第1話

文字数 1,990文字

 ピンポーン。インターホンを押してしばらく待つと鍵が開く音がした。
「久しぶり。体調どう?」
私は失恋で傷心中の友人の家に来ていた。
鍵を開けてくれた友人はげっそりとやつれている。
「由美……。」
友人は私の名前を呼ぶとそのまま泣き出してしまう。このままじゃまずい、慌てて家に上が
らせてもらって友人を奥へ導く。私の服の裾を握りしめたまま涙をこぼす様子はまるで子供
のようだ。
「ほら、いろいろ買ってきたよ。食べな。」
友人はぐすぐすと鼻をすすりながら買ってきたお惣菜に手を伸ばす。
「あ、これ……彼が好きだったやつ。」
そう言うと手を止め、もう一度泣き出した。どうやら買ってくるものを間違えたらしい。
「もう忘れなよ、あんな奴。」
ため息を飲み込みながら何度目かの提案をする。すでにラインでも電話でも言ってある話。
けれど友人は忘れられないと嘆くばかりで。痺れを切らした私は家に突撃しに来たのだっ
た。
「だってさ、二股どころか三股かけられてたんでしょ?その上年上なのにヒモって……。別
れて正解。」
「でもさ、彼私がいないと何もできないんだよ?」
「クズじゃん。」
「だから、私がいないと……。」
 私は大きなため息をついて立ち上がった。部屋を見渡すとお酒の空き缶、片付けていない洗
濯物、灰皿に積みあがった吸い殻が嫌でも目に付く。部屋も煙草の匂いと香水の香りが染み
ついている。前はこんなんじゃなかったのに。あの男と付き合ってからこんなにも変わって
しまったのか。
少し仲が良いくらいの友人。ここまでする義理はない。でもほっとけなくて。腫れた目
で男が置いていった私物を眺める友人は哀れだった。私がこの友人と知り合ったときはも
っとしっかりしている子だった。
「ほら、片付け!」
私はパッと立ち上がると音を立ててカーテンを開ける。
「眩しい……。」
一体どれだけ閉めきっていたのだろう。舞い上がった部屋の埃が太陽に照らされる。私はぼ
んやりとしている友人をおいてここに来る途中で買ったゴミ袋を広げる。とりあえず空き缶。
それとカップ麺の残り。よくこれで虫が出なかったな。冬で良かった。しばらくそれを繰り
返すと部屋に残ったのは友人の物と男の物だけになった。
「これ、どうする?」
男の私物を指さして尋ねる。
 「私さ、前はもっとちゃんとしてたよね。」
突然の問いかけに内心驚きながらも頷く。
「彼との写真を見返そうと思ってスマホ開いたらさ、広告が入ってたんだ。」
「広告?」
「前よく通販してた服屋。私、彼と出会ってから変わった。それがいいことだと思ってたけ
ど、なんか違う。違う気がするよ。」
まさか友人の口からこんな言葉が出るとは。
「クローゼット見てびっくりした。一軍に置いておいた服全部ピンクとか水色とかふわふ
わのかわいいやつばっかり。モノトーンの服は全部後ろにいってた。それで、バイトのお
給料入れておいた棚見たらさ、レシートばっかりで。全部私の買い物じゃない、彼のため
の買い物。こんなの、やっぱりおかしいんだよね。」
そこまで言うと友人はゆらり、と立ち上がって私の手にあったゴミ袋を取った。そして、深
呼吸をすると散らばっていた男の荷物を手当たり次第に詰めていく。呆気にとられる私を置
いてゴミ袋はどんどん膨らんでいく。
「まだゴミ袋ってある?」
もう一枚渡すと今度はクローゼットに歩み寄り、さっき話していた一軍の服を詰めていっ
た。
「いいの?」
思わず口を挿んでしまう。友人は手を止めることなく力強く頷いた。
そこからは全て友人が一人で片付けた。私は待っている間に部屋の隅にあった観葉植物の
埃を払ったくらい。分厚い埃を払って水をあげると心なしか生き生きしたように見えた。今の友人と同じだ。少し、心に積もっていた埃を払ったらちゃんとその下にあった「自分」が輝きだす。
「終わったよ。由美、ありがと。」
友人が足元にたくさんのゴミ袋を置いて笑った。いつの間にか服も変わっている。白いニッ
トに黒いズボン。キラキラとしていたネイルも落とされていた。
「そっちの方がいいと思うよ。」
 私の言葉に笑うと友人はゴミを出しに行った。少しすると外から声が聞こえてきた。会話
の内容的にあの男が戻ってきたのだろうか。こっそりベランダに出て柵の隙間から様子を窺う。するとパチーン、と小気味いい音が聞こえ、同時に友人の声が聞こえてきた
「いまさらよりを戻したいとか言わないで!三股してたなんて信じられない!」
「もう他の人とは別れたよ。俺には君だけなんだ。」
うわぁ、こんな歯の浮くようなセリフよく言えたな。
「ピンクの服、キラキラの爪も好きじゃない。」
「それでもいいよ。」
「そして何より!ヒモはお断り!金輪際連絡してこないで。」
みっともなく縋りつく男を完全に無視してそう言い捨てると友人は男に背を向けた。
 部屋に戻ってきた友人に少し前までの気弱さはない。
かっこいい、思わず呟くと友人は照れたように笑った。
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