ビューティフル メモリー

文字数 2,945文字

「――――さん、ひとことコメントを!」
「最優秀賞を受賞した感想をひとこといただけませんか?」

 デジカメのフラッシュを受けながら、自分に向けられて差し出されたレコーダーを眺める。それに、何を言っていいのか戸惑う。
 都内の某ホテルでの絵画コンクールの授賞式で、わたしは最優秀賞を受賞した絵を前にインタビューをうけていた。
 何をいっていいのか、本当にわからなくて困っていると、新しくまた質問された。

「絵を描き始めたきっかけは?」

 笑顔で尋ねる記者の声がすっと頭にひびく。
 きっかけ。
 それは、もう遠い昔のほとんど忘れかけていた記憶だった。
 一人の絵描きを思い出す。
 柔らかな日差しがふりそそぐ公園で出会った絵描き。たくさんの絵を段ボールに飾って売っていた。
 名前もしらない。きっと素人で、趣味で描いていただろう、少し太ったおじいさん。
 でも、実はもしかしたら有名な絵描きだったのかもしれない、なんて今は思う。
 わたしは、質問をしてきた記者にむかってくちをひらいた。

「きかっけ、それは――」




 秋だった。
 しかし、まだ紅葉には早い時期、すこしだけ涼しくなった乾いた空気が公園を吹き抜けていった。子供だったわたしは、近所のこのひろい公園に、一人でよく遊びに来ていた。
 今日は何をしようか、鉄棒をしようか、と遊具のある一角へ向かうと、その入口で絵を売っているおじいさんがいたのだ。
 絵を売っているということが珍しくて、わたしは足をとめて、その一枚を凝視した。 
 その絵は、子供心にとてもきれいな絵で、中央に描かれている女の子の睫毛がとても長かった。頬とくちもとが、ほんのりと紅に染まっているのも、お人形みたいにかわいかった。背景はむらさき色と赤色をまぜたような宇宙で、そこに咲く白い花が光っているように見えた。

「おじいさん」

 わたしは自然とその少し太ったおじいさんに話しかけていた。

「なんだ?」

 すると、おじいさんはゆったりとした返事をくれて。
 わたしが話しかけたことが嬉しいようで、にこにこしていた。
 でも、わたしは何故かそのとき、すこしひねくれたことを言ってしまったのだ。

「なんで、この女の子のまつげはこんなに長いの? ありえないほど体が細いし」

 今考えると、とても失礼なセリフだし、当時のわたしもそれを分かって言っていた。
 なぜそんなことを言ってしまったのだろう。
 わたしはそのとき、おじいさんに怒られると思ったが、おじいさんはやはりにこにこしていた。

「まつげが長い方がかわいいだろ? お嬢ちゃんみたいじゃないか。絵は自由でいいんだよ」

 おじいさんが優しかったのをいいことに、わたしはさらにエスカレートしておじいさんに言いつのった。

「でも、人間はこんなにまつげ長くないし、こんなに細くもないよ。へんだよ!」

 どうしてこのとき、このおじいさんにこんなに食って掛かったのか。
 それは、単純に「羨ましかったから」だと思う。
 きれいですてきな絵を描く、このおじいさんが。
 こんな絵を描けたら、どんなに気持ちがいいだろう。
 たましいを震わす絵を見たという、未知なる感覚。
 自分も描いてみたいけど、絵などろくに描けないという事実。
 それらがごっちゃまぜになって、おじいさんにあたってしまったのだ。

 しかし、おじいさんはまたにこにこして、笑い出した。

「そうか、そうか。変かなー。まつげが長くて細いのが、この子なんだよ、お嬢ちゃん。かわいいだろ?」
「……」

 おじいさんは、まったくわたしのことばに動じないばかりか、やっぱりにこにこしている。
 だから、わたしは無言でその場を走り去って、家に帰ってしまったのだ。なんだか、無性にはずかしくなって。そして、家に帰ってから、夢中になってあの女の子の絵を描いた。

 わたしが手持ちの色鉛筆で描いた絵は、お世辞にもうまいとは言えなかった。だから、わたしは次の日も公園に行って、おじいさんの絵を見に行った。
 前の日に失礼なことをしたわたしを、おじいさんはやっぱりにこにこと迎えてくれた。

「おじょうちゃんは、どの絵が好きなんだ?」

 と聞かれたので、昨日見た絵を指さした。
 おじいさんはびっくりして、そしてまた笑った。

「この絵なのか? この絵は睫毛が長くて、体が細すぎるんじゃないのか?」

 私は真っ赤になって、今度は正直に心を伝える。

「でも、この絵がいちばんきれいだったから」
「そうか、そうか」

 おじいさんは、またにこにこ笑った。

「ねえ、おじいさん。絵を描くって難しいのね。昨日いっぱい描いたけど、ぜんぜんうまく描けなかった」
「そうだねえ。いっぱい練習すれば描けるようになるよ? ぼくみたく」
「おじいさんは、いっぱい練習したのね」
「そうだよ。たくさん書いたよ。山のようにね」

 おじいさんは、またにこにこしてわたしに答えた。

 それから、毎日絵を描いてすごした。
 なんとなく、あの絵に似た絵を描いていて。
 まつげが長くて、細い女の子。
 そんな絵ばかり描いていて。
 毎日描いていたら、一枚だけ気に入った絵がかけたので、おじいさんに見せようと思った。

 いつもの公園のいつもの場所に、おじいさんはいた。

「おじいさん、見て!」

 わたしは、おじいさんに上手く描けた絵を渡す。
 おじいさんはそれを見て、笑顔になった。

「わはは! おじょうちゃん、良い絵がかけたね! でも、ちっと睫毛がながくて、体が細くないかな?」
「いいの! それがかわいいんだから! そうでしょ? おじいさん!」
「そうだね! がはは!」

 おじいさんは口を大きく開けて笑った。

 
 それから、わたしはおじいさんのところへしばらく通ってあそんだ。
 絵を少し教えて貰ったり、一緒に絵を売ったりして。
 でも、ある日、おじいさんは「次の場所へ行く」と行って、明日にはもうここには来ない、とわたしに言ったのだ。
 別れは胸が痛むほど悲しかったけど、引き止めても無駄だろうと思った。
 大人の事情とやらは、子供には変えられないのだ。

「おじいさん、わたし、これからも絵を描いて行くよ」
「そうか、そうか。じゃあ、おじょうちゃんにはこれをあげよう」

 おじいさんは、わたしの肩に手を置いて、あのきれいでかわいい女の子の絵をくれた。

「元気でな」
「おじいさんも元気でね。わたし、この絵みたいな絵を描けるようになるから」
「がはは、楽しみだな!」

 おじいさんは、夕日のなか笑って去って行った。
 次の日から、おじいさんがあの公園にくることはなかった。




「絵を描き始めたきかっけは――」

 記者の声に答えようとして、あまりにも複雑な気持ちと切ない思い出に、言葉がつまる。

 おじいさんの絵に魅了されたわたし。 
 優しかったおじいさん。

 あとあと聞いた話では、あのおじいさんには当時のわたしと同じ歳ほどの女の子の孫がいたのだという。だから、私のことも、孫のようだと思ったのかもしれない。とてもかわいがってくれた。

「きっかけは――」

 フラッシュが幾度もたかれるなか、私は言う。

「ないしょです」

 新聞記者がぽかんとした顔をした。
 あの、絵の魅力を教えてくれたおじいさんとの時間は、ないしょ。
 だれにも言わずに、わたしのこころにしまっておこう。

 あまりにもすてきな思い出だから。


 おわり 
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