第4話・物語(小説)を書く、という事(非創作論・私的経験)

文字数 8,600文字

 夏休みだからか、新しく小説を書き始めた若い人達も多くいるようだ。Twitter上は、賑やかである。その中に、「絵が描けないから、文章なら何とかなる」というような人を見付けて、「ああ」と思った。
 かつて、ネットがパソ通と呼ばれていた時代に、同じ事が言われていた。「漫画描くのは絵の勉強しなくてはならないけど、小説なら日本語だし」という理由で小説を書く人達がいる、というのである。既に何年も書いている人は「馬鹿にするな!」となっていた。
 当時は、小説を書いても、発表する場所は公募に入選するか同人誌か、であった。晴海でコミケが行われていて、盛況だというニュースも流れていた。二次創作やJUNE小説(BL)は確かに、売れていた。しかし、オリジナルは人気がなかった。オリジナル・オンリーの即売会へ行った事があるが、人出が全く違っていた。
 私は、大学の文芸部に所属していたのだが、純文志向ではなく、浮いていた。かと言ってSFばかりを書くのでもなかったので、SF研究会には属していなかった。流れが変わったのは、後輩が入ってからだった。既に同人活動をしていた彼女達は、私の小説を支持してくれた。幸い、全ての月刊誌に掲載してもらい、次の年には一年かけての連載で、二年連続しての文芸大賞をいただいた。
 連載作をあらためて書き直したものを本にする事を勧めてくれたのは、彼女達だった。オリジナル?個人誌?と分からない事ばかりだった。
 卒業してからも、彼女達は主催するコピー本に声を掛けてくれて参加させてもらった。大阪南港の同人誌展示即売会にサークルの売り子として参加もした。熱気がすごかった。何度か寄稿した。他のサークルの会員にもなった。
 それを止めたのは、一つの原稿だった。
 彼女達の友人が主催するサークルでファンタジィをテーマにするので、それだったらぜひ、と声を掛けてもらった。一つ、書いて彼女達に託した。帰って来たのは、ボツの返事と原稿だった。
 最近、ファンタジィが流行っているからおふざけで便乗本を出すのだから、ガチは困る。
 それが編集人からの返事だった。
 いつだって、本気で書いてきた。それは、オリジナルであろうと、「銀英伝」の二次創作であろうと関係なかった。それを、おふざけの便乗本を出す。本気は望まない、とはどういう事なのかと正直、信じられなかった。出来が悪いので、という言葉ならば仕方がないと思っただろう。それは、実力がないという事であったから、納得がいった。
 同人誌は私には向かない。
 そう感じた。彼女達のサークルは私の連載の最終回を以て最終刊とする、となったので、さっさと終わらせた。他の所属していたサークルも、自然消滅した。何も未練はなかった。
 たかだか、そのような事で、と人は思うかもしれない。だが、書く、という行為は、正直に言って、私自身の生命を魂を削り、文字に変えたものである。一字、一句読点たりとも疎かにしたくはない。(その割に誤字脱字が多いかもしれないが、夏目漱石の弟子達が、完璧な漱石全集を作ろうと必死になったが、それでも誤字脱字があったという逸話があるので、文語口語合わせて膨大な量の著作を残された先生と較べるのも烏滸がましいが、一人で全てを発見するのはかなり難しい事だと思っている。その代わり、時間を空けて何度も確認するようにはしている。)
 独特な漢字使いをしているかもしれないが、自分で編み出したものではなく、今までに読んだ明治から現代までの文章から、自分の感覚に合致するものを使っている。下手な文章ではあっても、それなりに気を遣って書いていた。
 現在、細々とではあるが付き合いがあるのは、彼女達の内、一人だけである。
