらも観光客は居なかった。特に 崎津は、「崎津の街並み」が素晴らしかったのだが、誰もいなかった。
 「浦上天主堂」は撮影したのだが、何故か大浦天主堂の撮影はしなかった?当時のパ ンフレットがアルバムの中に入っていたのだが、大浦天主堂は有料だったことが理由な のかも知れない?

●その四「五島列島へ」(二〇〇五年八月二十三日(火)~三一日(水))
川崎マリンエキスプレスが川崎~九州航路から撤退してから、九州に渡るためのフェリーが無くなってしまった。私は、このマリンエキスプレスを利用して、九州、和歌山(勝浦港)を旅したのだったが・・・?そんなある日、久里浜港と大分港を結ぶフェリーがあることを知り、確認をしてからチケットを購入した。チケットには、大きく「シャトル・ハイウェイライン」と書いてあった。
久里浜港を午後十一時二十五分に出航すると、次の日の夜午後七時過ぎに大分港に到着予定のフェリーだった。私は、この旅で初めて五島列島を訪れた。美しい教会が点在する島だった。

○八月二十三日(火)▽久里浜からフェリーで
夕方、自宅を出発する。東北道から混雑する首都高を抜け、鎌倉経由で久里浜港へ向かう。予定通り、久里浜港に到着する。
ほとんどが貨物コンテナであり、乗船も貨物コンテナ優先で、バイクが乗船できたのは最後だった。今まで使用していた川崎マリンエキスプレスと違い、完全な貨物船で旅人の姿を見かけることはなかった?

○八月二十四日(水)▽大分港到着
大分港に到着したのは、午後七時過ぎだった。時間が時間だったので、ターミナルで夜を明かす。

○八月二十五日(木)▽佐賀関、臼杵、竹田、佐世保
 別府市内のファミレスで早い朝食をとると、海岸沿いの国道を走行し、佐賀関から臼杵の古い街並みを訪れ、街並みを撮影する。臼杵市内を抜けると、臼杵石仏へと向かう。臼杵磨壁仏は、見応えがあった。国道五〇二号線を更に北上し「原尻の滝」「端光庵磨崖仏」「竹田」と訪れる。途中で、石橋を撮影することも出来た。竹田市内の古い街並みを最後に、国道五七号線を熊本ICまで急ぐ。                       熊本ICから佐世保までは、高速道を利用する。佐世保に到着したときには、すでに暗くなっていた。佐世保市内の民宿、素泊まり三千円に宿泊する。

○八月二十六日(金)▽世保港~有川港、奈良尾港~福江港
民宿を出ると、佐世保港で有川港に向かうチケットを購入する。佐世保港から有川港までは、三時間ほどの船の旅だった。
 初めての上五島であった。ツーリングマップルを何度も確認しながらの、旅だった。ターミナル前にある国道三八四号線を右折して国道に沿って走行すると、すぐに国道を右折して県道三十二号線を北上した。                          海岸に沿って県道を走行していると、県道の右側に「青砂ヶ浦(あおさがうら)教会」が見えた。レンガ造りの、風格が漂う教会だった。バイクだったので、思い切って坂道を登り、教会前まで乗り入れた。教会からは、海が見えた。間近で見た教会は窓枠や入口などは白く塗られていたため、赤茶色のレンガに白色が際だって見えた。         再び県道を走行する。道幅が狭くなるが、津和崎灯台に向かってしばらく北上すると、左側に「江袋(えぶくろ)教会」の瓦屋根が見えた。バイクを止めて、徒歩で近づく。一見、教会と言うより平屋の大きな一軒家という感じの教会だった?やはり、ここからも海が見えた。階段の入り口右側に、白い掲示板が立てられていた。            灯台までは行かず、ここからは北上した県道を下った。途中、先ほど撮影した青砂ヶ浦教会が左側に見えてきた。先ほどとは違った方角から教会を見ているので、道路沿いにバイクを止めて、再び道路沿いから撮影する(五島列島に来ることはないかも知れないから、撮影しておこうと思ったのかも知れない?)。                 
再び先ほどの国道三八四号線に出ると、左折して国道を走行し、県道六十二号線にでる。県道を、上五島空港に向かって走行する。ほとんど人家のない県道だが、海が綺麗だった。下りが続くところにさしかかると、「頭ヶ島(かしらがしま)教会」が県道から見えた。県道から教会が見え隠れしながらも下っていくと、頭ヶ島教会にたどり着いた。近くで見ると、石造りの教会だった。石造りなので、落ち着いた雰囲気が出ていた。また、教会からは海と墓地が見えた。   
この教会にも、階段入り口左側に、白い掲示板が立てられていた。江袋教会と同じように、教会の説明が白い掲示板に大きく書かれていた。
再び国道三八四号線に戻ると、奈良尾港に向かって走行する。出来たら今日中に福江島に渡りたいと考えていたからだ。国道を走行していると、国道の左側に「真手ノ浦(まてのうら)教会が見えた。幼稚園と勘違いしてしまうような、建物だった?  
途中で手に入れたガイドマップには、フェリーの時刻が書いてあった。午後三時三十五分発のフェリーに乗ることが出来れば、福江島に渡ることが出来る。そのことを考えると、午後三時までには、奈良尾港に到着しなければならないと考えていた。又、手に入れたロードマップには、多くの教会の名前が書かれていた。しかし、時間のことを考えたら奈良尾港の近くにある「福見(ふくみ)教会」で時間調整をするのが得策と考え、早めに福見教会を訪れる。
 教会は国道からはずれていたが、すぐに分かった。民家の中に建っていたが、すぐに見つけることが出来た。周りを石垣の段々畑と民家で囲まれた、レンガ造りの教会だった。小さな教会ではあったが、レンガ造りのためすぐに教会と分かった。
教会撮影後、マップルで周辺の確認をしたら、赤で「マリア像」と書かれた場所があった。時計を見たらまだ午後二時半だったので、行ってみる。県道二十二号線を走行し、海岸に沿いに降りてみると、白いマリア像が海を見て建っていた。バイクを道路沿いに止め徒歩で近づいてみると、「希望の聖母」と書かれてあった。
数枚撮影すると、奈良尾港に向けてスピードを上げて走行する。午後三時過ぎに奈良尾港に到着することが出来た。乗船手続きをすると、すぐにフェリーに乗船することが出来た。奈良尾港~福江港は、一時間ほどだった。フェリーの中で、到着した後の行動を考える。太陽が沈むまでの二時間ほどは、行動できると考えた。
 福江港に到着すると、迷わずに「堂崎(どうざき)教会」に向かう。ターミナルから市道一六二号線を海岸に沿って走行すると、教会は右側に見えた。海と教会が遠くから確認できるので、風景を楽しみながら教会に近づくことが出来た。レンガ造りの大きな教会だった。     
市道一六二号線を海岸に沿って走行するつもりだったが、林道に入ってしまった。林道とは言っても舗装されていたので、走行に問題はなかった。ただ、沢ガニが道路を横断するので、注意しながら走行した。しばらく沢ガニに注意しながら走行すると、市道に突き当たった。市道を右折し走行すると、国道三八四号線に突き当たった。国道を右折し走行していると、国道の左側に「水ノ浦(みずのうら)教会」が見えた。夕方の午後五時過ぎだったので、教会が夕陽に照らされて白く輝いて見えた。教会は高台の上に建っていたので、バイクを道路に止めて徒歩で教会に近づく。白く、神秘的な教会に見えた?特に、白いユリの花が印象に残っている。                       、
 福江市内に戻り、ビジネスホテルに宿泊する。素泊まりで、四千円だった。
☆各教会には、説明文として白い看板が立てられていた。残念だったのは、標識がなかっ たことだった。教会の場所を示す標識がなかったので、場所を探さなくてはならなかっ た。ほとんど人と会うことがなかったので、場所探しも苦労した。今考えてみたら、観 光客は居たのかな?
△青砂ヶ浦教会、江袋教会、頭ヶ島教会、真手ノ浦教会、福見教会、希望の聖母、堂崎教 会、水ノ浦教会

○八月二十七日(土)▽福江港~生月港、平戸
福江島を時計回りに回りながら、走行する。鬼岳の麓を海岸線に沿って走行していくと、国道三八四号線に合流した。更に国道を海岸に沿って走行すると、「井持浦(いもちうら)教会」に向かうため、県道五十号線にはいる。県道を走行していると、「立谷(たちや)教会跡地」の看板を道路沿いに発見する。予定していなかった教会だったが、道路沿いなので立ち寄る。
「立谷教会跡地、無原罪の聖母像」という看板が、ミニチュア教会の前に立ててあった。更にその奥には、墓地が見えた。奥に進んでみると、墓地の手前に「聖母マリア像」とイスが並んでいた。学校で言えば、青空教室のような感じだ。屋根のない教会が、「立谷教会跡地」だった。
 県道を下っていくと、前方に「井持浦(いもちうら)教会」が見えてきた。峠を下ると、前方下に教会が見えるという感じかな?でなければ、コーナーを丁寧にクリアしながら下ると、自然と教会が見えてくる?近づいてみると、建物は新しい感じがする?入口上にモールトン(イギリスの自転車メーカーです)のロゴマークに似たロゴがある?また、峠から教会までの道並みには、あじさいの木が植えられており「あじさいロード」と書かれた看板が立っていた。                                福江市内に戻ると、武家屋敷を撮影する。フェリーで福江港から生月港に移動する。その夜は、平戸市内に宿泊した。
△立谷教会跡地、井持浦教会
☆ 五島列島の中で一番大きな島が、福江島だ。その一番大きな福江島を旅していたのだ が、やはり観光客と会った記憶がないのだが?交通の便が悪いからか?

○八月二十八日(日)▽冷水岳、岳の棚田、伊万里、土谷、浜野浦、呼子、壱岐
 平戸市内を散策する。眼鏡橋とザビエル記念教会の撮影。平戸は、フレンディでカヌーを積んで訪れたのが最初だったが?
 平戸市内から国道三八三号線を南下する。「宝亀(ほうき)教会」は、国道沿いの右側に建っていたが、残念なことに補修工事をしていた?更に南下すると、国道の右側に白い大きな建物が見えてきた。「紐差(ひもさし)教会」は、右側の高台に建っていた。白い大きな、立派な教会だった。                            再び国道三八三号線を北上して平戸に戻るが、同じ道を走るのもつまらないので、国道からはずれて川内峠を走る。平戸市内を抜け、平戸大橋を渡り向かうのは「田平(たびら)教会」だ。田平教会は国道をはずれるが、長崎県本渡に建てられた教会なので、訪れやすい。たぶん、最も観光客数が多い教会なのではないだろうか?レンガ造りの立派な建物は、何度訪問しても飽きない。                             再び国道二〇四号線に戻り走行すると、国道を右折して県道十八号線を走行する。県道を南下すると、左側に冷水岳の入口が見えてくる。県道を左折して入口にはいると「本土最西端モニュメント」があった。中央には、大きな日本列島の地図が描かれてあった。
 再び県道から国道二〇四号線に戻ると、国道四九八号線を走行する。この国道は、棚田ロードに合流しているので、棚田ロードにはいる。棚田ロードは、岳の棚田へと導いてくれた。竹の棚田から伊万里市に向かい、「伊万里大川内」を訪れる。
 伊万里市から、すでに稲刈りの終えている「土谷棚田」「浜野浦の棚田」を訪れる。これが五月だったら、もっと素敵な棚田を見ることが出来るのだが・・・。
 棚田の撮影が終えると、呼子からフェリーで壱岐に渡る。フェリーの時間がまだあるので、呼子市内を散策する。フェリーに乗船するときに、高校のソフト部と一緒だった。会話を聞いていると、大会のためにフェリーを利用しているようだ。それを考えたら、島内の部活は遠征費が高く付くな?と、一人苦笑いする。呼子発午後六時~壱岐。
 壱岐に宿泊する。民宿一泊二食で六千円
△②ザビエル記念教会、宝亀教会、紐差教会、田平教会

○八月二十九日(月)▽壱岐~対馬
壱岐島内を散策する。朝一番に、「鬼の足跡」に向かう。次は「猿岩」へ、確かに猿に似ている。勝本の朝市から、男岳神社の「石猿群」へと向かう。最後は「はらほげ地蔵」、
お地蔵様が海岸にいる?これを最後に、対馬へと渡る。
 対馬は、日本で一番ガソリンが高いと聞いていたので、なるべくガソリンを入れないようにする。走行してみると、対馬は山が多く、自転車では無理だ。自転車でなくて良かった?
万松院を訪れるが、肝心な石段の撮影を忘れてしまった。「石屋根」については、何カ所か撮影できた。特に「椎根の石屋根倉庫」は、素晴らしかった。「和多都美神社」は、海に鳥居が続いており、珍しかった。「藻小屋」も石で作られており、珍しい建物だった。
 万関橋手前の民宿に泊まる。
 対馬に宿泊する。民宿一泊二食付き七千三百円

○八月三十日(火)▽対馬~博多
韓国展望所から韓国を眺めてから、比田勝港へ。韓国まで二時間で到着。韓国行きのフェリーが毎日運行されている。対馬から博多までフェリーで七時間、博多から高速道を使用して、大分港に向かう。予定通り大分港から久里浜へ。
対馬から韓国までフェリーで二時間、博多まで七時間かかると言うことは、韓国がかなり対馬に近いことが分かる。。

○八月三十一日(水)▽大分~久里浜
 久里浜港到着
☆ 五島列島には更にたくさんの教会があることを知った私は、まだ撮影をしていない教 会を訪れたいと強く感じた。ただ、あまりにもガイドブックと道路標識(教会があるこ とを示す案内板)がしっかりしていないと感じた。これが車だったら、駐車場の問題な どの車に対する整備が問題になってくる。バイクだったら路上に止めることも出来たし、 間違ったらすぐにUターンが出来たが、車はそんなに小回りはきかない。
  また、壱岐や対馬には教会がなかった(探せばあったかも知れないが?)。何故なの だろうか?五島列島にはあんなにたくさんあるのに・・・。

☆ その後、二〇〇七年一月、ユネスコの世界遺産暫定一覧表に「長崎の教会群とキリス ト教関連遺産」が登録された。(十七の教会と九のキリスト教関連遺産が登録された)

●その五「山口から五島列島へ」(二〇一〇年八月十七日(火)~二十四日)
山口県を訪れる用事があったので、そのまま九州に渡り五島列島を訪れる計画を立てる。
○八月十七日(火)▽首都高~東名 伊勢湾岸道 刈谷SA 中国道 赤松PA
○八月十八日(水)▽中国道、津和野、長門
 赤松PAを午前五時出発、六日市到着午前九時四十分、津和野到着午前十二時、長門到着午後四時、海岸にテントが張れるかどうかの確認をするため、海岸に近いレストランでビールを飲む。ビールと焼きうどんで二千円だったが、海岸沿いにテントを張ることが出来た。

