Q5 ⇒

文字数 5,470文字

 あれから、僕の足は公園から遠のいていた。現代抽象美術館は超常現象の聖地として賑わうようになり、一部の人々を熱狂させている。そして、あっさりと保存が決まった。観光地として活用するのだろう。
 春休みが終わり学校が始まる。授業を終えて、校門を出た僕は、黒塗りの車に気がついた。
 間違いない。今園の車だ。
 僕はすぐさま下校ルートを変更し、いつもとは違う道を走った。角を曲がったところで、足をかけられた。
 今園だった。
「偶蹄類並みにわかりやすいな」
 なんだそのわかりにくい例えは。ニタリと笑いながら、追いついた車に僕を押し込む。
 僕は精一杯皮肉を言った。
「誘拐犯に転職したんですか?」
「君にそんな価値はない。私は礼儀を重んじるのだ。礼だ。ありがたく受け取れ」
 今園がお菓子の箱、その角を押し付けてくる。
「いりません!」
「君のおかげでお見合いが上手くいった」
「関係ねえよ」
「歳の頃がちょうど良かったからな。格差婚となれば、相手は必ず私の弱みを探す。あるわけがないのにな。撒き餌にまんまと食いついた」
 悪人面で行ってのける今園。いったいなんの話だ?
「なんだかんだ言って結婚するんですね」
「話を聞いてなかったのか? 破綻したやつと一緒になるわけがなかろう?」
「破綻させたのかよ⁉︎」
 今園は菓子を僕に投げてよこした。思わずキャッチした僕。見れば、母さんが大好きなブランドのチョコレートだ。
「塚田も厄介払いできたし、君を悪魔祓いの突撃隊長として雇ってやろう。報酬もちゃんと出す」
 ほれっと今園が書店の袋を叩きつけてくる。僕は受け止めて、叩き返そうとしたが腹に一撃を受けて取り落とした。腹を守りながら投げ返す。
「いりません!」
「なぜそう言える? 中を見てみろ」
 再び叩きつけられた袋の中身を、僕は渋々確認した。
 ユメ萌え建築図鑑りたーんず。
「いらねえよ!」
 今園は顎をあげてはっと笑った。
「遠慮は無用だ。私が君を喜ばせるがなかろう。四十八ページを見てみろ」
 遠慮してねえよ。それでも念のために、ページをめくる。
 僕は目を見張った。現代抽象美術館に二ページも当てられている。春の日差しを浴びた美しい角度の写真。詳しい来歴と、マニアックな解説。僕は発行日を確認する。三年前だ。古い写真だからだろうか。以前のように、魅力を感じるのだ。
 今園は口元を歪めた。
「悪魔を倒すんじゃなかったのか? ネット上はコーンフィーバーだ。自分の粗忽ぶりを思い知るがいい」

