第1話

文字数 3,125文字

ずっと、定期的に空の写真や動画を送っている相手がいる。返事はないけれど、送り続けている。

送っている相手は昔バイトしていた居酒屋の同僚だ。仮にK君とする。当時K君は店長で、わたしは接客と集客を担っていた。

わたしとK君が出会った当初、彼は20代だった。見た目はそれなりに今風でイケメンの類に入る男でありながら、とても古風な人柄が印象的だった。いつも言葉が足りなくて仕事では大分苦労していたようだが、無口で、酒が好きで、「時代おくれ」という時代遅れな歌が好きで、酔っても決して羽目を外さない男だった。

そんな彼が信頼できると思ったし、実際に信頼していた。信頼している相手には積極的になついていくわたしは当時、事あるごとに彼を飲みに誘っては仕事の言いたいことやお客の悪口なんかを聞いてもらった。その度に彼はちびちびと酒をロックで味わいながら「お前は元気だな」と言っていた。


元気だと言われていたわたしは、彼が言う通り毎日とても元気に過ごしていたのだが、居酒屋を辞め、広告の会社に入社して1年半が経った頃、腎臓を悪くして1ヶ月もの間入院する羽目になった。よほどのことがない限り14日程度で退院させる仕組みになっているはずの病院が、1ヶ月間入院させるくらいにわたしの病は割と深刻だった。さすがのわたしもその時ばかりは元気じゃなくなり、毎日痛み止めが切れる時間に病室でうめき声を上げる日々を過ごすこととなった。

人生ではじめてくらい長々と続く苦しみに消耗していたわたしのもとには、たくさんの見舞客が訪れた。ひとりで寂しかったのでとても嬉しかったけど、いつも元気なわたしは元気じゃない時に人前でどのように振る舞えばいいのかが分からなかった。とりあえず病人らしく振る舞うことに慣れていないので「思ったよりも元気そうで安心した」と言ってもらえる程度に元気に振る舞うことにして、やり過ごした。

そんな中、K君も見舞いに来てくれた。とにかく無愛想な男だったので、来てくれたことが正直かなり意外だった。そして今思い出しても笑ってしまうのだが、彼の見舞いはとても独特だった。というのも、見舞いの品を渡し、一言「元気そうだな」と言った後、無言でパイプ椅子に座っているのだ。それも10分20分ではない。おそらく1時間くらいはいたはずだ。



最初は気を遣って色々と話しかけてみたのだが、返事は「ああ」「まぁ」などしか返ってこず、K君はただただそこに座っている、という姿勢を崩さなかった。ずっと座っている。携帯を見たりもしない。私が話をすると、聞くだけ聞いて最小限で相槌をうち、自分は何も言わない。あまりにもただ座っていることを貫いてきたから、わたしも途中で話しかけるのを諦めた。

元々無口な男ではあったが、誰かの縄張りに訪問してだんまりを決め込むという行為を見たことはなかったので、あえてそうしているのだということだけはすぐにわかった。だけど目的がわからない。黙ってそこにいるけれど、一向に帰る気配もない。彼の時間を奪っているような気がして居心地が悪くなるが、もはや我慢大会だ。黙っていなければいけないような気さえしてくる。よっぽど「逆に気を遣うわ!」と突っ込もうか迷ったりもしたけれど、何もせずにただこちらをチラ見したり空を見たりするK君を見ていると、無性におかしくなってきた。何なんだこの人。変なの。変な人。

変な人だから、気を遣うのを辞めた。ただそこにいる人がそこにいて、わたしもただそこにいる。本を読んだり、K君をチラ見したり、空を見たりした。あまりにも妙なひとときだし、心地はずっと悪かったのだけれど、なぜかずっとそこにいる存在が妙に嬉しくて、やさしくて、泣き出してしまいそうだった。彼がどういうつもりでその独特の見舞いをしたのかは分からなかったし、誰の見舞いでもそんな風に振る舞ってそうな気もするのだが、その独特の見舞いがわたしにとって無性にありがたく、やさしい思い出となった。



入院生活も終わり、リハビリ的な暮らしも超えて、すっかり元気になった頃から3年半経った頃だ。居酒屋時代の仲間から「K君がいなくなった」という情報がわたしの耳に入ってきたのは。元々K君とは連絡を取り合う間柄ではなかったが、特に新型コロナウイルスの影響もあり、居酒屋にもめっきり顔を出さなくなっていた頃だった。

話によると、K君は勤めていた居酒屋に一方的に辞めると告げて去ったらしい。店の社長から直接聞いたので、紛れもない事実だ。そしてそれからは、誰ひとりとして彼と一切連絡が取れないのだそうだ。

その話を聞いた後、わたしはずっと連絡ができずにいた。周囲の人は「こんな連絡をしたけどだめだった」「電話も出ない」「一応連絡はしてみたけど、やっぱり返事はなくて」などと言っていて、何かしらのアクションを起こしているらしかった。中にはFacebookで【拡散希望】と書き、K君の目撃情報を募る人もいた。それぞれの人のそれぞれの行動を傍目に見ながらも、わたしは何もしなかった。できなかった。

明らかにあの時、わたしは彼の独特な見舞いに救われた。ただ静かにそこにいてくれた彼に救われた。その後も退院後にお礼の品を持っていった際に「元気そうだな」と言われて嬉しかったし、入院中に故郷から飛んできた母がK君の居酒屋に出向いた時、刺身の盛り合わせをサービスで出してくれたことも、母を安心させられてありがたかった。彼には色んな場面で、救われ続けてきている。

これだけたくさん助けられたにも関わらず、自分が彼にしてあげられることが一切思い浮かばなかった。浮かばなかったのだ。一切。無言で病室の椅子に1時間座っていられるような人は、こういう時、なにをされれば嬉しいのだろう。なにをされればしんどくて、なにをされると心地よいのだろう。考えても考えても考えても、全く浮かばない。何度考えても「なにも連絡しない」ことにしか着地できず、「なにかひとつくらいあるだろう」「なにかするのは自己満足だ」「お前にできることなんてない」と、考えるほどに自分を責める言葉に変わっていく。きりがない。わたしが悪いのだ。こうなる前に、できたことはあったはずだ。遅かった。なにもかも。いつもそうだ。人に救われてきたのに、人を救うことができない。



「なにもしない」スタンスを貫くことが限界に達したのか、一向に見つからないK君のことが次第に頭から離れなくなっていった。死んでいるんじゃないか。そんな不安もあって夜も眠れなくなった。考えに考えて、考えた結果、それでもやっぱり言葉ではきっと彼を救うことはできないという根拠のない確信が揺らぐことはなく、何万文字も浮かんでくる言葉たちをすべて飲み込み、空の写真を送ることにした。病室で一緒に無言で見た空を思い出したからだ。空しかないと思った。

思い返してみると当時、わたしは毎日が痛くて逃げたくてたまらなかったから、空が青く見えなかった。わたしの目に映る空は、薄暗く淀んだ灰色で、その素敵さも美しさへの嬉しさも「元気なときにできたこと」の一部だった。

だけど回復していくとともに、だんだん空の青さがわたしにとって希望のような存在になっていた。空が青く見えるのは、とても幸せなことなのだとその時に思ったのだ。だから、定期的に、動画や写真でいろんな色の空をメールで送ることにした。あの時、K君も空を見ていたから、空を見ることは好きなのかもしれない、ということだけに希望を込めて。

もしかしたら今はまだ、彼の目には灰色に見えているかもしれない。というか、写真を見てくれているのかも正直わからない。だけど送る。送り続ける。空の写真を送り続けている。
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