○八月十九日(木)▽九州道、長崎道
○八月二十日(金)▽佐世保港~有川港 奈良尾港~福江港
 PAを午前五時出発、佐世保港午前五時半到着、フェリー乗船午前六時半、有川港到着。
二度目の五島列島の旅なので、懐かしかった。前回の旅を教訓に、まず慌てずに港でガイドマップを手に入れる。マップルで確認するのも良いが、マップルには載っていない教会があったり観光名所があるかも知れないからだ。                   ターミナルから国道に出ると、国道を左折する。すぐに県道六十二号線に出る。県道を前回と同じように空港方面に向かうと、頭ヶ島大橋に出る。大橋を渡り、左側に下ると、石造りの立派な「頭ヶ島(かしらがしま)教会」に出た。教会正面の石段左側に、白い掲示板が見えた。                                  先ほどの県道を有川方面に向かって戻ると、県道三十二号線に入る信号機が見えてくる。信号機を右折して県道を北上すると、県道の左側に「丸尾(まるお)教会」が見えた。前回は訪れていない教会で、白い教会だ。ルルドが海側に立ち、ルルドの右側に青い掲示板が建てられていた。掲示板は、英語と韓国語でも同じように書かれていた。       更に北上すると、右側に「青砂ヶ浦(あおさがうら)教会」が見えてきた。これは前回撮影済みの、レンガ造りの立派な教会だ。正面玄関右側に、以前無かった青い掲示板が建てられていた。丸尾教会と同じ掲示板で、三カ国語で書かれていた。          県道三十二号線を戻り、三叉路を右折して県道一七〇号線にはいる。県道をまたすぐに右折すると、「冷水(ひやみず)教会」が左側に見える。前回訪れていない教会だ。バイクを路上に駐車して、石段を登ると、小さな玄関前に着いた。木造の教会だった。再びバイクの所に戻ると、石垣の所に白いユリの花が咲いていたので、教会と石垣と白いユリの花を同じフレームに納めて撮影した。今回は、この教会の撮影のために超広角レンズを購入したので、難なく撮影することが出来た。                     先ほどの県道一七〇号線に戻ると、県道を南下する。南下して行くと、国道三八四号線に突き当たる。突き当たった三叉路を海岸線に沿って走行すると、「大曽(おおそ)教会」が左側に見えた。前回訪れていない教会だ。民家が建ち並ぶ、高台の所に建てられた教会だった。近づいてみると、レンガ造りの立派な教会だった。              再び国道三八四号線に出ると、国道を南下する。奈良尾港から福江島に渡ることを考えると、そろそろ奈良尾港方面に向かわなければ行けないからだ。左側に前回訪れた真手ノ浦教会があるが、素通りして更に南下する。右側に「中ノ浦(なかのうら)教会」が見えてきた。前回撮影していないので、撮影に立ち寄る。白い木造の、瓦屋根の教会だった。午後に入っているので、水面に教会が映らない。出来たら午前中に撮影するのがベストなのだが、一応撮影しておく。                            南下していくと、右側に県道四十六号線が見えてきた。時計を見ると、フェリーの出航まで一時間半ほどあった。軽くブレーキングをしながら右折の合図を出して、県道四十六号線にはいる。若松大橋を渡ると交差点が見えた。交差点を左折すると、左側に「土井ノ浦(どいのうら)教会」が見えてきた。この教会も初めて訪れる。正面がコンクリート造りで、角張った形をした教会だ(正面から見ると)。時間が心配なので、撮影するとすぐに国道に戻る。                                  時計を見ると、残り一時間ほどだが、国道に出ないで海岸沿いに右折する。校舎のような、「桐(きり)教会」が見えた。今回初めての教会だ。個々で数枚撮ると、慌てて国道に戻る。                                     右側に奈良尾港が見えるが、そのまま直進して、「高井旅(たかいたび)教会」に向かう。国道を北上して、県道二十二号線にはいると、右側に小さな教会が見えた。この教会も、前回訪れなかった。個々でも数枚撮影すると、奈良尾港に向かう。フェリーは、すでに入港していた。
 奈良尾港からフェリーで福江港へ渡る。午後三時五分出航、福江島には午後四時に到着したが、福江キャンプ場まで一時間以上かかってしまい、午後五時半過ぎの到着だった。
キャンプ場への道が、狭かった。とにかく狭く入り組んでいたので、迷った?温泉が近くにあったので、良かった。
キャンプ場には、私だけのテントがぽつんと設営されていた。風呂から帰ってきても同じだった。広いキャンプ場で、極上の夕陽を独り占めしながら、ビールを飲んだ。夜になると、さらに星空がきれいだった。

△②頭ヶ島教会、丸尾教会、②青砂ヶ浦教会、冷水教会、大曽教会、中ノ浦教会、    土井ノ浦教会、桐教会、高井旅教会
☆ 「新上五島EVドライバーズマップ」は、役に立った。何よりも見やすかった。この マップは、レンタカーがすべて電気自動車になったので作られた?どこで質問したかは 覚えていないが、私が
「なぜすべてのレンタカーを、EVにしたのですか?」
と尋ねると
「EVの欠点は走行距離が短いことなのですが、五島列島内ではどんなに走行しても一 〇〇キロを超えることがないので、走行距離が短いことが欠点にはならないのです。そ れに、島内にはEVスタンドを多く設置してありますから安心です。このマップがあれ ば、EVスタンド設置場所も分かります。」
と返答されて、「なるほど」と納得した記憶があります。               何よりも素晴らしいのは、他の市町村に先かげて電気自動車の普及に力を入れたこと です。また、「巡礼スタンプ帳」が教会を訪れるガイドマップにもなってくれた。

○二〇一〇年八月二十一日(土)「福江島で」
 午前五時半キャンプ場を出発する。「井持浦(いもちうら)教会」に向かうため、国道三八四号線を海岸に沿って走行する。途中、県道五十号線にはいる。県道を走行していると、「立谷(たちや)教会跡地」の看板が道路沿いに立っていた。五年ほど前訪れた時にも撮影したが、今回も簡単に撮影する。
 県道を下っていくと、前方に「井持浦(いもちうら)教会」が見えてきた。アジサイの時期だったら、県道の両側がアジサイの花で埋め尽くされるのだろうが?二度目の撮影になるが、広角レンズを購入したので撮影が楽だった。また、カメラをデジタルに変えたので多く撮影する。
教会を後に、「大瀬崎灯台」に向かう。県道から、灯台を撮影すると、再び国道に戻る。国道を海岸沿いに走行し、「三井楽(みいらく)教会」へと向かう。しばらく走行すると、国道沿い左側に市道二二三号線が見えてくる。その市道を海岸沿いに走行していくと、左側に「三井楽教会」が見えた。近づくとわかるが、外壁正面に大きな絵が描かれている。どちらかというと、教会よりも公民館や図書館という感じだ。
 「水ノ浦(みずのうら)教会」に向かう。五年ほど前は夕方教会を訪れたが、今回は午前中なので、太陽が十分に教会を照らしてくれた。国道の右側に見えた教会は、花が似合う白い教会だった。特に、庭園が素晴らしかった。
国道三八四号線を右折して、県道三十一号線に入る。左側に、「楠原(くすはら)教会」が見えた。近づくと、レンガ造りの大きな教会だった。正面のレンガが、黒く汚れていた。古いレンガを見ると、建物が古い建物なのかなとも思った。入り口から左側に離れた所に、青い掲示板がたてられ、教会の説明文が書かれていた。                フェリーの時間に合わせて、最後に「堂崎(どうざき)教会」を撮影する。二度目の撮影になる。前回は夕方だったが、今回は午前中に訪れた。よく見れば、拝観料を支払えば、中に入ることができるではないかと思っただけで、中には入らずに、撮影するとすぐにフェリーターミナルに向かった。                           フェリーは、福江港を午前十一時五十分に出港した。定刻通り、長崎港到着は午後四時二十分だった。市内を抜けると高速道に入り、大分道PAにテント張る。暑いかと思い、なるべく標高の高いPAにテントを張ったら、寒かった(標高が高いとは言えないが、山間部を選んだ)。
△②井持浦教会、三井楽教会、②立谷教会跡地、②水ノ浦教会、楠原教会、②堂崎協会
☆ デジタルカメラと、超広角レンズの購入が今回の撮影に大きく役立った。特に超広角  レンズは、前回の撮影と比較してもメリットが多かった。

○八月二十二日(日)「四国へ」
 PAを午前四時半出発し、国道九四フエリー佐賀関港出航午前七時に乗船する。三崎港到着は、午前八時十分だった。
 内子の道の駅へと向かう。道の駅は、は混んでいた。道の駅から、泉谷の棚田へと向かう。棚田で、GL一五〇〇のおじさんに出会う。大阪から、毎年この棚田を訪れているということだった。午後四時に神在居の千枚田を撮影すると、国道五十六号線を海岸線にそって北上する。
 途中、ゆらり内海温泉ランドリー(須ノ川公園)で洗濯をする。また、温泉にも入る。高速道に入ると、四国を抜ける。

○八月二十三日(月)「平湯キャンプ場」
 午前四時出発、西宮名塩SA、北陸道徳光PAから温泉へ 、白川郷は中国人で混んでいた。平湯キャンプ場はバイクが多かった。

○八月二十四日(火)
 上高地は、気温が十六度だった。佐久を午前九時半に通過し下仁田ICから高速道を走行し、桐生太田ICを降りて帰路につく。

●その六「ハウステンボスのある長崎へ」(二〇一四年三月二十日(木)~二十九日(土))
☆三月二十日(木)午後十一時三十分に出発、圏央道桶川北本ICから中央高速道で岐阜 へ。琵琶湖を抜け、小浜ICから舞鶴道、雪降る中国道を走行し、二十二日(土)に六 日市ICを出る。                                 津和野に立ち寄り、自転車で津和野を散策する。今回は、津和野の「隠れキリシタン の歴史」を知ることが出来た。特に、「自然歩道十字架の道」「乙女峠の聖母とその殉 教者」は、何度も津和野を訪れていた私にとっては、大発見だった。          翌日、日本海を走行し「萩」にも立ち寄る。そのまま旅を続けて二十三日(日)に九 州にはいった。

○三月二十四日(月)「桜の咲く長崎へ」
 長崎ICを出る。何とか駐車場を確保して、市内を自転車で散策する。この時初めて大浦天主堂からグラバー邸を訪れる。桜が八分咲きだった。
 浦上天主堂でも新しい発見をした。恥ずかしい話しだが、今回浦上天主堂を訪れてはじめて浦上天主堂に原子爆弾が投下されて建物が建て替えられたことを知った。考えてみたら、今回訪れた平和公園、平和祈念像は浦上天主堂の近くだった。           駐車場に戻りオイル交換をすませると、長崎の夜景を見る。レストランで見る夜景は、とてもリッチな気分になれた。市内を抜けた後、国道沿いの温泉に入り琴海PAに車中泊する。十五年ぶりの車中泊だった?
△②大浦天主堂、②浦上天主堂
☆翌日、目的の「ハウステンボス」を訪れる。チューリップが綺麗だった。ただ残念だっ たのは、夕方から雨が降ってきたことだった。 三月二十六日(水)に九州を離れると、 広島原爆ドーム、雨の竹原散策、しまなみ海道から二十七日(木)に四国にはいる。金 比羅さんには、午後三時到着、上まであがった。
  明石海峡大橋のライトアップを撮影すると、二十八日(金)湾岸長島ICで午前十時 半に出て、「長島スパランド」に入る。午後四時過ぎに「なばなの里」に到着すると、 イルミネーションを撮影する。
  三月二十九日(土)御殿場ICを降りると、「山中湖」「忍野八海」「河口湖」と訪れ、 夕方帰宅する。

●その七「五島列島、残りの教会を求めて」(二〇一四年五月十六日~二十六日)
○二〇一四年五月十六日(金)
 三度目の五島列島へと、午前八時過ぎに出発する。考えてみたら約五年おきに五島列島を訪れている。圏央道桶川北本ICから中央道河口湖ICまで高速道を走行する。山中湖花の都公園でチューリップと富士山の撮影をする。見頃だった。撮影後、山中湖から御殿場へ、新東名で浜名湖まで走行する。
 伊勢湾岸道刈谷SAに午後五時十分到着、風呂に入り夕食をとる。テントは甲賀PAで
張る。満月が綺麗だった様な?

○二〇一四年五月十七日(土)「九州へ」
 午前五時に出発。岡山県、笠岡ICで降りる。福山のココスで昼食。笠岡から離島へと考えたが、断念。
 湯田温泉で風呂にはいると、高速道をひたすら南下する。長崎道小城PAでテントを張る。九州は、交通量が少ない。やはりアフリカツインのライトが暗い。

