僕達の未来について

文字数 3,791文字

「で、僕達はいつまでバンドやるの?」
若干、不安げな面持ちで鷲見君が問いかける。
いつまで。人は、いつから自分の好きなことや夢見ることに締切を設けるようになったのか。
俺だって不安なワケじゃない。ただ、今はこうして売れているわけで、
ツアーにだって順調にでているので、ただこの状態がいつまで続くのか、
それは神様のみぞ知るところだ。
「そろそろ辞めて、就職して結婚して、普通に家庭を持てと親がうるさいんだ。」
鷲見君は、ついこのあいだ入ったばかりのベース担当だ。
その前にベースを担当していたコナ君は、就職のためにバンドを辞めた。
「そういうことって、考えちゃうの?」
呑気な声で話に入ってきたのは、ドラムス担当の山岸君。
彼の実家は、山口のどこそこに土地を持っているので、将来は安泰だと軽く人生を見ている。
というか、まだまだ親の世代が元気なことをいいことに、好き勝手なことをやっているというわけだ。
鷲見君の両親も健在だが、最近、どちらも両親も病気がちで、今すぐどうという重篤な状態ではないが、年齢をいってからの溺愛息子の将来を心配しているのだろう。
「お前さあ、好きな女でもいるわけ?」
俺、ボーカル、そしてすべての曲作りを担当している吉田は、この重苦しい空気を和らげようと、
話題を変えてみた。俺には、学生時代から10年ごしにつきあっている恋人がいるが、
幸いなことにここ数年、少しづつ売れ始め、ツアーにもコンスタントに出るようになった俺のことを少し醒めた目で見つめるようになった。別に結婚を迫られたわけではないが、女も30になると、あせるというのかどうすればいいのか、途方にくれるらしい。たぶん、俺達、いつのまにか自然消滅するなという気持ちは、ここ数年心の片隅にある。二股をかけられているというわけではないが、彼女にもそれなりにいい話というのが、転がり込んできているようで、かといって、俺がバンドを辞めて、就職して、普通のおっさんサラリーマンになるなんてことは考えられない。
つまりだ。バンドマンの収入は、安定していない。
一応、事務所には所属しているが、社会保険、厚生年金その他モロモロ。マンションでも買えば、
固定資産税、火災保険、基本になるローン。ともかく人生は、請求書に追われるわけで、
だからといって、バンドマンとしてだけで生活を立てていくというには、大きなヒットが必要だ。
それに、俺は曲をつくっているからいいものの、鷲見君と山岸君は、演奏だけだから、他の収入源が必要で、こういう場合は、スタジオミュージシャンというか、他のバンド、売れているバンドのサポートに入るなりしないと生活はできないのだろうな。
そんなことをグルグル頭の中で考えている。
「だからさ、俺達もスピッツみたいな、国民的バンドになればいいんだよ。」
ウエービーな髪をゆらしながら、山岸君が答える。彼は育ちがいいせいか、すべてがポジテイブ思考。バンドをやるよりも何かスピ的な講演でもやれば、かなり人を集められるのではないかと思う。
「スピッツって、あのスピッツさん達か?」
そもそも、スピッツさん達は挌が違うだろう。俺は心の中でつぶやく。くじけそうにもなるが、俺は、自分の才能をどこまでも信じている能天気な男である。スピッツとは毛色が違う生活感あふれるリアルな世界をせつなく愛おしく歌うのが俺のスタイルであって、草野さんみたいにきのこばかりを食べてスレンダーなまま、はかなげに猫になりたいなどと俺が歌ったら、野次だけではすまないだろう。社長から呼び出しをくらい、あの事務所を出てすぐ角にある古ぼけたレトロな喫茶店で「お前、どういうつもりなんだ。」と叱責されるに違いない。それに世の中の全ての女が、あのはかなげな草野さんのハイトーンボイスだけを愛しているわけではないだろう。
「俺、無理だと思う。」鷲見君が今にも泣きそうな顔でつぶやく。
無理ってことはないだろう。俺達は俺達の味で、国民的バンドを目指せばいいじゃないか。地道に活動していき、25年年金を支払い、それなりに貯金していけば、いやカラオケ印税だっていくばくか入るかもしれない。そうしたら、草野さんにだってなれるじゃないか。
「俺、父ちゃんに言われたんだ。人はあっという間に年をとる。あとからあの頃はよかったなどと過去をいつも振り返りながら、しけたアパートの一室の窓から空を見上げる。食べるものも底をつく毎日で、朝食はヨーグルト1ヶ。バンドなんかやっていたらいつかそうなるって。」鷲見君の悲壮感は、どんどん落ちて行く下り坂のようだ。
