第1話

文字数 4,760文字

 今年も押し詰まって来た。年末年始ほど喜和子の嫌いなものはない。もう既に、去年還暦を過ぎたというのに、未だに幼い頃の嫌な思い出が胸の内側にべったりと張り付いていて剥がれない。トラウマとはしつこいものである。
 大掃除を年末にやると決めたのは誰なのか? こんなくそ寒い最中に朝っぱらから家中掻き回して何がしたいのか? 大掛かりに掃除したいなら、春先や秋口の気候のいい時期にのびのびやったらいいだろう。寒中に手を濡らす煩わしさに苛立つ。
 最近でこそ喜和子の家族は妹と二人と、少なくなったので、おせち料理の準備もそれほど大変ではないが、昔は食堂でも始めるのか、と思うほど大量の料理を年末に仕込んでいたものだ。
 おせち料理は三が日に女性がいちいち台所に立たなくてもいいよう事前準備の意味合いがある、と言い聞かされていたが、その割にはかつて台所を預かっていた祖母や母が、三が日にゆっくりしているところなど見たことが無い。
 加えて喜和子の母はとてつもなく病的に験担ぎだった。日常生活の全てが「してはならない」ことと「しなくてはならない」ことだらけであり、況や年末年始においてをや、である。
 十二月二十九日は「九日飾り(くんちかざり)」といって新しいものを飾ってはならない。大晦日三十一日だと「一夜飾り」になるからこれまた新しいものを飾ってはならない。その為、大掃除して鏡餅を飾ったり、新しいカレンダーを掛け替えるのは畢竟二十八日以前か、三十日に限定される。
 明けても「三が日はお風呂に入ってはいけない」だの、「三が日のうちに必ず山芋を食べないといけない」だの、その他諸々、「馬鹿じゃないのか」と喜和子はずっと思っていた。
 根拠もなければ、合理性も無い。そんな迷信をかたくなに守り、それに少しでも反する気配があれば金切り声を放って大騒ぎをし、家族の心情など毛ほども忖度しない母を喜和子は真底軽蔑していた。
 いったい彼女が何を恐れ、何のために生きているのか、その行動から汲み取ることは不可能だった。果たして母の厳守している禁忌事項が対価として彼女に何をしてくれたのか、喜和子は結局、母の生前、聞きそびれた。しかしながら、この禁忌事項の遵奉が母や我が家に特に幸福をもたらしてくれなかったことだけはハッキリしている。代わりに、余計な悲劇なら山のように拵えてくれたが。