○二〇一四年五月十八日(日)「上五島へ」
 午前五時半にPAを出発、午前八時に佐世保フェリーターミナルに到着。すぐフェリーに乗れたので、有川港に午前十一時半に到着することができた。
上五島EVドライバーズマップを片手に
 県道三十二号線を北上する。県道の左側に「丸尾(まるお)教会」が見えた。白い教会と、青い空がとても印象的だった。海側に「ロザリオの聖母」が建っていた。また、聖母の左側に「丸尾教会の歩み」という石碑も建っていた。正面から撮影すると、入口が丸みを帯びていた。更に北上すると、右側に「青砂ヶ浦(あおさがうら)教会」が見えてきた。ここを訪れるのは、今回で三回目だ。上まで進むことなく、県道沿いから撮影する。エンジェルの像が、カラフルだ。今回も対岸まで走行して、対岸から教会を撮影してみた。今までとは違ったワンシーンを撮影することが出来た。更に県道三十二号線を北上すると、県道の左側に「曽根(そね)教会」が見えてきた。高台にある、小さな教会だった。形も一風変わっていた。県道を外れて山間部を走行すると、「大水(おおみず)教会」が見えた。小さな山間部の村の中に、ポツンと建つ教会だった。いったん教会から離れて撮影してみると、山間部に建つ教会の左側に煙突のよう物が立ち、先に十字架があるのが分かる。 県道から市道に入り北上すると、左側に「小瀬良(こぜら)教会」が見えた。赤い屋根が印象的な教会だった。この集落は石段の所に家が建てられていた。市道を更に北上すると、「江袋(えぶくろ)教会」の屋根が見えた。この教会も訪れるのは三度目だった。「赤波江(あかばえ)教会」は市道から外れていたので、少し探した。石垣の高台に建っていた。
「米山(こめやま)教会」は、一番奥に建てられた教会で、近代的な形をしていた?「仲知(ちゅうち)教会」は、米山教会から市道を下った左側に建っていた。一見、図書館と勘違いしてしまいそうな形をしていた。「冷水(ひやみず)教会」は、県道一七〇号線から外れたところに、建てられていた。高台に建てられていたので、バイクを置いて階段を上った。近づいて撮影すると、質素な感じの教会だった。石垣の所に白いユリの花が咲いていたのが、印象的だった。                            「青方(あおかた)教会」は、国道沿いに建てられていた。コンクリート造りの大きな教会だった。「大曽(おおそ)教会」は、国道を外れた海岸沿いに建てられていた。頭ヶ島教会に似た、レンガ造りの立派な教会だった。ツツジと、バラの花が印象的だった。国道三八四号線を南下すると、左側に「跡次(あとつぎ)教会」が見えた。鉄筋コンクリート造りのホテルのような教会だった。国道からそれて青木浦に向かうと、海岸の高台に、「焼崎(やきざき)教会」が見えた。焼崎教会から山間部の林道を走行すると、「猪ノ浦教会」の看板が見えた。教会は、小さかった。又、周りを山々に囲まれた人里離れた場所に建てられていた。奥に、「祝 主の御復活祭」の看板があった。
猪ノ浦(いのうら)教会を後に、再び国道三八四号線に出て南下すると、左側に「真手ノ浦(まてのうら)教会」が見えた。二〇〇五年に訪れたときの写真と比較したら、建物がかわっていた(建て替えられた?)。                        「中ノ浦(なかのうら)教会」は、真手ノ浦(まてのうら)教会を国道に沿って南下すると、右側に見えた。白い木造作りの教会だった。観光パンフレットに、水面に映った写真が掲載されているが、午後三時過ぎだったので撮影できなかった。更に国道を南下すると、「大浦(おおうら)教会」が右側に見える。国道から奥に入っているので、見過ごさないように走行しないと、通り過ぎてしまうおそれがある。案内板があったので良かったが、木造の小さな教会だった。                           県道四十六号線に沿って、若松島に渡る。市道一六九号線に沿って走行すると、「土井ノ浦(どいのうら)教会」へと向かう。市道を左側に少しはいると、高台の上に白い教会が見えた。更に市道を有福島へと向かうと、奥に「有福(ありふく)教会」が見えた。この教会は、かなり奥に建てられていたので、少し迷ってしまった。建物は、新しかった。 「大平(おおひら)教会」は、市道一六九号線を海岸線に沿って走行すると、海側に見える。この教会も人里離れたところに建てられていたので、見つけるのに苦労するかも知れない。山間部を抜けた、小さな村に建てられた小さな教会だった。          宿の浦から国道を南下せず、海岸線を奈良尾方面に南下すると、左側に「桐(きり)教会」が見える。高台に建てられた、大きな教会だった。遠くから見ると、高等学校のように見える。近づくと、目の前に長い階段が見えた。どちらかというと、遠くから海面を入れて撮影するのがよい。                              午後六時過ぎ、桐教会から国道方面に向かうと「高井旅(たかいたび)教会」が県道から下に見えた。近づいて撮影する。高台に建てられた、小さな教会だった。
 午後七時奈良尾で夕食を食べようと思ったが、開いている食堂が見つからない。食堂(虹)をどうにか見つけ、かろうじて風呂にはいることもできた。テントは、公園に張る。苦労して探した風呂、二百五十円は安かった。
△②丸尾教会、③青砂ヶ浦教会、大水教会、小瀬良教会、②江袋教会、赤波江教会、   米山教会、仲知教会、②冷水教会、青方教会、②大曽教会、跡次教会、焼崎教会、   猪ノ浦教会、②真手ノ浦教会、②中ノ浦教会、大浦教会、②土井ノ浦教会、②有福教会、 大平教会、②桐教会、②高井旅教会、
☆ 今回は五島列島の教会撮影を目的として、十分な時間がとれた。更に資料も多く、五 島列島での様々なパンフレットが充実していた。特に、五島列島の隠れキリシタンに関 するパンフレットが観光案内所に置かれていた。ただ残念だったのは、世界遺産登録が 見送られてしまったことだ。その代わり、「富岡製糸所」などの「近代産業遺産」が世 界遺産に登録された。

○五月十九日(月)「奈留島へ」
 雨音で目覚める。朝から雨?おばさんから話しかけられる。会話が終了すると、すぐにテントを撤収した。又話しかけられるおそれがあったので、慌てて撤収した。
 午前六時過ぎ、活動開始。「福見(ふくみ)教会」は、県道二十二号線沿いに見ることが出来る。この教会を訪れるのも、二度目だ。
「浜串(はまくし)教会」は、県道沿いの町中に建てられていた。コンクリート造りの建物で、病院と言った感じがするが?                         二度目の「希望の聖母」は、かなり綺麗に撮れている。なぜなら、今回は花で飾られているからだ。更に県道を北上すると、「船隠(ふなかくし)教会」が県道の右側に見える。この教会は、田畑の中に立てられていた。今までの教会が高台に建てられていたことを考えると、珍しい?、                               
有川港目指して、更に県道を北上すると、左側に「旧鯉浦(こいのうら)教会」が見える。新しい鯉の浦教会も、近くに建てられていた。
有川で国道に出ると、国道を右折して県道六十二号線を走行する。三度目の「頭ヶ島(かしらがしま)教会」が見えてきた。この時期は花が咲いているので、綺麗な墓地を見ることが出来た。                                   若松港に向かうため、国道三八四号線を南下する。先日撮影した「中ノ浦教会」を本日も撮影する。なぜなら、午前九時過ぎなので、海面に映った教会を撮影することが出来るからだ。思った通り、撮影はうまくいった。若松港から奈留島へ渡る。奈留島には、今回初めて渡った。                           
 午前十一時に奈留島に到着、何故かわくわくしてきた。到着するとマップルで確認をして、迷わずに「江上(えがみ)教会」へと向かう。市道が一本しかなかったので、迷わずに教会にたどり着くことが出来た。森の中に、木造の白い教会がポツンと建っていた。とても静かな海と森に囲まれた教会で、見ているだけで心が落ち着いてくる。       近くに小学校があった。校庭に記念碑が建っていた。「平成十年三月三十一日廃校、奈留町立江上小学校」と文字が刻まれていた。                     港に向かう途中、「奈留(なる)教会」に立ち寄る。鉄筋コンクリート造りの白い教会だ。鉄筋にしては、小さな教会かも知れない。近くに高校が併設されていた。どちらが先に立てられたかは知らないが、高校の敷地に「ユーミンの歌詞」が石碑として建てられていた。「瞳を閉じて 作詞・作曲 荒井由美」「奈留高校同窓生一同 昭和六十三年八月吉日」とも刻まれていた。
 天気が良く、フェリーが来るまで時間があるので、コインランドリーで洗濯をした。驚いたことに、コインランドリーにテレビが設置されていた。
 午後三時過ぎにフェリーで福江島に渡り、テントを張る。すでに福島から来たGLのライダーがテントを張っていた。GLの近くにテントを張るつもりでいたが、以前テントを張った場所にテントを張った。何となく、そちらのほうがロケーションがよかったからだが?
テントを張り終えると、食料の買い出しと風呂に向かう。このキャンプ場と温泉は二度目なので、迷うことがなかった。
△②福見教会、浜串教会、②希望の聖母、船隠教会、旧鯉浦教会、③頭ヶ島教会、    中ノ浦教会、江上教会、奈留教会
☆奈留島は、静かな島だった。何よりも私を驚かせたのは、教会ではなく荒井由美の歌詞 が石碑になっていたことだった。「瞳を閉じて」は録音してあるので、よく聞いていた が、舞台が奈留島とは知らなかった?

○五月二十日(火)「雨宿りした浜脇教会」
 久賀(ひさか)島に渡るフェリーに乗るため、早朝六時前に出発する。朝から小雨模様だったが、キャンプ場を出ると、すぐに小粒の雨が降り出してきた。フェリー乗り場は簡単な建物だったので、すぐにわからなかった。                    雨が強く降り出したが、久賀島に渡る。バイクをフェリーから降ろすときに     
「すいません。確認なんですけれど、次のフェリーは午前九時半でしたよね?」
と、バイクのロープを外してくれた船員に尋ねると
「次のフェリーは、フェリーはフェリーでも人だけ乗せるフェリーで、バイクを乗せることは出来ません。もし利用なされるんでしたら、午後二時半のフェリーをご利用下さい。」
と言われてしまった。
 市道一六七号線が一本、島を通るだけなので道に迷うことはないと思っていたが、市道から右折する場所がなかなか分からず、苦労した。使用されていない、林道のような道だった。草が多い繁っているので、軽の車でないと走行できないような狭さだった。付け加えて書けば、軽は軽でも四輪駆動車でないと難しいかも知れない。なぜなら、舗装がされていないので、今回の雨のような状況ではスタックするおそれが十分にあるからだ。正直雨も強くなってきたので躊躇したが、今回の目的はこれから向かう「旧五輪教会」の撮影だったので、いつチャンスが来るか分からないので土砂降りの中を走行する。
 林道をしばらく走行すると、駐車場に到着した。駐車場は狭かった。すでに軽の車が一台駐車していた。駐車場から徒歩で教会に向かう。雨が降っているので、傘がいいのか雨具のままがよいのか迷う。面倒なので、雨具のまま向かう。              歩道を下ると、すぐに対岸に建つ教会を見ることが出来た。雨の中に、小さな木造作りの教会が見えた。「旧五輪(ごりん)教会」にたどり着くことはできたのだが、雨の中の撮影なのでカメラが濡れないように撮影したため、短時間で撮影は終了してしまった。駐車場に戻るとき、新しい教会があることに気が付き、撮影する。現在使用されている「五輪教会」だった。                                 駐車場に戻る歩道を歩きながら、教会を何度も振り返っていたとき、一本の桜の木があることに気が付いた。今度訪れることがあれば、桜の時期がいいかなと考えながら駐車場に戻る自分に気が付いた。駐車場に戻ると、先ほどの林道を再び走行する。フル装備のアフリカツイン、おまけにどしゃ降りの林道、バイクを倒してしまったら起こすことは無理なので、帰りは慎重に走る。                            無事市道に到着、アスファルトの道は走りやすい?問題はこれからだった?この雨の中、どこで時間をつぶせばいいのか?この島に喫茶店か食堂があれば、時間がつぶせるかも?道路沿いにあった雑貨店で、パンを購入する。購入するときに            「すいません、この島に食堂はありますか?」          
と、おばちゃんに尋ねた。すると、
「なかんとよ!」
と一言言われて、会話が途切れてしまった。
 とりあえずパンだけを購入すると、途中にあった教会に向かう。教会に向かう途中、ワゴン車が道路沿いに一台止まっていた。左側に建物があり、「殉教記念教会」と書かれた看板があった。ワゴン車は、ツァー客を乗せたワゴン車のようだった。私も、せっかく訪れたのだからと、立ち寄る。                            雨の中、再び教会目指して走る。右側に教会があった。教会の出入り口のところが濡れる心配がないと分かったので、バイクを止めるとひとまず出入り口の所に逃げ込む。まず雨具を脱いで雨具を干した。                            落ち着くと、改めて教会の名前が分かった。「浜脇(はまわき)教会」と書かれてあった。雨が止めば島内を散策するつもりでいたが、いっこうに止む気配がないので、バイクの所からラジオと火器とコッフェルを取り出して、紅茶を沸かした。黙って玄関の所を使っていてはまずいと思い、周りを見回したのだが人の気配が全くなかった。       教会で雨宿りしていたら、日本一周の時にテントに一日いたことを思い出した。最終的には、個々で食事をとりながら過ごしてしまった。教会で一日雨宿りし、午後二時過ぎに再び福江島に渡ると、携帯を忘れたことに気が付いた。キャンプ場に戻ってみると、落ちていた。キャンプ場からフェリーターミナルへと向かい、午後四時のフェリーで長崎へと渡る。                                      長崎港に着くと雨はやんでいたが、濡れた体なのでビジネスホテル泊まる。
△旧五輪教会、浜脇教会
☆一日どしゃ降りで、まさか教会の出入り口で雨宿りをするとは思いもよらなかった?
☆テレビで「楠」のニュースを見る。
☆バイクを乗せないフェリーがあることを知った。

○二〇一四年五月二十一日(水)「山王神社被爆クスノキを求めて」
 予定を変更して、朝から「くすのき」を探す。クスノキは、思ったよりすぐに見つけることが出来た。クスノキの所には大きな看板が立てかけられていた。
「山王神社被爆クスノキ治療中」
このクスノキは、一九四五年長崎で原爆を浴びました。黒く焼けこげても、がんばつ て生きてきました。でも、疲れてしまって立っていられなくなってきました。
だから、一生懸命手当をして再び元気を取り戻し、これからもみんなに親しまれるよ うになってほしいと思っています。いつまでもこのクスノキを見守って下さい。
山王神社
 クスノキの撮影が終わると、雲仙普賢岳の「ミヤマキリシマツツジ」を撮影するために、雲仙普賢岳へと向かう。国道二五一号線走行途中、棚田の撮影を行う。確認の為マップルを見ていたら、「仙石海岸」を左折すれば棚田が多いことに気が付いたために国道を左折して棚田に向かった。棚田の畦がコンクリートで細く、美しい湾曲を見せてくれた。赤い土に、白い湾曲した線が入っているような感じかな?(水張りがまだだったため)
ミヤマキリシマ群生地の「仁田峠」は、早朝と言うこともあり、観光客がほとんどいなかった。花は満開で、空の青さにピンクの花が更に引き立っていた。
国道五七号線を島原港に向けて走行していると、左側に「大野木場砂防みらい館」の看板があった。予定していない看板だったが、その看板に引き込まれるようにして国道を左折してしまった。すると、目の前に大きな被災した建物が現れた。バイクを止めると、建物に近づき、掲示板を見た。掲示板には、
 「大野木場(おおのこば)小学校を襲った熱風」
と、書かれていた。敷地内を撮影しながら散策する。
一九九一年に発生した「雲仙普賢岳」の噴火、被害にあった小学校を保存していたことが理解できた。二十回以上九州を訪れているが、今回初めて知ることが出来た。周りの景色がかわっても、この被災した小学校がある限りは当時の様子が分かる。掲示板の文字を見ると「英語」「韓国語」「中国語」でも書かれていた。貴重な遺産だ。ふと被災した建物を見ていたら、大川小学校を思い出した。建物だけが残り、その他は被災して形を失ってしまった。本当に、建物以外は全て焼失してしまった(大川小学校は、流失)。違う点は、大木場小学校では死者が出なかったこと(大川小では多くの死者が出てしまった。)?
 フェリー乗り場に到着すると、再びキャンプ場で見かけたGLと出会う。島原から熊本へのフェリーの本数は多く、ほとんど待つことなく乗船することが出来た。私は目的地が決まっていたので、迷わずに国道五七号線を阿蘇へと向かった。阿蘇から右折すると「仙酔峡」へとバイクを走らせた。目的地に到着したのだが、阿蘇の「ミヤマキリシマツツジ」は、終わっていた。何カ所かは、まだ残っているところがあったので、かろうじてその場所を撮影して終わりとする。
ここから一気に屋久島に向かう予定なのだが、高速道に入る前に風呂にはいる。時計を見るとまだ午後三時過ぎだが、熊本ICに向かいながら風呂を探していれば午後四時を過ぎてしまい、風呂で時間調整も出来るだろうと、国道五七号線沿いをのんびりと走行する。
 阿蘇市内を抜けたところで、右側に日帰り温泉があった。他にも温泉施設はあったのだが、私を引きつけたのは「セット千五百八十円」の看板だ。風呂と食事がセットになっているのだが、メニューの写真を見ると食事だけで十分に元は取れると思われるような豪華なメニューだった。なのに、風呂にも入れる。ここしかないと思い、中に入って確認をする。ここに決定。                                
風呂はかなり大きく、ジャングルのようだった。そして食事はバイキング形式、温泉と夕食のバイキングセットで一五〇八十円は安い!風呂と食事で二時間ほど時間をつぶし、高速道に入ったのは、午後七時過ぎだった。
 最終的には、桜島SAにテントを張る。時間と場所選びで、時間がかかった。人がいなくなるのを待った時間と、張る場所を考えていた時間が長かった。