 グレイはすっかり我が家の一員として扱われている。グレイは高級なペットフードをバリバリ食っていた。うまいのだろうか。
 夕飯を食べ終えた僕は、思い切って父さんの意見を聞いた。
 父さんと母さんは今園にもらったチョコレートでワインを飲んでいる。酒に弱い父さんはすぐにふにゃふにゃになった。酔いが回ると、少しだけ父さんの思考がましになる。
 父さんはしみじみしている。
「恋は人間讃歌かあ、今園さんはいいことを言うなあ」
「どうやったら悪魔を倒せると思う? 永遠の愛なんて用意できない」
「不在の証明は難しいんだ。逆に、存在の証明はたった一つでも見つけられればいい」
「それこそ悪魔の証明だ。存在しない物を用意しろって言われてるんだよ」
 上機嫌な父さんは僕にウインクして見せる。
「ないと決まったわけじゃない。信じるものは救われる。パスカルだって、神様が存在する方に賭けたんだ」
「分がいいって話だろ。ラプラスは神という仮説は必要ないって言ったらしいけど?」
 やっぱり悪魔の力に頼るしかないのか?
 その晩、僕はネットで情報を探した。
 コーンが交霊会に執心していたとか、悪魔の建築を命じられたとか、色々な噂が飛び交っていた。時代的に、交霊会にはまっていても不思議はないが、これでは事実が混ざっていても見分けられそうにない。
 日曜日。僕は久しぶりに上原公園に向かった。現代抽象美術館は、取り壊しが決まった時点で、すべての収蔵物が引き上げられている。それでも、注目が集まったので、改修前に館内が無料で見学できるようになっていた。
 現代抽象美術館を前にした僕は、確信した。やっぱり美しい。僕が失望した時、一つの変化が起きていた。定礎だ。現代抽象美術館こそ、悪魔の震源なのだ。定礎の中に、なにかがある。
 その時、スマホが振動した。見れば、見知らぬ番号。僕は文句を言った。
「番号を教えた覚えはないんですけど」
「私が君に教わることなど一つもない。それで? 君の妄想を聞いてやろう?」
「コーンがーー」
「落第だな」
「聞けよ」
「悪魔は簡単には手放せない。いいか、高い金を払って雇ったにしてはポンコツすぎると思わないか? 建築家として招聘されたにも関わらず、愚作ばかりをつくっている。君は安直にも才能がないと決めてかかっている。昔の人間には構造計算ができなくてもおかしくないとみくびっているだろう? 欠陥は織り込み済みなのだ。地震が多いこの国で、潰れることを期待して、設計されたのだ。補修がなければ、関東大震災で倒壊していただろう。君はあの建物のなにを見ていた? 外ばかり眺めていたのか? 倒壊すれば定礎に力が集中するように設計されていたというのに。悪魔は常に移動する機会をうかがっている。樋口シエナの取引が無効にならなければ、シンガポールへと移動するところだった」
「ネットの情報でそこまで推測できるわけがないでしょう?」
「泣き言か? すべては君の早合点の結果だ。君は身をもって悪魔の強かさを知ったはずだぞ。君たちが保存活動をしていたのはなぜだろうな? なにが人々を駆り立てたのだと思う? 猛省するのだな。悪魔に魅入られたのは君自身ということだ」
 返す言葉がなかった。
 今園は意地汚く笑った。
「コーン氏の策は不発に終わったが、それでも百年以上、悪魔をこの地に留めたのだ。移動が早ければ、悪魔の企みが露見することも、対策を講じる余裕も生まれなかっただろう。正面入り口に来い。慰めてやろう」
 言われたとりに向かうと、黒い車が横付けする。車は僕を乗せて出発した。
 値踏みするかのように、今園が見てくる。
「わずかなれども、夜郎自大が改善したようだな。良いことを教えてやろう。許し難いことに、悪魔を滅ぼすことはできない」
 僕は耳を疑った。できないだって?
「できるって口ぶりでしたよね?」
「滅ぼすことができると言ったことは一度もない。封じることが可能だと述べたまでだ」
「はあ?」
 完璧だと豪語しておきながら、不可能だと? ああ……、この女が完全無比なわけがないの、僕は期待してしまったのか。
 愉快でたまらないと、目を細める今園。
