第1話

文字数 3,368文字

 スマホの振動に目を向けると、表示されている「アキ」の二文字。躊躇したのは一瞬で、私はすぐに通話ボタンをタップした。
 スピーカーから聞こえてきたのは、ひまわりのように明るい、半年ぶりのアキの声。その声を聞いただけで、私は泣きだしそうになっていた。
 断絶の時間など無かったかのように、アキは週末の予定を聞いてくる。大学のサークル仲間と一緒に行くことになった遊園地が、私たちの地元のそれだったらしい。先輩たちの許可は貰っているから一緒に行かないか、とアキは一人楽しげだ。
 元々人見知りの気がある私は、見知らぬ人たちと会うことに非常に抵抗がある。しかし一方で、久しぶりにアキの顔を見たいという気持ちもあった。
 私の葛藤を察したらしいアキの言葉は強力だった。
「アオイに会いたい」
 その一言で、十分だった。私は迷うことをやめて、承諾の返事をして通話を切った。

 アキが好きだ。そう自覚してからの時間は、私にとっては苦しいものだった。私がアキに対して抱いているのは恋愛感情なのに、アキはそうじゃない。
 アキは、至って「普通」の女の子の道を辿っていた。中学に上がるとアイドルに夢中になり、高校生になるとサッカー部の先輩に憧れた。
 バレンタインの日に先輩にチョコを渡すかどうか悩むアキは、紛れもなく「普通」の女の子だった。友チョコしか渡せない私の気持ちを、アキに言えるはずもなかった。「普通」じゃない私を、「普通」のアキに押し付けるわけにはいかない。
 だから私は、高校卒業と同時に、みずからアキの前から去った。進学と就職。進路の違いという、もっともらしい理由をつけて、私はあえて連絡を断った。自分の気持ちを封印して、アキを解放したつもりだった。
 でも違った。私はそれを、約束の日の朝に思い知ることになった。

 待ち合わせの遊園地のゲート前に、アキは男と一緒に現れた。
「君がアオイちゃん? アキから話はよく聞いているよ。俺、アキとお付き合いさせてもらっている、サカモトシンゴっていいます」
 アキが口を開くよりも早く、勝手に喋りだした男に、私は呆然とした。
「シ、シンゴさん。私が先にアオイちゃんに紹介しようと思ってたのに……」
「だって、アオイちゃんに彼氏として挨拶してくれって言ったのはアキじゃないか」
「そうだけど……」
 すねたようにぷぅと頬を膨らませたアキの表情は、私が初めて見るものだった。それは、「女」の顔だった。
「彼氏……」
 無意識に私の口からこぼれ落ちた言葉に反応して、アキはぱっと顔を輝かせる。
「そうなの。サークルの一年先輩で、今付き合って一ヵ月目で……。私ね、アオイちゃんにはどうしても紹介しておきたかったんだ」
 その後も「彼氏」の説明は続いたが、私の頭には全く入ってこなかった。背の高い男を上目遣いで見る、アキの甘えた表情。アキの頭を軽く撫でる、男の大きな手。見たくないものばかりが目に映る。
 こうなることを、望んでいたはずだった。アキが誰か他の男のものになることを。それでも私の耳には、自分の心が砕ける音が聞こえた。

 遊園地で過ごす時間は、予想外に楽しかった。アキのサークル仲間たちは親切で、初対面の私のこともよく気にかけてくれた。それでも、当然のような顔をしてアキの隣にいる男に、私の心はかき乱された。
 閉園時間が迫る頃、私たちは広場に集まった。
「最後に何乗る?」
「最後といえば、ジェットコースターよね」
「何言ってんだよ、シメは観覧車に決まってんだろ」
「とか言って、シンゴはアキちゃんと二人きりになりたいだけでしょ」
 暗くなり始めた遊園地に、みんなの笑い声が弾ける。光を放つアトラクションが、幸せそうに頬を染めるアキの横顔を照らしていた。
 結局最後は、それぞれが乗りたいものに分かれて乗ることになった。彼らが何に乗るか相談している間に、私はそっと輪の中から抜け出した。
 私が去ったことには、誰も気づかない。疎外感とはまた違う、苦い気持ちが私の心を満たしていった。
 重い気持ちを抱えたまま歩いていると、突然目の前を二人の女の子が横切った。小学生くらいのその子たちは、笑い合いながら回転ブランコの最後尾に並ぶ。それは、私とアキが子供の頃に一番よく乗った、思い出のアトラクション。
 引き寄せられるように、私も女の子たちの後ろについた。目の前の二人は、仲良さそうに喋り合っている。それはまるで、過去の自分とアキを見ているようだった。
 順番はすぐに回ってきて、私はブランコに座った。どす黒いこの気持ちを、アキの彼氏に対する嫉妬を、回転ブランコの遠心力で吹き飛ばして欲しかった。
 中央の柱がスライドして持ち上がり、ブランコに座った私の足も宙に浮く。そっと目を上げると、斜め前に先ほどの女の子の後ろ姿が見えた。髪の長いその子の後ろ姿は、当時のアキの長い黒髪を思い出させた。