○五月二十二日(木)「屋久島へ」
 SAを午前五時前に出る。鹿児島港に午後六時に到着、コンビニで朝食を購入し、ターミナルで二時間ほどゆっくりする。乗船時刻が近づくと、自然とバイクに乗った旅人が集まってきた。フェリー乗り場でライダー達と会話を交わしていると、時間はすぐに過ぎてしまった。屋久島まで約四時間ほどかかる。又、フェリーは一日一本だ。一度渡ったことがあるのだが、どうしても「シャクナゲ」の時期に訪れたいと思っていたので、今回の五島列島とのプランになった。
 島内を散策しながら、登山コースに近いキャンプ場にテントを張る。八百円と高額だったが、料金を支払ってテントを張る。島なのでトラブルは避けたいと思い、迷わずに有料キャンプ場にテントを張る。午後六時過ぎだが、テントは私だけだった。海の見える海岸沿いの静かなキャンプ場だった。
☆今年から「荒川登山口」が車両乗り入れ禁止になった(三月一日~十一月三十日)。そ のため、「白谷雲水峡」までバイクで行き、登山することにする。

○五月二十三日(金)「再び訪れた縄文杉」
 キャンプ場出発午前四時半。登山口までバイクで行き、歩く。すでに日本一周のライダーが 準備をしていた。彼と途中まで一緒に行動する。彼は、中島少年と言い、ニコンF3使用するライダーだった。バイクは、一二五CCだった。
「くくり杉」午前六時五分~「七本杉」午前六時十五分~「武家杉・公家杉」午前六時半~「辻峠」午前六時四十分~「小杉谷」午前七時二十分(観光客多し・トイレ有り)~「ウィルソン株」午前八時四十五分(観光客多し、高齢者グループ多し)~「大王杉」午前九時半~「縄文杉」午前十時~縄文杉に十時半まで。
☆縄文杉を見る場所が変わっていた。おばあちゃんグループが感激していたが、前の方が ずっとよかった。シャクナゲは見られなかった。残念、下山途中で足を痛める。
 ~「夫婦杉」午前十時四十五分~「ウィルソン株」十一時半~「三代杉」午後一時~「辻 の岩屋」午後一時五十分~「太鼓岩」午後二時十分~「女神杉」午後二時半~「シカの 宿」午後三時十分~駐車場午後四時十分
 風呂に入れる場所に近いキャンプ場に移動する。すでに老夫婦がテントを張っていた。
 温泉に入っても足の痛みはとれなかった。シャクナゲ登山どうする?
☆キャンプ場からの夕焼けが綺麗だった。

○五月二十四日(土)「屋久島シャクナゲを求めて」
 紀元杉(午前七時)までバイクが入り、さらに今回は奥まで入る。シャクナゲを見るために、登山をする。シャクナゲの花は所々見られたが、群生地としては早すぎたか?さらに登山を進めれば見られたかも知れないが、足が痛いので断念する。
 ウミガメの産卵が見られるというので、屋久杉ランドで時期を尋ねていると、おばちゃんグループに
「この時期の夜や!」                             と言われた。
 近くの温泉が満員状態が続いているので、遠くまで移動して温泉にはいる。
 種子島からのロケット打ち上げが見られるというので、種子島に移動する人が昨日から多いと言うが、この屋久島からも見られると言うことで、見られる場所に移動する人が 多い。時間は、正午と言うことだ。フェリーで移動するので見られない?
 フェリーターミナルで「花子とアン」を見ていると、「赤毛のアン」の話が出た。
 鹿児島港に夕方到着。帰りもライダーグループと一緒になったが、軽トラックでバイクを広島から運んできたのには驚いた。CBは、博多まで行きたいと言っていたが、高速道を使用せずに博多までは難しい?
ガソリンを満タンにして高速道にはいる。午後十時過ぎまで走行し、どうにか九州は脱出できた。深夜に湯田PAにテントを張る。
○五月二十五日(日)「寂れてしまった中国自動車道」
 午前五時半に出発。昨夜はトラックのエンジン音でよく眠れなかった。広島へと向かう。このまま帰宅するのはもったいないと思い、途中「閑谷小」に立ち寄る。高校の修学旅行以来だ。閑谷小を見学していると、岡山西中の教師と会話する機会ができた。中学二年生が、学校行事で「写生会」と言うことだった。
☆中国自動車道は、GSの閉鎖が増えていた。朝食をとれるパーキングもない。
☆伊勢湾岸線でバイクの事故を見てしまった。ちょっとバイクを運転するのに美々つて閉 まった。。
 刈谷SAで温泉は入れたが、混んでいて夕食がとれなかった。コンビニで夕食を買い、 ベンチで食べる。
 東海環状自動車道でカタナとバトル、雨が降ってきたのでアフリカツインの勝ち?座光 寺PAでテントを張る。

○五月二十六日(月)
 午前五時半、PAを出発、談合坂SAでセローと長話。圏央道桶川ICを降り、栗橋のマックで一休み。午前十一時に到着。
☆五島列島は、クレジットカードが全く使えなかった。
☆屋久島にも教会はなかった?

●その八「五島列島及び近辺の島々の自転車旅」(二〇一四年九月三十日~十月十四日)

○九月三十日(火) 三十キロ
 自転車で古河駅まで行き、駅構内で自転車を分解する。羽田から佐賀空港へと向かう。
佐賀空港で自転車をくみ上げ、午後三時を過ぎているのでキャンプ場へと向かう。ところがキャンプ場がわからず、最終的には公園でテントを張る。風呂に入ることが出来なかった。残念!

○十月一日(水) 七十五キロ 江里山の棚田
 朝、おじさんに声をかけられる。公園から、国道四四四号線を走行し、県道四十三号線、県道四十二号線とつなげて走行する。小城駅前を午前八時半に通過し、江里山の棚田に向かう。小城町の町並みと小城羊羹を堪能することが出来た。
 江里山の棚田へと向かう。棚田には、午前九時四十分に到着する。彼岸花は終わりかけていたが、どうにか咲いていた。
 国道二〇三号線を唐津方面へと向かって、走行する。途中、フロントキャリアのネジが外れてしまったので、ホームセンターでネジを購入し、締め直す。           「ギャラリー風のふるさと」と大きく掲示された厳木駅前に、十二時半に到着する。駅舎は良かったのだが、人がほとんど利用していなかった?道の駅「厳木」で、昼食をとる。
 唐津にはいると温泉を探したが、なかなか温泉が見つからず、諦めて「野田温泉」に向かう。入浴料五百十円は高いと思ってしまった?更に悪いことは続く物で、キャンプ場が閉鎖されていた。キャンプ場を諦め、ファミレスで早めの夕食を食べ、暗くなるのを待ってから、公園にテントを張る。公園で、サッカークラブチームの指導者と会話?

○十月二日(木) まだらじま 三十キロ
 唐津の公園から呼子に向かう途中、朝食を唐津市内のファミレスで食べる。店内で今後の予定を立てるが、せっかくだから市内を見学する。市内を抜けると、呼子に向かう。二時間ほどで、呼子に到着する。壱岐・対馬に渡らず、馬渡島・松島に渡る。
 呼子港から、一日四本の船が出ていた。島には、一時間足らずで到着することが出来た。港にある大きな島内の地図で確認をしてから、教会に向かった。馬渡島(まだらじま)の教会は、木造の小さな教会だった。平戸の紐差教会を解体して持ってきて、馬渡島で再建した教会と言われている。小さな島に建つ、小さく質素な教会だ。教会敷地内の大きな花壇に、草花が植えられていた。島には交通機関がなかった。
 呼子港から、一日三本の船が出ている。十五分ほどで到着することが出来た。小雨だつたが、松島の教会は、港に建てられていた。教会の近くにある小さなヒマワリ畑が、印象的だった。島内の学校は閉校され、生徒二人は加唐島へ船で通学していると言うことだった。人影のない島だった。何故か、港の掲示板のポスター「島対抗スポーツ大会・交流会」が心に残っている。              
 呼子の温泉にはいると、ふろ場で八女市の人と会話になる。この温泉、我々以外誰もいなかった?風呂から出ると、夕食を買う。ところが、おつりを間違えていたため、百五十円損をしてしまった。夕食を食べ終え、店が閉まってから気が付いたので苦情を言うことは出来なかった。人がいなくなったので、そこにテントを張る。            一晩中漁船のエンジンの音と人の声がした。
★二つの島だけで一日が終わってしまったので、呼子にテントを張る。
△馬渡島(まだらじま)教会、松島教会
☆ 馬渡島教会と松島教会は、予定していなかった教会だった。今回は自転車の旅だった のでで可能だったのか?

○十月三日(金) 浜野浦棚田 六十七キロ
 呼子大橋は渡らず、国道二〇四号線を走行し名護屋へと向かう。名護屋大橋手前で、右側に小さな教会を見つける。撮影すると名護屋大橋を渡り、名護屋城跡地を見学する。午前八時過ぎと早朝のため、人はほとんどいなかった。「黒田官兵衛が縄張りの城 肥前名護屋城」の大きな文字が見えた。                          しばらく国道を走行すると、右側に浜野浦の棚田が見えた。浜野浦の棚田は、すでに稲刈りが終わっていた。棚田を見下ろすことが出来る展望台に、「恋人の聖地」の石碑が建てられていた。日付が「二〇〇七年四月」となっていた。彼岸花は、咲いていなかった。
 国道二〇四号線を更に南下していくと、福島に到着した。個々にも棚田があり、何度か訪れている。                                   福島大橋を渡ると、左側にあった国民宿舎が建て替えられていた。以前棚田撮影に訪れたときには国民宿舎は営業していなかったが、今回は建て替えられ経営者が変わっていた。国民宿舎での、千五百円のランチが良かった。福島の奥にキャンプ場があるので、そのキャンプ場へと向かう。途中棚田の所に咲いていたヒマワリの花がきれいだった。
 初崎に到着したのだが、キャンプ場は閉鎖されていた。敷地内にはいると、掲示板があったので読む。分かったことは、キャンプ場は予約制だった。迷ったが、何かあったらテンとを移動できるように、道路側にテントを張る。                  とても穏やかな夜だったが、突然バイクの音が聞こえたので、テントを移動する。月がきれいだった。夕食は、ラーメンと缶詰だけだった。店がなかったので、非常食のラーメンが役にたった。
 風が強く走行が大変だったので、疲れてしまった。

○十月四日(土) 七十五キロ
 暗いうちから走行する。昨日のヒマワリは綺麗だったが、水が張っていない棚田に魅力はなかった。もし水が張っていれば、昨日は綺麗な棚田の夕焼けを撮影できたことだろうし、今朝は日の出と共に水面が美しく変化する様子を撮影できただろう?        伊万里に午前十時前に到着、マップを片手に「大川内」を散策。伊万里市に戻ると午後になる。伊万里のビジネスホテルが二千五百円からとなっていたので迷うが、まだ明るいのでいけるところまで行く。国道二〇四号線を更に平戸方面に向かって走行すると、道の駅「松浦」に到着する。風が強く、海の近くは走行不能、近くに温泉があったので道の駅にテントを張ることにする。
 台風が近づいていたので早くテントを張りたかったが、暗くなるまで待つ。道の駅の夕食が安かった。風が強かったが、雨に遭うことはなかった。午後七時半過ぎ、テントを張る。台風のことを考え、東屋の下にテントを張った。

○十月五日(日) 四十一キロ
 早朝、平戸へと向かう。ユースに泊まることを考え平戸に向かうが、電話をしたら、休館と言うことだった。平戸に渡ることを考えていたのだが、平戸大橋が強風で通行できず
「田平教会」に向かう。田平教会、花壇が綺麗だ。                  「貝殻焼き場」                                田平教会は、レンガの目づめにコンクリートではなくアマカワ(石灰と赤土をまぜたもの)を用いている。中田神父は、このアマカワに用いる石灰を自分たちで作った。
国道沿いに道の駅があったが、まだ午前十一時過ぎだった。これが夕方であれば道の駅に逃げ込むが・・・?国道を走行していると、長い下り坂にさしかかったところで、小雨になった。下ったところが、小さな町になっていた。雲行きが怪しくなってきたので、再び迷う。
先を行ったところに県道十八号線があり、右折すれば日帰り入浴施設があることが分かった。止まる場所探しで途方に暮れる。雨と風が強くなる前に風呂に入り、今後のことを考える。考えたあげく、引き返して道の駅にテントを張ることにする。         道の駅に戻ったところで、雨が本降りになった。まだ午後三時過ぎだった。道の駅が閉店したときに、案内所は開いたままだった。午後六時過ぎに人がいなくなっても、閉まることはなくテントを張らずに泊まることができた。ラッキー!
△②田平教会

○十月六日(月) 黒島 五十七キロ
 道の駅から出るときに、何故か知らない人に缶コーヒーを貰う?今日は、佐世保にある健康センターに泊まることにする。夕方に佐世保に到着するようなルートを考えながら、走行する。
 「相浦港」から黒島へ渡ることを思いつき、相浦港に向かう。マップルで確認すると、佐世保が近かったので時間的には余裕があったため、松浦鉄道の撮影を行いながら相浦港に向かう。午前八時過ぎに到着したのだが、船が出てしまったところだった。乗り遅れて、二時間待ちとなってしまった。一日三便の船なので、最終船で戻ってこなければならないが・・・?
港周辺を散策しながら松浦鉄道を撮影していると、教会があることに気が付き、教会へと向かう。高台にあったので、長い坂道を自転車を押して近づいた。鉄筋コンクリート造りの大きな教会だった。
再びフェリーターミナルに戻ると、乗船券を購入して乗船した。船から、先ほどの教会が見えた。約一時間ほどで、黒島に到着した。教会までは一本道なので、道に迷うことはなかった。港からすぐに郵便局が見えたので、入ってみたらATMが設置されていたのでで一万円おろす(九州はカードの使用が限られているので、現金がすぐ無くなる?)。
 徒歩二十分ほどで、教会に到着した。黒島教会は、レンガ造りの立派な教会だった。受付の人が親切にも、教会内の撮影を許可してくれた。教会内も、綺麗だった。こんな小さな島に、何故レンガ造りの立派な教会が造られたのだろうか?
 島内は花がきれいで、高齢者が多かった。島民から話を聞くと、小中学校の統廃合で小さな学校に統合され、大きな学校は廃校となったと教えてくれた。また、耕運機が島民の足となっていたことに驚く?
午後四時、最終船で相浦港に戻る。すぐに佐世保のスパに向かうが、到着した頃には辺りは暗くなっていた。受付で
「すいません。個々は仮眠室がある二十四時間営業の健康センターですか?」
と尋ねると、
「誠に申し訳ございません。以前は二十四時間営業で仮眠室もあったのでございますが、現在は日帰り入浴のみとなります。」
と言われてしまった。温泉施設も、全ての風呂が使用できるわけではなく、半分ほどしか利用できなかった。それだけ利用する人が減ってしまったのか?
 佐世保のスパが仮眠できないので、公園にテントを張る。公園とは言っても、車の往来が激しい公園で、人通りも多かったので午後十時過ぎまでテントは張らなかった。車の音で熟睡できなかった。
△黒島教会