 やがて、リアルで様々な出来事があり、今へと至るのだが、数年前に、A型障害者就労支援事業所(鬱病の発症とアスペルガーの認定)に入るにあたって、小説創作者を募集していた事業所を選んだ。二作を仕上げたところで、「どうせ書くなら、発表しましょう」となって色々と探した。もう一人、小説を書く人がいたのだが、彼女は既にpixivで作品を発表していた。別の場所を、ということで行き当たったのが、開設されたばかりの「セルバンテス」だった。
「セルバンテス」の仕様は、小説を書く事に特化されており、表紙も挿絵もなかった。そこが、私には合っていた。絵を描かぬではなかったが、人様に見せるようなものではなく、また、デジタルに落とし込む術も知らなかった。
 そこで三作書いた。
 それが「北海物語(サガ)Ⅰ・海狼の系譜」である。
 運よく、読んで下さる方が現れ、感想も少しいただけるようになった。
 少し前からTwitterを自作の宣伝も兼ねてやるようになった。
 その矢先に、サイト閉鎖のお知らせが来た。
 慌てて新しい発表先として、Noveldaysに移転する事に決めた。
 ここに来たのは、そのような事情もあってだった。
 発表先に「なろう」を選ばなかったのは、既に飽和状態にある事、「なろう」独特のナーロッパ世界があるらしいという事、年齢層が低い事などが理由である。「北海物語」は、最初、ヴァイキング小説を、歴史小説をと思って書き始めたものであるので、これは合わない、と感じた。
 結局、調べきれない事が余りにも多く、ファンタジィとして書き直した。それでも、リアルの中世北欧を下敷きとしており、世界構築は真剣である。今も勉強中の身でありながら書くのはどうかという気持ちもあるのだが、入所してすぐに、構成もあやふやなままに「書いて、書いて」と言われて呻吟しながら世界を構築した。後になって齟齬に気付いた所は随時、訂正に回っている。
 少し読まれた事で、欲が出た。
 長い間、一人で書いてきたので、反応が嬉しかった。
 もっと、読んで欲しいと思った。感想も欲しいと思った。
 Twitterの「RTの人の小説読みます」を上げている人にリプをした。数人が読んで下さった。
 最後にリプした「描写のある小説が読みたい」という人から、言われた。
 ラノベじゃないか。
 ラノベ?え?私の作品って、ラノベなのか?
 ショックだった。
 私自身は、ラノベを書いているという気持ちは全く、なかった。自分の書いているのは、小説、ファンタジィ小説であると思っていた。心理や情景の描写を読んで欲しかった。だが、多分、世間の考えは違っていたのだろう。
 私がファンタジィとして読んで来たのは、月刊ペン社から刊行されていた「妖精文庫」だった。ハヤカワFTであり、「指輪物語」であった。
 特に、「指輪物語」は、夢中にはならなかったがその世界の厚みに圧倒された。これこそが、自分の目指す世界なのだと思った。それを追求した果てに、魔法もなく、幻獣も出て来ない物語へ行き着いた。(それが、個人誌として出したものである。ファンタジィで歴史物語を、と思ったのだ。個人誌の方は、一冊しか売れなかったが、二段組、文字間行間みっちりイラストなしの厚い本となった。それでも第一部だった。その後の物語は出していない。私の中にあるのみである。)
「指輪物語」をラノベという人はいないだろう。
 でも、それは、自分だけの考えであったのかもしれない。世間的には、(「ロード・オブ・ザ・リング」の影響で)「指輪」はエンタメであり、ファンタジィは文学の一分野にはならないのだろうか?異世界=ラノベと世間の人は思うのか?創作界でもそうなのか?
 数年前、文学を志す大学生に家族を通じて、個人誌を読んでもらった事があった。その時の感想で伝えられたのは「これは文学!」だった。その言葉に良い気になっていたのか?
