第1話

文字数 5,000文字

「やってくれましたね七五三野(しめの)さん……あなただけは、許せないと思ってたんです」
 大学を卒業して母校の教員になってから6年目の春、僕は高校時代のように体育館の裏へ人を呼び出した。
「どうも、久しぶりね、笠置恭平くん」
 七五三野恵(めぐみ)の、幼い感じの残る笑顔は高校時代と変わらない。
「どのツラ下げて来たんですか、何もかも台無しにしておいて!」
「あ、そういうこと言う? さんざんお世話してやったのに」
 図太いのを通り越して、恩着せがましいにもほどがある。
「そりゃあ、この私立有徳(うとく)高校の生徒会長をやったんですからね、しかも1年生で当選して」
 確かにあの半年間は、人生最高の充実した時間だったともいえる。
 ただし、1期で降りてからの人生はひたすら下降線をたどっているが。
「名門だったもんねえ、あのときは」
 過去100年にわたって政財界の名士を輩出した母校には、僕が卒業するまで、それ相応の人たちが資金その他のバックアップをしていたものだ。
「まだ10年しか経ってません」
 だが、七五三野はしゃあしゃあと言ってのけた。
「10年も経てばひと昔よ、私の場合は12年、だからこうやって」
 いや、僕が彼女の再来に気付かなかった理由はそこではない。
「名前変わったからですよ、佐藤って」
「結婚したから」
 常識で考えたらそうだ。そして僕は常識人のつもりでいる。
「知ってます、今日知りました、新任挨拶であなたの顔見て察しがつきました」
「何ムキになってんの?」
「いや、別に」
 七五三野は面倒臭そうに眉をしかめて尋ねた。
「で、何の話?」
 不思議と腹は立たなかった。
「一応、スッキリさせておきたいんです、あなたが転学したときのこと」
「私の問題だったし」
 その通りだ。一身上の都合に、僕が口を挟むことはできない。
「肩身狭かったんですよ、なんか僕のせいみたいで」
「何でそこまでこだわるわけ?」
 そう聞かれても、暴れる感情を抑えるのが精一杯で、うまく説明できない。
「きっかけは、あなただったんです」
「覚えがないなあ……」
 高校時代もこうだった。
 両腕を組んで首を振るとき、七五三野は本当に考え込んでいる。
「入学した僕たちは、同じクラスになりました……ここまでは覚えてますね」
「あ、なんか久しぶりって感じで」
 今思い出したというふうに手を叩いてはいるが、それがどこまで本当だか分からない。
「最初は誰か分かりませんでした。やっぱり10年も経ってましたから」
「小学1年生のときに引っ越したからね、笠置君の田舎から」
 僕の名前に「田舎」をつけるだけ余計だ。
「僕もひとりで引っ越したんです、あそこじゃ出世できないって中学校で気付いて」
 後半は一言多かったかもしれないが、このくらい言わないと気が済まなかった。
「過去のこと話すと、何か邪魔だった?」
「ここ、田舎差別ひどいんで」
 わざと嫌みったらしく言ってやると、同じくらいわざとらしく媚びた作り声が返ってきた。
「ごめんね、馴れ馴れしくして」
 当時の嫌な思い出が一気に脳裏へ蘇ってきて、僕の言葉はほとんど恨み事一色になった。
「あれで一気にスクールカースト最下位だったじゃないですか、僕たち」
「悪かったね、知らなかった」
 両手で口を押さえて息を呑んでみせたりしているが、そんな手に乗る僕ではない。
「空気読めないの相変わらずですよね、あのときだって」
「いつ?」
 本当に覚えていないらしい。12年も経てば忘れるのも無理はないが。
「最初のクラス役員決めるとき、おとなしく図書委員やってればよかったんです、2人で」
「根に持つね」
 しげしげと眺めてくるのは、なるべく気にしないことにした。
「あの異様な出身校別派閥争いの激しいコミュニケーションの修羅場から逃れられたんですよ、昼休みの図書当番のときだけは!」
「オタクの使いッパシリにされても?」
 的確な指摘に、僕は一歩退かざるを得なかった。
「それもイヤでした」