○十月七日(火)「小値賀島へ」
 早朝、市内を散策していると「カトリック三浦町教会」と書かれた大きな看板と大きな教会が目に付いた。近づいてみると、白いシンデレラ城のような形をした教会だった。何枚か撮影すると、佐世保港に向かった。                       今回はオートバイではないので、高速船で小値賀島に向かう。フェリーの本数は一本、高速船の本数は二本だった。自転車が無料だったので、ラッキーだった。ただ、必ず分解して梱包しなければならなかった。個々で、往復を購入するか、片道かで迷った。迷ったあげく、片道機切符を購入した。理由は、フェリーで平戸に渡った経験があるので、今回平戸に渡ることが出来なかったので、平戸に向かうフェリーに乗り込むことを優先した。
高速船は、フェリーと違って時間短縮にもなった。
小値賀島に到着すると、早速観光案内所に向かった。まず野崎島に渡る方法と、ガイドマップがほしかった。案内所を見つけると
「すいません。野崎島に渡りたいのですが?」
と質問すると、受付の人が
「本日は、野崎島へのツァーは終了しました。明日のご予約が出来ますが?」
と言われたので、私は
「いえ、ツァーの申し込みではありません。個人で島に渡りたいので、どうしたら渡れるかを尋ねているのです。」
と、再度尋ねた。それに対して受付の人は
「野崎島へは、一日二本の町営の船が出ておりまして・・・。今からでしたら島に渡ることは出来ますが、本日中に戻ることは出来ません。」
と言われたので、私は明日その町営船で野崎島に渡ることを告げ、どうすればいいか再度尋ねると
「分かりました。そうしましたら、野崎島に施設がありまして、その施設の予約を入れないとその施設がご利用できませんので、その施設の利用の予約だけ入れて貰えれればだいじょうぶですが。どうなさいますか?」
と、今度は逆に尋ねられてしまったので、
「いえ、施設の利用は結構です。だから予約を入れずに明日島に渡ります。」
と、返答すると
「島には何の施設もございません。だからトイレの問題や、飲み水などの問題もございますが?」
と言われたが、私はそのまま観光案内所を立ち去った。
自転車で島内を散策する。しばらくぶらぶらしていたが、やはり先ほどの施設の利用が気になり、最終的には再度観光案内所に戻り施設の料金千円を納めた。何もないという言葉が気になり、千円で野崎島の一日の生活が保障されるなら安いかと思い始めたこともあった。
 野崎島には明日向かう、本日は島巡り。迷いが解消されたので、北部にある「柿の浜」に向かった。景色がよかった。偶然、佐世保からの夫婦と話し込む。奥さんが日本人で、旦那さんがアメリカ人だった。二人は、この海岸によく来るそうだ。
 斑大橋を渡り、斑島に渡る。古い小さな街並みが残っていた。再び斑大橋を渡り、小値賀島に戻る。偶然通りかかった公園に、トイレと水場があったのでテントを張る。午後五時と早かったが、周りに人家がなかった上に人影がなかったので問題ないと思い張った。 テントの中で休んでいると、外で子供の声がした。トイレに行きたくなったのと子供の声が気になったことが重なり、テントから出る。子供二人とおばちゃんが、遊んでいた。
おばちゃんは私に気が付くと
「すいません。休んでいるところを起こしてしまって・・・。」
と、私に謝ってきたので
「大丈夫ですよ。公園にテントを張っている私が悪いんですから、公園はみんなが楽しく遊ぶところですから、気にしないで下さい。」
と、おばちゃんに申し訳なさそうに話すと、
「息子夫婦もたまに子連れで田舎に帰ってくると、この公園でキャンプをすることもあるんですよ・・・。」
と、おばちゃんが再び話しかけてきた。公園でおばあちゃんとお話をしていて、とても楽しかった。                                    その夜は満月で、月がとてもきれいだった。
△カトリック三浦町教会
○十月八日(水) 六キロ 野首天主堂
 早朝、昨日指定された場所へと向かった。午前七時半に来て下さいと言われていたので、早めに向かう。三十分ほど前に到着してしまった。一人で船を待っていると、同じような目的の人が二人加わった。お互い軽く挨拶を交わしたが、会話はなかった。年齢的なものかも知れない。女の人は五十代という感じで、男の人は四十代後半から五十代前半という感じ立った。野崎島へは、三人で向かった。
 船は小さかった。年配の人が、毎日二度野崎島に渡るらしい。施設に宿泊客が居るときには、食料なども運ぶと言うことだった。又団体客があった場合は、団体客にあわせて船の大きさや本数が変更になることもあると言うことだった。船を出してくれた年配の人が、施設まで案内してくれた。又施設の鍵類も持っているので、必要な場所を開けてくれた。もちろん、教会も開けてくれた。もし、施設使用料金千円を支払っていなかったら教会内部にはいることも出来なかったことと思う。それを考えたら、施設使用料千円は払ってよかった。
教会は、島の段々畑の中腹に建てられていた。赤レンガ造りの教会から、宿泊施設(旧野崎分校)が見渡すことが出来た。我々三人は、教会と施設を案内された後は自由だった。三人は、その後もバラバラに食事をして島内を散策した。ただ、島を離れる頃になると、会話が多くなっていた。
午後二時過ぎに船が出るので、その時間にあわせて港に戻った。その時初めて、個々に村があったことが理解できた。港の周りには、家が点在していた。ただの家では、ない。生活していた跡が残る、家だ。生々しい姿だった。こういう風にしながら、「廃村」になると言うことが、生々しく実感できた。
 小値賀島に戻ると、二人は民宿に戻った。会話の中では、二人は飲みに行こうと言っていたが?また、私が「相談員」という仕事をしていることを話したら、女の人は興味深々に会話に加わってきた。何となく、保健の先生という感じだった。男の人は、事務職の人? 私はフェリーで、宇久島へと向かった。ターミナルに野宿するつもりで居たのだが、宇久のターミナルは、残念なことに閉まっていた。諦めて、児童公園にテントを張る。
△野首(のくび)天主堂、
☆ 教会よりも、島から人がいなくなり廃村になってしまった生々しい廃村跡が心に残っ ている。

○十月九日(木) 二十五キロ 宇久島へ
 人目に付かないように、早めにテントを撤収する。「神島神社」「東光寺」「三浦神社」「三浦のソテツ」「平家盛像」宇久島は、平家の歴史の島だった。
 生月島へはフェリーが出ていなかった。残念!高速船で佐世保に戻る。こんな事だったら、往復チケットがよかった。小値賀島で、偶然二人と出会う。何故か、三人での会話はなかった?佐世保の昼食は、カレーを食べた。国道三十五号線を南下する。国道は、混んでいた。問題は、洗濯物がたまっていると言うことだった。出来たら、コインランドリーのある風呂に入りたいが?
国道三十五号線から国道二〇五号線にはいる。ハウステンボス前の「ばってんの湯」が右側にあったのでコインランドリーがあるかどうかの確認をする。あるのだが、小学生の修学旅行が入っているので、午後五時までには終わらせてほしいと言われた。なので、洗濯をしてから風呂にはいる。
 二〇五号線を南下すると、右側に「特攻殉国の碑」の大きな立て看板を発見する。看板には赤文字で「震洋特別攻撃隊員等を祀る」と書かれていた。
 川棚町の運動公園にテントを張る。ここの公園にナイター設備があり、テニスグループが午後十時まで活動していた。

○十月十日(金) 六十二キロ? 嬉野温泉 武雄温泉 肥前鹿島
 早朝、国道二〇五号線を南下すると、国道三十四号線手前に道の駅「彼杵の荘」があった。コンビニで購入した朝食のサンドイッチを、道の駅で食べる。朝食を食べながら、こんなことだったら、昨夜はこの道の駅にテントを張るんだったと後悔する。      
国道三十四号線に突き当たると、左折して嬉野の方面へと向かう。国道三十四号線は、緩やかな登りだった。俵坂峠にさしかかると、「江戸へ三百里、長崎へ十八里」の看板が立っていた。看板を過ぎると緩い下りが続き、嬉野温泉に到着した。自転車で訪れるのは初めてのことだった。
 嬉野で足湯に浸かる。まだ午前九時過ぎなので、人影はなくのんびりと足湯に浸かることが出来た。水面に映った、赤い屋根のシーボルト温泉を撮影することが出来た。
 県道四十一号線を走行し、肥前鹿島の町並みを撮影に向かう。マップルを確認していて、肥前鹿島の街並みはまだ訪れたことがなかったことに気が付く。気が付いたときに撮影するのが一番と思い、向かった。白壁の街並みが良かった。
昼食は、寿司屋に入った。カウンター席に座り、寿司セットを注文する。正直、客は少なかった。カウンター席だったので、店主と会話をしながら食べた。私の「経済論」が、絶好調だった。最後に店主が
「良い話をありがとうございました。説得力がありましたよ・・。」
といい、私が店を出るときに、外までお見送りに出てくれた。
 国道四九八号線を北上し、武雄温泉に到着する。午後四時を過ぎていたので、温泉に入ってからテントを設営したいと考え、テントを張る場所と温泉を探した。最終的には、何度か利用している郊外の「七彩の湯」にはいる。ビール半額がよかった。食事が終わると、あらかじめ確認しておいた公園にテントを張る。                   その夜は蚊が多く、なかなか寝付かれなかった。そんな時に人の声がした。     
「ホームレスがいるよ。」                            と言う言葉に反応して、トイレに行く振りをして周りの様子を観察した。そこには、逆上がり練習の家族がいた。小学生の男の子が逆上がりを賢明に練習していて、その脇で若いヤンキー夫婦が、子供の逆上がり練習に参加していた。更に、そこに高校生の声が加わった。
ホームレスと勘違いされた私は、
「逆上がりの練習ですか?私スポーツインストラクターをやっている者なので、お手伝いしましょうか?」
と言いながら、逆上がりの練習に加わってしまった。
私の理論づけた練習方法に、夫婦は納得して感心しながら話を聞いていた。出来るようにはならなかったが、納得して夫婦は帰った?

○十月十一日(土) 八十六キロ 吉野ヶ里遺跡
 国道三十四号線を佐賀方面に向かって走行すると、左側に吉野ヶ里遺跡が見えてきた。訪れたことがなかったので、これをきっかけに訪れる。吉野ヶ里遺跡は、広かった。途中、地元のサイクリストに声を掛けられた。
 マップルで確認しておいた、道の駅「久留米」に向かう。県道二十二号線を走行する。途中、ヤンキーに「じゃまだどけ!」と怒鳴られる。近くに温泉があるので、温泉に入った後道の駅にテントを張ることが出来る。やっと道の駅に到着すると、肝心の温泉が見あたらない。地元の人に尋ねると、道の駅のスパは閉鎖したとのこと、なのでちょっと離れた温泉へ向かう。暗闇の中、、いってみれば無料のビールラッキー
道の駅に戻ると、人通りが少なくなった時間にテントを張る。トイレに行くときに、ホームレスのテントがあったのを見かける。それも、自転車ホームレスだった。
☆佐賀YHは、二日間宿泊オーケーだった。

○十月十二日(日) 五十二キロ
 朝から風が強かったが、まだ雨は降っていなかった。佐賀市内に向かい、駅前の公衆電話でマイレージに電話をする。できたら、台風が上陸する前の今日中に飛行機に乗れればと、マイレージに何度も電話するがつながらず。
 諦めてYHに荷物を置き、佐賀市内を見学する。午後、雨が降ってきたので、YHにもどる。部屋は個室だったので、すぐチェックインできた。神戸の人が宿泊していた。インシュリン注射をしているらしく、朝と夕方は必ずしないといけないとのこと、健康が一番
☆佐賀市内のユースに宿泊する。

○十月十三日(月) 一日YH
 なるべく部屋でテレビを見て、外出はさける。どのチャンネルにしても、「マララ」の放送が多かった。台風十九号が今日中に過ぎ去ってしまえば、明日のヒコーキが安心なのだが
☆本日もユースに宿泊する。

○十月十四日(火)
 午前十時前に、佐賀空港に到着する。ヒコーキは飛んだ。代替え機で、足下広々の大きなヒコーキだった。
 駅から再び自転車で帰宅

●その九「長崎のその他の教会を訪ねて」(二〇一六年五月五日~五月二十六日)
○五月五日(木)▽上信越道、中央道、養老SA
 ★上信越道、中央高速から養老SAに車中泊。SAは、混んでいた
○五月六日(金)▽関ヶ原、小浜、若桜、出雲
 ★道の駅「大社ご縁広場」に車中泊、連休なのに空いていた。午後十時
○五月七日(土)▽出雲、萩、俵山、長門、下関、古志PA
 ★古志PAで車中泊
○五月八日(日)▽小倉南IC、弥彦駅舎、豊後森駅舎、耶馬渓、小国
 ★道の駅小国に車中泊、誰もいなかった?道の駅を撮影する。
○五月九日(月)▽小国、益城、熊本、阿久根
 ★道の駅阿久根に車中泊。阿久根は、寂れていた
○五月十日(火)▽川内、枕崎、坊津、指宿
 ★道の駅「喜入」に車中泊、温泉とコインランドリー
○五月十一日(水)▽知覧、嘉例川駅舎、志布志、日南市
 ★道の駅「南郷」に車中泊、都井岬方面は通行止め
○五月十二日(木)▽日南、飫肥、宮崎市、田野駅舎、青井駅舎
 ★道の駅「ゆーぱりのじり」は、久々の車中泊、温泉があるのがよい。
○五月十三日(金)▽生駒高原、えびの駅舎、真幸駅舎、矢岳駅舎、大畑駅舎
 ★道の駅「たのうら」に車中泊
○五月十四日(土)
 ★道の駅桃山天下一に車中泊
○五月十五日(日)「平戸の教会」
 平戸の教会に向かうが、教会への道が狭く苦労した。平戸市内は、サイクリングする。
何度か散策しているが、春のこの時期は初めてだった。早朝なので、人はいなかった。「平戸ザビエル記念教会」にも観光客は居なかった。「寺院と教会の見える道」からも撮影する。桜とツツジは散っていた。                           「古江教会」は場所が分からず、地元の人に何度か道を尋ねる。県道十九号線からはずれてからの狭い道には苦労した。白い小さな建物は、教会と言うより、小さな保育園という感じだった。                                  「山野カトリック教会」は、県道十九号線沿いに看板があったのでよかった。手作りの看板は、見やすくかわいい看板だった。                       「壱部カトリック教会」は、山田教会の場所が分からず、県道四十二号線沿いに沿って探していたら偶然見つけた教会だった。駐車場がなかったので、路上駐車して撮影を行った。教会がカラフルだったことが、印象に残っている。特に正門は、カラフルだった。  「山田教会」は看板があったが、道が狭かった。草取りをしていた地元の人と会話。後ろのステンドガラスを撮影してくれと言われた。建物は立派なレンガ造りだが、正面だけは石造りかな?                                  「中野教会」は国道三八三号線沿いにあり、道路脇に看板もあったので楽だった。瓦屋根で、建物がシンプルだった。坂道が狭かったので、道路沿いに車を止めて撮影した。  「紐差教会(ひもさし)」は、葬式の準備をしていた。業者の人と会話をする。ほとんど、仏教と同じように葬式を行うそうだ。白亜のロマネスク様式大天主堂が、素晴らしくりっぱだ。                                    「大佐志教会」は、地元の人に尋ねた。白いシンプルな教会だ。
 「木ヶ津教会(きがつ)」は雨の中わからず、地元の人もいなかったので尋ねることも出来ず困った。ナビをたよりに何とかみつけた。木造だった。周りの塗装がはげてきていたので、何となく寂れた感じがした。
 「宝亀教会(ほうき)」は、道幅が狭く車をおいて徒歩で探す。軽の車がよいと思った。正面から撮影すると、明るくカラフルな色の建物に見える。しかし横から撮影すると、落ち着いた建物に見えるのだが?中も撮影が出来た。そういえば以前訪れたときに改修工事をしていたが、正面だけを作り替えたのかな?
 「上神崎教会(かみこうざき)」は、すぐに分かった。シンプルな建物だった。教会には見えないかも?
 「平戸口教会」は、ナビで一発。白く大きな教会だった。
 「田平教会」はレンガ造りの立派な教会で、教会までのアクセスが一番よい。訪れる観光客も多く、いつ訪れても花壇に花が咲いている。
★道の駅「さいかい」に車中泊、八十歳になるリヤカーで海岸線を日本一周の老人に出会 う。家族から「春と秋だけの約束で」「夏と冬は自宅で休養」?
△③ザビエル記念教会、古江教会、山野カトリック教会、壱部カトリック教会、山田教会
中野教会、②紐差教会、大佐志教会、木ヶ津教会、②宝亀教会、上神教会、平戸口教会
②田平教会
☆平戸に多くの教会が残されていたことに、改めて驚かされました。

