僕の中の僕
文字数 1,991文字
サトルがサトシの存在に気づいたのは、まだ小学生の頃だ。休日の昼間、自室で宿題をしていて眠ってしまい、目を覚ますとノートに描いた覚えのない絵があった。クレヨンで描かれたそれは、絵と呼べるようなものではなかったかもしれない。得体の知れない黒い塊から赤い線が四方八方に伸びていた。
——寝ぼけて訳の分からないものを描いてしまった
そんなふうに思った。けれど、それから同じことが繰り返された。そして、繰り返す度、絵は形を整えていき、最後には首を切り落とされた黒猫の姿になった。切り口から真っ赤な血が噴き出していた。
サトルが戦慄したのは、絵の内容もさることながら、隅に書かれていた「サトシ」というサインのせいだ。
——自分の中に、もう一人いる
サトシはサトルが眠っている間に現れるようだった。理不尽なことに、サトルにはサトシの記憶はないが、サトシにはサトルの記憶があるらしい。
絵が完成した次の日、サトルが目を覚ますと、サトシからの伝言があった。
——近所の空き地へ行け
行くべきではない。本能らしきものがそう告げていた。けれど、行かずにはいられなかった。
そこには一匹の黒猫がいた。
——あの絵の猫なのか?
黒猫がにゃあと鳴いたところで、サトルの記憶は途切れた。次に目を覚ましたとき、サトルは物置きのような小屋の中にいて、目の前には首が切り落とされた猫の死体。手の中には血に染まった斧があった。サトシがやったに違いない。けれど、それは自分がやったことでもある。サトルは猫を川原に埋めた。
——二度としないでくれ
サトルはサトシに手紙を書いた。けれど、目を覚ましたとき、その手紙は破り捨てられていた。代わりに残されていた手紙には
——次は何の絵を描こうかなぁ
そう書かれていた。
あれから数年。サトシが描く絵は、毎回曖昧なところから始まって、最後には犬や猫が切り刻まれた姿になった。そして、絵が完成したあとには、描かれた光景が現実になった。
——もうやめて
こんなことしないで
何度そんな手紙を書いただろうか。
——僕は君の願望を叶えてあげているだけだよ
寝ないようにしよう、寝なきゃいいんだ。そう思って、もし寝てしまってもすぐに起きられるように目覚ましをセットしたりもした。けれど、サトシがすぐにアラームを解除してしまうので効果はなかった。。
サトシは狂っている。いや。狂っているのは自分だ。そう思った。けれど、どうしようもなかった。
今回、サトシの描く絵が、これまでとは明らかに異なっていた。犬や猫には見えないのだ。嫌な予感がした。
予感は的中し、それは首を切り落とされた女の子の絵になった。
——やめろ、やめないなら、僕は自殺する
——死ねるものなら死んでみろ
どうせ出来ないくせに
僕は君がやりたくてもできないことを
代わりにやっているだけだ
やりたいくせに
理性に邪魔されてやれないことを
代わりにやってあげているんだ
でも、気にすることはない
僕は君だし、君は僕なんだから
——人殺しなんて、絶対にダメだ
——小さな女の子を探そう
チョコレートをあげる
そんなことを言って連れ出すんだ
テストが終わり、帰り支度をしているとき、サトルは気がついた。カバンの中にチョコレートが入っていることに。サトシは今日やるつもりだと。
そんなときだった。津越サクラがカラオケに誘って来たのは。
彼女がターゲットになるかもしれない。そんな不安も頭には浮かんだが、描かれた女の子はもっと幼く見えた。だから大丈夫だろうと考えた。
二人は、四五人が入れるほどの部屋で、テーブルを挟んで向かい合っていた。サクラは早速曲を選ぼうとしている。
「ごめん、先にお願いがあるんだ」
「何?」
「僕が寝そうになったら、起こして欲しい」
サクラの瞳が好奇心に輝くのが分かった。
「別に少しくらいなら寝てもいいよ」
「いや。ほんの少しでも、絶対に眠らないように起こして欲しいんだ」
サクラは厭らしい笑みを浮かべたかと思うと、テーブルに両手をつき、身を乗り出すようにして顔を近づけてきた。
「眠ったら出て来るんだね」
「え、何が?」
「出て来るんでしょ、もう一人の井波君が」
「ど、どうして?」
「分かるよ。だって、わたしも同じだもの。わたしはね、サクラじゃない。わたしはね、ツバキ。だから、さあ、あなたも早く出て来なさいよ。一緒にもっと楽しいことをやりましょう」