第1話

文字数 1,911文字

聞いていた音楽がもうすぐでサビに入るから、そんな理由でもうすぐ家だというのに、俺はフラフラと家を通り過ぎて足を進めた。
いつも仕事帰りまっすぐ一人きりの家に帰る気にはならなくて、そのまま、そうだ、今日はBARに向かってしまおうと思った。

住宅街に突然ぽつんとある、薄暗い、紫色にただBARと光るだけの店。メニューも出ていなくて、扉も締め切っていて窓もなく中の様子はわからない。緊張して、はじめてだとまず入れないと思う。俺はお酒飲めるようになったら絶対ここに行くぞと決めて入り、覚悟して入ったんだ。

今では中の居心地がよかったので気に入っている。一応、常連だ。コミュ障でマスターと全然話してないから常連らしい常連ではないけれど。
入ると、ジャズが流れている。レンガの壁紙に、縁がゴールドの真っ黒の机。
マスターはぺこりとお辞儀をしてくれた……、が、先に飲んでいた一人が、そのお辞儀で俺が来たことに気づいたらしい。大声をあげた。

「あ、この時間でも俺以外の人くるんだなあ!」
「え?あぁ、はは……」

なんか馴れ馴れしいなと思って離れて座ると、もう少し近く座ればいいのに!という声がした。
しかしその後は俺に興味が失せたのか、マスターに話しかけ続けている。

(注文したいのにタイミングつかめん……いつ会話途切れるんだ)

「そんでさあ!この前試飲会いったらほんとにここのワイン美味しくてここにも置くべきっしょって俺がアドバイスしてさあ、あの試飲会先にマスターが、あ、この人如月て苗字なんだけどね如月がさ酔っ払ってもう」
「……すみませんジントニックをください」
「えー?!もっと面白いの頼みなよ〜俺がおすすめ教えてあげるからさ」

マスターの声は全然聞こえず、その常連の声だけが響く。こいつのほうが常連らしい、常連だよな。店の空気を変え、占領し、自分とマスターだけの思い出を語る。ジントニック一杯で帰ろう、どうやらここは俺の居場所ではなくなってしまったようだから。

店から出て、夜風をあびる。もっと飲む気だったのに中途半端な気持ちのまま、コンビニで酒を買って帰った。
自分でそそいで、適当に喉に流し込む。

なんだか、いつもこうだ。学校でどのグループにいても、サークルに入っても、会社でも。居心地良かった場所に入ってくる、人気者のそいつ、が好かなくて、でもべつにそいつ、は悪者なんかじゃなくて。多分悪いのは新しい空気に馴染めない俺の方で、結局俺はその場から消える。

酒があまり似合わないマグカップの中
大きめの氷がとけて、派手な音を鳴らした。

1週間後、もうBARに行くのはやめようと思っていたがせめてボトルキープしていたのをなくしてからもう別の場所を探そう、と決めて重い足を運んだ。扉をあけると、あの常連の背中はなくって、ほっとした。
今日はマスターと俺だけ、らしい。それが嬉しくって思わず

「今日あの人いないんですね」

と言うと、マスターはグラスを拭きながら言った。

「ああ、あの人ねえ……出禁にしちゃって。もう来ないと思いますよ」
「ええ?!なんでまた……なんか暴れたとか?」
「いえ、とくに悪い事してないんですけど、落ち着いた雰囲気のBARを開くのが私の夢だったんで、追い払いました。私はもっといろいろな人と話してその人にあうカクテルを作りたいんでね、あの人のためだけに店開いてるわけじゃないんですよ、理由はそれだけです」
「はあ……」

俺はうれしいが、気の毒なような気もする。
悪いやつを排除するのは当然だが、悪いやつ、ではなくただ、なんか、そういう人なだけで。
俺が単純に好かないだけで。

「まあここに来れなくてもあの人いくらでもほかで居場所作れますよ、気にしなくていいです
好かれるタイプもその居場所も、それぞれですから、合う合わないあって当然
ここを居場所にするなら、もっと静かにしてもらわないと……」

成る程、なら俺は向いてるかもな。
じゃあ、ここはしばらく……俺の居場所
ということで。

「じゃああの、今日はなんか甘い、炭酸入った系のおすすめあれば」
「はい」

しゅわしゅわと泡立つ、コーラからココナッツリキュールの香りがする。

一口飲んで、店内を見渡す。

一人、客が入ってきたが俺は振り返らず、入ってきた客も遠くに座り、モスコミュールを頼んでいた。思いつきでマスターと話すくらいで、あとの時間はスマホを触ったり、目を閉じたり。この空気が続くなら、良かった、本当に。居場所を壊そうとする人がいれば、守ろうとする人もいるんだなって、俺はまたここから、頑張ることができる。
飲み終わる頃、次に飲む一杯を考えている間
薄暗い店内。ただただ
どこかで聞いたような、懐かしい音楽のピアノアレンジだけが流れていた。
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