 怖くなったのは確かだ。
 自分から人に読んでもらおうとは思わなくなった。公開時にtweetで上げるのは、誰かの目に留まれば幸い、もし、続きを読んで下さるならば、という気持ちだけだった。宣伝を積極的にはしていないので、固定ツイートも自作宣伝ではない。総合アカウントという事で、様々な興味のある物事を心の赴くままに「いいね」「リツイート」し、フォローもした。鳥、歴史、読書、その他諸々。こちらからリプする事も殆どなくなった。自身のtweetでさえ、毎日ではなくなった。書いては消し、書いては消しして、結局、呟くのを断念する日々だった。
 コロナ禍となり、知り合いに頼まれて今の仕事を始める決心をして、事業所を辞めた。その時には「血の代償」を途中まで書いていた。これも構想を練る暇もなかったので、辻褄が合わなくなってきた。公開を止め、ゆっくりと書き直す事にした。
 そのような中で、何故かラノベを書いている若い人達にフォローされる事が続いた。フォローされれば、余程でない限りフォローバックするので、最近のタイムラインはラノベ関係が多くなってしまった。この若い人達が、私の作品を読んでいるとは思えなかった。全く、方向性が異なっているのだ。
 戸惑った、というのが、正直なところだった。
「なろう」の宣伝が多く流れて来た。この頃は夏休みという事もあってか、新規に入って来て、「勉強のために読みたい」という人もいた。
 自分の書くものがその人の書くもの、好きなものに合致するかをプロフまで見に行く事が増えた。学生が多い、ラノベ作家志望が多い、という印象だった。十五歳という人もいた。
 若くて書くのは、別に良いと思う。発表するのも自由だ。だが、最初に書いたような人がいる事にも気付いた。堂々と、「テンプレです!」という人がいる事も分かった。「テンプレ」を求めている人がいる事も知った。
 テンプレである事が恥かしいのではないのだ、と時代の変化を感じた。テンプレが悪いのではない。ハーレクインなどのロマンス小説は、昔から言われているように「偉大なるワンパターン」であるし、それを楽しまないではない。安心して読める、というのもあるだろう。自分が新しいテンプレになろう、という気概はないのか、どうして小説を書こうと思ったのだろうかと疑問になった。
 では、自分はどうなのか。
 考えた。
 自分は、どうして、小説を書こうと思ったのか。
 どうして、書き続けるのか。
 どうして、webなのか。
 別に、webである必要はなかった。自分でホームページを開設し、そこを拠点としても良かった。自分だけの世界に閉じこもっていても、誰にも気付かれずにひっそりと片隅に棲息していても良かったのではないか?
 手書きの世界に生きていたのもあって、PCの扱いが分からなかった。すっかり、ネットの世界になっていたが、安全性を理由に家ではネット禁止であった。ホームページの開設の仕方も分からなかった。
 webは便利だった。
 Wordに必要な書式設定も必要ではなく、ただ、無心に文字を打ち込むだけで良かった。ルビも簡単だった。
 要は、楽な方へと流されたのである。
 使い慣れたワープロは時代遅れだった。フロッピーディスクの時代のものである。使えない訳ではなかったが、どこまでも無限に文字を打ち込めるものではなかった。
 他にも物語を綴っている人がいる、というのも魅力だった。
 小説サイトに来る人は、小説を、物語を求めている。
「人々には語り部がいる、この世の、なによりも」(映画「ベルリン・天使の詩」ヴェム・ヴェンダース監督)と改めて感じた。この映画の中のホメロースと呼ばれる老人の言葉を頼りにずっと、書き続けて来た。少なくとも、私には、物語が必要だった。
 鬱病に悩まされた期間、何も書けなかった。読めなかった。
 何を見ても楽しめなかった。
 大好きであった空想をする事も忘れていた。
「何か、したい事はありますか?」とお医者に訊かれた時、真っ先に浮かんだのは、だが、小説の事ではなかった。
「鳥を飼いたい」
 そう答えたのである。ただ、眺めているだけで良い、と思った。何も考えずに無心で、楽し気な小鳥を眺めていたかった。
 読書や小説は、生と死の狭間で彷徨っていた私には重かった。感情も現実感も失った身には、縁遠いものであった。(この辺りの感覚は「海神の娘」に反映されている。)実際に、家族に向かって「わたし、いま、生きてる?死んでる?起きてる?これ全部、夢?」と訊ねた事で病院行きを勧められた。動かずにじっと休養していなさい、と言われたが、そういう訳にもいかず、「じっとしていられないのだったら、入院させるよ」とまで言われた。
 小説を書く、という作業は精神的に負荷がかかるものである。サクッとノリで書けるものではない。
 そのような思いをしてまで、どうして、小説を書くのか?