○二〇一六年五月十六日(月)
 ★道の駅「山内」に車中泊
○五月十七日(火)「島原半島の教会」
 島原市内をサイクリングする。武家屋敷の石垣が目立つ。偶然「島原カトリック教会」を見つけたので、撮影する。洋風の丸みを帯びた教会だった。建物の形が、今までの教会とは違っていた。
 「馬込教会」を訪れるには、国道二五一号線から県道二十九号線を走行する。伊王島大橋を渡り、馬込教会に向かう。長崎市内を通過するのが大変だった。近づくと、その大きさに驚く(正面から見ると大きく見える)。正面から見ると、白いお城(洋風のお城ですよ)のようにも見える。中にはいると、壁は明るい色で塗られていた。帰り際に車を止めて立ち止まって遠くからみると、素敵な教会だった。海を入れて撮影すると素敵だ。
 ★道の駅「桃山天下一」に車中泊。
△島原カトリック教会、馬込教会

○五月十八日(水) 「外海へ」
 国道二〇二号線から県道五十二号線を走行し、大島大橋を渡る。寺島大橋から太田尾教会へと向かう。道が狭いため、教会へは徒歩で向かう。幼稚園の形が教会に似ていたので、幼稚園を教会と勘違いしてしまった。教会までの街並みも、撮影する。
 再び国道二〇二号線に戻り、国道を海岸に沿って南下する。かなりへんぴなところをしばらく走行すると、教会の看板が見えた。「大野教会」は、看板がなければ分からなかった。国道からそれているので、看板がなければ建物は見えなかった。トイレ付きの整備された駐車場から徒歩で向かう。石垣で作られた、小さな教会だった。教会と言うより、山小屋のような感じがした。五島列島や平戸で見たいままでの教会とは、ちがっていた。訪れてみて、良かった。                               「出津教会(しつ)」は、大野教会から国道を五㎞ほど南下した左側にあった。駐車場が狭く苦労した。教会は海を見下ろせる高台にある、大きな立派な建物だった。教会の周 りは段々畑と小さな村?「外海の石積み集落景観」の看板があり、観光地にもなってい るようだ?近くに「ド・ロ神父記念館」と「旧出津救助院」があった。 
 「黒崎教会」は、出津教会から国道を二㎞ほど南下した左側にあった。途中道の駅があった。教会の近くに駐車場がなく、苦労した。道の駅に戻り、道の駅に車を置いて自転車とも考えたが、最終的には国道に路上駐車?教会は、レンガ造りの大きな立派な教会だった。周りがツツジの花で綺麗だった。室内の撮影もさせてもらった。周りは石垣で出来た高台であり、階段も石垣階段だった。                       ☆道の駅で、リヤカーの老人と再会する。午後二時になるので、この道の駅に泊まるか下 にある公園に泊まるか考えているという。私に、スマホで下の公園を見せてくれた。(八 十歳になり、スマホを使用しての徒歩旅行とは・・・。私がスマホが使えないのに?)
リヤカー老人の問題は、下の公園に着いてから泊まれないことが分かり、この道の駅に 戻らなければならなくなったときの労力?
 ★道の駅「桃山天下一」に車中泊。水戸ナンバーの軽ワンボックスの隣に停車
△大野教会、出津教会、黒崎教会
☆大野教会が素晴らしかった。いかにも隠れキリシタンという雰囲気がした。外海は、  何度か訪れようとしていたが、いつも国道二〇六号線を走行して通り過ぎてしまった。
☆リヤカーの老人に、偶然二度出会うことが出来た。老人は、その後も旅を続けたのだろ うか?

○五月十九日(木)★再び道の駅「小国」に車中泊する。誰もいない
○五月二十日(金)★道の駅阿蘇に車中泊、温泉は無料。
○五月二十一日(土)★道の駅「萩」に車中泊
○五月二十二日(日)★道の駅「但馬楽座」に車中泊。
○五月二十三日(月)★道の駅「千枚田ポケットパーク」に車中泊。
○五月二十四日(火)★ダム公園に車中泊、誰もいないので淋しかった?
○五月二十五日(水)
★道の駅「みまき」で風呂に入り、道の駅「雷電くるみの里」に車中泊。不審者二名発見? この道の駅は、涼しくてよかった。
○五月二十六日(木)帰宅

●その十 「天草諸島の教会」(二〇一六年九月二十七日(火)~十月二十日(木))
☆九月二十七日に自宅を出発し、中央高速から国道八号線で日本海に向かい。国道九号線 を走行して、九州に入る。                           二〇一六年十月五日(水)                             台風接近のため天候が崩れてきたので、阿蘇から移動する。ミルクロードから国道五十七号線を左折して、阿蘇大橋方面へと向かった。阿蘇大橋手前で通行止めのため、崩落した阿蘇大橋を見に行くことは出来なかったが、途中まではいくことができた。国道沿いに人の気配は、まつたくなかった。                          台風を避けて、天草諸島へと向かった。崎津教会を撮影するため、崎津集落に向かう。世界遺産登録に向けてのためなのか、「天草市崎津資料館みなと屋」が新しくできていた。パンフレットも多くあった。久々に、教会よりも街並み撮影に向かう。街並みの各ポイントに、案内板や掲示板が出来ていた。又、「車両進入禁止」の標識や「立ち入り禁止」の標識が充実していた。最後に教会を撮影したが、この時期はあまりよい撮影は行うことが出来ないと感じた。それは、花が少ないからか?大江教会も、花が少なかった?     熊本方面へと戻るとき、「本渡」を訪れた。国道三二四号線から、本渡市内に入った。市内は、車を運動公園に止めて自転車で移動した。まず最初に向かったのは「祇園橋」だった。橋は石造りで、眼鏡橋ではなかった。九州地方は石橋が多く、特に眼鏡橋が多く見られるが、残念ながら眼鏡橋ではなかった。多脚式と言われる作りだった。      
天草キリシタン館に向かったが、坂道だったことと途中に駐車場があったことで再び車で移動する。天草キリシタン館に車を止め、散策する。天草四郎像があったので、撮影する。勿論、海を入れて撮影した。「千人塚」を訪れると、再び車で「明徳寺」に移動する。夕方の寺には、観光客は居なかった。
 本渡の町並みは、「天草の乱」の歴史でもあった。
★北熊本SAに車中泊 天草の風呂は良かった
☆十月六日に九州を離れ、四国経由で帰路に就いた。茨城県到着は、十月二十日だった。
△②崎津教会、②大江教会

●その十一「桜と教会」(二〇一七年四月四日(火)~四月二十一日(金))
☆四月四日(火)、九州に向かう前に那須の雪崩遭難事故の現場に向かう。その後、秩父 から、雁逆トンネルを抜けて太平洋側から九州にはいる。九州に入ったのは、四月八日 だった。採銅所駅舎、千女房の山桜、宝珠寺のしだれ桜を撮影すると、道の駅「山内」 に車中泊する。釧路のハイエースと長話。「七彩の湯」は、七百円だった。

○四月九日(日)▽馬場の山桜、納戸料の百年桜、明星桜、慈眼桜、教会と桜
 平戸に渡り桜の撮影、まず最初に「平戸大橋と桜」を撮影する。次に、「ザビエル記念教会と桜」の撮影を行う。桜がピークを過ぎたぐらいで、見頃だった。裏手に回ると、ツツジが咲いていた。白い教会とピンクの桜、更にオレンヂのツツジ・・・。       「紐差教会と桜」の撮影は、桜は咲いていたのだが?教会の近くに桜が咲いておらず、桜と教会を取り込んでの撮影は難しかった。やっと見つけた桜の木も、教会から離れたところにあったので、何とか超広角レンズを使って撮影した。むしろ、チューリップのプランターを取り込んだ方が楽だったが?どうにか、白い教会とピンクの桜を撮影する。  
 「慈眼(じげん)桜」撮影のため、木ヶ津教会を目標に向かう。到着したのはよいのだが、駐車場が無かった。路上駐車と言うより、完全な路上封鎖駐車(ごめんなさい)をしてしまった。白い色の桜で、満開だった。ベンチがいくつかあり、花見客が座って花見をしていた。 
 帰路、何気なく道路上から木ヶ津教会を振り返ってみると、桜とのマッチングが良かった。「木ヶ津教会と桜」は、桜の場所が良かったのか教会の建物が良かったのか?理由は分からないが、さびれた木造教会と桜は良かった。                  平戸大橋を渡り、田平教会に向かう。「田平教会と桜」も、良かった。又、教会の外から撮影しようと墓地の所に向かったら、スイセンの花が咲いていたので、教会とスイセンを取り込んで撮影する。桜よりも、こちらのスイセンの花が似合うかも?
☆平戸の教会と桜は、良かった。この時期桜が満開だったのは、幸運なことだった?
★道の駅「久留米」に車中泊、道の駅「吉野ヶ里」に車中泊したのだが、あまりにも人が いなく、風雨が強くなり出したので移動する。風呂良し「山茶の湯」七百円
△④ザビエル記念教会、③紐差教会、②木ヶ津教会、③田平教会

○四月十日▽天保古山一本桜、浅井の一本桜、篠原国幹の戦没の地の一本桜、熊本城
 ★道の駅「みなまた」車中泊は居なかった。つなぎ温泉四季彩館が四百円、雨
○四月十一日(火)▽嘉例川駅舎、大隅横川駅舎、真幸駅舎、大畑駅舎
 ★道の駅「うき」に車中泊。キャンパー多し
○四月十二日(水)「天草諸島へ」
 天草パールラインを走行し、「三角駅舎」「宮地岳かかしまつり」を撮影する。    「崎津教会と桜」は、神社の階段から桜と教会を撮影するが、桜が散り始めていた。又、電線が被写体の中に入ってしまい・・・。教会に近づいて撮影すると、真っ赤なサルビアが似合っていた。対岸の公園から撮影すると、桜と教会と水面が入り、これが一番かなとも思った。崎津町を出ると、国道沿いの所に桜の木があり、望遠レンズで桜をぼかして教会にピントを合わせてみたら、これが結構良かった。                 大江教会は、小さな桜の木が入口の左側に一本あるだけだった。むしろ花壇に咲いている花を取り入れて撮影した方がよいかも?諦めて、大江教会を後に国道に出る。出たところで国道沿いに桜の木があることに気が付き、慌てて車を止めたら路上駐車?「大江教会と桜」の撮影に夢中になっていると、路上駐車をしていたのでパトカーから「車の移動をお願いします」とアナウンスされ、慌ててしまった。国道の桜は、満開だった。
★道の駅「あそ」に車中泊。キャンパー多し           △③崎津教会、③大江教会
☆四月十三日(木)から十六日(日)まで、九州の一本桜を撮影しながら移動する。十七 日から二十日まで日本海の桜を撮影しながら移動し、二十一日撮影の群馬の桜を最後に 帰宅する。

●その十二「桜と教会」二〇一八年三月二十五日~四月十七日
☆去年に引き続き、今年も桜を求めて九州へと南下する。二〇一八年三月二十五日(日)、 秩父から雁逆トンネルを抜け、国道一号線に出る。桜の撮影を行いながら、二十七日  (火)に関ヶ原から日本海に出る。桜の撮影を行いながら、二十九日(木)に、目的の 三江線の撮影を行う。
 三月三十一日(土)に、三江線撮影からしまなみ海道に入る。しまなみ海道は、桜が満 開だった。その後四国の一本桜を撮影しなが、ら四月四日(水)に、四国を離れる。太 平洋岸の桜を撮影しながら七日(土)に、九州にはいる。

○二〇一八年四月八日(日)▽円光寺、古湯、川内峠、田平教会、長串公園
 円光寺の一本桜に向かう。昨日の電話だと、「満開だが、風雨でどうなるか分からない。」と言っていたので、先を急ぐ。道の駅「大和」で朝食を作り、時間調整。山間部なので、早くても良くないと思い。午前七時過ぎまで道の駅で時間調整をする。去年はつぼみだったことと、駐車場が狭かったことも考えると遅くてもまずい?午前七時半過ぎに到着する。誰もいなかった。桜は満開。スイセンの花が咲いていた。空も明るくなり、広角レンズも使うことが出来た。やはり青空が一番だ。
 いったん道の駅に戻り、今後の予定を確認する。ダムがいくつかあるのでダムカードをゲットしながら平戸方面に向かう。国道三二三号線で「古湯」へと向かう。温泉の街並みを撮影し、「嘉瀬川ダム」でダムカードをゲットすると県道三七号線を走行する。シャクナゲ公園からのダムが一番ロケーションが良かった。
 県道三七号線は厳木ダムに続いている。途中「浮立の里」と「本立寺」に立ち寄る。浮立の里は、有料だった。駐車場は廃校になった学校の校庭だった。本立寺は「シャクナゲ寺」の看板に誘われて立ち寄ったが、シャクナゲの花はつぼみだった。厳木ダムはツツジが咲いていた。「井手口川ダムカード」は、申込用紙だけをもらってきた。
 「竹の古場公園」のツツジの群生地はつぼみだった。残念、咲いているツツジだけを撮影する。
 平戸、「川内峠のツツジ」は咲いてはいたが、まだ三分咲き?
 田平教会に立ち寄る。私が                           「すいません。周りから撮影させてもらいます。」                 と受付の所で話すと、                              「どちらからですか?」                             と尋ねられたので、私は                             「茨城県からです。」                              と答えた。すると、受付の人が                         「え! 茨城県から、ずいぶん遠くから来ましたね・・・。」            と、驚きながら返答した。私は間を開けずに                    「今回で四回目ぐらいかな?」                          と、これに対して答えた。さらに私は                       「去年も同じ時期に訪れましたが、去年は満開でした。今年訪れてみると、田平教会の桜が散っていて、ツツジが咲いていました。」                    と私が自慢げに話すと、受付の人は更に驚いていた。
敷地外に出ると、「祈りは未来へ 田平教会献堂百周記念二〇一八年五月十三日」の看板が大きく見えた。
 時間が余ってしまったので、下見のつもりで「長串山公園」へと向かう。風呂のことも考えて長串山公園に向かったが、ツツジは咲いていた。私は入園料を払わずに下見だけのつもりでいたのだが、車を止めると                        
「五百円お願いします。」
と、言われてしまったので
「駐車料金ですか?」
と、私が尋ねると
「いえ、駐車料金でなく入園料が五百円です。」                  と言われ、私は明日でも今日でも同じことと考えて五百円を払って中に入った。     上部はツツジが満開で、それなりに良かった。なるべく、海とツツジが一緒にフレームの中に収まるように撮影した。結局、公園の最上部まで行った。            帰りに風呂にはいったが、やはり六百二十円は高いと思った。道の駅に到着すると、去年自転車で泊まった場所は、閉まっていた。
★道の駅「昆虫の里たびら」に車中泊。改造軽トラ一台
▽④田平教会
☆二〇一八年四月九日(月)に熊本城の桜を見に行くと、完全に散っていた。去年は満開 だったのだが?十二日(木)に九州を離れ、四月十七日(月)の高遠の桜を最後に帰路 についた。