 そこで七五三野は勝ち誇る。
「でしょう? あの頃の図書委員会なんてね、オタクがライトノベルを本棚に並べるための圧力団体でしかなかったんだからね」
 確かにその通りだったかもしれないが……。
「何で分かったんですか?」
「初めて行った時の空気で」
 さらりと答えるのが何やら悔しくて、僕はいかにも感心したように、頷きながら言った。
「そういう空気は読めるんですね」
「察するのと同調するのは違うのよ」
 急に真面目な顔になった七五三野に、僕もあたふたと表情を取り繕った。
「つまり、僕たちが幼馴染だって知ったクラス全体の、2人で図書委員やれやれムードは……」
「田舎者の島流し」
 短いが本質を突いた、辛辣な表現だった。
「だから抵抗したんですね、ホームルーム1時間余計に使ってまで」
「予定狂って困るの担任だけだったじゃない」
 あのとき七五三野は、イヤなものはイヤだとゴネ倒し、結論は次週のホームルームまで持ち越しとなったのだった。
「で、結果的に僕がクラス委員長で七五三野さんが」
「それ旧姓」
「佐藤さんが副委員長って、完全に墓穴だったじゃないですか!」
「でも、派閥争いからは無縁でいられたでしょ?」
「完全に先生方の使いッパシリでしたけどね」
 冷たくあしらうと、七五三野のほうも冷ややかに反撃してきた。
「先行投資だったのよ、生徒会選挙への」
 その一言が引っかかった。そうなのだ、なぜ1年生が当選できたのか。
 生徒会の会長と副会長に。
「よく、僕たち当選できましたよね、無投票で」
 半分は皮肉だった。少なくとも僕には、人の上に立とうなんていう野心はない。
「だって、上級生が全員辞退したんだもの」
「どうして?」
 当時の名門、有徳高校の生徒会執行部といえば、進学面でもアドバンテージは大きい。そうそう辞退はあり得なかった。 
 まさか七五三野が何かしたのか、と思ったときだった。
「何にも……ただ、立候補者で清廉潔白だったのは私たちだけだったってことかな」
 どうやら、教員側が内々に候補者調整を図るのを見越したらしい。
「まあ、そうでなかったら見て見ぬふりされますからね、カースト上位者は」
「で、私が副会長で、笠置くんが生徒会長」
 その舞台裏には、たまらなく嫌な気分になった。
「何で立候補なんかさせたんですか」
「嫌なら嫌って言えばいいじゃない、図書委員会のときみたいに」
 さすがにその一言には、ムッと来た。
「言ったの七五三野……佐藤さんじゃないですか!」
「私が言わなかったらあなた、人のいいなりじゃない」
 僕の生き方まで云々されるいわれはない。
「とりあえず、人の勧めることはやってみることにしているんです。問題があったら、またやり直せばいいんですよ。何でもかんでも反対するより、そのほうがうまくいくんです」
 真っ向からの口論になった。
「そうやって、今までやってきたの?」
「そうです、小学校も中学校も」
「ここ卒業してからも?」
 最も嫌な思い出が蘇ってきた。
「そうです、あれでひどい目に遭いましたから」
「仲良くしましょう運動?」
 OBの偉い人経由で、政財界のどこかから、そんなイベントが持ち込まれたらしい。
「だって、どうやれっていうのよ、みんな仲良くしましょうなんて」
「そのために生徒会で音頭取れってことになったじゃありませんか」
「つまり学校から言われたんでしょ、やれって」
 それだけではなかった。進め方は、全て指示されていた。
「悪いことじゃないじゃないですか、出身中学校別にネチネチ喧嘩ばっかりしてる学校を団結させるなんて」
 珍しく、僕はやる気だったのだ。
「人間て、そうそう仲良くなれるもんじゃないし」
「しなくちゃいけないんです! 秩序と平和! それが日本人の心ってもんでしょう!」
 あのときも学校の意向通り、僕はそう言っていた。
「大きく出たわね」
「理想を追求しようって言ったの、七五三野さんだったじゃありませんか」
 それは旧姓ではなく、僕をやる気にさせたときの彼女の名前だった。