「様はないな。凡人はすぐにしょげかえる。君は世界の終わりとばかりに悪魔の存在に怯えているが、私は違う。卑怯は許さないが、生存を認めてやる余裕がある。言っただろう? 恋は人間讃歌だ。人生讃美と言い換えてもいい。君は悪魔の企みに負けて膝を折るだろうが、私の心がくじかれることはない。なぜなら私は活殺自在にして、如意自在、才弁縦横な知徳兼ーー」
「うるさいなあ!」
 大声でさえぎる僕に、今園は更なる大声で言い返す。
「そういうところが駄目なのだ! そうした態度が悪魔をつけ上がらせるのだぞ! 悪魔は人間が絶望する瞬間を見たがっている! 喜ばせてどうする? 君にできることはただ一つしかない。つまり愛せばいいのだ。悪魔を愛してやれ。悪魔も困るだろう」
「はい?」
「汝の敵を愛せよ。名言だろう? 聖書は皮肉と矛盾でできている」
「読み手の問題でしょ」
「かえすがえす飲み込みが悪いな。悪魔は恐れる相手ではないのだ。試しに名前でもつけてやれ。少しは愛着がわくだろう」
「嫌ですよ」
「発想力が乏しい君には難しかったか」
「……マクスウェルとか」
「無知が露呈したな」
「いちいちうるさいなあ」
 いくらでも悪口が降ってくる。僕はむっすりと聞いた。
「疑問なんですけど、自分自身に恋なんてできるんですか?」
「不見識だな。ナルキッソスの例を引くまでもないだろう」
「神話じゃないですか。それに、単一で式は作れませんよ。不等式を等式に変えるのが悪魔なんでしょう?」
「愚問だ。あくまで比喩だ。悪魔はゼロで割り算をすると言い換えてもいい」
 僕が疑ったのはそういうことではない。なにか隠している気がするのだ。
「自分自身じゃなくて、別の誰かでは?」
「見当違いもはなはだしいな。私は自分自身を愛するようにできている」
「多かれ少なかれ、みんなそうでしょうけど」
「悪魔の関わるところ、常識は通用しないぞ。私の母は私の父の頭脳をこよなく愛していた。故に父の死と共に失われることを恐れていた。そこへ悪魔は囁いたのだ。そうして私たちは生まれた。私には双子の弟がいる。もうわかるだろう? 私と弟の子ならば、父の遺伝子が再現できるという寸法だ。そして私は自分より劣る人間を愛したりはしない。見合いをすすめるのも、どうにか子供を産ませたいからだ。次の代にかけているのだ」
 悪魔の能力は皮肉に満ちている。今園の母親は代償として、どんな感情を失ったのだろうか。
「悪魔を倒せないとして、どうやって封じるんですか?」
「察しが悪いな。恋には落ちる人間と、落とす人間がいる。喜べ。無為無策の君にも、ぴったりの役目がある。傲岸不遜で捻くれ者の君が恋に落ちれば、必ず悪魔は現れる」
「はあ?」
「悪魔にラプラスという弟を作ってやれ。真理に近づければ君も本望だろう?」
 真意を測り損ねていると、にったりと今園が口を開けた。
「理解を超えた存在に、君は惹かれる定めなのだ。そこに悪魔を呼ぶ恋がある」
 今園思惑がわかって、僕は唖然とした。どこまで自信過剰なんだ。このババアは。
「僕があんたを好きになるなんてことはありえない!」
「嫌いが好きに変わるのはラブコメの定番だろ?」
「自分自身に恋する女とかありえないだろ!」
「勘違いするな。君は数あるストックの一つだ」
「勘違いはあんたの方だろ! 勘違いをストックしてどうするんだよ」
「ふりにしか聞こえないな。秩序を守れるのはこの私しかいないのだぞ! 悪魔を封じ込めるには、君は私への愛を認めなければならないのだ! 悪魔の皮肉、最高だな!」
「自分は大したことがないと気づくのがオチだ! 悪魔の皮肉なら、そっちだね!」
「ふられるのが恐ろしいか? 案ずるな! 私は胡乱なお子ちゃまには興味がない!」
「僕のほうこそ、自分よりも性格の悪いババアに興味なんかねえよ!」
 暴言が飛び交う車内。いつのまにか家の前に到着していた。斉藤さんがドアを開けてくれる。車を降りる僕を、悪どい顔で今園が見下ろしている。いい悪口が見つからずに、僕は黙って車を見送った。