 私は、自分の意見や考えをまともに言葉にできない。家族に対しても、友人に対しても。頭の中で会話のシミュレーションをしなければ、話す事ができない。子供時代のある時までは、そうではなかったはずだ。だが、自分の意見を言うと、それが大多数の人とは異なっている事に気付き、仲間外れやいじめ、あるいは倍以上の言葉の反論で、いつの間にかそうなっていた。私は、耳からの記憶に弱いので、言い合いになっても相手の最初の言葉を思い出せなかったり、自分の論理を組み立てるのに時間がかかったりして、諦める事が癖になっていた。何も言わなくなていた。
 それが、不思議な事に物語を書き始めると、そういった諸々が、語りや台詞、あるいは物語そのものとなって現れる事に気付いた。
 小説は、私の分身であった。
 ストーリーは、自分が読みたいと思いながらも出会えない物語である事が多い。妄想の一片から生まれる事もある。
 自分の感情や考えの全てを曝け出しているのではないか、と思うと、怖くなる時もある。
 それでも、物語を綴るのを止める事はできない。
 自分だけでひっそりと書いていれば良いのかもしれない。そんなものを読ませられる方は迷惑なのかもしれない。
 書かずにはいられないし、書けなかった頃は生きているのか死んでいるのか分からない状態であった。書いている間は、全てを忘れて没頭する事も出来た。唯論、良い言葉に思い至らなくて数日、呻吟する事もある。最近は、仕事と鳥の世話・相手、家族の事以外は書いているか読んでいるか、そうでなければ眠っている事が多くなった。時間は、あっという間に過ぎて行く。
 私は、スポンジではないか、と思う事もある。乾いたスポンジ。そこに様々な媒体からの情報や経験、感情という液体を垂らして行く(インプット)。やがて、飽和状態になり、スポンジは吸収できなくなり、下から液体が滴る。そこで、ぎゅっと絞ったもの(アウトプット)が、私の物語ではないかと思う。一作終えると、再びしぼんだスポンジに液体を垂らして行くのである。
 自分の中の物語を全て文字化するのは、不可能ではないかと思い始めている。
 それでも、諦めずに書き続けるのは、何事も為す事なくこの世に生きている私の、確かに生きていたという存在証明となるからかもしれない。
 若い頃は、承認欲求もあっただろう。真剣に、物書きを目指した時期もあった。賞に応募し、最終予選まで行った事もある。その頃とは、筆名も書くものも文章も異なっているが、今では、そんな事もあったな、という程度である。好きなものを好きなだけ、期間を区切られる事なく書ける、今の方が幸せではないかとも思う。
 web小説では、隙間時間に読む人が多いので、字数は少なく、改行は多めに、というアドバイスを良く目にする。
 そういう向きからすると、私の書くものは全く、読まれる事を前提といしていない、自己満足にしか過ぎないかもしれない。
 ここで、昔、所属していたサークルで起こった事を思い出した。
 大幅に発行の遅れたサークル誌(私は読む専門で、寄稿はしていなかった)が、お詫びの手紙(自筆)と共に送られてきた。
 その手紙の中に、編集人二人の間で意見の齟齬があった事が記されていた。
 掲載されていた中編小説に関してのものだった。
 一人は全編を一度に掲載する方がよいと主張し、もう一人は、前・後編での掲載を主張した、と。
 その小説を読んでみると、これは通しで掲載すべきものだと思った。切る理由が、分からなかった。全編掲載を主張した人は漫画と小説を書く人であり、もう一人は漫画専門であった。書く人と書かない人の差なのかな、と思った。
 しかし、web小説では、書く人も一話、大体何文字、と決めて書いている事を知った。私は自分のきりの良いところまでを章立てている。一万字を越える事も珍しくはない。私にしてみれば、「運命の娘」「血の代償」は例外的に章立てが短い。それは、毎日「どのくらい進んだ?」と訊かれて書いていた事もあるだろう。(小説を書かない人には、構想だとかディテールを詰めるのに時間が必要だとは分からなかったようだ。)
 殆どの人がスマホで読むので、という理由で短くなっているらしかったが、それでは、自分の文章のリズムも壊れるし、詳細な描写が出来なくなる。
 読んで欲しいのだろう?それなら、従った方が良いのではないか?