「最後のアレは何ですか、どういうつもりであんな……大変なことになったでしょう?」
「まさか、こんなことになるとはね」
 まるで他人事のように七五三野は笑った。
「あの運動、ゴールがあったんですよね、年度末に」
「ああ、あれね、許し合いの歌」
 教員側も大乗り気で、偉い人たちの前で成功すれば、大々的に宣伝することになっていたようだった。
「僕、できると思ってたんです。今まであったこと、全部歌にしてぶちまけて、みんなワーッとなって感動して泣いて」
「よく動いたよねえ、私たち」
 ついさっきのことであるかのような口調だった。
「ええ、本当に! 七五三野さん、本当に知恵一杯貸してくれましたよね」
「……それ、皮肉?」
 半分はそうだった。
「いいえ、どの出身中の誰が派閥のボスかなんて僕には分かりませんでしたから」
「まあ、教えては上げたけどさ、あいつら動かしたの、笠置君の誠意よ、この学校、なんとかしましょうって」
 あのときのまなざしに、思わずドキッとした。
「だったら、どうしてあんなことに?」
「さあ……偉い人たちの前で、みんな緊張したんじゃない?」
 急にそっぽを向いたりして、態度が白々しくなった。
「七五三野さん……何やったんですか?」
 さっきの疑いが、今度は口を突いて出た。
 七五三野は険しい顔を僕に向けた。
「何だと思う?」
「僕には、さっぱり」
 微かな怒りを込めて答えた僕に、七五三野は淡々と語りはじめる。
「締め切りギリギリになって歌もメロディーもなくて、みんな困ってたよね」
「学校からの圧力凄かったですし」
 偉い人たちを集めた発表会が近づくにつれて、教員側の危機感は肌で感じられるようになっていた。
「最後に私がみんな集めて言ったこと覚えてる? あれが全部よ」
 僕の目の前で、七五三野は校内の派閥のボスたちに、確かこう言った。
「確か、素直な気持ちを語ればいい、私が責任持つって」
「その通りになったでしょ?」
 七五三野の表情が、急にほころんだ。
「まさか……」
 12年経って初めて察した言葉の意味は、こうだった。
「仲良くなんかする気はない、お互いに関わりたくないだけだって、そういうこと」
 喧嘩だけはしません……これが、学校中の生徒が口にできた精一杯の誠意だったのだ。
「じゃあ、学校辞めることなかったじゃないですか」
「一身上の都合です」
 いや、あれはまるで、僕をかばって責任を取るかのようだった。
「あの後、偉い人たち怒らせちゃって、僕も学校に1期で生徒会長降ろされましたし。補助金とか何とか出なくなって生徒も減って、今じゃ完全に底辺校ですよ」
 胸の痛みをごまかしながらぼやいてみせると、七五三野は呆れたように苦笑した。
「そんなところに、わざわざ勤めなくても」
 確かにその通りだが、その理由はもう、はっきりしていた。
「気楽な学校になりましたからね……ただ、ひとつだけ残念なことが」
「何?」
 きょとんとした顔も、昔のままだ。
「卒業前に気付いたんです、あなたに言ってないことがあったって」
「あ、告白はなしよ、私、ほら……」
 慌てながら、ぐいと左手を開いてみせる。
「指輪……ないです」
「あ……はは……こういう、性分だからね」
 遠回しな言い方で、僕は不幸な近況を知った。
「その先、言わないでいいです」
 だが、言いたいことは押し切るのが七五三野だ。
「私、何のためにここに来たと思う?」
 胸が、ドキンと鳴った。
「じゃあ……」
 言いたかったことが分かったのは、その時だった。
 僕は、今でも……。
 その妄想は、高らかな笑い声で破られた。
「って、ウッソー!」
「え?」
「職員室のスチール机。あの引き出しで指輪傷つくのイヤだから外しただけ!」
 だが、口元の言葉を引っ込めるつもりはない。
「七五三野さん……僕……」
「?」
 きょとんと見つめる顔に、僕は想いの丈を込めた言葉をぶつけた。
「やっぱり、あなただけは許せません!」
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