第1話

文字数 3,669文字

”国はな、お前らには馬鹿なままでいてほしいんだ。それが本音なんだ”。

ぼんやり見ていたドラゴン桜に、一気に視線が持ってかれた。

”何にも疑問も持たず、何にも知らないまま、調べないで、ただひたすら政府の下で働き続け、金を払い続ける国民であってほしい。それを別の言葉で言い換えると何だ?”

「社畜!?」

桜木の問いかけに、反射的に答えていた。
かつて、立教大学ほどの私大に通いながら、まともに単位も取らず、ただ就活に翻弄される学生を、ある大学教授はそう揶揄した。
容赦のない皮肉と、打ちのめされたように立ち尽くす学生の顔を、今でも強烈に記憶している。だから咄嗟に答えずにいられなかったのだ。

果たして、桜木が口にした答えは、「馬車馬」だった。

“国はお前らにはただひたすら黙々と馬車を引く馬車馬であってほしいんだ。
その方が都合がいいからな。世の中は平等だ、国民は自由だ差別なんか一つもねえ。そう刷り込まれてきた。だが実際はそうじゃねえ。どんなに努力しても、どんなに力を振り絞っても、本質を見抜く力がなければ、権力者と同じ土俵にすら立てねえんだよ!”

カッと身体が熱くなった。桜木の一言が引き金となって、ここ幾ばくか、大人しくなりかけていた私の義憤が、堰を切ったように溢れ出した。

一体いつまで私たちはこんな生活を続けていくんだ?
コロナ禍の出口は依然として見えず、感染拡大の歯止めもかからぬまま、東京五輪はなし崩し的に開催されようとしている。
この期に及んで、学生を青田買いする就活市場も、巷で人気のSDGsとやらも、この国ではまったくもって倒錯的だ。自慢気に掲げる標語と現実の乖離も甚だしい。

“それが何だってんだよ。そんなの国のせいだろ、俺たちなんにも関係ねえし”
桜木に挑発された生徒は案の定、そんなことを言う。聞き覚えのあるセリフに苦笑した。
2年前、およそ彼らと大差ないぼやきを、数人の立教生が連発していたことを思い出す。

「別に何も思わない」
「そんなこと言い出したら際限ないし」
「立教は、そんなゴミ出してないっしょ」

大学4年生だった当時、環境対策がおろそかな大学を私たち学生の力で変えないか?と授業内で呼びかけたが、期待に反して返ってきたのは、無下にもそんな言葉の数々だった。

“だからお前らは馬鹿だってんだよ。
誰かのせい、国のせい、時代のせい。他人をたたき批判して文句を言って何が変わる?ルールを作ってる奴らはな、この状況が美味しいからこういう仕組みにしてんだ!”

今になってあのときの屈辱を桜木が代弁してくれたようだった。
清々しいほどの説教に、鳥肌が立った。

“自分は関係ねえからなんて言ってたら、一生騙されて高い金払わされ続けるぞ!
なぜ社会はこうなってるのか、誰がどんな意図でこの仕組を作ったのか、本質を見抜き、自分だけの答えを出し力をつけろ!
そのときはじめて馬車馬は人間になれる。
そのためには、勉強するしかねぇんだ。
勉強ってのはな、この国で許された唯一の平等なんだ!”

あのとき、就活でも大学でも、執拗に環境問題を訴えていた自分は、まるで腫れ物扱いされたに等しかった。
「君の思うようにはいかない」
問題意識を持てば持つほど、企業の面接官からは、一蹴された。

高い授業料を払わせられながら、休講に甘んじて遊び呆け、いい加減な学びのまま、首尾よく単位を獲得し、そのまま時期が来れば、何の疑いも持たずスーツを身にまとい、内定を勝ち取る者たちの方が、この社会にとって適合者のようだった。

周りの友人、学生たちは桜木が言うところの馬車馬に、次々と成り果てていく中、私は自分の信念と直感だけは決して手放すまい、と心に誓っていた。
ときを同じくして、国際社会を賑わせていたスウェーデンの環境活動家、グレタ・トゥーンベリを知ったことが幸いし、かろうじて馬車馬コースを免れたのかもしれない。

遅々として進まない大学の対応にしびれを切らし、ようやく行き着いた先がFridays For Future(未来のための金曜日)だった。
たった一人でムーブメントを始めた16歳の少女こそ、紛れもなく、この世の中の本質を見抜く力を携えていたと思う。

“お前ら今、世界がどういう状況かわかるか?未曾有の危機だ。疫病、天災、それによる経済の麻痺。想像もしなかったことが次々と起きてる。もしかしたら、戦争だって起きるかもな。かつての常識はもう通用しない。もう何が起きたって不思議じゃねんだ。”