 残念ながら、その考えにはならなかった。
 読まれるのは、嬉しい。
 だが、好きなように書いていたい。
 どちらが重要なのか、と問われれば、書きたい、の方に軍配は上がる。
 自分のスタイルを崩してまで読まれようとは思わない。
 傲慢かもしれない。
 しかし、プロではないのである。自分自身の物語を綴らなくてどうする、という思いが強い。自由に翼を広げる事ができるのは、アマチュアの特権でもある。
 それが世の中に受け入れられなくても、別に誰の迷惑にもならない。
 PV数を気にする人は、そうすれば良い。プロを目指すなら、そうすれば良い。いかに読者をひきつけるのか、という技法は、そういう人には必要だろう。だが、私に、ではない。下手な文章やお粗末な物語で偉そうに、と思われるだろうが、自分自身に対して正直である事の方が大切だと思っている。それは、リアルでは本当に自分の意見・考えを表明してこなかった事への反省なのかもしれない。
 私は、自分と同じような好みを持っている人に届けば、それで充分だと思っている。そういう少数の人が、私の作品を読み切り、「お気に入り」を入れて下さっているのだと思っている。そういう人に出会えただけで幸せである。
 書く人の数だけ、方法があっても良い。
 読む人は、自分の好みの文章スタイルや物語を選べば良い。
 時流に合うかどうかを、私は気にしない。こういうスタンスだから、読まれないのだろうな、と思う。だが、流行りに合わせて一時に多くの人に読まれるよりも、少数の人に、長く読み継がれてゆく方を選ぶ。
 かつて、大学のドイツ文学講義の教授が仰言った。「私はワーグナーは嫌いです。人の感情を揺り動かそうとするから」。当時から、私はワーグナーが大好きであった(ワーグナーが好き、と言うと、ヒトラーが好きなのか、と言われる時代でもあった)。圧倒的な音楽で詩で襲い掛かってくワーグナーは、ブレヒト研究をされていた教授とは、まあ、性が合わないだろうな、と思った。それに、人の(何らかの)感情を揺り動かす事が出来れば、それは作家として本望なのではないだろうか、と。私はワーグナーの世界に身を委ねるのは、心地よい、と感じている。(教授には感謝している。「神聖なる実験」という戯曲を教えて下さり、長大な戯曲「神の代理人」の本を貸して下さった事は、決して忘れない。)
 私の描く世界は荒涼としている。個人誌の作品を書いている時に、その事に気付いた。それが、私の内的世界であるな、と思った。その荒涼とした野に、一人の男が立っている風景から、個人誌の作品は生まれた。荒涼とした北海も、そこから生まれた。
 ワーグナーからゲルマン神話へ。ゲルマン神話から北欧神話へ。北欧神話からヴァイキング時代へ。遠回りであったかもしれないが、決して無駄ではなかった。一から自分で創り出した世界ではないが、自分には合っていると思う。また、文献を漁るのも楽しい。読む人は、私がこの世界を創り出す為に、どれ程の本を読み、論文を漁り、辛苦したかは知らなくても良いのである。自己満足であろうと、知識欲を満たすのは楽しいし、それが出来る事が嬉しい。
 そのような世界であっても、何らかの人の感情を動かす事ができれば、それ以上の事はないのではないだろうか。
 Nach mihr(私に続け)!というタイプの人間ではないので、人に自分の書き方を勧める気はない。ただ、もっと自由に書いても構わないのではないか、様々な方法を試しても良いのではないか、と感じている。
 私がどのような事を思い、書いてきたのかは、正直、作品を読んで下さる方々には不必要な情報であるので、この話は、書くべき、公開すべきことではないのかもしれない。自分個人の事として未公開のままでも良いのかもしれない。
 それでも、少しは誰かの役に立つかもしれない。
 創作界の片隅に、ひっそりと存在する事を許されている。
 好きなものを好きに書けて、幸せではないか。
 創作論や人の意見を聞くのは良いが、自分に合わないものは取り入れなくて良い。
 だから、もう、悩むのは止めよう。
 そう思っている。
 そして、今日も書き続ける。
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