第1話

文字数 1,831文字

 きらきらと虹を携えた駅前の噴水ベンチに腰を下ろした。
 一秒で立ち上がった。
 涼を求めて水辺を訪れる鳥のように、パタパタと足を運んできたが、八月の光線に焼かれた石造りのベンチは溶岩プレートのようだった。
 テカテカと黒光りするそれは、高級な焼き肉店のようで、本当に肉が焼けるのではないかと思うほど、陽炎に揺らいでいた。
「そりゃ、そうか……、だから誰も座ってないのか」
 私は溜息まじりに呟くと、今来た道を引き返し、近くにあったコンビニへと向かった。
 地方都市にはありがちな、やたらと広い駐車場には、車の姿は殆んどなかった。
 イートインのコーナーでもあれば、冷房に浸ることもできただろうに、と恨めしそうに店内を睨みつけながら、店の陰になっている場所へと回り込んだ。
 車止めの小さなブロックに腰を下ろした。
 今度は、尻を焼くこともなかった。
 右手で握っていた缶コーヒーは既に生温く、左腕に抱えていた紙袋は汗で湿気っている。
 背中に背負っているビジネスリュックからは、モクモクと湯気がでているのではないかと思うほど、熱を感じた。

 午前中の打ち合わせが終わり、タクシーを呼ぶべきか迷ったが、待っている時間ももったいないと思い、歩くことにした。
 この暑さに耐え、自分の足で駅まで辿り着ければ、きっとこの仕事も上手くいくはずだ。
 願掛けではないが、バカみたいに自分を試してみたくなった。
 しかし、これが間違いだった。
 朝も歩いたので、十五分弱だと分かっていたが、甘かった。
 情けない。
 いくつになっても治らない変な癖が、また顔を出してしまった。

 私は子供の頃から、こういうことが多かった。

 あれは、五年生の頃だろうか?
 リトルリーグに通っていたときのことだから、たぶんそうだろう。
 あの日も日差しの強い日だった。
 川辺のグラウンドは、日光を遮るものがなく、ジリジリと砂を焼いていた。
 私は、午前中から目いっぱい練習に打ち込んでいた。
 近く行われる大会で、レギュラーを取れるかギリギリの所だったからだ。
 体格に勝る六年生に混じるのは、それなりに大変なことだったのだろう。
 ファーストを守る私は、午前の最後に行われるノックで、内野陣の返球を受けていた。
 本来は、もう一人、同じポジションを守る六年生と、交代交代で受けるはずなのだが、その日は、なぜか私一人だった。
 セカンド、ショートと、ノックを受け終わった者から、ベンチに引き上げ、用意されているスポーツドリンクを口に含んでいたが、私はずっと、その返球を受け続けていた。
 一人で守り抜くこと、これが出来れば、私はレギュラーになれると勝手に信じ込んでいた。
 いや、六年生がいない今日、一人で最後までやり切れるのか、試してみたくなっていた。
 サードが終わり、ピッチャーの順番になったときだった、不意に目の前がぼやけだした。
 ボテボテのゴロに向かってピッチャーが走り出す。逆手で捕球する。素早くこちらに振り向く。腕を振り抜く。
 そして、ゆっくりとボールが向ってくるが、なぜか体が動かない。
 顔の前に構えたファーストミットが、バシッと音を立てた。
 と同時に、私は倒れてしまった。

 どれくらい意識を失っていたのだろうか?
 気が付くと、グラウンドから少し離れた木陰のベンチで、祖母が膝枕をしてくれていた。
 わしゃわしゃとセミの声が煩かったことを覚えている。
 しかし、どうして、その時、母ではなく、祖母が迎えにきてくれたのか?
 午後からの野球の練習はどうなったのか?
 その後、どうやって自宅に戻ったのか?
 実は、あまり覚えていない。
 今となっては、熱中症で朦朧としていたのではないかと思うが、当時は夏バテの一言で片づけられていたように思う。

 私はビジネスリュックを目の前のアスファルトに置いた。
 そして、それをテーブル替わりにして、その上に汗で湿気った紙袋を乗せた。
 ビリビリと真ん中から引き裂く。
 拳ほどの丸いパン。
 桜色のヘソが埋め込まれたアンパン。
 駅へと向かう途中のパン屋で買ったおいたものだ。
 私は、のぼせた頭で、それに噛り付いた。
「この味……、やっぱり、好きじゃないな」
 私は、すかさず生暖かい缶コーヒーを口に含んだ。

「夏バテには『桜あんぱん』ってのが相場だよ! 糖分と塩分をまとめて取れるからね!」
 そう、確か、あのグランドの木陰のベンチで、祖母はそう言っていたと思う。
 いや、違ったかな?
 よく覚えていないけど……、まあ、いいか。
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