桜木の言う、未曾有の危機の一つは、間違いなく気候変動だ。

「未来がないのに、学校に行っても意味がない」
気候変動の深刻さを知ったグレタは、スウェーデン議会の前で一人、プラカードを掲げた。
被害の影響を最も受けるのは、自分たち若い世代だという彼女の訴えを聴き、自分も例外ではないと気づいた。
「未来がないのに、就活をしている場合ではない」あるとき合点がいった。

でも2年前は、誰もそんなことを教えてくれなかった。
就職センターの職員を筆頭に、大学はしきりに内定獲得を迫ってきた。
親もバイト先も企業も政府も、まるで呑気なものだった。

大人は肝心なことを何も教えてくれない。ばかりか、もはや知りもしない。
真実は自分で見つけるもの。言われるがままに従っておけば大丈夫なんてことは何一つない。
そう悟ったのは、このときだった。

とはいえ、大学をさぼって学校ストライキムーブメントだけに邁進していたわけではない。

学生に社畜と言い放った例の教授は、学部ゼミの指導教授だった。
誰に対しても歯に衣着せぬ物言いをするその人は、成績一位を維持していた私とて、贔屓のかけらもなく、相当手強い相手だった。

“大学は「勉強」ではなく「学問」 をするところです。勉強は「強いて勉める」と書きま
すが、学問は 「問うて学ぶ」と書きます。予めできあがった教科書の情報摂取に「強いて勉める」勉強とは違って、学問は、自らが生きダイナミックに動いているこの世界のなかに「問う」自分自身が入りこまないと実践できません。”

高校から大学受験まで穴埋め教育に腐心してきた自分は、思い切りプライドが傷つけられた。表面的な議論の完成度が高い優等生より、拙いながらも迷いを含めて吐露する学生のほうが、むしろ評価された。

“ものごとを「なんのために」という根本的なところから、流されることなく、丁寧に、 深く沈みこんで熟考· 熟議すること。社会人になると、じっくり考えるよりも前に近視眼的·目的合理的に動かないといけない場面が多くなりますから。そういった状況に振り回されない胆力を、 大学生活で培ってほしいと思います。それが生きる力につながっていくと思うので。”

自分のスタイルが通用しない環境で、愚直であることの肝要さを叩き込まれた。
一方では、学校ストライキムーブメントに参加しながら、他方では社会学を究めるゼミに鍛えられた経験が、「本質を見抜き、自分だけの答えを出す力」を育むことになった。

搾取されるだけの人間なんて御免だ。不満ばかり言う人生なんて、もっと願い下げだ。
もし桜木に相対したら、私は胸を張って、馬車馬ではないと断言できる(社畜でもないと)。

でもゼミの教授が忠告した通り、世の中はかなり近視眼的だ。社会人になって2年、つくづく思う。
それに桜木が言う通り、人のせい、会社のせい、国のせいにして、自分は関係ない、と腹をくくり、自ら行動を起こさない、他力本願な人があまりに多い。
はっきり言って、私が働く会社も例外ではない。

立派な歳や肩書であっても、世の中の実態と仕組みを知らず、何も知らないまま政府の下で働き続ける馬車馬がそこら中にいる。
だからこそ、この国で許された唯一の平等を、勉強を、今こそ一人ひとりがしたたかに始めるときではないか?と思う。

なぜ社会はこうなってるのか、誰がどんな意図でこの仕組を作ったのか、危機の時代を生きる私たちは、それも特に、かつての常識に縛られている大人世代こそ謙虚に、学び直すときではないか?

奇しくも、世間を賑わせている気鋭の経済思想家は、その著書『人新世の「資本論」』で、
「SDGsは大衆のアヘンである!」と喝破し、既存の社会システムの限界を指摘している。

日本で嫌煙されそうな思想が今、ものすごい勢いで支持されている以上、世の中の実態と仕組みを知ることは、誰もが一考に値すると言って然るべきだ。

“今、お前らは運がいい。今、お前らにはこの俺がいる。どんなに馬鹿で間抜けなやつでも、やる気さえあれば東大に合格させてやる!
いいか、搾取されるだけの人間になりたくなければ、不満ばかり言う人生ばかり送りたくなければ、お前ら勉強しろ!
バカとブスほど東大に行け!”

今、私たちは運がいい。今、私たちにはコロナがいる。
どんなに裕福でずる賢いやつでも、ウイルスされあれば、誰もが感染してしまう平等な世界にいる。

ワクチン頼みの社会に身を委ねたくなければ、本当にニューノーマルな世界へ移行していきたければ、あなたも私も、よく学び、よく考え、行動するしか道はない。

問題意識に禁欲は禁物だ!

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