●その十三「世界文化遺産、長崎の教会群」二〇一九年四月二十一日~五月十日
○四月二十一日(日)小雨
・午後七時圏央道五霞ICから中央道へ、SAの桜は散っていた。          ★談合坂SA車中泊
○四月二十二日(月)
 大月ICで降りて、ツーリングマップルに載っていた「岩殿山」に向かう予定を変更して富士吉田西桂ICから降りる。新倉山浅間公園へと向かう。(あらくまやま)と読むのだが(にいくらやま)と読んでいた。場所はすぐに分かったのだが、道幅が狭く案内板が多すぎてなかなかたどり着くことが出来なかった。麓の桜は、満開をすぎていた。    心配していた駐車場には、どうにか車を止めることが出来た。ラッキーなことに、無料だった。新倉山浅間公園はロケーションが良く、上部の桜は散り始めてはいたが素晴らしかった。赤い五重塔と富士山の残雪のコントラストが、何とも言えない。また、外国人が多いことにも驚いた。富士急行線の列車を撮影することも出来た。
 山中湖から本栖湖にある「富士芝桜公園」へと向かう。道の駅「鳴沢」で昼食、駐車場は混んでいた。芝桜公園はすぐに分かった。入園料五百円に駐車料金五百円を支払い、公園内にはいる。晴れていたのだが、残念なことに肝心の富士山に雲がかかってしまった。天気は良く、芝桜も綺麗だった。唯一の心残りは、粘ったが富士山の雲がとれなかったことか?
 国道一号線を走行し、去年の入浴施設に入り、音羽・蒲郡ICから高速道へと入る。 
☆河口湖で「富士桜・ミツバツツジまつり」という看板を発見する。このとき、富士桜と いう品種をはじめて知った?
★刈谷SAに車中泊、トラックで混んでいた。正直、車の止める場所が無くて困った。

○四月二十三日(火)「大阪府北部地震」
 伊勢湾岸線を走行し、亀山ICを降りる。名阪道を走行し伊賀上野へ、国道一六三号線を走行し、生駒市に向かう。途中、笠置町の古い町並みを走行するが車を止める場所がなかったため撮影は出来なかった。やっぱりバイクが一番か?
 高槻市立寿栄小にたどり着いたが、駐車場が見つからず時間がかかった。有料駐車場に車を止め、「大阪府北部地震」の撮影を行う。小学校には警備員が居たので、望遠で撮影する。町中には、ブルーシートが目立った。解体されて更地になっていた場所も見られた。 茨木市は、通り過ぎただけだった。
 有馬温泉を通過して姫路に到着、有馬温泉の町並みを撮影したかったが駐車場が見つからず諦める。県道十五号線、県道六十五号線とも走行が楽だった。姫路市内で風呂に入り、姫路バイパスを走行し備前ICから高速道に入る。                 ★吉備SAで車中泊。夜になり、雨が降ってきた。

○四月二十四日(水)
 岡山総社ICを降り、真備町へ向かう。国道沿いに流れている「高梁川」の氾濫した様子がうかがえる。真備町に入るが、何故か「びっちゅうくれせ駅」「井原鉄道」で撮り鉄、
「小田川」の氾濫の様子や真備町の被害も徐々に分かってきた。            被災した「マービーふれあいセンター」駐車場に、復興商店街があった。出店数が少なかった。たまたま店主が居たので、私は                      
「すいません。私は西日本豪雨の記録を撮っているのですが、敷地が十分あるにもかかわらず、出店数が少ないような気がしますが?」
と、尋ねると                                  「それは、出店を希望する人が少なかったからです。」               と、答えてくれた。更に私が                           「この敷地内の施設は、全て閉鎖されていますが?」  
と尋ねると
「まだ泥が入ったままで、使えないですよ。」
と、答えてくれた。私はお礼を言うと、敷地内を見て回った。
 敷地内には図書館や歴史館などの施設があったが、近づいてみると泥が入ったままだった。外からは分からなかったが、中は全く手つかずのままだった。雨が降っていたことと、早朝のためなのか誰もお客は居なかった。                      その後徒歩で市内を見て回ると、被災した建物が解体されて更地になっている場所もあれば被災したままの建物もあった。外から見ると分からないが、近づくと建物の中は被災したままの建物が多かったが、瓦礫の撤去が終了したままの建物もあった。
 呉に午後三時過ぎに到着、分からないまま市内をうろうろする。昨年の四月に訪れていたので、今年も呉を訪れることは計画していたが水害の様子を撮影するためではなく、戦時遺構を撮影するために訪れることを計画して呉の街を後にした思い出がある。     混雑する市内を移動していると、「天応地区」「坂町」は分かったが現場に近ずくことができなかった。諦めて高速道を走行し、呉の街を後にして「湯坂温泉」に入る。明日の行動がはっきりしないので、高速道に車中泊をする。しまなみ海道へと向かう予定だったが、もう一度呉市内に戻りたい気持ちもあったのでSAに車中泊した。        ★山陽道小谷SAで車中泊、トラックが多かった

○四月二十五日(木)「大津島へ」
 四国に向かわず、三原久井ICを降りて再び呉市へと向かう。昨日の下見を参考に、県道六十六号線を走行する。「大屋川」の氾濫によって被災した「天応地区」だけは、撮影できた。撮影が終了すると、県道三十一号線、県道三十四号線を走行しながら混雑する国道二号線を走行する。                               徳山港から大津島へ渡る。チケット売り場が別な場所だったので、何かと不便だった。乗船すると、すぐに                               
「大津島の駐在所の者ですが、こちらの自転車はあなたの者ですか?」
と、突然質問された。私は
「はい、私の自転車です。回天記念館を訪れるのが目的ですが、もし時間があれば島も散策したいと思っています。」
と、答えた。駐在所の人は
「回天記念館だけだったら自転車は必要なかったですよ、徒歩で十分です。実は、西日本豪雨で島の道が通行できなくなっていたのでそのことをお伝えしたくてお尋ねしたんです。回天記念館だけだったら、問題はないです。心配なのは、島内を移動して違う港から船に乗ることを考えている旅行者です。」                     と、駐在所の人は笑いながら話した。                       
私はこの話を聞いて、自転車を積んだことを後悔した。自転車代は、分解して一九〇円完成車で二七〇円だった。わざわざお金を支払って、 乗船したのに・・・。駐在所の人の目的は、島の道路の一場が土砂崩れのため通行できないから自転車で島を一周することは無理だと伝えたかっただけだったらしいが?                    到着すると、実際自転車は便利だった。回天記念館まで、自転車は乗り入れできた。回天記念館に到着すると、館長さんが何かと気を遣ってくれた。私が          
「去年の春に江田島を訪れて、旧海軍兵学校跡地があることを知りました。戦後は第一術科学校と言われて、一般の見学が可能なんですね。私は予定を変更して、申し込みをして見学会に参加しましたが、平日にもかかわらず多数の参加者がいたことに驚きました。外国人の方も居ました。その時に、呉市内には多くの戦争遺産があることを知り調べました。今回も、去年訪れることが出来なかったこの大津島を訪れました。」
と話しかけると
「そうなんですか、江田島にも行かれたんですね・・・。」
と応えてくれた。会話はその後も続き、私は最後に
「江田島もそうですが、やはり戦争遺産には桜の花が似合いますね。本当はこの大津島も春に訪れることを考えていたのですが、日程が合わずに秋に訪れてしまいました。是非もう一度、桜の咲く春に訪れてみたいですね。」
と応えて、回天記念館を後にした。
 その後、自転車で「魚雷発射場跡」「回天訓練基地跡」を訪れた。自転車があったので楽に回ることが出来た。
☆「ようこそ回天の島大津島へ」の大きな看板だけが目立っていた。回天記念館を後に、 自転車で「魚雷発射場跡」「回天訓練基地跡」を訪れると、残された建物が深く心に残 る。桜の花が咲く頃に訪れるつもりで居たが、桜はすでに散ってツツジの花が咲いてい た大津島を後にするとき、館長さんに「桜の咲く時期にまた訪れますから・・・。」と 伝えたことを思い出してしまった。
★道の駅ソレーネ周南に車中泊 湯野温泉湯野荘475円

○四月二十六日(金)「北九州豪雨」
 下関ICから八幡ICまで高速道を走行する。昨年の経験を生かして国道200号線を走行して朝倉に向かう。「三連水車の里朝倉」は、瓦礫の撤去が終了していた。一部公園の遊具が設置されたり、新しい建物が完成していた。洋菓子屋は営業を再開していたが、被災した建物はそのまま残されていた。                       「原鶴温泉」は、寂れていた。「北川」が氾濫した地域の土砂はなくなって更地になっていた。朝倉を後にしながら、山田SA方面へと走行すると、道路が土砂崩れで通行止めになっていた。また、土砂で流された家屋がそのまま残されていた地域もあった。県道十四号線、県道三十一号線と走行し「山茶の湯」720円に入る。東脊振IC近くのコインランドリーで、たまった洗濯物を処理しスーパーで買いだしをして高速道にはいる。。 ★金山SA、十連休で車中泊満車

○四月二十七日(土)「春日集落へ」
 武雄北方ICを降りて、国道四九八号線と国道二0四号線を走行して平戸へと向かう。平戸に到着すると、県道十九号線を走行して真っ先に「春日の集落」へと向かった。道が狭く、途中トンネル工事の場所があった。駐車場に困ったが何とか春日集落案内所「かたりな」にたどり着くことが出来た。私が                     
「前に広がっている段々畑が春日集落ですか?」
と質問すると、責任者が
「違います。こちらのパンフレットを見て貰えれればわかりますが、この先にあります。公民館に駐車場がありますから、そこに車を止めて徒歩で向かって下さい。」
と、説明してくれた。私は更に
「何故、春日集落に案内所を設置しなかったんですか?」
と尋ねると、責任者らしい人は
「春日集落に案内所になるような古民家かがなかったことと、駐車スペースがなかったことです。」
と、答えてくれた。
ハイエースでの春日集落散策は不可能だった。確かに公民館に駐車スペースはあったが、普通車が五台ほどのスペースしかなかった。私は諦めて先ほどの案内所にハイエースを止めて、再び自転車で向かった。「春日集落」を訪れて良かった。素敵な棚田が待っていたからだ。農家の人が作業をしていたが、自転車なので安心して散策することが出来た。ほとんどの撮影は、「丸尾山」からだった。とても景色が良かった。棚田と海が印象的だった。
更に県道を走行すると、県道六十号線と合流した。県道六十号線を走行し休憩していると、突然軽ワンボックスの人に                          
「茨城県からですか?私は以前埼玉県の川越に住んでいたんです。年に一度はこの車で川越を訪れますけれど・・・。」
と、声をかけられた。簡単な会話をすると、県道六十号線を走行して「紐差教会」を訪れる。以前ファミマだったところがセブンに変わっていた。去年は桜の時期に訪れたが、今回はツツジが咲いていた。今回は、「十字架山」が奥にあることをはじめて知った。紐差し教会を訪れるのは今回で六度目になると思うが?
生月大橋を渡ると、道の駅で偶然グリーンのアフリカツインを発見してしまい。一方的にオーナーと会話をする。それから「クルスの丘公園」に向かった。案内板が分からず、通過してからもかなり走行してしまい、慌てて戻る。場所は発見できた。駐車場が広く、見晴らしも良かった。世界遺産登録の看板が立てられていた。再び生月大橋を渡り、「内山峠」へと向かう。去年昼食を購入したコンビニで、今年も昼食を購入する。私がレジで「RICマートは、何と読むんですか?」     
と、尋ねると
「リックマートと、読みます。ポプラの系列になります。」
と、答えてくれた。私が五島列島を訪れたときに、唯一のコンビニだったので良く覚えていた。今回は、迷わずに尋ねることが出来た。内山峠で昼食と考えていたが、コンビニの駐車場で食べてしまった。食べ終えると、休憩は撮らずに内山峠へと向かった。
 去年は咲き始めだったので、咲いているツツジだけを撮影したが、今回は満開だった。風景とは不思議な物で、同じ場所でもツツジが咲いているだけでこんなにも違う物なのかと再確認した。
大島に渡らず、外海へと向かった。今回は途中高速道を利用したが、降りるインターを間違えてしまい再び高速道を走行して外海へと向かった。去年の経験から県道十二号線を走行して、「大野教会」へと向かった。大野教会の駐車スペースを心配していたが、十連休中にもかかわらず空いていた。世界遺産登録に伴いどんな変化かがあるのかなと思って訪れたが、去年オープンしていなかった喫茶店がオープンしていたことと、ガイドが教会の所で説明していたことが去年と違っていたことぐらいだった。此処で、不思議な大学生に遭遇する?私が大野教会で                           
「遠藤周作の沈黙は、読んだことがありますか?」
と尋ねると、不思議な大学生は
「ええ、あります。」
と答えたので、私は
「読まないで外海を訪れたのと、読んでから外海を訪れたのでは外海に対する見方が変わりませんか?」
と、再び尋ねた。大学生は、嬉しそうな顔をして、
「絶対に、読んでから訪れた方がいいですよね。」
と、答えてくれた。私はこの大学生らしい人と、大野教会の前でかなり長い時間立ち話をしてしまった。
 夕方の「出津」は観光客が少なかったが、大きな駐車場ができていた。去年は駐車場で困ったが、今回は新しくできた大きな駐車場にハイエースを止め自転車で移動した。新しい駐車場は広かったが、教会から離れていた。ただ、去年のような心配いをすることがなく、安全に車を止めることが出来て良かった。此処でも先ほどの不思議な学生に出会った。分かったことは、運転手兼ガイドを雇っていると言うことだった。今回は、忘れずに遠藤周作の「沈黙」の記念碑を撮影する。去年外海を訪れてから帰宅すると、真っ先に遠藤周作の「沈黙」を購入した。まだ読み終わっていないが、これを読んでからこの外海を訪れるとまた違った見方が出てきた。                         
黒崎教会も、駐車場があることが分かったので駐車場に車を止めた。去年は路上駐車をして撮影したが、今回はゆっくりと撮影することが出来た。最後に道の駅から「遠藤周作記念館」と「夕陽」を撮影した。ここに来て、観光客が増えてきた。みんな沈む夕陽を撮影していた。撮影後、ばってんの湯に向かった。今回は午後八時までと言われたが、ハウステンボスの花火が見られた。                          
△②大野教会 ②出津教会 ②黒崎教会 ④紐差教会

