第1話

文字数 1,423文字

 私は水辺の波打ち際に立っていた。

 いつからなのだろうか? そしてここが湖か、あるいは海なのか。辺り一面霧が濃くて判別できなかったが私は一人立ち尽くしていた。
 何故私はここにいるのか、まるでこの霧模様のように記憶が霞んで思い出せないでいると不意に目の前に人がやってくる気配がした。と、言っても霧が濃くて目の前にいるはずの人の顔や格好、性別さえ判別できない。
 だが今の私にはこの目の前にいる人が誰であれ、ここがどこで何がどうなったのかを尋ねるほか無かった。

「すみません、不躾な質問で大変申し訳ないのですがここは一体どこでしょうか? 気がついたらここに立っていて……」
 そう尋ねる私にその人は一瞬驚いた様子を見せたが、すぐに何かを察したように優しく、諭すようにこう言った。
「私はここの管理人です。ここが何処かとのことですが、あちらに私の使っているコテージがありますのでそちらでご説明致しましょう」

 「管理人」と名乗ったその人は霧で迷わないように私の手を引いて水辺の近くにあった一件のコテージへと案内してくれた。
 
「ここには衣食住に必要な物は全て揃ってるし、足りなくなると自動的に補充されるから安心してここに住むといいですよ」
 コテージに入ったというのに何故か相変わらず濃い霧が立ちこめており、全貌が掴めない「管理人」なる人は、私が座ったソファの対面に腰掛けるとこのような奇妙なことを言い出した。
「住む? 突然何を。それより私のさっきの質問の答えは? ここはどこであなたは誰で私は何故ここに? いや、それ以前に……そもそも私は一体誰だ?」

 私が頭を抱えているとその人が教えてくれた。

 ここは人が旅立つ前にどうしてももう一度会いたかった人に出会う場所。ここに来る人は普通なら出迎えに来た「管理人」である私を見て、自分が会いたかった人の面影を見いだしてこのコテージで一晩過ごしてから旅立っていくのだが、稀にあなたのように自分が誰かもわからずに会いたい人も思い出せない人が来る。それは交代の「管理人」が来た合図だと。

「交代? まさか私が次の管理人に?」
 驚く私に「管理人」は言った。
「私も前任者にそう言われました。会いたい人間がいないのにここに来る者は「管理人」になると。そしていつか、今は思い出せないかつての本当の自分に会いたいと願った人がここに来れば共に旅立つことができる。そしてその時には新たな「管理人」も一緒にやってくる。とね」

「管理人」がそこまで言ったときである。コテージのドアを開けて人が飛び込んできた。霧のせいで相変わらずその人がどんな人間かわからないが「管理人」がその人に抱きつくと、二人揃ってドアを開けて外へ出て行った

「――ま、待ってください! 一体、一体ここはなんなんですか!?」

 思わずそう叫んで外に出て行った二人を追いかけていった私が見たものは――いつの間にかあった小舟に乗り、コテージのある水辺から遠ざかっていく二人の人影であった。
 それを見た時に私はようやく全てが理解できた。

 ああ
 そうか、こここそが現世(うつしよ)常世(とこよ)を隔てている水辺だったのか
 そして私が今日からここの、渡し船の管理人となったのか

 目の前に不意に現れた小舟を見ながら私は思った。

 何時の日にか私にもあのように
 本当の私に会いたいと願ってくれる
 人が来てくれるのだろうか

 その日まで私はここでただの「管理人」として存在するのだろう。
 いつか、誰かが来るまで。

<了>
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