 喜和子八歳の年の瀬。その頃の我が家の構成員は、父光作、母霧子、祖母千登勢、まだ独身で同居していた父の弟の三郎叔父、喜和子、幼い妹の初代と六人家族だった。
 貧乏だからいけなかったのか。だが別に喜和子の父は飲んだくれでも怠け者でもなかった。廃材を集めてきて、自分でコンクリートを練り、大工でもないのに自力で工場を建て、昭和四十年代の高度成長期に、そこで旋盤を切って一家を養っていた。器用で、先代先々代から繰り越された連綿と続く不幸の連鎖に知恵と工夫で立ち向かう、どちらかと言えば褒められる部類の人間ではなかったか。
 だが、母霧子はそんな光作に感謝も承認も与えなかった。彼女が出すのは要求のみ。
「あれが足りない、これがない」
青天井でキリがない。鬼女の形相で四六時中いきり立っている。
 承認がないと言えば、喜和子に対しても全くなかった。喜和子の友人たちはよく
「テストで百点をとって親に褒められた」
などと話していたが、喜和子にはそれが不思議だった。霧子は喜和子が学校でどんなによい成績をとっても決して褒めてなどくれなかったので。そればかりか、あまり成績が良いと
「いい気になるなっ」
と怒鳴られる始末であった。
「小さい頃出来がいいと天狗になって大人になってからどうしようもない駄目な人間になる」
などと不気味な御託宣を授けられ、脅されたことも一度や二度ではない。実の母親に、である。
 では成績は悪くてもよいのかというとそうでもないらしく、成績表に「5」が揃っていないと霧子は眦を引き攣り上げて恐ろしく不機嫌になった。喜和子は体育がいつも「3」で霧子の機嫌を損ねていた。読書の世界だけが喜和子の安息の場だったが、これについても霧子独特の価値観により
「本なんか読むのは不良だ」
と本を取り上げられて捨てられるのが関の山なのであった。
 出口のない鬱々とした日々の中でその年も大晦日となった。霧子と祖母千登勢は早朝からおせち料理の仕込みにてんてこ舞いである。
 父光作は七人兄弟の長男で、光作の妹たちは皆関東近県に片付いていた。彼女らがお正月には喜和子の従兄妹たちを引き連れ大挙して押しかけるのだ。その為のおせち料理であった。
 牛蒡、人参、蒟蒻、里芋などが次々と煮上がっていく。合間に膾や酢蓮などが出来上がる。大量に出来上がるそれらを保存容器に入れ、密閉して三日間持つように台所のそこかしこにしまっていく。
 作業も佳境に入り、昼を過ぎ午後三時を過ぎて、突然霧子が頓狂に叫んだ。
「大変だっ 蕎麦を買い忘れてるっ」
年越しに蕎麦がなくては一大事である。急遽、工場で旋盤を切っていた光作が呼ばれ、蕎麦の調達を指示された。
 どんよりと陽も出ていない冬の午後、外はキンキンに冷えていたが光作は蕎麦を買いに走った。
 だが、毎年我が家御用達の蕎麦屋では、もう既に売り切れであったらしい。光作が戻ってきて言いにくそうに霧子に告げている声が聞こえた。
「増田屋ではもう蕎麦は売り切れていたよ。帰りがけに何軒か蕎麦屋を覗いてみたが、どこも売り切れていた。今日は蕎麦でなくてもいいんじゃないか」
「冗談じゃないっ 年越しに蕎麦を食べないなんて来年どんな悪いことが起きるか分からないじゃないかっ どうにかしてっ」
霧子は泣き叫んでいた。光作は仕方なく何としても蕎麦を入手すべく寒空に再び戸外へ出ていった。
 陽が傾きかけても光作は帰って来ない。霧子はもはや半狂乱の体である。帰って来ない光作の身を案じてではない。今年中に蕎麦を食べられず、罰が当たる恐怖に対してである。千登勢も、もちろん喜和子もなすすべなく呆然としていた。
 そこへ、年末の殺気立った家内を嫌って朝からどこかへ外出を決め込んでいた三郎叔父が帰ってきた。手には見慣れた増田屋の蕎麦のパックを六個抱えている。
「あれ? お蕎麦買いに行ったのはお父さんだったんだけど……」
訳が分からず、喜和子が思わず口にすると
「あ? これ? お蕎麦買った? 今年はさぁ、増田屋の売り切れがばかに早くてさぁ、俺が店の前通りかかった時に『もうこれで最後ですぅ』って店員さんが叫んでいたから、取り敢えずウチの分確保しようと思ってさ、もうあるんならいいけど」
霧子が泣き止んだ。
「ああ、よかったよっ」
だが、三郎叔父の手柄に対しての労いは特にはなかった。
 ほどなくして光作が戻った。手には蕎麦のパックが六個。
「三郎が増田屋の蕎麦を買っといてくれたよ。」
千登勢がぼそっと呟いた。
 今度は人数の二倍になってしまった蕎麦に霧子はまたしても混乱し、因縁をつけ始めた。
「年越し蕎麦を余らせたりしたらどんな罰が当たるかしれやしないっ どうすればいいのよ、これっ」
食べるしかあるまい、という結論に達し、その年は全員で大量の蕎麦を黙々と平らげた。しかも蕎麦は冷たい蕎麦である。その時分、我が家で愛用していた年越し蕎麦のパックは、蕎麦とつけ汁がセットになったもので、割り箸もついており、開けたら手軽にそのまま食べられるもり蕎麦であった。
 大晦日なんて大抵寒いのだから温かいかけ蕎麦にしたらどうか、と思うのに毎年霧子はこのパックを冷たいまま家族に突き出すのを良しとしていた。というより、こうであらねばならぬ、と思い込んでいた節がある。
 年越し蕎麦というのは、様々な云われもあろうが、要は大晦日という一番忙しい日の夕食に、手の掛かるものを用意するのは難しいから、簡単に済ませられるようにと、徐々に確立していった食習慣なのではないのか。
 なにも寒い季節に冷たい蕎麦を我慢して食べねば罰が当たる、などということがあるはずもない。だが、霧子の頭の中は「年越し蕎麦はもり蕎麦であらねばならぬ」である。
 食卓の凍り付いた空気に冷たい蕎麦。図らずもラジオから「♪もういくつ寝るとお正月~」のメロディが流れてきた。この歌の最後は「早く来い来いお正月」であるが、その時の喜和子にはお正月を寿ぐ気分は全くなかった。それどころか年末年始の習慣の全てを憎んだ。

