第1話

文字数 2,051文字

「お弁当を捨てられちゃったのよ」裕子が会社で弁当を捨てられたらしい。
「え?会社で?」咲は驚いて聞きただす。
「そうお昼に弁当取りに行ったらなかったの。探したらゴミ箱に入れてあった」
「誰だろうね。なんとなく心当たりは?」
「わかんない。一応会社の弁護士に相談して、人事にも話したけど」

咲は裕子の顔を見つめた。「なんとなく女の可能性が高いね」裕子は気付かずにか、人を貶めることをよく言う。習慣的に誰かを下に見ないと安心できない癖があるらしい。咲にも「なんで咲ちゃんが出世できないのか、分かんないわ。会社に見る目がないってうちの母もよく言っているのよ」と会う度に言われ出世できないことが不運と思われていることを確認させられる。しかも裕子はアウトレットでバッグや洋服を使いもしないのに買う癖があり、逐一会社のランチで報告している様子である。買えない人から見たら、嫉妬を煽る発言に違いない。

先は裕子が好きと言うより、いつも誘われて暇だから付き合っているが、毎回会った後、後悔する。「あー、この人悪気はないかもしれないけど、押し付けがましい」と思ってしまう。「そろそろ、潮時かな」と何かのきっかけでもうこの友情に終わりを告げたいと衝動にかられることも多々ある。「私ってお金は持っているから」「世の中でもいいポジションにいるから」と強気の発言も多いし、友人には不可欠の共通点があまりない。二人の共通点は独身なことと、暇なことだけだった。

「私、時々不安で、夜も眠れないのよ」裕子はそう打ち明けたが、理由は咲には共感できない。要するに欲が深い事に端を発した不安だった。裕子は以前沖縄に住む彼がいて、遠距離で付き合っていたが、親友に取られたらしい。咲には想像がついた。親友の女子を下に見る、上から目線の発言で彼女を傷つけ、復讐されたに違いない。裕子の話は常に、経理の新しい条例の話や、自分が会社のお偉方と親しいような自慢話など、咲にはあまり興味が持てない話が多い。咲はよく本を読む。そして、映画や演劇が好きだ。裕子はそんな咲と何故付き合うのか?

咲には大体分かっている。裕子は咲を自分より下の階層と思って、咲に会うことで自分は幸せだと確認しているだけだ。「やっぱり、この人と付き合う時間とエネルギーの無駄だ。」咲はそう決心した。1度目の誘いには、寒いことと、気分が乗らないことを理由に断りのメールを書いた。そして、「1ヶ月後にまた会おう」と書き送った。1ヶ月後連絡が入った時、咲は書いた。「裕子さんに会うシミュレーションをしたら、また失礼なことを言われているシーンで、会う気がしません。ご本人に失礼なことを言っている自覚が無いようなので治らないと諦めました」実際咲は二度くらい、失礼なことを言われたことを示唆した。人の性格は誰かに言われても、治らないことを知った。

その後、裕子との付き合いは無くなった。共通の友人もいないのでニュースが入ることも無く、2ヶ月が過ぎた。咲は裕子との関係を清算して良かったと思っている。ある時期は咲も寂しかったのかもしれない。誰かとお茶をしたり、食事に行くのも暇つぶしにはなった。そして、咲の発するエネルギーの波長が裕子のそれに合っていたのが、あるきっかけで波長に変化があったのだろう。彼女にもっと優しいやり方で咲の気持ちを知らせることもできたのかもしれないが、もう後の祭りだ。

気付かない、鈍感な人には、荒療治しかないのかもしれない。裕子は一人っ子だったし、勉強はできるが、心の発達が伴っていないように思えた。2人で二度旅行をした。シンガポールと香港だった。旅行中に喧嘩もした。裕子はそんな想いを直接ぶつけ合える仲だから、友情も一生続くと思っていたようだ。咲は違った、咲は人生のステージを変えたかった。それには、自分の周りの人間関係を少しづつ自分の本心に正直なものに変えたいと思った。

裕子が埋めていた時間は、読書、映画鑑賞、音楽を聞くことで満たされている。前から興味のあったスピリチュアルの講演会に行く、そこで知り合った人と泊まり込みの合宿(リトリート)に出かける。またそこで勧められた瞑想教室に通うなど世界が変化しつつある。小説なども書いてみるようになった。自分に嘘をつかない。不器用な生き方だ。咲は裕子を憎んでいるわけではない。二人が決定的に違うことに気付いたのだ。自分が自分の心に嘘をついていることにも。

裕子が咲の言葉をどう受け取ったかは、知る由もない。咲は自分の時間を偽りなく過ごすことを優先した。裕子は裕子で、咲に会っていた時間を他に有効に使えているだろう。人間関係はフィフティフィフティだ。咲は今、特別に誰かと一緒にいたい欲求がない。自分自身に向き合っているからだ。自分に聞く。「あなたは何がしたいの?」と。人生半ばで、自分と向き合うことを思い立った。「あなたは誰?何のために生きているの?」哲学の教科書のような人生が咲の目前に開けてきた。【完】
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