罪を見る男

文字数 4,565文字

私は生まれつき人の犯した罪を見ることができた。
 例えば歩道を歩く大衆に紛れた一人のあの成人男性。
彼の犯した罪は窃盗。齢13の時に一度、友人と共に窃盗を働いたことがあるようだ。もっとも比較的良心が強いのか、あるいはそれ以外の罪を重ねなかったのか彼の体はそこまで黒くはない。
 おっと、あそこの木の下で座っている女なんかはもっと面白いぞ。彼女の犯した罪は浮気、詐欺、嘘、傲慢、演技だ。これほど真っ黒な人間は中々お目にかかれない。はっは、男性と話した彼女の体がさらに黒くなったぞ。嘘の罪をまた重ねたようだ。彼女の犯したこれらの罪はそいつがさぞご立派な人間ではないかと思わせてくれる。
 私の教会に来ても真っ白にしてあげられるかどうか…

 罪を犯した人間は生まれつきの白い体に黒い『何か』を装う。
 ひらひらとした羽衣のようなものに見えることもあれば分厚く壊すことのできない鎧のように見えることもある。罪の重さや種類によって纏う『それ』は異なるのだ。そして犯した罪が大きければ大きいほど、重ねれば重ねるほどにその黒さはどんどんとどす黒く変化し、より広い体表を覆う。

 人は生きている内に幾つもの罪を犯し、その度に体は黒く薄汚れていく。これは自然の摂理に則った当然のことである。木がこの地球のどこかで生えればそれは灰や雨、砂埃にさらされ汚れゆく。命あるものが成長する限りその命は穢れ続けるのだ。ではこの地球は生命の魂を傷つけ続ける地獄なのであろうか?
 否、ここは天国と地獄の狭間ではないか。
 おぉ、我らが神は癒しを与えて下さったのです。穢れた体を再び眩しいほどの純白に戻すことができるのです。

 あの滑り台の下で母親に怒られている幼児をご覧あれ。つい先程まで白かった彼の体は意地悪という罪で黒く薄汚れてしまった。のだが、母親に怒られ泣いているうちに少しずつまた彼の体は輝かしい美しさを取り戻していった。そしてついに幼児は再び完全に一つの穢れなき純粋な体を取り戻した。
 自身の犯した罪を認知し、認め、後悔し、罪悪感を抱き、そして陳謝する。これを偉大なる神は悔い改めると呼んだ。この懺悔で人間は生まれたばかりの赤子の穢れなき純白な体を取り戻すことができるのだ。
 ただしどんな人間であろうが彼らが成長するにつれ、自身の犯した罪を拾い忘れてしまうことがある。
 齢13に窃盗を犯した彼の肩に今なお黒いシミが消せずにあるのは強い良心を持ち、正義感が強いながらも犯した罪を懺悔し忘れてしまったせいである。彼が自身の罪を忘れたのは歪んだ世間の常識のせいか、はたまた罪の充満する環境で育ったせいか…

 だが私は同時に思うのだ。罪なき真っ白な状態であり続けるのも罪ではなかろうかと。例えば罪知らぬ赤子が時に何かに怯え泣いているのは、その『何か』を理解することができないからなのではないだろうか?理解ができないから泣き喚き周囲に助けを求む。知識がないからこそ自身で状況を打開できず、罪を重ねし大人達の手を握る。
 よって私は罪を重ねずに純白のまま生き抜いている人間に無知の罪を科す。

