第3話

文字数 3,117文字

 琥珀と花火をするまで日が空いた。私はだいたい毎日暇だから、いつでもよかったのだけど彼女はそれなりに忙しいようだ。このまま、なあなあになって忘れてしまわないかなあと思ったけど、事はそう思い通りに運ばない。
 花火の会話をしてから一週間ほど経った日のこと。
 夕飯を食べ終えて、リビングで寛いでいると琥珀が「花火しようよ」と訪ねて来た。
 食後であまり動きたくなかったけど、駄々をこねられる方が面倒臭かったので仕方なく着いていく。

 マンションの一階には小さな公園が併設されているので、花火はそこで行うことにした。あるのはベンチとブランコ、それに砂場の傍に手洗い場があるだけ。時間は八時を過ぎていたのでもちろん誰もいない。申し訳程度に街灯が一つ置かれているが、その光は公園の範囲を満たしきれておらず端々が薄暗くなっている。
 私達は公園に着くなり、すぐに花火を始めた。
 花火のパックに入っていたのは全て手持ち花火のタイプだ。中に小さなろうそくが入っていたけど、火が上手く着けられなかったので持ってきたチャッカマンで直接花火に火を着けた。
 琥珀は楽しそうに両手で花火を持ってそれらを振り回したり、片方の花火の火が消えるとリレー形式で新しい花火を持って次々と消費していく。
 私の持った花火は色が変わるタイプで赤、黄、緑と変色する。しゅわしゅわ、ぱちぱちと音を立てて弾ける火花。
 花火何て、小学生のとき以来だ。昔やったときは凄く楽しかったけど、今やってみると結構退屈なものだと思った。それでも琥珀は花火の種類が変わる度、目を輝かせて、
「雫! これめっちゃ勢い強い!」
 と見れば分かることをいちいち報告してくるのだ。
 十分もすれば、私達は線香花火を残して全て使い切ってしまった。
 私達は屈んで、最後に残った線香花火に火を着ける。
 琥珀はじっくりと花火の弾ける様子を見つめている。線香花火はぱちぱちと四方八方に枝を伸ばして激しく弾けた後、勢いが弱くなって最後に花火の先っちょの方で強く発光している橙色の玉がぽとりと地面に落ちた。
 そうしてさっきまでパック一杯にあった花火は、全て水の入ったバケツの中へ燃え殻となって納まったのだ。私達は元のぼんやりと街灯が照らすだけ薄明るい公園で花火の後始末をした。

 それが終わり、琥珀が水道で手を洗っているのを何気なく見ていると、肩から首筋に掛けてみみず腫れのような傷跡を発見した。今まで気が付かなかったが、見たところ昔にできた傷のように見える。その傷を呆然と眺めていると、 彼女は視線に気づいて「気になる?」と悪戯っぽく微笑んでくる。
 私達は弱々しく街灯の明かりが照らすベンチに腰掛けて一息つく。
「これね、子供の頃につけられたの」
 そう言って、服をめくり上げてむき出しの背中を向けてきた。
 見ると、細かな切り傷の痕のようなものが背中いっぱいについている。長いもので十センチ、短いもので一センチくらいの傷跡。それが不規則に真横に入っていたり、斜めに入っていたりといくつもある。
 つけられた、と言っていたので加害者がいるのは間違いないようだ。だけど、どうしたらこんな傷になるのか想像がつかない。
「もう下ろしていいよ」
 といつまでも痛々しい傷跡を披露する彼女に伝えた。
 琥珀は服を下すとベンチにもたれて、事もなげに天を仰いで言った。
「私の育ったところがさ、すんごく厳しかったの。だから悪いこととか失敗すると、よく叩かれたんだよね」
 傷痕が残るくらいだから、叩くという限度を超えている気がする。だけど琥珀はあっけらかんとしていて、それを特に気にも留めていない様子。
 私は琥珀の表情を横目で見ながら、続きを聞く。
「だからってわけじゃないけど、こう見えて私ってそれなりに優秀だったんだよ。通っていた学校じゃ常にトップだったし、飛び級もした。ただ――」
 そう言って琥珀は一度言葉を切る。そして思うことあり気な表情をして言った。
「お兄ちゃんがいるんだけど、それが私とは比べ物になんないくらい優秀でさ。親は私そっちのけでお兄ちゃんにつきっきりだったんだよね。いつも褒められるのはお兄ちゃん。私は反対に怒られてばっかりでさ。今思い出すだけでも本当に腹が立つよ!」
 と苛立ちを露わにするように両手でわしゃわしゃと自分の頭を掻きむしった。
 私には兄弟がいないからその辛さは分からないけど、やはり優秀な兄弟がいると苦労するものなんだな、と思った。
「変なこと思い出させてごめん……」
「ああ、全然気にしないで。いつかお兄ちゃんより活躍するようになって、絶対見返してやるって決めてるからいいの」
 そこで琥珀はぱっと立ち上がって、胸の辺りで拳を作る。
「そしたら、ざまあみろ馬鹿野郎! って言ってやるの。娘だけにドウターがここまでやったぞ、どうだーってね」
 と私の方を向いて、にかっとはにかんだ。事情も大変さも分からないけど、なぜか琥珀ならできるんだろうなと思った。そんなエネルギーに満ち溢れた彼女のことが少しだけ羨ましい。
 琥珀は一度伸びをして、くるっと私の方を向いて言った。