 とんでもない計画を知ってしまった。あの女の自信は常軌を逸している。今園は楽しんでいるのだ。悪魔以上に、世界を嗤っているのだ。悪魔の皮肉が、それでも愛を信じるかと試すように、それは対をなした嫌味だ。
 それでもこの世界は素晴らしいと言おうぜ?
 冗談じゃない!
 なにがなんでも悪魔を討ち倒してやる。そのためには情報が必要だ。今園の協力者は間違いなく、他にもいる。グレイならなにか知っているかもしれない。
 帰宅すると同時にグレイを探した僕は、散歩に出ていることに気がついた。悪魔パトロールと称して、母さんと上原公園を散策するのが日課になっているのだ。
 部屋に戻った僕は、検索を始めた。
 あの今園の横暴ぶり。おそらく身内には相当きついはずだ。ずっと一緒に育った弟となれば多分に悪い思い出に溢れていることだろう。
 情報の少なさを危ぶんだが、弟はまあまあな有名人らしい。今園(ほつる)。実業家として成功し、育て上げた会社を売却し、半ば隠居生活に入っているという。双子というが、あまり似ていない。
 連絡を取ろうと考えたところで、僕はハッとする。
 もしかしてこれも罠か?
 弟は確かに今園をよく知っているだろう。しかし、今園だって弟をよく知っているに違いない。家族だからこそ、容赦なく対策をしているはずだ。
 その点、能天気なグレイも頼りにならない。僕でも読めるほど、思考が単純だ。
 どうにか今園をだし抜けないかと考え続けているうちにグレイが帰ってきた。僕はもう一つ、気になっていたことを確認する。
「樋口さんは天使みたいだと言っていたけど、グレイの場合は悪魔はどんな姿をしてたんだ?」
『女神みたいな感じだワン。相手に合わせて姿を変えるみたいだワン』
 見た目からはなんにもわからないか。姿からなにかがわかるとすれば人間の方だ。
「ちなみに今園の場合は?」
『聞いたことなかったワン』
「だろうな」
 まあ、聞いたところで正直に答えるかどうか疑わしい。
「今園には他にも悪魔と取引した協力者がいると思うんだけど」
『知らなかったワン』
「使えねえな」
 普通に探偵なりアルバイトを雇っている可能性もあるけど。
「今園の弟はどんな人? 会ったことあるか?」
『すごくいい人だワン』
「あーっ!」
 僕は頭を掻きむしった。すごく罠っぽい。のこのこ会いに行って、とんでもない目に遭わされそうだ。
 グレイが僕の足をポンポンと叩く。
『なんでもかんでも疑いすぎだワン』
「グレイたちがおかしいんだよ! 建物を憑依する能力を進める天使? 犬になる魔法を授ける女神? どうかしてる。なんでそんな怪しい取引に応じるんだよ!」
『確かにノリの軽い女神だったワン』
「軽かったのかよ!」
 結局なにもいい案が浮かばずに、僕の日曜日は過ぎていった。
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登場人物紹介

宮田 ユーラ(みやた ゆーら)

自分の名前が嫌いな高校生。

オカルトを叩き潰さずにはいられない性格。

グレイ/塚田 天真 (つかだ てんしん)

悪魔と契約して犬になった酒好きなロマンチスト。

一日に一回人間に戻るおじさん。

今園 全 (いまぞの またい)

剛腕弁護士。慧眼無双だと断言して憚らないナルシスト。

自己愛のトートロジーで他人をやり込める鬼。


宮田 健二郎(みやた けんじろう)

ユーラの父親。自称宇宙人研究家。

玩具メーカーで開発の仕事をしている。

宮田 佳乃子(みやた かのこ)

ユーラの母親。自称金星人。

おっとりと夢の世界に生きる主婦。小さいことは気にしない。

宮田 キラリ(みやた きらり)

ユーラの妹。夢みがちな中学生。

時折ユーラに夢を破壊されているが、めげない。

樋口 シエナ(ひぐち しえな)

ユーラに憧れる中学生。

とんでもない能力を手に入れてしまう。

現代抽象美術館(げんだいちゅうしょうびじゅつかん)

突如姿を消した評判の悪い建物。

人間となってユーラの前に現れる。

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