第2話 理不尽な結末

文字数 2,509文字

「え……」

 僕が声を漏らすと同時に、ドアに衝撃音が響いた。



 ガンッ! ガンッ、ガンッ!



 おっさんが、ドアのノブ目掛けて斧を振り下ろしたのだ。

「ひいいいいいっ!」

 悲鳴と共にモニターから遠ざかる。
 腰が抜けたのだろうか。立ち上がることが出来なかった。
 モニターには、おっさんが何度も何度も斧を振り下ろす姿が映し出されている。
 そしてドアに響く破壊音。その音に、心臓を鷲掴みされているような気がした。

「うはははははははっ! どうですか! どうですか302号室さん! これでもまだいないって言いますか! 私、言いましたよね、居留守は駄目ですよって!
 この国は、そんなんじゃなかったんですよ! 昔はね、お客さんに対して寛容だったんですよ! 例え見知らぬ人であろうとも、ちゃんともてなす文化があったんですよ! 鍵もなかったんですよ! だって、他人のことを信頼してたから! みんな身内、みんな仲間、それがこの国だったんですよ!
 なのに何故! どうして忘れてしまったんですか! あなたは自分一人の力で生きてきたのですか! 誰の助けも借りずに、ここまで生きてきたんですか! 違うでしょ、違うでしょ! 助け合いの精神があるからこそ、私たちは幸せに暮らせてきたんじゃないんですか! なのに何故! どうして居留守なんか使うんですか! そんなに人と話すのが嫌ですか! もし私が助けを求めていたら、どうするつもりだったんですか! 302号室さん、答えてください、答えてくださいよ!」

「ひいいいいいいいいっ!」

 狂気に顔を歪め、血走った目で叫ぶおっさん。
 何度も何度もドアに打ち付けられる斧。
 突然訪れた非日常的な光景に、僕は混乱した。

 何なんだ? 何なんだ何なんだ! どうして僕は叱られているんだ? 何を責められているんだ? 分からない、分からない分からない分からない!

 ついにノブが完全に破壊され、ドアがゆっくりと開いた。

「ひいいいいいいいいっ!」

 玄関にゆらりと入ってきたおっさん。
 手にはまだ、斧が持たれていた。

「おじゃましますね、302号室さん」

 穏やかな口調でそう言うと、おっさんは玄関で靴を脱ぎ、踵部分を揃えて綺麗に並べた。
 そしてこちらを振り返り、にんまりと笑った。

「ほーらー、やっぱりいたじゃないですかー」

 ゆっくり距離を詰めて来るおっさん。
 スマホを握り締めたまま、僕はおっさんから目が離せなかった。
 警察に電話も出来ない。助けを呼ぼうにも、口からは悲鳴しか出て来ない。
 余りにも滅茶苦茶な光景に出くわすと、人は何も出来なくなるんだ。そのことを理解した。
 目の前まで来たおっさんは、僕を見下ろして笑った。

「やっぱりいましたよ。本当、困った人ですねえ……あなたみたいな人がはびこってきたから、この国は落ちていったんですよ。学校で習いませんでしたか? 助け合いとか人情とか、地域のみんなと仲良くしましょうとか」

 そう言って、ゆっくりと斧を振り上げる。

「ここから玄関までは僅か数歩。たったそれだけの労力を惜しんで、あなたは居留守を使った。どんな事情があるのかも考えず、ただただ自分のことだけを考えて」

「た……助け……」

「たった数歩の手間まで惜しむ……そんな足、もういらないですよねっ!」

 言葉と同時に斧が振り下ろされた。
 経験したことのない衝撃が走る。
 痛みじゃない、衝撃だ。

「……」

 足元に視線を移す。
 床に、切断された足首が転がっていた。
 何が起こったのか理解出来ず、足首を見つめる。

 無残に転がった足首。

 それが自分の物だと理解した瞬間、激痛が走った。

「ぎゃああああああああっ!」

 血が吹き出す足元を押さえ、絶叫する。
 足がなくなった絶望。吹き出す熱い血、激痛。
 僕は涙を流し、その場にのたうち回った。

「うはははははははっ! 痛いですか、痛いですか! その血は我らの心が流す涙! あなたの様な者たちに踏みにじられた、同志たちの屈辱の涙なのです!」




 何なんだ、何なんだ何なんだ何なんだ!
 何で僕、足を切られたんだ!
 痛い、痛い痛い痛い!

 そんな僕を見下ろして、おっさんは満足そうに唇を歪めた。

「……モニターの通話ボタンを押すのも面倒くさい。そんな不精な手も、もういりませんよね!」

 再び振り下ろされた斧によって、腕が切り落とされる。

「あぎゃああああああっ!」

「お客さんと話もしたくない。だったら口もいらないですよね! 何も見たくない? だったら目もいらないですよね! いらないですよねっ!」

 言葉を放ちながら斧を振り下ろす。

「うはははははははっ! どうですか、どうですか!」

 激痛と恐怖。絶望に飲み込まれる僕に、おっさんは何度も何度も斧を振り下ろした。

 僕の命が尽きるまで。






「本日正午過ぎ、市内のマンションに斧を持った男が侵入し、住人を殺害するという事件が発生しました。犯人の男は、駆け付けた警官に抵抗する様子もなく拘束されました。
 犯人は住所不定無職、50代の男で、取り調べに対し、『良き時代を取り戻すための活動であり、これからも我々の活動は続く。これは正義の執行だ』と話しているとのことです。犯行の異常性、言動に不審な点も多いことから、警察では精神鑑定も含め、慎重に捜査する方針だということです」




「やだこれ、近所じゃん」

「家に入って来て殺されるって、ありえなくない?」

「鍵見とこ。チェーンもかけとくね」

「うちらなんか女二人だし、こんなおっさんに襲われたら一瞬だよね」

「ほんとほんと」

 ソファーに座り直した女二人。
 テーブルに広げられた菓子を食べながら、再びテレビを観る。

「明日からまた仕事かぁ。面倒くさいなぁ」

「今の内に休み、しっかり満喫しとかないとね」



 ピーンポーン



「誰?」

 モニターを見ると、くたびれた格好をした男の姿があった。

「何かのセールスっしょ。無視無視」

「だね。しっかしあいつらも、折角の休日ぐらい空気読めってね」

「ほんとほんと」



 ピーンポーン



「……しつこいなぁ」

 もう一度モニターを見る。
 くたびれた男は大きくため息をつくと、カメラに口を近付けてこう言った。




「607号室さーん、居留守は、居留守は駄目ですよー」
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