 私の教会での仕事は大人達の拾い忘れた罪を思い出させ、苦痛の先にある魂の解放への道標となることである。あるいは罪の自覚を持ちながらもそれを認めることのできない大人達の本当の姿になれる心の拠り所となることである。先程も申し上げたように罪を重ねることで人は知識を得ることができる。無論これ以外にも知識を得る方法などいくつもあろうことだろうが。
 ただ人には厄介な性があり、知識を積めば積むほど、無知から遠ざかれば遠ざかるほど、そして罪を重ねれば重ねるほど自身の判断に絶対的な信頼を置き、間違いを認めることを難しくするのだ。心の中の奥底では自身の犯した罪に対し潜在的な罪悪感を抱いているのにも関わらず、それを認めようとはしない。二つの理由がある。
 一つは弱みを見せることへの恐怖。無知の状態から成長するにあたって培われるのは知識だけではない。他にも生きる上で必要な力が幾つも芽生えるのだがその一つに『疑心』がある。人は人に裏切られ、その苦痛を知り、それを繰り返さまいと疑う心を覚える。自身の心の奥底にある罪の意識を知られればそれを弱みとして攻撃されるのではないのかと他人を疑う心とそれに対する恐怖。コンプレクスを刺激されるのならばそもそもそれを見せないようコンプレクスとして認めなければ良いのではないかという発想に至るのだ。
 そして二つが自身への裏切りに対する恐怖である。これまで積み重ねてきた莫大な知識により人の人格は形成される。この考えが間違っていたとしても人はこれまでの経験が自分を作り上げてきたのだという認識を持ちながら今この瞬間を生きているという事実は認めてくれよう。罪とは過ちである。そんな自身の犯した罪を今更認めるということはこれまで積み重ねてきた自身の経験を否定することにはなるまいか?自分の築き上げた人格を過ちとして捉えることになるのではないかという自己愛によって生まれる恐怖が己の罪を認めることを許さない。
 その恐怖の罪が大人たちをさらに黒く染め上げる。
 教会には罪の意識を持っていながら恐怖と闘うことに疲れた人間たちが来る。彼らの認識している罪を、そして時には過去に犯した自身でも忘れてしまった罪の名を思い出させ、これまでの葛藤から解放し、より白い魂へと近づけることが私の責務なのだ。それが人の犯した罪を見ることのできる私のすべきことなのだ。

 そして今宵も私の教会に懺悔を願う男がやってきた。自信満々な表情と大胆不敵な笑みをシワが目立ち始めた顔に浮かべていた。彼の鼻は高く目は鋭くどんな小さなものでも見逃しはしなさそうだった。胸は分厚く体を鍛えているのか中年の体型はそこにはなく引き締まってた体を持っていた。どんな大きな壁が彼に差し迫ろうとも鋭い洞察力と体力、そして自信で乗り越えていける風格を纏っていた。ゆっくりと彼の口が開く。
「僕の犯した罪を聞いて下さい。」
 彼の声は震えていない。
「僕は偽りの自分を常に作り上げております。世間では大きな名声を持つ僕です。       ただその名声の中には幾つか嘘のものも入っているのです。」
 まだ彼の顔にも余裕がある。
「世間は信じてくれているのです。偽りの自分を。いつしか僕は皆の期待する私を演じ上げるために自分を偽らないといけなくなりました。」
彼の鋭かった目の力が少し抜ける。
「偽った自分の作り上げる虚空の名声。もちろん何かをでっち上げれば僕はそれを実現させてきたのですが…」
 