★道の駅「彼杵の荘」は、満車だった。
○四月二十八日(日)「川棚の歴史遺産戦時遺構めぐり」
 道の駅から、真っ先に「特攻殉国の碑」を訪れる。何気なく自転車で訪れたこの「特攻殉国の碑」を去年は訪れることが出来なかったので、今回は改めてじっくりと散策する。ガイドマップとして、「川棚の歴史遺産戦時遺構めぐり散策ガイドマップ」を頼りに自転車を利用して訪れた。                              
最初に訪れたのは「トンネル工事跡」で、すぐに見つけることが出来たのだが「半耐爆型建造物」は時間がかかった。最終的にはガイドマップに載っている大きな物でなく、民家の庭先にあった物を撮影した。
城山公園「歴史と平和の塔」、「赤レンガ倉庫」は時間がかからなかった。自転車で全て探した。車では駐車場の関係から無理だったので、自転車が役に立った。「魚雷発射試験場跡」は車で移動して、徒歩で散策した。此処が一番強く印象に残っている。
 川棚散策後、再び平戸へと向かった。平戸から大島へと向かう。車は平戸城駐車場に止めて、「的山大島(あづちおおしま)」へと向かった。小雨模様だったが、町並みと棚田がよかった。フェリー代自転車一六〇円、大人六五〇円 鹿町温泉やすらぎ館が混んでいた。                                      ★道の駅「昆虫の里たびら館」、車中泊で満車

○四月二十九日(月)
 県道六十一号線を走行して松浦市に向かう。松浦市から「多久聖朝」、国道三八五号線で博多へと向かう。峠下にモンベルが出来ていた。博多で、「万葉の湯」午後三時から午後八時まで千九百円だった。                           ★須恵PA車中泊満車、正直駐車枠に車が収まらなかった。

○四月三十日(火)「坂本八幡宮」
 須恵PAから太宰府へと向かう。「宇美八幡宮」は、午前六時にかかわらずすでに参拝者がいた。「坂本八幡宮」は、午前六時半なのに混んでいた。午前九時からは通行止めになることが分かったので、早朝訪れたことはラッキーだった。ステッカーがほしかったので、私が
「すいません、車に張るような交通安全ステッカーは売っていますか?」
と、尋ねると
「申し訳ありません。置いてないんです。今回のことがあって、突然観光客が増えるようになり、今では警察の方やマスコミ関係者の対応に追われる毎日で・・・。」
と、忙しそうだった。
 何も売っていなかったし、パンフレットも慌てて作ったようなパンフレットだった。「平成」から「令和」に変わる本日は、すでにマスコミ関係六局が放送のために来ることが分かっていると言っていた。ハイエースを止めた駐車場も、午前九時からは完全に警察関係の駐車場になってしまうらしい。混雑が激しくなりそうなので、まだ午前七時だが「太宰府八幡宮」へと向かう。
太宰府天満宮は駐車場が大きかったので安心だが、午前八時前だというのに大きな駐車場がすでに四分の一ほどうまっていた。御朱印も、午前六時から始めているそうだが、列が出来ていた。
「梅ヶ技餅」営業の店が多く、一店だけ列が出来ていた。私は混まない内にと、すぐに列に並んで一個だけ購入した。私が一個購入して食べていると、列はすでに先ほどの倍以上になっていた。                                 スターバックスの店の作りが、木材を中心にした店作りになっていた。私は珍しさのあまり、広角レンズで何枚か撮影した。撮影していると、スマートフォンを持った人たちが、集まってきた。よく見れば、ほとんどが若い女性だった。先ほどの御朱印でも、並んでいるのは若い女性ばかりだった様な?駐車場に戻ると、驚くことに駐車場は半分以上がうまっていた。時間は、まだ午前八時半過ぎだった。
 朝倉ICから高速道に入り、湯布院ICを降りる。各パーキングは混んではいたが、満車ではなかった。また、PAのコンビニがセブンに変わっていた。湯布院に到着したのだが、空いている駐車場見つからず、いったん道の駅に戻り、昼食にした。食後、再び混雑する湯布院に向かう。偶然バス渋滞の中で駐車場に空きが出来、車を止めることが出来た。湯布院を散策するが、混んでいた。また、町並みも以前より賑やかに作られていた。   やまなみハイウェイを間違えて、県道三十号線を走行してしまった。雨の中、ながゆ温泉に宿泊する。道の駅は、満車だった。                      ★ながゆ温泉、素泊まり五千三百円

○五月一日(水)「熊本城へ」
 早朝の黒川温泉、雨が降っていたが雨の中もまた良し。国道二一二号線を走行して、阿蘇神社に向かう。御朱印で混んでいた。崩壊した神社の足場とシートは、なくなっていた。解体が済んだのだろう?                              益城町を経由して熊本城に到着したが、熊本城Pが満車。市内に車を止め、徒歩で向かう。混んでいた。再び道の駅阿蘇に戻る。いつもの風呂が休業で、寂れた内牧温泉に入る。道の駅に戻りながらコインランドリーを探すが、何処も一杯だった。         ★道の駅「阿蘇」に車中泊。満車

○五月二日(木)
 早朝、コインランドリーに向かう。ランドリーが終了すると、草千里に向かった。草千里は曇っていた。外されたロープウェーや、解体されたロープウェー乗り場が現状を物語っていた。ハイエースキャンパーと会話、現物を見たらかなり改造されていた。もう少し尋ねたいこともあったが、すでにオーナーは駐車場を出ていた。草千里は相変わらず曇っていたので、南阿蘇鉄道を撮影する。駅舎が改装工事中だった。
 国道二一八号線を走行して、通潤橋へ。水害で補修工事中だった。国道五十七号線は、混雑していた。何とかセブンで昼食を購入して、「長部田海床路」でランチタイムにする。駐車場も混んでいた。三角西港も混んでいた。何故か路上駐車が多かった?天草パールラインにはいると、車が動かなくなってきた。暫く渋滞が続いたが、本渡町を過ぎると流れは良くなってきた。天草から「崎時津」へ、道の駅が出来ていて混んでいた。道の駅の駐車場がなかったら大変なことになっていたかも知れない。思い起こせば、去年の四月はこの道の駅から、桜と教会を撮影した。去年の四月に道の駅はなかったが?       
誘導に従って車を止めると、徒歩で「崎津教会」に向かった。人は多かった。十連休だから多かったのか、それとも世界遺産になったので混んでいるのかは分からないが、今までの数倍は混んでいた。
 フェリーに乗り遅れる心配があるので大江教会は、駐車場から撮影した。フェリーが心配になり、確認の電話を入れる。「午後六時半までに受付をすれば、今日中に島原半島に渡ることが出来る。」と返答があった。「鬼池港」に到着すると、列が出来ていた。誘導係の人が                                    「今から受付をしても、乗船できるのは午後八時から午後九時になると思われます。ご承知下さい。」                                  
と、話してくれた。私は
「ここで島原半島への時間待ちをするより、明日の朝の方が早く乗れますかね?明日の予約は出来ますか?」                               
と、私が尋ねると
「はっきりしたことは申し上げられませんが、明日の朝の方が早く乗船できると思います。予約に関しましては誠に申し訳ございませんが、出来ません。明日の朝の乗船受付順になります。明日の乗られるんでしたら此処でUターンして貰ってもかまいませんが、どうなされますか?」
と、尋ねられたので
「Uターンします。」
と一言言うと、私は諦めて道の駅「有明」へと向かった。道の駅に温泉が併設されていたが、途中の温泉に入ってから道の駅に向かった。                  ★道の駅「有明」に車中泊。満車だった
△④崎津教会、④大江教会

○五月三日(金)
 朝、島原半島を諦めて再び阿蘇へと向かった。昨日と同じルートで阿蘇に向かったが、南阿蘇からは県道一一一号線を走行した。県道から、地震の時の被害の様子をかいま見ることが出来た。草千里のPは満車だった。震災復興のことを考えたら嬉しいことなのだろうが、複雑な気持ちで止める場所が見つからないまま周辺をうろうろしてしまった。   やまなみハイウェイ経由で九重ICへ。途中道を間違えたことに気が付き、「飯田高原」でランチを兼ねてホテルの駐車場に車を乗り入れた。                
「ランチはやっていますか?」
と、受付で尋ねると
「誠に申し訳ございません、本日は予約のみとなっております。」
と、返答があったので
「すいません。トイレだけお借りできますか?」
と、再び尋ねると
「突き当たりましたところを右に曲がって貰いましたら、ございます。」
と、指で示しながら答えてくれた。
トイレが終わると、ホテルの駐車場で確認をする。やはり県道四十号線から離れてしまっていた。本当なら「長者原」で県道四十号線にはいるべき所を、通り過ぎてしまっていた。ただ、ここからでも県道四十号線に出ることが出来るので、県道四十号線へと向かう。
県道四十号線に出ると、再び九重ICに向かった。コンビニがあれば昼食にしたかったが、見あたらなかったのでそのまま高速道に入り、PAのコンビニで昼食を食べた。九州道は混んでいたが、長崎道は混んでいなかったのでそのまま高速道を走行し武雄北方ICを降りると、伊万里へと向かった。駐車場の心配をしていたが、午後四時ということもあり、混雑していたが止めることが出来た。観光客の多い古い町並みを散策すると、「土谷の棚田」へと向かった。                                「土谷の棚田」は、夕陽の撮影者が多かった。路上駐車をして、太陽が沈むのを待った。午後六時前後になると地元のカメラマンが集まってきたが、どうにか撮影することが出来た。七彩の湯JAF割り600円に入る。                     ★基山PA車中泊、満車

○五月四日(土)「天皇陛下御在位三十年記念カード」
 下関ICを早朝に降りる。去年午前八時頃降りて大渋滞に巻き込まれているので、通勤時間帯(連休中なのだが)をさけて降りることは考えていた。午前七時前だったので、問題はなかった。スタンドで給油をするときにメーターを見たら、502000㎞だった。 途中暑いので、アミドを取り付けた。徳山東ICから広島北ICは高速道を使った。徳山東ICの入口でミスをするが、すぐに気が付き入り直す。渋滞をさけて広島北ICを降りたのは正解だった。また、安佐北区の新しく建てられた寺を撮影できたのは良かった。「しまなみ海道」に向かうため、県道三十七号線を走行したことにより、三篠川水害(安佐北区)を撮影することも出来た。県道四十六号線関川水害も、撮影できた。
■福富ダムカード
「すいません。ダムカードが貰いたいんですけれど?」
と、インターホンで伝えると担当職員が下に降りてきた。
「これが通常のダムカードです。申し訳ありません。記念ダムカードが品切れになってしまいましたので後ほど郵送で送らせてもらいます。こちらに住所と氏名をお願いします。」
と伝えられた。私は
「郵送料は?」
と、尋ねると
「国交省の通達なので、こちらで負担します。郵送料はいりません。」
と、返答があった。ただなのだから貰った方がとくと思い、住所と氏名を記入した。もしこれが有料だったら、どうしたか分からないが?ただ気になるのは「通常のダムカードの他に記念カード?」
☆この記念カードは、野村ダムカードを貰うときに分かった。通常のダムカードの他に、 国交省の通達で「天皇陛下御在位三十年記念カード」を発行とのことだった。
 尾道北ICから尾道自動車道でしまなみ海道へ、高速道の混雑はなかったが、PAが満車だった。しまなみの湯へは、自転車で移動した。道の駅に車を置いてきたのは正解だった。何故なら、国道が渋滞で動いていなかったからだ。午後六時過ぎに渋滞は解消したが★道の駅「しまなみ公園」に車中泊。サイクリストは、テントだった。

○五月五日(日)「西日本豪雨」
 伊予ICから高速道に入り、大洲北ICを降りる。国道一九七号線肱川の水害。道の駅手前で道路が陥没していた。道の駅が過ぎたところにある「鹿野川ダム」が、被災していた。丸山公園への道が片側通行になっていた。県道二十九号線入れず三十五号線で野村へと向かう。野村町に到着すると、昼食とトイレ休憩に使用していた乙亥会館の温泉施設が被災していた。
 県道二十九号線を走行すると通行止めの立て看板、先ほど国道側から入れなかったので入れるところまで入ってみる。学校や幼稚園、歴史資料館等の施設が水害で被災していた。再び通行止めの看板、今度は車を乗り入れることが出来なかったので諦める。
☆その後四国を出ると、「伊勢神宮」に立ち寄り、秩父「三峯神社」を回って五月十日(金)
 に帰宅する。メーターを見ると、504240㎞だった。全走行距離は、約六千㌔だっ た。


おわりに
観光案内所で手に入れたパンフレット「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」を改めて読んでみると、「二〇一八年(平成三十年)七月に世界文化遺産に登録されたのは、十二の集落等の構成資産からなる遺産群です。」と書かれていました。私は今まで「教会」を追い求めて旅を続けていましたが、教会はその世界文化遺産の一部でしかなかったことに気が付きました。。
今まで教会だけを追い求めて平戸を訪れていた私は、二〇一九年の四月にはじめて「春日集落」を訪れました。棚田の広がる、海の見える集落でした。残念ながら、教会は建っていませんでした。今まで教会の撮影だけを追い求めていた私は、教会という建物に価値がある物と思っていましたがそれは違っていました。たまたま教会を追い求めて訪れた、「出津集落」「大野集落」「崎津集落」「黒島の集落」「野崎島の集落」「頭ヶ島の集落」「久賀島の集落」「江上集落」等は、たまたま私の興味を引きつける教会が建っていただけでした。「出津集落」には出津教会が、「大野集落」には大野教会が、「崎津集落」には崎津教会が、「黒島の集落」には黒島教会が、「野崎島の集落」には野首教会が、「頭ヶ島の集落」には頭ヶ島教会が、「久賀島の集落」には旧五輪教会が、「江上集落」には江上教会が、建っていました。     
 「春日集落」の様に、教会が建っていない集落もあると言うことを知ることによって、今回の世界文化遺産登録の価値を再確認することが出来ました。また、外海を訪れることによって遠藤周作の「沈黙」を読むきっかけが出来ました。読書好きの私としては、今まで興味の無かった遠藤周作にも興味を持つことが出来ました。             大野教会では、この「沈黙」を読んでから訪れるのと読まないで訪れるのとではこの外海を見る見方が大きく変わることを学生と話すことが出来ました。もし私がこの沈黙を読んでいなかったら、あるいは知らなかったらあの学生と会話をすることはなかったかも知れません。
最後に、この世界遺産登録をきっかけに「五島列島」などの教会のある島々をたくさんの人が訪れてくれることを願います。(各地の島を訪れると、人に出会うことが無く人口減少に歯止めがかからないことが実感できました。ただ、観光客が増えることによって失うことも出てくると思われますが?旅人としては、複雑な気持ちです。)
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