そうじのはなし

文字数 1,993文字

「かったるいなー」
 ひとくんはそう言ってモップをぶん投げた。
 だってバカみたいじゃないか。
 なんで家じゅうの部屋のモップがけをしなきゃなんないんだ。
 こんなの児童虐待じゃん。
 ひとくんはそう思った。
 でも、お母さんが帰ってくるまでにやっておかないと多分むちゃくちゃ怒られてしまうと思うのでやっぱりやらなければいけない。
 ひとくんはしぶしぶ、モップを動かし始めた。

 でも全然進まない。
 なにしろやる気がないので当たり前のことだ。
 少し動かすたびに止まってしまう。
 すると、
「ダメだよ、そんなんじゃあ」
 という声がどこからか聞こえた。
 ひとくんがきょろきょろ顔を動かすと、やがて、身長五十センチぐらいのおじさんが部屋の隅に立っているのを見つけた。
「おじさんは妖精かい」
 ひとくんが聞いた。
「まあ、そんなところかな。よく分かったね」
 とおじさんは答えた。
「そんなに身長の低いおじさんはあまりいないからね。もちろん小人症の人って可能性もあるけどさ、まあ家の中に勝手に入ってくるのは人間には難しいからどっちかというとおそらく妖精ってとこかなと思ったわけさ」
 と、ひとくんは名推理を披露した。
「弁が立つ子だね」
 と、おじさんは感心した。
 そしてそのあと、
「でも掃除のやり方はなっちゃいないね」
 とつけくわえた。
「ボクはあんまり普段は掃除はしないからね」
「でも今日はやってるじゃないか」
「ママの命令さ。普段から少しずつやらせればいいのに、普段はやらせないでおいてたまに気まぐれに『子供への新しい体験』とかいうのを大量に押しつけようとするのさ」
「たしかにそれはよくないかもしれないな」
「でもまあ、大丈夫さ。おじさんは掃除の妖精で今からボクの代わりにやってくれるんだろう?」
「別にそんなことはしないよ」
「なんだいつまらねえ」
「そんなことをしたら君の教育によくないからね、やり方を少し教えるだけだよ。もっと力を込めて端っこからやらなきゃあダメだよ」
 おじさんはそう言って、ひとくんに見本を見せた。
「ふーむ、まあやってみよう」
 ひとくんはおじさんの真似をしながらやってみた。
 するとするすると上手くいく。
「やるじゃないか」
 とおじさんは言った。
「おじさんは掃除の妖精だけあって教え方が上手いね」
 とひとくんも褒めた。
「別におじさんは掃除の妖精というわけじゃあないんだけどね」
「じゃあなんなんだい」
「別になにかの専門があるわけじゃあないよ。ただの家の妖精だよ」
「まあそりゃあそうだね、掃除を教えるためだけの妖精なんてつまらないものね」
「そういうこと」
「しかしまだ問題があるよ」
「なんだね」
「ボクは正直、別にやり方が分かったからといってモップで家の床全部を拭くつもりにはならないよ」
 ひとくんがそう言うと、おじさんは腕を組んで考えた。
 そして、やがて答える。
「そういうときはね、ゲーム感覚にしてやってみるといいのだよ」
「大人は子供になにかやらせたい時にそういう言い方をよくするね」
「まあたしかにこの言い方を濫用する大人が結構多いことは認めざるをえないね」
 とおじさんは認めた。
「しかしね、ひとくん。実際このやり方はなんの仕事をするにしても意外と使えるやり方であってね。つまり作業自体の区切りや作業完結の達成感を脳の報酬系への刺激として利用するということなんだよ」
「妖精の割には科学的なことを言うね」
「いまどき妖精と言ったって科学の勉強ぐらいはしなくっちゃね」
「つまり作業自体に実報酬はなくても楽しみや達成感をなんとか見いだせという話なんだね。なんだか都合のいい話な気がするね」
「しかしつまりはそこを楽しむのが人生のコツだよ」
「でもあんまりそれに従うといわゆるやりがい搾取という奴にひっかからないかなあ」
「あまりにもしんどい時にはそれを疑った方もいい時はあるだろうけどね。でもモップがけぐらいのことならこういう考え方に素直に乗ってみるのも『手』だと思うね」
「まあ、やってみるか」
 ひとくんはそう言いながら、おじさんの言う通りにモップがけを始めた。
 つまり、モップがけの作業を小分けにして、そのこまめな成果自体で達成感を味わうように心がけ脳の報酬系を刺激するようにしたのである。
 それで楽になったかというと、まあおじさんが言うほどではなかったけれど、最初に思っていたよりは意外と楽な気分で終わることが出来たのだった。
「どうだったね、ひとくん」
「まあ少しは楽だったね」
「じゃあこれからは仕事を楽しむことが出来そうかい」
「いやそれは無理だね、もしやらなくてすむならやりたくないね」
「まったく君はドラマチックではないことを言うね。まあそんなもんだろうね。じゃあね」
 そう言っておじさんは消えた。

 まあこうしてひとくんは、別に劇的に楽しくも楽でもないけれどとにかくなんとか部屋中のモップがけを終わらせることが出来たのだった。
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