第1話
文字数 1,452文字
今朝も息の詰まりそうな人混みの中で、ただ、淡々と足を動かしていた。
こうして無口な群衆に埋もれているうちに、毎朝、いつの間にか目的の会社に着いている。そして、淡々と仕事をこなし、いつもと同じように帰宅する。
そんな、いつも通り……自分自身も何も考えず、まるでのっぺらぼうに人混みの中を歩いていた時だった。
人の波の中からとある手がニュッと伸びてきて、僕の左手を掴んだ。
「えっ……」
その意外な出来事に途端に我に返り、僕は左手を掴む主を見て。その主の正体に、さらに驚いた。
「嘘だろ……」
まるで、鏡を見ているかのような錯覚に陥った。
僕の手を掴んでそこに立っていたのは、『僕』。そう……どこからどう見ても、自分自身だったのだ。
「そっちはダメだよ。行っちゃ、ダメだ」
彼は眉をギュッと寄せて、悲しげな声を出す。
「えっ、どうして? だって……」
自分が向かう方向を見たけれど、人混みとその中の一部が分かれて歩く歩道以外は何もない。いつも、僕が通る道……それが、何の変哲もなくそこに存在しているだけだった。
「こっちに来て!」
あまりのことに呆けている僕の手を強く引いて、彼は走り出した。
信じられない……僕は、僕に手を引かれて。それでも、彼に引かれるままに僕も走り出した。
市街地の中の小さな川だった。それは川といってもコンクリートでできた、ひどく殺風景なものだった。
毎日通過しているのに……目の端に入ったことはあるかも知れないけれど、僕の意識に入ったことはなかった。
そんな川原に、彼は僕を連れて来た。
「ちょっと……」
一体、どういうこと?
そう尋ねようとした僕は、振り返った彼の顔を見て……全身にゾクっと冷たいものが走った。
「うそ……」
彼……いや、その『僕』は、全身、血まみれだった。さっきはこんなこと、なかったのに。
「どうしたの、その怪我!?」
あまりに自分の理解が追いつかず、僕は混乱した。彼がもう一人の僕だということも信じられないし、聞きたいことは山ほどあったけれど、僕の口からは真っ先にその言葉が出た。
すると、彼は無表情な口調で話し始めた。
「あのまま、あっちに向かっていたら……」
「どうしたの! 一体、何が!?」
僕は食い入るように尋ねた。
だけれど……
「えっ……」
僕は思わず、辺りを見回した。
「どうして?」
いつの間にか、彼……もう一人の『僕』の姿は忽然と消えていて。僕はその殺風景な川原にただ一人、取り残されていた。
僕は大急ぎであの場所へ戻った。
「一体、何が……」
未だ、血まみれの自分を見たショックから抜け出せずに、僕の胸では心臓がドックン、ドックンと暴れていた。
だけれども、それよりも……彼が、何を伝えようとしていたのか。それが気になって仕方がなかった。
「えっ……」
僕は思わず、凍りついた。
救急車のサイレンが鳴り響くそこには、さらに多くの人混みができていて。電柱に激突した車が生々しくへしゃげていた。
救急隊員は、幾人もの血まみれの怪我人を担架に乗せて運び込んでいた。
「うわぁ……悲惨」
「運転手はおじいさんだって。アクセルとブレーキ、踏み間違えたんかな」
「それにしても、危なかった。あと数秒早ければ、俺も……」
人混みからそんな言葉が飛び交い、大きな騒つきとなっていた。
僕はその中を呆然と立ち尽くしていた。
その時だった。
「あのまま、あっちに行っていたら……」
その言葉に振り返るとそこには、血まみれの『僕』が立っていた。
「どうして……君は……」
声にならない声を出す僕に、にっこりと微笑んで……その『僕』は、そのまますぅっと消えていった。
こうして無口な群衆に埋もれているうちに、毎朝、いつの間にか目的の会社に着いている。そして、淡々と仕事をこなし、いつもと同じように帰宅する。
そんな、いつも通り……自分自身も何も考えず、まるでのっぺらぼうに人混みの中を歩いていた時だった。
人の波の中からとある手がニュッと伸びてきて、僕の左手を掴んだ。
「えっ……」
その意外な出来事に途端に我に返り、僕は左手を掴む主を見て。その主の正体に、さらに驚いた。
「嘘だろ……」
まるで、鏡を見ているかのような錯覚に陥った。
僕の手を掴んでそこに立っていたのは、『僕』。そう……どこからどう見ても、自分自身だったのだ。
「そっちはダメだよ。行っちゃ、ダメだ」
彼は眉をギュッと寄せて、悲しげな声を出す。
「えっ、どうして? だって……」
自分が向かう方向を見たけれど、人混みとその中の一部が分かれて歩く歩道以外は何もない。いつも、僕が通る道……それが、何の変哲もなくそこに存在しているだけだった。
「こっちに来て!」
あまりのことに呆けている僕の手を強く引いて、彼は走り出した。
信じられない……僕は、僕に手を引かれて。それでも、彼に引かれるままに僕も走り出した。
市街地の中の小さな川だった。それは川といってもコンクリートでできた、ひどく殺風景なものだった。
毎日通過しているのに……目の端に入ったことはあるかも知れないけれど、僕の意識に入ったことはなかった。
そんな川原に、彼は僕を連れて来た。
「ちょっと……」
一体、どういうこと?
そう尋ねようとした僕は、振り返った彼の顔を見て……全身にゾクっと冷たいものが走った。
「うそ……」
彼……いや、その『僕』は、全身、血まみれだった。さっきはこんなこと、なかったのに。
「どうしたの、その怪我!?」
あまりに自分の理解が追いつかず、僕は混乱した。彼がもう一人の僕だということも信じられないし、聞きたいことは山ほどあったけれど、僕の口からは真っ先にその言葉が出た。
すると、彼は無表情な口調で話し始めた。
「あのまま、あっちに向かっていたら……」
「どうしたの! 一体、何が!?」
僕は食い入るように尋ねた。
だけれど……
「えっ……」
僕は思わず、辺りを見回した。
「どうして?」
いつの間にか、彼……もう一人の『僕』の姿は忽然と消えていて。僕はその殺風景な川原にただ一人、取り残されていた。
僕は大急ぎであの場所へ戻った。
「一体、何が……」
未だ、血まみれの自分を見たショックから抜け出せずに、僕の胸では心臓がドックン、ドックンと暴れていた。
だけれども、それよりも……彼が、何を伝えようとしていたのか。それが気になって仕方がなかった。
「えっ……」
僕は思わず、凍りついた。
救急車のサイレンが鳴り響くそこには、さらに多くの人混みができていて。電柱に激突した車が生々しくへしゃげていた。
救急隊員は、幾人もの血まみれの怪我人を担架に乗せて運び込んでいた。
「うわぁ……悲惨」
「運転手はおじいさんだって。アクセルとブレーキ、踏み間違えたんかな」
「それにしても、危なかった。あと数秒早ければ、俺も……」
人混みからそんな言葉が飛び交い、大きな騒つきとなっていた。
僕はその中を呆然と立ち尽くしていた。
その時だった。
「あのまま、あっちに行っていたら……」
その言葉に振り返るとそこには、血まみれの『僕』が立っていた。
「どうして……君は……」
声にならない声を出す僕に、にっこりと微笑んで……その『僕』は、そのまますぅっと消えていった。