 小学三年に進学して、初めてアキとクラスが離れた。それまでアキにべったりとくっついていた私は、クラスの中で急に一人になった。気がついた時にはクラス内にグループができあがっていて、私の入る余地はなかった。
 休み時間に一人でいることには、まだ耐えられた。辛かったのは、小学校でありがちな、グループに分かれて授業が行われる時だ。
 誰も私と組んでくれない。いつもグループからあぶれる私を、困ったように見る担任と、あざ笑うような目を向ける女子たち。何が気に食わなかったのか、次第にそれは露骨になり、私とペアを組まされて泣き出す子がいたり、「先生、アオイちゃんは臭いので一緒のグループは嫌です」などと発言する者まで現れ始めた。担任は頼りにならず、私は徐々に、学校に行こうとするとお腹が痛くなるようになった。
 そんな頃、アキが誘いに来た、「次の休みに遊園地に行こう」と。クラスが分かれるまで、私たちは年間パスポートを持っていたその遊園地に、よく遊びに行っていた。
 アキと遊園地でぱーっと遊べば、嫌なことは全部忘れられるかと期待したけれど、心はまったく晴れなかった。大好きなアキと一緒にいても、どんなに楽しいアトラクションに乗っても、私の心はまったく動かない。全ての感情が凍ってしまったかのようだった。
 笑おうとしない私に、アキは心配そうな顔を見せながらも、懸命に笑いかけてくれた。その笑顔に何も返せないことも、私の罪悪感を強めた。
 やがて閉園時間が迫った頃、アキは私を回転ブランコに引っ張っていった。ジェットコースターのように心臓が縮まるような急激な動きもなく、ただぐるぐる振り回されるその感覚が気持ちいい。私たち二人が一番好きな乗り物だった。
 私の斜め前のブランコに座ったアキは、振り向いてにっこり笑った。
「私ね、アオイちゃんと乗る回転ブランコが一番好き」
 その言葉を合図にするかのように、ブランコは宙に浮き始めた。最初はゆっくりと、柱を中心に回り出す。
「私、ずっとアオイちゃんと同じ回転ブランコに乗り続けるから」
「え?」
 少し無理をして首を曲げて喋るアキの言葉の意味を、私は理解できずに聞き返す。
「回転ブランコは一人乗りだから。私はアオイちゃんのすぐ隣には行けないけど、それでもアオイちゃんの近くにはいるから。同じ回転ブランコで、私も一緒に回っているからね」
 スピードを上げ始めた回転ブランコは、アキの声を私の後方へとさらっていく。それでも確かに、私には届いた。隣のクラスでいじめられている私を、アキも気にかけてくれていた。駆けつけることができなくても、ずっと友達だから。
 アキの気持ちが、私の心に浸透していく。いつの間にか、私の目から熱いものが溢れていた。

 すっかり忘れていた記憶が蘇ってきた。あの時から、私はアキをかけがえのない大切な存在だと思うようになったのだ。
 あの時と同じ温かい気持ちが、切ない感情とともに私の中に溢れてくる。それはまるで、天啓のようだった。アキの言葉は、今の私にも当てはまる。私の恋も回転ブランコと同じ、一人乗りなんだろう。
 それでも私は、アキと同じ回転ブランコに乗り続けたい。一緒に乗ることができなくても、私はアキのことを後ろから見守っていよう。
 この両足が再び地面に着いたら、まっすぐにアキの元に歩いて行こう。そして今度こそ、笑顔で祝福するのだ、アキの恋愛を。
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