 以来、半世紀。
 今ではわが家の年越し蕎麦は温かい。ろくに料理など出来なかった霧子は、祖母千登勢が身罷った後、十年足らずで、もう面倒だと言わんばかりに毎日の食事作りを放棄してしまった。千登勢が生きていた頃は千登勢が賄いを担当し、霧子はそのアシスタントをしていた。千登勢が亡くなって我が家の食生活の質は一気にグレードダウンした。それでも霧子はしばらくいやいやでも食事の支度をしていたのだが十年が限界だったらしい。
「今日の夕飯何作ったらいいっ?」
と朝から晩まで毎日喚いていた。うるさいので喜和子が「野菜炒め」だの「ポテトサラダ」だの、ごく平凡なメニューを
「○○がいい」
と提案すると
「そんなの出来ないっ」
とキレる。始末に負えなかった。挙句の果ては勝手に食事作りの放棄である。
 まだ、学校を出たてで、東京郊外の実家からそれぞれ都心の会社に通勤していた喜和子と初代は、仕事で疲れて帰ってきても冷蔵庫すら空の我が家に見切りをつけ、独立しようと二人で都内にアパートを借りた。だが、ひと月も経たないうちに、霧子は光作と心中騒ぎを起こして結局、喜和子も初代も都内のアパートを畳まざるを得なかったのである。
 普段から全く噛み合わなかった夫婦関係が娘二人という緩衝材に抜けられて、にっちもさっちもいかなくなったらしい。
「喜和子ぉ、お父さんが、お父さんがあたしの首をしめてるよぉ。『一緒に死のう』って言うんだよぉ」
と、霧子が喜和子に電話してきた時、思わず「死ねば」と心の中で悪態をついた。一番身近で大切にすべき夫に、長年ねぎらいの言葉一つかけず、今まで満足な人間関係ひとつ築いて来られなかったのはどこの誰なのか。
 しかるにそのままにしておくのも外聞が悪いので喜和子は一応、サンダルのまま電車に飛び乗り両親の心中を止めるべく実家に行った。後で妹の初代から
「お姉ちゃん、何で止めたの? 死んでくれたらこれ幸いだったのに」
と、のんびりとした感想を述べられた。
 霧子とは逆に喜和子は、料理上手だった千登勢の隔世遺伝が顕現したらしく、台所仕事は得意であった。実家に戻って、霧子の放り出した台所の新しい主となった喜和子はまず真っ先に年越し蕎麦を「温かいかけ蕎麦」に改革したのだ。
 今年も喜和子は大晦日の台所に立ち、母親へのアンチテーゼとして断固たる態度で温かい蕎麦を作る。
 温めたどんぶりに温かい汁を張り、茹でたての蕎麦を入れ、茹でた青菜と揚げたての海老天をのせ、天盛はへぎ柚子である。
 温かい蕎麦は身も心も温めてくれ、来るべきお正月への期待感を精一杯盛り上げてくれる。
 母性とは無縁の母親から産まれ、半端な大人となった喜和子と初代は、結局二人とも縁遠く、仲良く行かず後家である。だが、初代が働いて喜和子が家事を担当し、今日までそれなりに楽しく生きてきた。
 「人として追及すべき人生のテーマってこういうのを言うんじゃないの?」
 完全に忘れ去ろうとしているにも関わらず、うっとうしくも折につけ浮かんでくる、亡き霧子の面影に向かって喜和子は冷たく言い放った。

 

 

 

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