「でもさ、草野さんは、朝はコーヒーだけで、日中はお腹すいたら吉牛、行くみたいだよ。」
俺は、思うんだ。人生何が起こるかわからない。だから、この山岸君の意味のない前向きな姿勢というのは、本当に大切なことなんじゃないかって。バンドマンをやり続けて、年をとってから後悔する日がくるかもしれない。いや、バンドマンを今辞めてしまったら。そこそこ安定した生活を得られるかもしれない。いやあ、この不景気にそんなことを考えられるのか。何の特技も資格も経験もない俺など、末はタクシー運転手か、交通誘導員になるのがオチだろう。でもさ、それまでは夢を見続けたいし、俺には才能があると思うんだ。なぜ、わからないんだ、鷲見君。
俺は、思い切って鷲見君に提案してみた。
「あと5年、がんばろう。そして、まだ行けそうだったら、また5年がんばろう。スピッツみたいな国民的バンドを目指そう。人間国宝になろう。もし、来年ダメになっても、俺、鷲見君の将来には、責任持つから。」
「えっ、吉田さん、俺、その気、ないですから。かんべんしてくださいよ。」
そして、俺達は肩を互いにたたきながら笑った。バンドの未来など、これだけCDが売れなくなってきたから、本当にヤバいのかもしれない。音楽を聴かなくなったというよりもアルバムまるごとつるっと購入しなくても、配信で好きな曲だけ細切れに買えるようになったので、小売業的にいえば、客単価が下がったということなのだろうか。鷲見君の不安もよくわかる。そして、ライブやツアーにどれだけ人を呼べるか。MCも気の利いたことを言えるようにならなくてはいけないのか。俺の一番苦手とするところだが、そのうちうまくなるかもしれない。そうなんだよな。音楽で生きていくことを志して、途中で辞めていく人達をどれだけ見てきたか。中には趣味として続けている人もいるし、まるっきり離れてしまった人もいる。俺達のグッズも今は売れているが、そのうちなんていうのか、白犬みたいなガツンとしたものがなければ、ふたを開けたら誰も並んでいないじゃん、楽勝で買えるよね、ズーカラグッズなんてつぶやかれた日には、どうしたものか。でもさ、鷲見君、山岸君、未来はわからないけれど、俺達3人でできるだけ遠くまで走ってみないか。
「それに、吉田さん、まさかポスト草野マサムネ狙ってません?」
鷲見君がニヤニヤしながら、話しかけてきた。あれっ?さっきまでの不安感はどこへいったんだ。
「なんか、いつまでやるのかなんて考えていたら、くたびれちゃいましたよ。そうですよね、文具メーカーの営業になって、砂消しを月に200個売ってこいと言われる毎日もそうそう生易しいものではないだろうし、へんなブラック企業に勤めて、朝も昼も夜もわからなくなるのも困るし、かといって一流企業の専属会計士になっても、汚職の疑惑のスケープゴートにされ、睡眠薬入りのウーロン茶で眠らされ、ビルの屋上からドッカーンというのも、どれも結局親不孝だし。だいたい、愛があるのなら、女の人の方が俺を食わせてくれよなって感じですよね。それにうちの近くのコンビニに最近入ったレジの人、結構年配で、ああこの人ももしかしたら何年も夢を追ったのかなあと思いましたよ。だから、心配しないでください。なんとかなりますよ。」
鷲見君(泣)そうだよ、がんばろうよ。俺達は、行けるとこまで、行ってみようよ。スピッツの次にくる国民的バンドになってみようよ。
「というところで、これにサインをください。」
と言うと鷲見君がおもむろにある用紙を広げた。
「念書?」
驚く俺に鷲見君は、涼しい顔で続ける。
「別に吉田さんの印税を等分よこせなどとアコギなことを言っているわけではありませんよ。ただ、俺が困った時にお金を貸してください。無利子で。俺、吉田さんの才能を信じています。だから、バンドが仮に立ち行かなくなっても、吉田さんだけは、この世界のどこかで人々を勇気づける曲を書き続けてくれると信じています。ポスト草野マサムネさんですよ。だから、もし未来に俺が困った時がきたら、助けてください。よろしくお願いいたします。」
カタチは違えども、俺の才能を信じている仲間がいるということはこんなにも力強いことなのか。
ありがとう。俺達は、ここから出ていくけれど、また入ってくる。
「ちょっと、ちょっと、俺にもそれ、お願いしますよ。あっ、用紙がもうない? 法令用紙? 文房具屋で売っているんだ?よし、買いに行ってくる。ついでに何かお昼ごはんでも買ってくるけど、何がいい?」
そう言って出ていった山岸君が閉めるドアの音が、なぜか心地よかった。
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