「じゃあ、次は雫のこと聞かせてよ。何で雫は走るの辞めちゃったの?」
 そう訊かれて私は一瞬沈黙した。琥珀はその空気を察して言う。
「ああ、本当に言いたくないんなら無理しなくていいからね」
 別に言いたくないわけじゃないけど、どう言っていいものか言いあぐねていたから。私はしばらく考えて言った。
「大した理由ないけどいいの?」
「うん、当たり前じゃん! 全然いいに決まってる」
 と琥珀は分かりやすく嬉しそうな顔をするのだ。私は一呼吸おいて口を開く。
「私も前は結構頑張ってたんだけど。自分の才能じゃ頑張っても意味ないって気づいたの」
 さっきとは打って変わって、琥珀は真剣な表情で私の話に耳を傾けている。
「中学最後の駅伝大会。私はチームの最終走者だった。チームは私にトップでたすきを繋いでくれて。でも、そのとき私は途中で脱水症状起こしちゃってさ。ふらふらになりながら、何とかゴールしたんだけど結果は五位。あんまりにも皆に申し訳なくなって、そのまま医務室で休んだ後、逃げるように一人で帰ったんだ」
 昔のことを他人に話すのは初めてだったけど、話していて過去の自分の振舞がおかしくなってくる。あのときの私は本当にあほだった。
 だけど、琥珀は笑いもせずに穏やかな表情で聞いている。そんな真面目に聞くような話でもないのに。
「毎日毎日、一生懸命練習してたのに駄目だった。それから高校では陸上部に入ったんだけど、そこで思い知らされたの。右を見ても左を見ても私より才能のある子ばっかりな現実に。それであんなに練習してた自分が馬鹿らしくなってやめたってわけ。理由はただそれだけ」
 ほら大したことなかったでしょ、と私は言った。
 だけど、琥珀は「そんなことないよ」と優しく言う。
「今でも走ることは好きだけど、醜態を晒すくらいならもういいかなって。まあ、そんな感じで自分には才能がないって思ったら、勉強にも身が入らなくなって。今ではこんな感じに……」
 それで私の話は終わり。琥珀は私の話を否定や励ますことなく、最後まで聞いてくれた。
 そして琥珀は鳥の真似をしながら「ガチョウだよ。話してくれてありがちょう」とつまらない駄洒落を交えて、なぜか私にお礼を言ってくる。お礼を言われる覚えはないんだけど。
 でもそれで琥珀は満足そうにしていて、こっちも少しだけ心が軽くなったような気がした。月が高い位置まで上ってきて、光量が足りない公園を優しく照らしている。
 その後いつものように下らない話をして、私達はそれぞれの家へと帰った。
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