 ここで私は口を開く。
「あなたの体がまた一段と黒くなりました。嘘をつきましたね?」
 男はフッと少し笑うと懺悔を再開させる。
「おっしゃる通りです。虚空の名声をでっちあげても時にはそれを成し遂げることができませんでした。なのに世間には出来たと思わせてきたのです。小さな虚空がどんどんと大きな空っぽの球体になっていくんです。」
男の口が閉じる。眼を瞑る。力を入れながら。深呼吸をして呼吸を整えたあと男は苦しそうに声を低く段々と大きくしながら喋る。
「自分が可愛いのです。世間からの期待も裏切りたくない!いえ、それも言い訳なのです。世間の見る偽りの僕はまるで英雄で、だからこそいつも自分が虎の威を借る狐のように思えてくるのです。人々からの栄光は僕に対して向けられてないのに今日も虚像を映しながら我が物顔で自慢げに外を出歩いて、その快感に酔いしれ元に戻りたくないと思ってしまったのです。」
 息が荒ぶる。
「そんな自分が時々恥ずかしくなります。何が一番恥ずかしいかというとそんな自分を常に恥ずかしいと思うわけではなく、気まぐれな時にだけしか恥ずかしいと思わないことなんです。」
 元からシワが目立ち始めた男の顔がさらにシワだらけになる。苦しそうに。
「そして更なる快感を得たいが為にまた嘘をつき続けるのです。でも悲しくない。本当の僕は誰も知らないというのにそれが悲しくない。時々誰かに、たった一人でいいから本当の僕に触れて欲しいと思うだけで悲しくはならないのです。」
そう言い終えると彼の力の抜けがかった眼に再び力が入り、鋭くなる。
「でも僕は思うんです。人間は皆誰しも偽りの自分を作り人に見せているのではないのかと。あそこで神に祈っている男も宗教に入っている自分を人に見せていることによってそれがしのアイデンティティーを確保しているのではないかと。人には初めからアイデンティティーなんてないから自分のなりたいもののアイデンティティーを作り上げ、安心しているだけではないのかと!」
「罪の見えるあなたなら見えるでしょう!外を歩く大人達は大概みんな偽りの罪を背負っている。自分を確保するために、本当に気弱く何も持たない自分を隠すために自分を作り上げて人に自慢げに見せびらかしている!いつの時代だって偽りの自分を作らない強い良心を持つ人の方が少ない!」
「心の中の純白な自分は弱いから、それを守るために人は罪を重ねる!黒い罪を身に纏わせ自分を傷つけまいとする!そして犯した罪から目を背ける!人間なんてみんなそんなもんじゃないんですか?」
 溜まっていた何かが破裂し、そしてようやく萎んだ。男の顔に力はもう入っていなかった。
「分かっているんです。例え人間の本質が僕の言った通りだったとしても僕は所詮それを言い訳として利用して逃げ道を作りたいだけなんです。僕は弱い人間だから。」
そして男は最後に覚悟を決めて言った。
「僕は後悔しています。世間にも謝りたいけどもう戻れません。僕がこのままの自分で生き続けることをお許しください。」
 そういうと男は席を去った。
 来た時よりも白くなった彼の背中は少し寂しそうで弱々しかった。

 今日の最後の来人だ。19にもなろうとしている彼の体にはどこにも黒い何かが無かった。代わりに体のあちこちに痛々しい赤い傷跡があり、魂の鳴き声が聞こえたような気がした。無知の罪の贖罪である。これが無知の罪をあがなう為に払われた代償である。疑うことを知らぬその心を利用され振り回された魂は疲れ切っていた。その疲れが彼の表情にも現れており、浮かび上がった苦悩と堪えきれんばかりの涙は彼を青年の様には見せなった。それでもなお罪を知らぬその純粋な体は無知ゆえに何をするべきか分からぬのだろう。彼がここに来たのは自身のすべきことを聞くためだ。非常に珍しい目的である。


「俺は何をすべきでしょうか?」
 と問われたので私は答えた。
「罪を犯せ。」
 と。

 
 ふと鏡に映った自分を見る。鏡に映った彼は誰よりも真っ黒だった。
 思うに人間は誰しも黒く、黒く在らなければならない。無論黒さに甘えて更なる罪を探求し、犯すのはあるべき姿ではないが。ただほんの少しの黒さは潜在的な罪悪感を心のどこかに隠し、それを抱えさせながら人に生活を送らせる。心のどこかに潜む罪悪感を潜在的に意識せずに意識しているからこそ、その罪を滅さんと人は他人に優しくなれる。罪が善良な心の原動力を生み出す。惨めで愚かな人間は罪悪感無しに人に優しくすることなど出来ないのだ。
 そして何より身に纏いし罪黒は己自身を守る盾になる。この罪溢れる社会から…
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